生娘娼婦と眼帯の用心棒:後編
【推理と暴力】
「またかよ、全く!」
クロードは声を荒げた。この火事騒動の最中、ナタリアが消えた。混乱している町の中で、どうにかしてナタリアの行方を突き止めようと、クロードは周囲の野次馬たちに尋ねてみた。すると、ある男がナタリアを無力化し、町の外へ向かったという話を耳にした。
「無力化?」
クロードはその言葉に眉をひそめる。一人の人間が衆目の中で、そんな簡単に無力化されたりしない。できるとすれば、荒事に慣れた者による計画的な行動だ。ならばその裏には権力者がいる。その者によって、何かが狙われている証拠だ。
そして、さらに不安が胸をよぎる。ナタリアが攫われた理由をクロードは瞬時に察する。
――もしや、フォルケンの血筋を狙ったものか?
「ナタリアはフォルケン家の末裔ではないか」という噂が囁かれるのを耳にしたことがある。今日の騒動にしても、ナタリアの血筋が狙われた結果だとしたら、あの火事騒動も偶然ではないと気づいた。誰かがナタリアを誘拐するために、意図的に混乱を起こしたのだと。確かな証拠があるわけではないが、それを集めている時間はない。クロードはすぐに町を出る準備を整え始めた。
町外れにある馬小屋に急ぎ、彼はすぐに馬を一頭借り、走らせた。幸い、万灯町から出入りできる門は一つしかなく、しばらくは一本道が続く。無力化した女を攫うなら、馬車での移動と考えられた。
やがて、クロードの右目が馬車の後ろ姿を捉えた。その馬車には家紋がなかった。クロードは自身の推理が正しかったことを確信した。
クロードは馬をひた走らせ、馬車の背中に迫っていた。夜の冷たい空気が彼の頬を打ち、馬の足音と馬車の進行音が重なり、緊張感を一層高める。その音だけが、周囲の静寂を切り裂いていた。彼の心臓は静かに、しかし確実に鼓動を速めていく。目標が目の前にある。その焦点を見失わず、彼はただひたすらに前進した。
馬車の御者は最初、クロードの接近に気づかなかった。しかし、やがて何かが彼の元に迫り来て、空を切る風のような音がした。
「何だ?」
御者が振り返ると、クロードはすでに馬の背から飛び降り、素早く御者台に飛び移った。その瞬間、クロードは躊躇なく御者を引き摺り落とし、地面に叩きつけた。御者は驚きと共に顔を歪め、呻き声をあげた。
「しばらく寝てろ」
その声が冷徹に響き渡ると同時に、クロードは馬車の手綱を引き寄せ、馬車を止めた。そして帯刀していた剣を抜く。
馬車の扉が開かれ、護衛の男が飛び出してきた。剣を一閃しながら、クロードに向かって突進してくる。その動きは荒々しく、クロードを捉えようと必死だ。クロードは冷静だった。
「荒い」
その言葉が、男の耳に届く前に、クロードはすでにその剣を受け流していた。まず、男の振り下ろす刃をすばやく横に逸らし、その隙に相手の脇腹に拳を突き込む。男が一瞬よろめく間に、クロードはさらに近づき、次の瞬間には相手の腕をねじり上げて剣を奪った。
「ぐっ!」
男は苦しそうにうめき声を上げ、力を抜こうとするが、クロードはそのまま男の体を横に投げ飛ばした。足元を崩した男は、倒れる勢いで地面に叩きつけられ、そのまま意識を失った。
クロードは冷徹な眼差しで倒れた男を一瞥すると、改めて馬車の中に視線を向けた。
馬車から、次に出てきたのは貴族風の男だった。控えめながらも金色の刺繍が施された衣装に身を包み、手に剣を握っている。しかし、その剣を握る手は微かに震えていた。
「おい、そっちに行け!」
男はナタリアを抱きかかえるようにして、クロードに向けて剣を突きつける。その顔には、冷徹な表情を作りながらも、目に見えるほどの不安と恐れが浮かんでいた。
「ナタリアを返せ」
クロードの声は、ただ一言で、男の動きを封じた。
男は一瞬その言葉に足を止めたが、目の前にいるクロードの圧倒的な気配に、再び震えが広がる。その一歩一歩が近づくたびに、男の手が震え、剣がふらつく。
「やめろ……!」
男が恐る恐る言いながら、ナタリアをさらに前に出す。その瞬間、クロードは一切躊躇うことなく、鋭い目を男に向けたまま、一歩踏み出す。彼の足音は、男の心に刻まれるように重く響く。
「無駄だ」
