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第一話:暗雲立ち込める時代

ラグナル視点の過去話です。

【ある伯爵家の嘆き】


「支払いは金貨しか認めません。物々交換ではダメです。我々は金貨での返済をお願いしています。領地に金がないなら、領民に働かせて稼がせれば良いでしょう」

 人の形をした悪魔は冷たく告げた。


 フォルケン公爵家の使者が去り、静寂が屋敷に戻った。その静けさは、伯爵一家の心をより一層押しつぶす。執務室の奥、机に突っ伏す伯爵の肩は小刻みに震えていた。

「なぜこうなった……」

 彼の前には、何枚もの羊皮紙が乱雑に積み重ねられている。それらは全て、フォルケン公爵家からの「契約」に基づく支払い明細だった。

 見たくもない数字の羅列を前に、伯爵は力なく呟く。

「どれだけ返済しても返済は減らないどころか、逆に増え続け、領民は飢え、冬を越せなくなっている……」


 最初に契約を交わしたのは十年前。領内の洪水被害で収穫が激減し、どうしても資金が必要だった。その時のフォルケン公爵家の提案は「天からの恵み」に見えた。

「返済は急がなくてもいい。毎月、定額で少しずつ返していけばいいのですから」

 そんな甘い言葉に、伯爵はすがるように契約を結んだのだ。

 しかし「定額支払い制度」は、危険な罠だった。

 元金は利息に食いつぶされ、ほとんど減らない。毎月支払う額の多くが利息に消え、借金の総額は返済するどころか雪だるま式に増え続けた。

 そして、次の年、さらなる災害が襲った時、伯爵家には他に頼れる当てがなく、再びフォルケン公爵家から借金をした。

「借金を返すために新たな借金をするしかない……」

 伯爵は拳を握りしめ、机を叩いた。その音が広い部屋に虚しく響く。

 気がつけば、領民への施しを減らさざるを得なくなり、領内の雰囲気も荒んでいった。税を上げれば民が困窮し、治安が悪化する。

 伯爵は追い詰められ、家臣たちを集めては苦肉の策を練り、領地の資源を切り売りすることでどうにか息を繋いできた。


「どうして私たちが……この地を守るために、必死に働いてきたというのに」

 伯爵夫人が震える声で呟く。

「これでは……我が家はフォルケン公爵家の奴隷ではありませんか」

「奴隷だと? そんな言葉で片付けられるものか!」

 伯爵は声を荒げたが、すぐにその気力も尽きたかのように、椅子にもたれかかった。

「だが……そうかもしれないな。奴隷より始末が悪い。我々は、自ら進んでこの枷を受け入れたのだから」

 執務室には、すすけた壁と修繕されぬままの椅子。屋敷に灯る灯火も最小限に抑えられている。

 かつて誇り高き領主として輝いていた伯爵家は、フォルケン公爵家の「救済」の名のもとに、じわじわと命脈を削られ続けていた。

「このままでは……いずれ、私の家は滅びる」

 伯爵の低い呟きは、誰に聞かれるでもなく、闇に溶けて消えた。


【グレイバーン侯爵の最期の晩餐】


 グレイバーン侯爵が城の門をくぐると、否応なく目を奪われた。

 南部地域の真骨頂である、華やかさと圧倒的な威容。緻密な彫刻が施された大理石の柱、血のように赤い絨毯、燭台に灯された金色の光が、夜の闇を豪奢に照らしていた。

 フォルケン公爵の私邸は、まさに「第二の王家」と呼ばれるだけの権威を誇示していた。かの家のそこかしこを灯す篝火が、グレイバーン侯爵の白髪を銀色に照らし出す。


 出迎えたフォルケン公爵が、満面の笑みを浮かべて手を広げた。

「グレイバーン侯爵、よくお越しくださいました。このような機会を設けられることを大変嬉しく思います」

「公爵閣下。こうして直接お話しできる場をいただけたことに感謝いたします」

 侯爵は礼儀正しく頭を下げる。その瞳は、笑っていない。


 華やかに整えられたテーブルには、豊かな香りを漂わせる料理が並んでいた。フォルケン公爵は自らデキャンタを手に取り、ワインを銀の杯に注いだ。その液体は深紅に染まり、まるで鮮血のようだった。

