蓉子さんがいるなら
レッスンの前に動揺をさせたりはしたくないから、レッスンが終わってから、と思っていたけど。
「詩音? どうかしたの?」
さすがはパートナーというべきか、奏音に気づかれてしまった。
話そうといていた内容のことじゃなくて、話に行こうとしていたこと、あるいは、その雰囲気の話だけど。
「うん。ちょっと蓉子さんに相談があって」
奏音は、ふーん、と頷いて。
「それって、私も聞いていいこと?」
奏音は私から少しだけ、朱里ちゃんに視線を向ける。
べつに、珍しい組み合わせではないはずだけど、なにか関係しているんだろうとは思ったんだろう。
「聞いていいっていうか、さっきの話だよ。私から話を持ちかけるより、蓉子さんとか、ここの関係者の大人の人に仲介してもらったほうが、話が進みやすいと思って」
私たちでも問題ないかもしれないけど、もしかしたら、問題があるかもしれない。
自分たちより遅くに入ってきた年下のすでにデビューしている相手なんて、いくら、実力主義の世界だと割り切っていても、面白くはないはずだから。
火に油を注ぐような真似はしたくない。
「それは、たしかにそうかもね。私たちだけだと、治まりつかなくなるかもしれないし、スタッフの人にはいてもらいたいよね」
かなり、確率としては低いと思うけど、流れ次第では、だったら辞めてやる、みたいな過激な話が出てこないとも限らない。
「由依さんでもいいんだけどね」
一番頼りになりそうな先輩だから。
順位も上だし、アイドルとして、グラビアモデルとして、名前が通っていて、蓉子さんとは違って、アイドル側にいる人だから、どちらに対しても、より心情に寄り添ってくれると思う。
でもいい、なんて言い方は失礼かもしれないけど、忙しそうだから。
「でもやっぱり、由依さんは学生で、蓉子さんは仕事っていう明確な違いがあるか」
私たちだって、制限はある。そして、それはデビューしたことで、一気に増えた。
もちろん、プロだろうと、プロでなかろうと、気にするべきことに違いはないけど、まあ、周囲への影響力とかが違うというか。
そして、世間的なことを考えると、動きだって、由依さんたちよりは蓉子さんのほうが自由がある。
現役のアイドルか、そうでないかというのは、知名度に天と地の差があると思うから。
ましてや、『SLG』は人気があるユニットなわけで。
「私がどうかしましたか?」
「わあっ!」
都合のいい登場でも、日付や曜日、時間があっていれば、来るだろうと予想はできる。
予想はできたとしても、驚くか驚かないかというのは、べつの問題だけど。
むしろ、タイミングが良すぎて驚いたというか。
「ちょっと、びっくりさせないでくださいよ、蓉子さん」
奏音が胸を抑えるように文句をつける。
「ふふっ。すみません、奏音さん。ですが、理由くらいは教えていただけるんですよね?」
プライベートであれば。
アイドルとして動いているということになると、極秘ということになるけど、由依さんは同じ事務所に所属している人間だ。
とはいえ、実際に話すとなると、決断は必要になってくる。
こっちとしても、憶測の部分は多いにも関わらず、一度関わり始めると、解決するまで終わらない。
それでも、理由については、教えるというか、ぜひ聞いてもらいたいというか、これから、こちらから話そうとしていたところだというか。
完全にプライベートとも言えないわけだし。いや、むしろ、アイドルとしてのことも関わってくるから、プライベートじゃなくて、この事務所、ひいては、私たちのアイドル活動にしっかり関わっているとも言えるだろう。
「お話しすれば、味方になってくれますか?」
「申し訳ありませんが、内容によるとしか」
それは、まあ、そうだろうね。
蓉子さんには、一応、スタッフ側として、私たち生徒を保護する責任があるわけだから。
そもそもの話として、話を聞くまでもは、どちらの側につくのか決められないというのは、当然のことだ。
「簡単に言えば、私たちの中で喧嘩になるかもしれないから、先に報告だけでもと思っていたところだった、ということです」
所詮、憶測は憶測。
ただし、放っておいて大きくするよりも、事前に、小さな火種程度のうちに解決できるならそっちのほうがいいだろうという判断をしたから。
もしかしたら、ここでの私の動きに気がついていて、いつでも動くことのできるだけの準備を整えたうえで、迎え撃とうとしているということもありえるけど。
とはいえ、私に攻撃して、なにか得があるとも思えない。まあ、人間は感情でも動く生き物だし、そのへんの理由なんて考えても仕方ないことは仕方ないんだけど。
「えっと、それは……」
蓉子さんは苦笑いを浮かべて、どう言ったらいいのか、困っているような様子を見せる。
まあ、それはそうだろうね。
大抵の事故というのは、事前にわかっていれば、救う手立てがある。それができないからこそ、事故と呼ばれるわけだけど。
「……それって、原因とかは。もしかして、詩音さんが原因になるということなのでしょうか?」
「わかません。そうかもしれない、ということです」
私自身は、なにかをするつもりはないけれど、巻き込まれたか結果、中心に持ってこられる可能性はある。
「ただ、私から切り出しても喧嘩のようになってしまうだろうことは予想できますし、それであれば、蓉子さんから、さも、知っていますという感じを出して話を聞いてもらうというのは、良い手だとは思いますけど」
正確には、他に事前に打つことのできる手はない、というべきかな。
蓉子さんなら、雰囲気はあるし、大丈夫だとは思う。まあ、私の個人的な感想だけど。
「なるほど。わかりました。微力ながら、協力させていただきますね」
蓉子さんは二つ返事で頷いてくれる。あまりに早いから、私のほうが驚いたくらいだ。
「えっと、こちらから話を持ち掛けておいてあれなんですけど、いいんですか?」
答えはもらったけど、一応、念のために、と思ってしまう。もちろん、こんなところで蓉子さんが嘘をついたりするメリットはないはずだから、信じられるはずだけど。
「はい。この件に関してはお引き受けします」
蓉子さんも、あらためて、微笑んでくれる。
大人が間に入ってくれるのと、くれないのとでは、完全に別物だ。私だって、そんなに余裕があるわけでもない。そっと、溜息を吐き出す。
「皆さんの間で良くない緊張感が続いたりと、雰囲気が良くないと、レッスンにも余波が響いてくる可能性があるので。私たちスタッフの仕事は、アイドルを世に送り出すこと。そのために、万全の環境を整えることです。そこには、レッスンの雰囲気を良いものに保つということも含まれていますから。それに、大人と子供、この場合にどちらを味方するのかということは、決まりきっていますから」
正しい、正しくないはべつにして。
そもそも、この件は、正しいとか、正しくないとか、二極化する問題を解決しようとしているわけでもない。いや、個人の意見がそういう風に評価されているという意味では、そのとおりかもしれないけれど。
それでも、私たちの近くにいてくれるというのは、ありがたい相手だということで。
「大人と子供というほどに離れているわけではありませんけれど、ありがとうございます」
年下とか、年上という話なら、たしかに私たちが年下――子供なことは間違いない。
蓉子さんが間に入ってくれるなら、肩の荷がひとつ降りたともいえる。




