挿話:新たな文化の担い手としての夫人達
【講義開始の鐘】
質実剛健な石造りの講堂に、低く重い鐘の音が響いた。カーテン越しに陽光が差し込み、学生たちは講義開始を待ちながらざわついている。
今日は王立アカデミーの特別講義の日。
アヴェレート王国の歴史学と文化史研究の第一人者、エリザベス・マグノリア教授が登壇することになっていた。
エリザベスは優雅な足取りで、講義室に現れた。膝丈ドレスの裾を翻しながら、講義台の前に立った。その手には、分厚い資料の束と、精緻な刺繍が施されたノートが握られている。
【フォルケン文化の遺産とその崩壊】
「さて、皆さん。本日の講義では、我が王国の文化的変遷、特にフォルケン文化の崩壊と再生についてお話しします。そして、その中で新たに形成された『夫人文化』が、いかにして共感と憧憬の芸術を生み出したかに焦点を当てます」
その言葉に、学生たちの視線が教授に集中した。エリザベスは一呼吸置き、続ける。
「まず、フォルケン文化について復習しましょう。フォルケン文化とは、大貴族による圧倒的な資金力を背景に創り出された、荘厳で威容に満ちた文化でした。壮麗な宮殿や絢爛豪華な装飾品は、貴族社会の頂点に君臨するフォルケン家の権威そのものを象徴していました」
エリザベスは黒板の、大きな掛け絵を一枚めくった。フォルケン邸の絵が描かれていた。金箔をふんだんに使った壁画、細密画が施された天井、絢爛たるシャンデリア。それらがフォルケン文化の豪華さを物語っている。
「しかし、フォルケン文化は一部の特権階級によって独占されており、民衆には届かなかった。そしてその豪華さゆえに、やがて人々の尊敬ではなく、反発と瓦解の対象となったのです。かの一族の失脚後、切り売りされた文化財で、王都の商人達はオークションで盛り上がっていたことが、その象徴的な事象と言えるでしょう」
【新たな文化の誕生――夫人文化の形成】
「では、フォルケン文化の崩壊後、どのようにして文化が再生したのか。それを主導したのが、いわゆる『夫人文化』と呼ばれる、新たな芸術と価値観を育んだ女性たちでした」
エリザベスが掛け絵をもう一枚めくる。当時の夫人たちの肖像画が現れた。華やかなドレスに身を包み、微笑み合うその姿。かつてのフォルケン文化の美意識を受け継ぎながらも、どこか親しみやすさが感じられる。
「夫人文化の担い手となった彼女たちは、荘厳なフォルケン文化によって審美眼を磨かれた世代でした。しかし、それを単なる過去の遺産として残すのではなく、より多くの人々が共感し、憧れを抱ける形に変換したのです」
エリザベスは指示棒で、掛け絵の中の夫人たちの特徴を指し示した。共通するモチーフの扇子やブローチ。これらのアイテムを持ちながら語り合うことが、当時の夫人たちの活動のあり方だったという。
「皆さんもよく知る『日向の道』を描いたゼファリス・デュヴァンは、『共感と憧憬』の兆しを捉えた代表的な作家です」
教授がめくった掛け絵には、ゼファリスの作品が二枚、模写されていた。掛け絵の中の左半分、『日向の道』と題された絵。王城の大広間にて、王弟ラグナルがカレスト公爵への愛を宣言する、ロマンチックなワンシーンである。この絵は『共感と憧憬の芸術』の代表的作品として知られる。
「この『日向の道』はあまりの素晴らしさに、当時の美術館が連日長蛇の列をなしたと言います。二人のロマンスに対する共感と憧憬の象徴と言えるでしょう」
描け絵の右半分に、『人間美』と題された絵が模写されている。サロンの夫人たちが、宗教的な陶酔の表情で何かを崇めている様子が描かれていた。
「ゼファリスは、夫人文化そのものに、狂気と神性を見出していたと言います。この『人間美』には、夫人文化が持つ狂気的な側面が、圧倒的な筆致で描き出されています」
学生たちの間で、「ゼファリスって画狂神だろ」と、彼の当時のペンネームを揶揄う声が囁かれた。
「さらに重要なのは、夫人文化が持つ『開かれたコミュニティ性』です。フォルケン文化が特権階級の閉じられた空間に存在していたのに対し、夫人文化は広場や展覧会といった公の場を通じて、多くの人々に親しまれました」
めくられた掛け絵には、広場で開かれた展覧会の様子が描かれていた。そこでは貴族だけでなく、庶民たちも作り手として、あるいは見学者として参加していた。
「『彼らを愛でる気持ちに階級あらず』という文化史上の名言を残したミランダ・ウィンドラス公爵夫人は、時には庶民とも親しげに語らっていたそうです」
教授は描け絵を再びめくった。そこには「アート・コモンズ」と書かれた窓口に、長蛇の列をなしている様子が描かれていた。
「貴族の後ろ盾のない庶民たちも芸術活動に参加できた背景には、ソレアン・アルモンドが設立した資金援助の制度がありました。これによりパトロンを得ずとも、継続的な芸術活動が可能になり、夫人文化は階級を問わないうねりとなっていきます」
【結びの言葉】
「夫人文化がもたらした共感と憧憬の芸術は、フォルケン文化の崩壊によって生まれた空白を埋めるだけでなく、新たな価値観を王国全体に根付かせました。それは単なる芸術活動でははありません。王国を繋ぎ直す行為であると同時に、王国の文化を人々の手に取り戻すための革命でもありました」
エリザベスは黒板に、「文化革命」と走り書きする。その言葉は、王国史を学んだ者なら誰もが聞いたことのある用語だ。しかし、その歴史的意義について語れる者は少ない。エリザベスは間違いなく、その第一人者であった。
「『共感と憧憬』という新たな価値観、階級を問わない開かれたコミュニティ、新たな資金援助制度。これら全てが絡み合い、王国の文化の民主化が果たされたのです」
エリザベスは、教壇に手をつき、力強く身を乗り出した。
「文化の本質とは、常に人々の手で紡がれ、受け継がれるものです。そして時には、それを形作った人物たちへの『愛』が、新しい文化を生み出す原動力となることもあるのです」
講義を締めくくる鐘が鳴り、学生たちは笑顔で拍手を送った。その場には、歴史と文化を学ぶ楽しさ、そして王国の再生を祝福するような温かさが広がっていた。
エリザベス・マグノリア教授による講義、「王国文化史研究――推し活夫人たちの芸術様式と精神」は、王立アカデミーを代表する人気講座として、学外にもその名声を轟かせるのであった。
アデルたちの時代から大体100年後くらいの話。
これにて第零章終了です。
明日から最終章です。