「南部特産のワインです。私の領地で最も古い葡萄畑から取れたもの。是非ともお楽しみいただきたい」

 フォルケンが侯爵に杯を差し出すと、グレイバーン侯爵は微かに目を細めながら受け取り、口をつけた。

「素晴らしい味わいだ。これほどの逸品を賜るとは、感謝します」

 侯爵の言葉にはわずかな警戒心がにじんでいたが、その表情は崩れなかった。


 晩餐が進む中、両者の会話は次第に核心へと迫っていった。

「グレイバーン侯爵、最近、各地で『定額支払い制度』に対する不満が高まっているという話を耳にしました」

 フォルケン公爵が淡々と切り出した。

「その通りです」

 侯爵は毅然と答えた。

「制度疲労が明らかになっています。領主たちが、生活に苦しむ民に更なる負担を強いる結果となり、暴動の引き金になりかねません」

 フォルケン公爵は優雅に微笑みながらワインを一口飲んだ。

「なるほど。しかし、この制度は領地間の均衡を保つためのものです。発展する領地があれば、取り残される領地もあります。その差を埋め、全体の安定を支える――これこそが、この制度の本質なのです。むしろ、安定した社会があるからこそ、王国は成り立っているのではありませんか?」

 グレイバーン侯爵は少し黙り、フォルケン公爵の言葉を吟味するように瞳を細めた。

「おっしゃる通り、均衡を保つ意義は大きいものと存じます。しかし、公爵もお気づきかと思いますが、実際には一部の領地に利が偏っているという批判もございます」


 グレイバーン侯爵は、杯を軽く揺らしながら慎重に言葉を選んだ。

「また、その収益の一部が教会に寄進されていることについても、一部では疑問の声が上がっております」

 フォルケン公爵は微笑みを崩さなかったが、その眼差しがわずかに鋭さを増した。

「寄進に関して問題があるとおっしゃるのですか?」

「いえ、寄進そのものは崇高な行いかと存じます。ただ、その影響力が広がり過ぎているのではないかという懸念を耳にしております」

 侯爵は、目の前の料理に手を伸ばしながら続けた。

「例えば、教会が『定額支払い制度は民衆救済の理念に適うものだ』と公然と表明し、制度の後ろ盾となっております。こうした宗教的権威が加わることで、制度への批判を抑え込んでいるのではないかと」

 フォルケン公爵はワインを軽く口に含みながら、言葉を返した。

「確かに、教会は寄進を受けております。それをどのように用いるかは、彼らの裁量によるものです。例えば宗教建築や宗教芸術への投資もその一環です」

「まさに、そこが議論の余地ではないかと」

 グレイバーン侯爵の声は穏やかでありながらも、重みを帯びていた。

「民衆救済の理念が大切であることは言うまでもありません。しかし、それが荘厳な大聖堂や絵画を増やすことに直接つながるのか――民衆の目から見れば、少々遠い話に感じられるのではないでしょうか?」


 フォルケン公爵は短く息をつき、微笑みを浮かべたまま首を傾けた。

「侯爵のご指摘、よく分かりました。確かに、制度がその理想から離れつつあるのかもしれません。見直しの時期に来ているのかもしれませんな」

 その言葉に、グレイバーン侯爵の顔にわずかな安堵が浮かんだ。非公式の場であっても、あのフォルケン公爵からこの言葉を引き出せたことは快挙と言えた。

 

 しかし、その期待は裏切られた。晩餐を終え、帰路についた侯爵は馬車の中で突如胸を押さえ、苦しみ始めた。

「これは……ど……」

 言葉を絞り出しながら、侯爵の口から血が溢れ出た。従者が駆け寄るも、彼はそのまま力尽きた。


 王国歴一四一年。先日、原因不明の病による死を迎えたグレイバーン侯爵の葬儀が、盛大に執り行われた。王家も参列し、彼の功績と高潔さを称えた。葬儀の最前列に立つ孫娘、七歳のロザリンド・グレイバーンは涙を堪えながら、参列者に礼を尽くしていた。その幼さに似合わない毅然とした態度は、見る者すべての胸を打った。

 その姿を見つめるラグナルの胸には、深い悲しみが渦巻いていた。


 ――侯爵閣下は、この暗雲立ち込める時代の、数少ない良心とも言える貴族だった。


 ラグナルはその尊敬を胸にしつつ、フォルケン公爵の言葉を聞き流さなかった。

「惜しい人物を亡くしました」

 フォルケン公爵は上辺だけの言葉で周囲に語りかけていた。

 ラグナルは煮えたぎる怒りを、血反吐を吐く思いで飲み込んだ。ラグナルは侯爵があの男との晩餐後、不可解な死を遂げたことを知っていた。物証はなくとも、状況が真実を告げていた。

 しかし孫娘が耐えているのに、自分が取り乱すわけにはいかない――その強い思いが、彼を立ち止まらせた。


 ――侯爵閣下……貴方の無念は、必ず王家が討ち取ります。


 その決意を胸に、ラグナルはその場を後にした。

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