第六話:女公爵と王弟が選ぶ道
【未来への道筋】
ある日の午後。窓の外は冷たい風が吹きすさびている。しかし室内は暖かな陽光と、力強い金色の暖炉の炎で包まれている。
「それで、今日は何の相談だ?」
アデルの邸宅の一室に、ダモデス公爵とロザリンド侯爵夫人が招かれていた。
ダモデス公爵が、いつもの不機嫌な顔を見せる。ロザリンドが薬草茶を一口飲み、微笑む。
「アデルがこうして二人を招くなんて珍しいじゃない。それくらい重要な話なのでしょう?」
アデルは真剣な面持ちで、慎重に頷いた。
「お二人に、未来についてご相談があります」
「未来だと? ふん、さっさと本題を言え」
アデルは姿勢を前のめりにした。
「私の子孫が、フォルケン家のようになる可能性はあるでしょうか?」
室内に一瞬の沈黙が訪れた。
ロザリンドは驚いた表情でアデルを見つめ、ダモデスは探るように目を細めてた。
「なんてことを……でも、それは……ただの杞憂じゃないの?」
アデルは薬草茶を一口飲んでから、首を横に振った。
「いいえ。ただの不安ではなく、未来を見据えた上で考えなくてはならない課題だと思うの。私たちの子孫が、次の時代にも正しい道を歩めるようにするために、知恵を貸して欲しいのです」
ダモデス公爵はしばらく黙っていた。やがて椅子の背もたれに深く体を預け、ため息をついた。
「お前に話していなかったことがある。前カレスト公爵についてだ」
「父上の……?」
「お前の父が後妻を娶らなかった理由だ。一人娘しかいないのに、後妻を娶らないなど、当主の常識から言ってあり得ない」
ダモデス公爵の断言に、アデルは頷いた。物心がつく前に、アデルの母は亡くなっていた。
「おっしゃる通りですね。父はその理由を多く語らなかったのですが……」
「儂も聞いたわけではない。ただ察してはおった。当時、フォルケン家が、カレスト公爵家の後妻に、親戚の娘を送り込もうとしている動きがあった」
「なんですって?」
アデルが片眉を上げる。
「かの家の得意技だ。高位貴族とは血縁を、低位貴族には搾取を、政敵には毒薬を。カレスト公爵家は旨みのある家とみなされたわけだ」
「なるほど。天然の要塞である北部地域の中で、金山を有し、王都に最も近い。北部を支配したければまず、カレスト公爵家を狙うのは定石ですわね」
アデルが挙げた地政学的利点に、ダモデス公爵は頷く。彼は薬草茶を口に含んだ後、続けた。
「しかしカレスト公爵は頑なに後妻を娶らなかった。あのフォルケン全盛期にあっても、だ」
「父の気持ちがわかりますわ、痛いほど」
アデルが軽い調子で肩をすくめた。
「そこだ。お前たちの異質さは」
ダモデス公爵の指摘が、空気を割くように響く。アデルは目を見開く。
「王家など可愛く見えるほどに高圧的で支配的だったんだ、かの家は。そこに目をつけられて尚、孤立を選ぶなどどうかしてる。それでも前カレスト公爵はそれを選んだ」
アデルの目から鱗が落ちる。彼女にとっては自明の理なのだ、自助自立であるということは。
そのアデルの様子を見て、ダモデス公爵が額を抑えた。
「娘は娘で独身を拗らせるし。どれだけ我の強い家なのかと呆れたものだ」
「耳の痛い話ですわ……」
アデルは気まずくなり、薬草茶に口をつけた。
「それだけ独立心が強ければ、いつか一公爵領主では飽き足らず、第二のフォルケン家になるのではないかと心配していた時期もある。だがな」
そこで、ダモデス公爵は身を乗り出した。そして片側の口角を上げた。
「王家との政治協調、東西南北の経済協調。お前が善意でやってるとは全く思っていないが……その頭の中にあるのだろう? この王国全体の繁栄と安寧が」
再び、アデルが瞠目する。かつての長年の政敵筆頭。そのダモデス公爵が、彼女の脳内を言い当てた。
『千年の団結』のもとに、カレスト公爵領がその範を示す。それに追従した領地から発展の恩恵を受ける。そうして成長した領地が、独自の強みと役割を果たして連携し、やがて包摂へ。
それが王家とカレスト公爵家で共有している、未来への筋書きだった。
「お前らは権力に屈しないし、厄介な家だ。そんな我の強い家が選ぶのが、この国の繁栄と安寧なのであれば、フォルケン家とは違う道を行くだろうよ」
ダモデス公爵は再び、薬草茶に口をつけ、締めくくる。
「自分達の選択が家訓となり、それが歴史を紡ぐ。それだけだ」
ロザリンドがティーカップを置き、口を開いた。
