生娘娼婦と眼帯の用心棒:前編
アヴェレート王国の王都に存在する唯一の花街・万灯町の話。
【デア・アマータの生娘娼婦】
「他の女と寝るなんて! 信じられない! 死んでやる!」
「お前のそのセリフ、13回目だぞ!」
大通りを賑わせる痴情のもつれ。見知らぬ娼婦と客が繰り広げる言い争いが、通りに響く。そんな2人を、「今日もやってるな」と見せ物のごとく周囲が取り囲む。その喧騒に慣れきった商人たちが道を行き交い、酔っ払いが大声で笑い、歓楽街の一角でおどけた踊りが繰り広げられている。
王都唯一の花街・万灯町は、今日も滑稽で騒がしい。
ナタリアはその様子を、娼館2階の窓辺からぼんやりと眺めていた。
――ああいう営業手法なのね。私には全く参考にならないけれど。
内心でそんな風に距離を置いたつもりでも、目を向ける先には、慣れきった景色が身近な現実として広がっていた。煌びやかな夜の顔、その裏に潜む陰湿な世界を、ナタリアは無関心に眺めている。
その時、ナタリアと同室にいる男は、向かいのソファに腰掛けながら、不機嫌な表情を見せていた。今日のナタリアとの時間を買った貴族客だ。彼は、部屋に漂う上品な香りや、豪華な装飾に目を向けることなく、冷徹な視線をナタリアに向ける。
「生娘娼婦だか何だか知らんが、客を舐めやがって。少しは男に媚びてみろよ」
ナタリアはその言葉に顔を向けず、相手の不遜な態度に不快感を抱きながらも、口元だけに微かな笑みを浮かべた。
「舐めているつもりはないけれど、あなたに媚びる気もない。悔しかったら私を本気にさせてみなさいよ」
ナタリアは娼婦にあるまじき態度を取る。しかしそれが彼女の商品価値を高めるものであり、彼女は忠実に実行しただけだった。ただ、今日の客は、そのあたりの機微を理解するほどの余裕と経験がなかった。ナタリアの態度に腹を立て、ソファから立ち上がり言った。
「その態度、気に入らねぇな。さっさとこっちに来い。お前みたいな娼婦が、俺にこんな口を利くなんて。身の程をわきまえろ!」
ナタリアは目を細め、ソファから立ち上がることなく反応した。
「身の程? 少なくともこの町で、一番の値段がつけられてる女だという自覚はあるわ――恐らく貴方の家の資産以上かしら」
「この女、黙って聞いていれば――!」
男はついにナタリアに掴み掛かる。
その瞬間、部屋のドアが勢いよく開き、軽い足音が部屋の中に響いた。振り返ると、そこには無造作な黒髪の男、クロードが立っていた。左目の眼帯が印象的で、背中に何かを秘めた雰囲気が漂う男だ。
クロードは無駄に感情的なことはせず、ため息をついた。
「お客さん、そういう狼藉はもっと安い娼館でやってくれ」
クロードは淡々と口を開き、ナタリアを暴行しようとした男の手首を無理やり掴む。その暴力への躊躇いのなさと手慣れ具合は、温室育ちの貴族を震わせるには十分だった。
「俺の知ってる範囲じゃ、あんたみたいな人間が万灯町に出入りしてるのは、良くないんだよな。あんたらの世界で知られたらどうなるか、考えたことあるか?」
クロードの言葉には、冷徹な威圧が込められていた。男は顔を赤くしながら口をパクパクさせ、全身が震えていた。
「あんたの立場、脅かすのは簡単なんだ。万灯町に来るのはいいが、自分が『ここに来るべき』だなんて思うなよ」
その言葉に、客は一瞬で顔色を変え、最終的には黙り込んだ。結局、何も言わずに立ち去った。
クロードはそのままナタリアの方を向いて、ちょっとした呆れ顔を浮かべる。
「またかよ、全く」
ナタリアは接客スマイルを脱ぎ去り、本来の表情へと戻る。
「だってそういう営業手法なんだもの! おかげで今月も売り上げ1位よ、体は売ってないのに!」
クロードはため息をつき、「だろうな」とだけ答えた。
ナタリアはちょっとだけ顔を赤らめる。
「こ、これでも貴方には感謝してるわよ! 光栄に思ってよね!」
クロードは肩をすくめ、軽く笑った。
「気にしなくていいよ。俺の仕事だ」
その大人の余裕に、ナタリアは子ども扱いされたような気がして、不満そうに眉根を寄せた。
万灯町一番の高級娼館デア・アマータの、生娘娼婦ナタリア。それが今のナタリアの立場である。
