表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/83

第二話:仮装の夫婦、真相は内政中

【収穫祭】


 件の手紙から数週間が過ぎた。

 秋の朝日が窓から差し込む。アデルは、鏡の前でため息をついた。

「……華やかさは少しだけ」

 髪を整えながら、淡い金糸のブラウンドレスに袖を通す。実りの秋を象徴する一着だ。

 今日はアデルの領地に、ラグナルが訪れる予定だ。


『せっかくなら収穫祭の日にいかがですか?』

 そう誘ったのはアデルだが、『ぜひ』と即答され、彼女も面食らった。

「王族って、こんなに身軽に動けるの……?」

 呆れつつも、迎えの準備は着々と進む。


 屋敷の玄関前、アデルと侍従たちは、ラグナルの到着を待っていた。やがて馬車の音が近づき、彼が降り立つ。

「ようこそ、ラグナル様」

 アデルはいつものように、凛とした所作で出迎えた。それに応じるラグナルも、堂々とした振る舞いだ。侍従たちは思わず背筋を伸ばした。

 しかしアデルだけは、親しい人を前にした時の温かみで、微笑んでいた。

 ふとラグナルの目が細められた。まるで、眩しい光でも見たかのように。

「今日は一段と……秋の景色にお似合いですね」

 穏やかな声が、風に乗って届く。アデルの頬が、わずかに熱を持った。

「……すぐに収穫祭に行かれますか?」

 気を取り直し、アデルが尋ねる。ラグナルは悪戯好きの少年のような笑みを見せた。

「ええ、できればお忍びで」

「……お忍び、とはまた唐突な」

 しかし、王弟の参賀となれば祭りは一変する。それを避けたい意図は理解できた。


 ――だからと言って、随分な遊び心だこと。


「わかりました。変装はどうされます?」

「ご安心を。準備してあります」

 ラグナルは用意された外套に身を包み、商人らしく変身した。

 ラグナルは「これで目立ちません」と笑みを浮かべる。しかし外套で絹の衣は隠せても、品格は隠しきれていない。

「……もしかして、普段からやっているのでは?」

「さあ、どうでしょうね」

 ラグナルが茶目っ気たっぷりに返した。

 アデルは彼の日常に思いを馳せる。後ろに控える護衛たちは、その無表情の裏で相当苦労させられているのだろう――彼の部下たちに同情した。

 しかし彼女の部下も別の意味で苦労しているが、それは棚上げした。

「貴女の分もご用意してありますよ」

「ご用意がよろしすぎではありませんこと?」

 そう言いつつ、アデルも久しぶりに童心が疼いた。

 ラグナルからアデル用の外套と眼鏡を受け取る。自身のトレードマークである口紅を落とし、アデルもまた「商人の妻」になりきった。


 収穫祭に向かうと、会場は賑わっていた。

 広場は露店と音楽、笑い声で満ちていた。豊かな実りが、領民たちの顔にも現れている。

「随分と賑やかですね」

「皆、今年の実りを祝っているのですわ」

 二人は変装の甲斐もあり、何事もなく祭りに参加できていた。民たちと同じ目線で見る祭りは、とても騒々しく、楽しい。

「奥さんにお一ついかが?」

 露天商の声が、アデルの耳に飛び込んだ。髪飾りを売るその店先には、手作りのアクセサリーが並んでいる。廃材の宝石をあしらった、素朴で愛らしい品だ。

「奥さん……?」

 アデルの思考が一瞬止まる。その隣でラグナルが――とっても乗り気であった。

「アディ、何色がいい?」

 まるで旦那然とした声色。自然すぎる演技。

 皮肉の一つでも言ってやろうかしら、とアデルは思うのに、上手く言葉を紡げない。祭りの空気が、妙に彼女を無力にする。

 観念したアデルは、妻らしい笑みを装った。

「あなた、これが良いわ」

 アデルが指差したのは、黒曜石をあしらった髪飾り。

「君の瞳と同じ色だね。よく似合う」

 ラグナルはその髪飾りを買い、アデルのまとめ髪に沿うようにつける。その仕草には澱みがなかった。


 ――いくら夫婦の演技とはいえ、やりすぎでは!?


 しかし周囲には、ただの「仲睦まじい夫婦」に見えたようだ。露天商や道ゆく人々からの温かい視線を感じる。祭りを台無しにしないためにも、ここで取り乱すわけにはいかなかった。

 アデルはぎこちない笑みで応じる。

「あなた、ありがとう」

 アデルは演技に自信がなかったが、ラグナルは満足げだった。


 その後も二人は、祭りの喧騒を楽しんだ。露天商の間を歩きながら、子どものように笑い合う。王弟と公爵――本来ならば雲の上の二人が、ただの夫婦として周囲に受け入れられる。

