最終話:新たな愛と希望
【七月二十五日】
カラッとした夏の日差しが降り注ぎ、雲ひとつない青空が広がるその日――アデル・カレストは二十九歳の誕生日を迎え、同時にラグナル・アヴェレートとの結婚式を挙げていた。
王都全体は、身分の違いを超えてお祭り騒ぎとなっていた。
「推しの門出に立ち会えるなんて……!」
「公式よ永遠なれ……!」
涙ぐむ推し活夫人たち。
「王弟様と公爵閣下がいよいよ結婚だってね」
「やっとかぁって感じだよな」
当たり前のように受け入れる臣民たち。
「結婚祝いに特別セール!」
「二人の愛にあやかって、新婚向け家具大特価!」
祝い事に便乗し、商戦を繰り広げる商人たち。
そのすべてが、今日の王都の祝賀ムードを象徴していた。
王都の中心にそびえる大聖堂。ここは、数多の新郎新婦が永遠の愛を誓い合った由緒正しき場所である。
その場には、王国の高位貴族たちが、二人の結婚の証人として集められていた。新婦の入場が待たれる間、彼らは自然と各々の思惑について語り出す。
「いよいよお二人が夫婦となるのか……」
「王弟殿下の婿入りとはいえ、アーサー国王陛下の治世の間は、宰相として国政に身を置くらしいな」
「カレスト公爵閣下も、もはや議会の台風の目。北部地域を起点とした王国の変革はしばらく続くだろう……」
「尊いな……」
「「「えっ?」」」
「いや、わかる」
「「「えっ??」」」
やがて聖堂の扉が開き、アデルが現れた。純白のウェディングドレスを纏った彼女が、バージンロードを歩き始める。その気高さと美しさを備えた姿に、聖堂内は息を飲むように静まり返った。
アデルに付き添うのは、ダモデス公爵。
かつて政敵だった彼が、今や盟友として、アデルの門出を共に歩いている。王国の団結を象徴するワンシーンだった。
「娘のいない儂に、バージンロードを歩かせるとはのう」
「貴方の狸っぷりが私をここまで育ててくれたと言っても過言ではありませんわ」
「最後まで口の減らん女狐だ」
しかし、ダモデス公爵の目には、どこか感慨深い色が滲んでいた。
祭壇にたどり着くと、ダモデス公爵はアデルの手を取り、ラグナルへと引き渡した。
「この才媛を、王国の希望の灯火とするか、災禍をもたらす女狐にするかは、殿下次第です。どうか、我々のためにもお幸せにしていただけるよう祈っております」
アデルは「こんな時に人を妖怪扱いするな」と目で訴える。しかしラグナルはダモデス公爵の言いたいことが理解できすぎて――彼女がその気になれば税制変更くらいは朝飯前――、苦笑するしかなかった。
「彼女との愛が、この国の未来の希望であることを、一生涯かけて証明します」
ラグナルの誓いが、凛として響き渡った。
そして司祭により、婚姻の儀が進められる。結婚指輪の交換で、互いの薬指にはめられたのは 「オリエンタイト」――朝焼けの輝きを宿す宝石だ。
特定地域の地殻変動によってのみ生成され、一介のジュエリー職人では生涯に一度も目にすることがないほどの希少鉱物。
その指輪が燦然と煌めいていた。彼らの苦難の日々が明け、未来を祝福するかのように。
そして結婚の証人たちが、二人の誓いを承認する。
「国王として、この結婚が王国に数多くの希望をもたらすことを、保証する」
国王アーサーが、力強く述べる。ラグナルは、その言葉に応えるよう、頷く。
「彼女の親族として、お二人の結婚が幸多いものであること、貴族社会にとっての愛の象徴となることを、約束します」
ロザリンド・マグノリア侯爵夫人が、真摯に告げる。アデルは、その心を受け止め、微笑む。
証人たちの宣誓の後、ラグナルはアデルの手の甲に口付ける。それは、ラグナルの誠実な誓いの証だった。
式が終わると、二人は大聖堂の扉から姿を現した。
あえての政治的演出だった。
通常、王族や貴族の婚礼ならば、バルコニーから民衆へ向けて姿を見せるのが通例だ。しかし、臣民人気の高い二人は「民と共にある」ことを示すため、彼らと同じ地に立つことを選んだ。
「アデル様!!」
「ラグナル殿下!!」
大歓声とともに、祝福の声が響き渡る。
フラワーシャワーが青空を舞い、数えきれないほどの花びらが二人を包み込んだ。
人々は喜び、涙を流し、熱狂的な歓待ムードに包まれていた。
その光景を見たアデルは、ふと胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
――かつて、女公爵としての道を選んだときから、捨てたつもりだった女の幸せ。
――毎年誕生日を迎えるごとに、拗らせていた思い。
――この光景が、その全てを受け止めてくれている。