ナタリアは、フォルケン公爵家という、王家に次ぐ権勢と権力を持つ大貴族の生まれだった。しかし本人が8歳のときに、フォルケン家は巨額脱税を始めとする様々な罪により、家は摘発の上、祖父母と父が断頭台に消えた。その後、ナタリアは、母と兄とともに、母の実家の支援で細々と生活していた。平民から貴族に戻ることを夢見る母は、子どもたちに貴族としての教養やマナーを教えるが、当のナタリアは「なんて無意味」と思っていた。
やがて母の実家の支援も打ち切られ、母と兄は貧困生活に耐えきれず衰死した。ナタリアは市井に働きに出てみたものの、中途半端な貴族教育で培ったプライドと振る舞いのせいで周囲と軋轢を生み、職を転々として、結局万灯町まで流れ着いた。
ただ、その美貌――華やかな赤みがかった茶髪、高貴な顔立ち、陶器のような肌――は、デア・アマータの敏腕経営者、マダム・アイリスの目に止まった。そしてナタリアの生い立ちと性格を見抜き、最も稼げる営業手法でナタリアを雇った。
その営業手法とは、「さる大貴族のご落胤の生娘」と宣伝し、その処女には天文学的な値をつけるというもの。当然誰も支払えないが、唯一の例外として、「ナタリアが客に恋をした場合は、自由恋愛による肉体関係として、店側は客の責任を問わない」とされた。
娼館に囲われているナタリアに会うためには、ナタリアと二人きりになれる時間を買うしかない。その金額設定すら、デア・アマータの他の高級娼婦を一晩買えるだけの金額だった。
「別にあんな男、怖くなんてなかったんだから」
何の負け惜しみか、ナタリアはつい、部屋から出て行こうとするクロードの背中に言葉をかける。クロードはいよいよ吹き出し、ナタリアにもう一度向き直った。
「はいはい。お嬢様はさすがですね、夜に一人でトイレにも行けますもんね」
「馬鹿にしてるでしょう!」
ナタリアは顔を真っ赤にして抗議する。クロードはナタリアの座るソファに近づき、ナタリアの頭を撫でた。
その無骨な指が、ナタリアを脅かさないよう、優しく触れる感覚に、ナタリアは別の意味で顔を赤くした。
「怖かったとしても、俺が守ってやるから安心しな」
クロードの片目が穏やかに細くなる。彼の眼帯も、言葉遣いも、振る舞いも、その全てが暴力の世界に身を置き続けた証だ。にも関わらず、ナタリアへ見せる表情は優しく、ナタリアは混乱するのであった。
クロードに頭を何回か撫でられ、ナタリアの体から緊張が解ける。自分が恐怖を感じていたことを、ナタリアはようやく自覚した。
そしてクロードが部屋から出て行く。その様子を呆然と見続けたナタリアは、ふと我に返り、叫んだ。
「だから怖くなかったってば!!」
【デア・アマータの日常】
デア・アマータは、万灯町の中でもひときわ華やかな娼館だ。しかし、その華やかな表面とは裏腹に、毎日がまるでサーカスのような日々を繰り広げている。その様相が日常でもあった。
その日の夜も、あるトラブルが店内で起こった。酔っ払った男が、別の部屋に間違えて入ってしまったのだ。その男は部屋に入った瞬間、すでに行為をしている最中の他の客に見つかり、どうしようもなく大騒ぎを始めた。
「おい! お前、誰だよ!」
全裸で寝台から飛び出した男が叫ぶ。
「ここは俺の女の部屋だろう! 何勝手に俺の女とヤッてやがる!」
酔っ払った男が怒鳴り返す。
二人の男は、互いに血相を変えて叫び合い、完全に取り乱していた。その瞬間、部屋のドアがゆっくりと開き、クロードが無造作に足を踏み入れる。
「何をやってるんだ、二人とも」
クロードの冷徹な声が響く。
彼は、その場の状況を一瞬で把握し、無表情のまま二人に近づいて行った。先に叫んでいた男がまだ怒鳴り続けようとするのを、クロードは手を上げて制止する。
「騒ぐな。誰もお前の話を聞いてないから」
クロードは一歩前に進み、半裸の男と全裸の男に一瞥をくれる。二人は、クロードの雰囲気に気圧されて、すぐに言葉を失った。
「ここはお前らが好き勝手に騒ぐ場所じゃない」
クロードは淡々と続けた。
「お前たち、もう帰れ。俺が言わなくても、この町の掟を理解してるだろう? 『命が惜しければ殺されないように振る舞え』」
クロードが命じると、二人の男は俯いたまま何も言わずに、そそくさと店を出て行った。