クロードは冷ややかな一言を発し、あっという間に男との距離を詰めた。男がナタリアを盾にして構える暇もなく、クロードは一気に間合いに踏み込み、剣の先を男の手から引き抜くように素早く叩きつけた。
男の足元が崩れ、手から剣が落ちた瞬間、そのまま尻餅をついて地面に倒れた。男の顔には戦意が完全に消え失せ、ただ恐怖だけが浮かぶ。そして男は不用意にも背中を見せて、丸腰でその場から逃げ出した。クロードはその後ろ姿を追いかけなかった。
クロードの関心は既に、馬車の中に残っている男に向けられていた。
誰よりも華美な装飾に身を包む、太った男がもたもたと馬車内から出ようとする前に、クロードは一気に駆け寄り、男を力強く引き摺り出した。男の体が地面に倒れ、クロードの足元に蹴りつけられるように倒れ込む。
「主犯だな」
クロードは冷徹な声で言い放ち、そのまま剣を振り上げた。剣先が月光を受けてきらりと光り、男の恐怖を煽る。
「待って、ダメ!」
男に剣を振り下ろす一瞬前、ナタリアの叫びが響き渡った。その声がクロードの動きを止めることはなく、ただ一瞬の躊躇が剣の先を男ではなく地面に突き刺させた。土と石が舞い上がり、冷たい夜の空気にその音が響いた。男は失神していた。
クロードは息を呑んだまま、剣を引き抜き、自分の手のひらを見つめた。圧倒的な暴力の欲求に飲まれ、自分の中で歯車が狂ったように、クロードは感じた。冷徹な判断力を保ち続けるはずだったのに、ナタリアの叫びに心が揺れ動いたことに気づき、ふと我を失ったことを恥じた。
「しまった……」
クロードは思わず自己嫌悪に沈みそうになる。足元の男を見下ろすと、何とも言えない空虚な気持ちが残った。
その時、ナタリアがクロードの元に駆け寄ってきた。クロードはその動きに気づき、恐る恐る顔を上げた。もしや、彼女を怖がらせてしまったのではないか、という不安が胸をよぎる。
しかし、月明かりに照らされるナタリアの顔には、恐れの色ではなく、むしろ目を輝かせた驚きの表情が浮かび上がった。彼女は、クロードの目を真っ直ぐに見つめながら、息を呑むように言った。
「あの時の騎士様だったのね……!」
クロードはその言葉を聞いて一瞬固まった。彼女が何を言っているのか理解するのに、ほんの少しの時間がかかった。ナタリアはクロードに向けて、まるで宝物を見つけたかのように笑った。
【運命が交差する夜】
「お父様! お母様!」
11年前の夜、ナタリアは目の前で行われた凄惨な出来事に、ただ泣き叫んでいた。城の外では、フォルケン公爵家が誇る私兵が次々と薙ぎ倒され、切り捨てられていく。荘厳な城には不似合いな、剣を携えた騎士たちが踏み込み、使用人、そして家族までも拘束していく。
暴力によって家の誇りと安らぎが踏み躙られていく様に、ナタリアはただ泣き叫ぶしかなかった。
その最中、自分の泣き声に気付いた誰かが、自分を抱き抱え、この阿鼻叫喚の現場から連れ出した。
「君のことは、俺が守ってやる」
そう低い声で言われた言葉に、ナタリアは不思議と泣き止むことができた。
あの日の騎士の姿と、目の前のクロードが重なる。
剣を片手に、潰された左目から大量の流血をしながら、敵であるはずのフォルケンの人間を庇護してくれた騎士。
「思い出したわ。自分だって血だらけだった騎士様が、私を安全な場へ連れていってくれたことを。あの夜の貴方が、私の命だけじゃなく、心を守ろうとしてくれたことを……!」
ナタリアはその事実に胸がいっぱいになる。8歳の頃から、クロードはナタリアを守り続けてくれていた。
クロードはしばらくの沈黙の後、いつもの軽口を叩こうとして、やめた。そして改めて口を開く。
「そんなに良いものじゃない。俺はあの時、お前の家を踏み躙る暴力に酔いしれていた。そして今もだ。俺は荒事の中で高揚する異常者だ」
クロードの右目が、ナタリアを真っ直ぐ見据える。微かな月明かりの下で、クロードの瞳が闇に沈んでいるように、ナタリアには感じられた。
「お前の叫び声が聞こえなければ、あの日も今も、俺は正義なき暴力を止められなかった」
クロードは自身の手のひらを苦々しく見つめ、固く拳を握る。
「だからあの日のことも、今日のことも、お前が俺に感謝する必要はない」