 その仮初めの時間に、アデルは心地良さのまま身を委ねていた。


【政治会談】


 午後の陽がカレスト公爵邸に降り注ぐ。収穫祭を一通り見学し終え、二人は屋敷へと戻った。

 ラグナルを応接室で待たせている間、アデルは身だしなみを再度整えた。赤い口紅を塗り直し、黒曜石の髪飾りを外した。侍女に、髪のほつれとドレスのズレを直させる。

 そしてアデルは黒曜石の髪飾りを、宝石箱の中にそっとしまい込んだ。


「お待たせいたしました、ラグナル様」

 応接室では既にラグナルが待っていた。

「いえ、こちらこそ」

 礼儀正しさと親しみが同居する微笑みが返ってきた。アデルが向かい合うように腰掛ける。

 応接室の重厚な扉が閉じられた。ここからは、王弟と公爵による政治会談だ。

「どうしても貴女に直接お伝えしたかったこと――王都とカレスト公爵領を繋ぐ、交易幹路の開拓を共同で進めたいのです」

 アデルの眉が動いた。

「交易幹路の開拓?」

「ええ。先日の王都での会合で、貴女が提案した構想――あれは、王家の国家展望『千年の団結』と一致していました」

 アデルは瞠目する。あの日、アデルは確かに夢を語り、ラグナルが受け取った。それは大変な喜びだった。


 しかしあの夢は――

「ラグナル様、あれは現実的な手段や工程を度外視した上での話ですわ。それを国家展望に組み込むというのは……」

 無謀ではありませんか。

 アデルはその言葉を飲み込んだ。思い直したのだ。目の前にいる男が、何も考えずに提案しているはずがない。

「……実現計画があるのでしょう。お聞かせいただけますか?」

 アデルは前に乗り出した。

「予算、回収計画、労働力。どれも現実が壁になります」

 これらは、いつもアデルの夢を諦めさせてきた。それをどう解決するのか。

 ラグナルは、楽しげに口元を緩めた。

「その全てについて、策を用意しています」

 ラグナルの宣言に、アデルは息を呑んだ。


「まず予算は、王家が初期投資の大半を負担します」

 これはアデルの予想通りだった。カレスト公爵家を上回って資産がある家など、王家しかありえない。

「その代わり、物資量に応じた通行税によって回収します。貴女の構想にあった、治安維持費用としての料金とは別建てで」

「つまり、二段階での課金制ですか。それは、どのくらいの金額を想定されているのですか?」

 利用者が耐えられる料金設定かどうか。アデルの懸念が移る。

「スフィリナの薬草茶を卸して王都で売れば、充分な利益が出る程度の金額設定を想定しています。王家としては、十年で投資回収できれば問題ありません」

「その財政余力、『千年の団結』を掲げるだけありますわね」

 王都や王家直轄領、そして諸々の制度からの税収。王家の収益源は盤石だ。


「では、労働力の調達はどのように?」

「王都には仕事を求めて、連日多くの平民が流れ込んでいます。この労働力を活かさない手はありません」

 人口流入の理由は、人口増加や他領での失業、王都への憧れなど複合的だ。しかしこのままでは働き口が不足し、社会不安に繋がる。その雇用対策として、大規模な建設業は打ってつけだった。

「領民を養える領主は、そんなに多くない。その尻拭いはいつだって我々です」

 そう言ってラグナルは項垂れた。「王家と距離を置く地域ほど、領民が王都に流入するのは何故なのか……」と、ラグナルは頭を抱えた。王家の苦悩が滲む姿だった。

「ご心中お察しいたしますわ……」

 苦労人の王弟を前にして、アデルは神妙な顔で慮った。


「しかしカレスト公爵領であれば、話は違います」

 ラグナルの声に、再び力強さが宿る。

「今日、私は確信しました。この計画は必ず成功すると」

「……その根拠は?」

 アデルは慎重に、ラグナルの次の言葉を引き出す。

「収穫祭です。あの熱気こそ、この土地の底力。工事を支え、交易を動かすに足る。あそこに、領地領民の理想がありました」

 ラグナルの目、声、言葉。その全てに、一点の曇りもなかった。カレスト公爵領領主と領民に対する、最大の賛辞。

 アデルは苦笑を浮かべる。

「そこまで言われて、疑うことなどできませんわね」


 ここまでの話を踏まえ、アデルの長年の勘が言う――これは乗るべき勝ち馬だ。利益の見込み、実現可能性、社会的意義。何をとっても申し分ない。しかし――。

「……貴方は、なぜここまで」

 アデルの声に戸惑いが混じる。素朴な疑問だった。王家の義務や投資だけでは説明できない。それを超えるラグナルの熱意が、目の前にある。

「――アデル・カレスト公爵」

 名前を呼ぶ声に、空気が静まる。

「貴女と父君の夢を、現実にする時です。これは領地だけではなく、国全体の未来を変える事業だ」

 ラグナルの言葉が、アデルの矜持を揺さぶる。

「そしてこれは、一人の政治家としての願いでもあります。私は貴女が描く未来を共に実現したい。そのために、ここに来たのです」

 ラグナルの青い瞳が、アデルを真っ直ぐ射抜く。しかし、もう、アデルは動揺しなかった。


 ――この人となら、夢を現実にできる。


 アデルは笑みを浮かべた。希望の女神に捧げるために。

「カレスト公爵家は、この提案に全面的に参画いたします。王家と共に、千年続く王国の礎となる。そして貴方とは――夢を現実にするパートナーとして、連帯と共闘をお約束しましょう」

 アデルは立ち上がり、手袋を外して右手を差し出した。ラグナルも無言で立ち、力強くその手を取る。

 互いが握る指先に、確かな覚悟と信頼が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