隣のラグナルが、アデルに微笑みかけた。その深い青の目に慈愛が滲む。
「君がいたから、この光景を作ることができた。僕はそれを誇りに思うよ、アデル」
「貴方がいたから、私は今この幸せを噛み締められているのよ。愛を分かち合う喜びを教えてくれてありがとう、ラグナル」
二人は互いに微笑み合う。
その姿は、王国の理想的な夫婦像として、人々の心に深く刻まれていくのだった。
【未来の地図】
年明けの北部地域は、連日雪が降り続ける。
北部の山道を一本の馬車が進んでいた。荷台には布や食料、酒樽がぎっしりと詰まっている。新しく整備された道路は滑らかで、山道の急勾配も緩やかに改修されていた。
「これがカレスト公爵とラグナル殿下のおかげだってさ」
若い商人が、御者台で鼻を赤くしながら笑った。
「この道のおかげで南部産ワインもすぐに北部で売れるし、逆に北の薬草茶や羊毛も南へ送れる」
隣に座る商人が、深く頷きながら応じる。
「貴族様がこんな実用的なことをやってくれるなんて、少し前までは思いもしなかったよ」
王都と北部、そして東部・南部・西部にも繋がるこの交易幹路。二年前に、アデルとラグナルが主導した開発計画が、結実したものだ。新たな通路の整備と、国内の交易ルートの統一によって交易が活性化していた。
王国全体が一つにまとまる感覚が、貴族だけでなく庶民たちの間でも芽生え始めていた。
カレスト公爵領では、ラグナルが王都から自邸へ戻ったところだった。邸内の温かな空気が、ラグナルを安心させる。そしてそのまま、執務室に足を運んだ。そこではアデルが、各地域からの報告書に目を通しているところだった。
「お帰りなさい、ラグナル」
「ただいま、アデル」
二人の間に穏やかな空気が流れた。そして二人は長椅子へと移った。
「早い帰宅だったわね。また有料通路使ったの?」
「いや今回は無料通路からだよ。視察も兼ねてね。馬車の乗り心地、スピード、宿の快適さ。どれも申し分なかった」
ラグナルは満足気に答えた。
「それなら良かったわ。これで、北部の宴席の後でも二日酔いせずに王都に行けるかしら」
「それは別問題だ」
ラグナルは真剣な顔で答えた。
「例の新関税免除協定に基づいた第一便が、南部の交易会館に到着したそうよ」
アデルが報告書をめくりながら言う。ラグナルは彼女の隣で微笑みを浮かべた。
一年前、国内特定商品関税免除協定が実施された。これが交易の活性化に著しい成果をもたらした。それを踏まえ、協定内容を更に拡大して新発行された。
「今回もまた、いい手応えがありそうだな」
アデルは視線をラグナルに向けた。
「この国がこうして少しずつ変わっていくのを見ると、私たちがやったことに意味があったんだと思えるわ」
ラグナルは頷きながら、彼女の手をそっと握った。
「君がいなければ、僕はこんな未来を描くことすらできなかっただろう」
彼の言葉に、アデルは微笑みを浮かべる。
「あなたがいたからこそ、私はここまで来られたのよ。お互い様ね」
その後、ラグナルの視線が自然とアデルのお腹に向かう。
「体調は大丈夫かい?」
ラグナルの声はいつになく優しい。アデルは微笑みながら頷く。
「ええ、問題ないわ。それにこの子はとても元気に動いているわ」
「もう私たちの会話が聞こえているのかもしれないな」
ラグナルは目を細め、アデルのお腹にそっと手を置く。その手には、彼の深い愛情がにじみ出ていた。
「この子が生まれる時には、もっと良い王国を見せてあげたいわ」
アデルの声には未来への決意が込められていた。ラグナルはその言葉に頷き、彼女を見つめながら答える。
「君がそう思う限り、私たちはきっと成し遂げられる」
夜が更けた頃、久しぶりに雪雲が晴れた。粉雪が散るように降る中、二人はテラスに出ていた。王都の光が遠くに揺らめき、星空が一面に広がっている。
アデルは冷たい空気を吸い込みながら、星空を見上げた。
「この空の下で、この国が一つに繋がっていくのを感じるわ」
ラグナルは彼女の隣に立ち、その横顔を見つめた。
「君がいてくれる限り、どんな未来でも切り開ける」
アデルは微笑み、彼に向き直る。
「私たちなら、きっとできるわ」
二人の間に訪れる静寂は、深い信頼と愛情に満ちていた。ラグナルがそっと彼女の頬に手を添え、その瞳を覗き込む。
「君と歩む未来が、これほどまでに楽しみだとは思わなかった」
その言葉とともに、彼はアデルの唇にキスを落とした。
雪と星空が、二人を見守っていた。この先の未来を祝福するように。
お読みいただきありがとうございました。
こちらの話が最終話ではありますが、明日最終挿話を更新します。(なので本編完結は明日)