クロードは冷たく突き放す。その言葉には、まるで自分がナタリアにとって害であるかのような強い確信が込められていた。どこか自分を罰するように言い放ち、目を逸らすように肩を震わせる。それは、彼が背負う孤独と自己嫌悪を隠すための壁だった。ナタリアはその冷徹な言葉の裏に潜む痛み、彼がどれほど自分を責めているのかを痛いほど感じ取った。
ナタリアの心に一瞬、悲しみが走る。しかし、その感情を手放す暇もなく、激しい怒りがこみ上げてきた。クロードの孤独を知って、ナタリアは放っておくことができない。
ナタリアはクロードに抱きついた。クロードはナタリアの行動に目を丸くする。
「そんなの知らない! 貴方は私のことをずっと守ってくれてた! それに感謝して、何が悪いのよ!」
言葉のひとつひとつが、クロードの心に突き刺さるように響いた。ナタリアの言葉は止まらない。
「人のこと守るだけ守っといて! 勝手に1人で抱え込もうとしないで! 私、貴方のこと怖いなんて思ってないんだから、クロード!」
ナタリアは強くクロードを抱きしめた。ただ彼に伝えたかった、「あなたを独りにしない」と。
そこまで言うとナタリアは堰を切ったように、泣きじゃくり始めた。その感情の発露に、クロードもまた、自身の壁が崩れ落ちていく。残されたものは、目の前のナタリアを守ることができた安堵と、彼女の言葉に癒された実感だった。
「お前、本当にまだまだ子どもだよな」
クロードは笑いながら、そのまま迷いなく、ナタリアを優しく抱き返した。
【ファム・ファタールの女経営者】
「体を売るだけが女の商品価値ではないわ!」
あの事件から1ヶ月も経たない頃、ナタリアはマダム・アイリスに向かってプレゼンしていた。それは、娼館とは異なる、新しい業態だった。
「あんたの話は面白いけどね。だけど、開店資金はどうすんだい」
マダム・アイリスの現実的な指摘に、ナタリアはニヤリと笑う。
「マダム、私の客の中に、官僚もいたのはご存知? 彼に話したら、「経済活性化支援金」の対象として通るって言われたわ!」
「なっ……あんた、国の金を使わせる気!? 正気かい!? ここは万灯町だよ!?」
王都唯一の万灯町。ここは王国の歴史の裏側で追いやられた者たちが集まり、勝手に自治をし始めた一角だ。その歴史の積み重ねが既得権益となり、今や王家ですら簡単に手出しできないコミュニティとなっていた。
「使えるものは使うべきよ! こっちは大昔に王家に身包み剥がされてるんだから! 少しでも取り返してやらなきゃ!」
そう力強く宣言するナタリアに、アイリスはついに折れた。
ナタリアが提唱した新業態、「女の体ではなく女心を売る商売」。それは革新的なサービスだった。女性スタッフは、店で体を売るのではなく、心のこもった会話を売る。男性客の隣に座り、酒や料理を提供しながら、疑似恋愛の時間を提供するサービスだった。
この業態であれば違法風俗には当たらないため、行政の支援金も申請できた。
生娘娼婦ナタリアは、新店舗『ファム・ファタール』の女経営者ナタリアへと転身した。ナタリアによる貴族のマナーと花街の手練手管を融合させた接客教育は、女性スタッフたちを優雅で艶然とした「運命を狂わせる女」へと押し上げ、万灯町中の男たちの財布を軽くした。
そしてこの店舗の用心棒として置かれたのが、姉妹店舗であるデア・アマータから配置換えされたクロードだった。
「お前は本当にたくましいな」
ナタリアの執務室で、クロードが笑う。
「当然よ。私はこの町で成り上がってやるんだから」
そう言ってナタリアは、経営者らしく大胆不敵に笑う。
ナタリアは絶対に口にしない真実だが、別に町で成り上がりたかったわけではなく、『好きな人がいるのに娼婦なんてやりたくない』という生娘らしい決断だった。
「はいはい。まぁお付き合いしますよ、お嬢様」
クロードが肩をすくめ、椅子に座るナタリアの頭を軽く撫でた。その仕草にナタリアはうっとりしそうになった後、顔を赤くして「子ども扱いしないで!」と抗議の声を上げる。ムキになるナタリアは、クロードの右目がナタリアを見つめて熱っぽく揺れたことに気付かない。
ナタリアの恋路はまだまだ長そうだ。