その後、クロードは廊下で立ち尽くしているナタリアの方に目を向け、軽く肩をすくめた。
「本当に毎回面倒だな、こいつら」
「ほんと、うるさいったらありゃしないわね」
ナタリアがその場を離れようとすると、クロードがすかさず言葉を続ける。
「まぁ部屋から出て様子見したくなる気持ちはわかるが、野次馬に火の粉がかかることもある。気をつけろよ」
ナタリアの行動は、クロードにはお見通しだったらしい。ナタリアはバツが悪そうに顔を背けた。
営業時間外、デア・アマータは一息ついていた。昼下がりの明るい雰囲気の中、娼婦たちはくつろいだり、談笑したりしながら余暇を楽しんでいる。
その時、クロードは廊下を歩いていた。いつものように冷徹な眼差しで、周囲を警戒しながら。その歩みは周囲の女性たちにとって、無視できるものではなかった。
「クロードさま、また一緒にお話ししませんか?」
「ねえ、クロード。今夜は私と時間を過ごしてくれるんでしょう?」
「クロード、あたしのこと、どう思う?」
賑やかに寄ってくる娼婦たちの言葉に、クロードは軽くため息をつきながら、冷ややかな目線を向けた。
「店の商品守る人間が、商品に手をつけられねぇよ」
その言葉は、あまりにもあっさりしていて、逆に娼婦たちを喜ばせてしまう。
「あはは、クロードさま、相変わらずツレないんだから!」
「そうね、もうちょっと情けをかけてくれたら、あたし、あなたに何でもするのに!」
「またそんなこと言って、クロードさまもお見通しでしょ?」
クロードのすげない態度を、逆に娼婦たちは楽しんでいる。クロードは無表情で首を振りながら、その場を切り抜けるようにして歩き去った。その様子を、部屋の入り口から一歩下がって見ていたナタリアは、面白くなさそうに眉をひそめていた。
――ほんっと、ウザいわね……。
ナタリアが心の中で愚痴をこぼしていると、今度は娼婦たちがナタリアに近づいてきた。
「ほらほら、また見てるじゃない、ナタリアちゃん」
「どうしたの? クロードのこと、気になるの?」
「生娘娼婦が客でもない男に足開けないものね。クロードの相手できなくて残念ねぇ」
それを聞いたナタリアは、一瞬ムッとした表情を浮かべるものの、生意気な笑みですぐに言い返した。
「相手にされてない人が何言ってるんだか」
その言葉に、娼婦たちの目が鋭くなり、即座に反応する。
「何よ! あんた、本当可愛くないわね……!」
「楽な商売してデカい面してるんじゃないわよ!」
女同士の戦いの火蓋が、切って落とされた。もはや喧嘩の原因とは全く違う内容で、互いを罵り合う。3対1という不利な状況でも、ナタリアは一歩も引かない。
すると、そこにマダム・アイリスが現れ、すぐさま制止する。
「いい加減にしな!」
アイリスの酒焼けした声は、あまりにも威圧的で、瞬時に騒動を沈めた。
「ナタリア、あんたもこの店の一員として、少しは自重しなさい。あとお前たちも、複数で寄ってたかって詰め寄るんじゃないよ」
アイリスの説教を受けたナタリアたちは、しばらく黙って聞いていた。そして解放され、ナタリアは自分の部屋に戻ろうとする。
その時、騒ぎを気にして戻ってきたクロードとすれ違う。
「お前、また喧嘩してたのか?」
クロードが軽い調子で言う。ナタリアはすぐに反応した。
「喧嘩売られたのはこっちよ!」
クロードは肩をすくめる。
「ただでさえやっかみ買う立場なんだ。自分のためにも、上手く立ち回れ」
ナタリアはその言葉に少し考え込むような表情を浮かべた。
「それは……そうかもしれないけど……」
クロードはナタリアの納得しきれていない様子を見て、更に言葉を続ける。
「お前、口回るし頭良いんだから、そのくらいできるだろ」
意外な褒め言葉に、ナタリアは顔を赤らめ、少し照れながら答える。
「わかったわよ」
その反応を見て、クロードは少し微笑んだ。
その後、ナタリアが部屋から出ようとした時、クロードがさっき喧嘩していた娼婦を慰めているところを見かけた。
「お前、本当は優しいんだから、相手を許すくらいできるだろ」
クロードのその言葉を、ナタリアは遠くから聞き、顔をしかめた。
――あんのスケコマシ!!
ナタリアは心の中で怒りを抑えきれず、プリプリと部屋に戻って行った。