「アデル。私も、貴女達なら大丈夫だと思うわ」
「どうして?」
アデルが彼女に向き直る。
「子どもは、驚くほど親の背中を見て育つの」
ロザリンドは優しい声で続けた。
「貴女とラグナル殿下のような親なら、きっと子ども達は正しい道を見つけるでしょう」
「そうかしら……」
アデルの声には、まだ少しだけ迷いが残っていた。ロザリンドは笑みを深めた。
「私も二人の子どもを育ててるけど、本当に驚くほど真似をするのよ。もちろん、時々は間違った方向に行くこともあるわ。でも親がきちんとしていれば、最後には正しい道に戻るもの」
アデルはロザリンドの言葉に耳を傾ける。
「貴女とラグナル殿下なら、きっと大丈夫」
ロザリンドがそう言い切ると、ダモデスも同意するように頷いた。
「マグノリア侯爵夫人がそう言うなら間違いないだろうよ」
アデルは二人に向かって深く礼をした。
「お二人とも、本当にありがとうございます。これからも、私達の選択が正しいものであるよう努力します」
ロザリンドが微笑みながら彼女の手を取った。
「貴女ならきっとできるわ」
ダモデスは椅子をきしませながら立ち上がる。
「あまり心配するな、カレスト公爵。過去がどうであれ、お前達の未来はお前達が決めるんだ」
アデルの心には、力強い希望が芽生えていた。未来の子ども達が、そしてそのまた先の世代が正しい道を歩むために、今ここでできることを精一杯しようと。
その決意は、冬の風の中にあっても煌々とするようだった。
【誇りと感謝と覚悟】
離宮の奥深く、前国王夫妻の私室。
ラグナルに伴われたアデルは、二回目の訪問をした。豪奢ながらも落ち着きのある空間に、前国王夫妻が座している。オクタヴィアの瞳が、アデルを真っ直ぐに見つめていた。
アデルは深く一礼する。そして毅然とした声で語り始めた。
「このたびはお時間を頂き、心より感謝申し上げます。前回、オクタヴィア様から頂いた命題に向き合い、ラグナル様の過去を紐解き、そしてフォルケン家の断罪にまつわる歴史について深く学んでまいりました」
彼女の視線には迷いがない。その姿を見つめながら、ノイアスは微笑み、オクタヴィアはその言葉を待つように身じろぎひとつしなかった。
「私は改めて、ラグナル様が王国のためにどれほど苛烈にならざるを得なかったかを理解しました」
アデルは隣のラグナルを一瞥し、彼に微笑みを向けた。そして再び、夫妻に向き直る。
「彼が選び生きてきた道の全てを、誇らしく思います。彼の伴侶となる者として、その苦い記憶を、私もともに背負いたいと思います」
ラグナルの表情が揺らいだ。彼の青い瞳が、アデルを捉えて離さない。
「また、フォルケン家の断罪を決定してくださった前王様方に、臣民として心からの感謝を申し上げます。次代に禍根を残すことなく、王国を導いてくださったその英断に、心からの敬意を」
アデルの声が凛と響く。運命を告げる鐘のように。
「そして、公爵としての責任を負う者として、私自身がその子孫も含め、決してフォルケン家と同じ道を歩まないよう、この国の発展と安寧のために尽力する覚悟でございます」
最後の言葉を告げた瞬間、オクタヴィアの目が細められた。
「貴女の覚悟と真摯さは十分に伝わりました。そして、ラグナル」
オクタヴィアの視線が息子に向けられる。ラグナルは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ、深い声で語り始めた。
「母上、父上。アデルは私の過去をすべて受け入れ、それを共に背負うと言いました。そして、彼女自身が公爵としての責任を背負い、未来に向き合う覚悟を示してくれました」
ラグナルは横に立つアデルに目を向ける。その瞳は、どこまでも優しい。
そしてラグナルは、改めて両親へと向き直る。
「私は、かつて王国のために多くの者を手に掛けました。その行動が正しいものであったと信じています。しかし、多くの人々に痛みを与えたことも事実です」
ラグナルが告げる。迷いも躊躇いもない声で。
「彼女はこの国の、そして私の希望の灯火。私が彼女を全身全霊をかけて支え、守ることで、これまで抱えてきた痛みを乗り越え、共に未来を紡いで行きたいのです」
アデルとラグナルの誓いの言葉。その気高い響きは、長らく空気を漂っているようだった。
オクタヴィアはしばらく二人を見つめていたが、やがて穏やかに微笑んだ。
「いいでしょう。私たちはこの婚約を認めます」
オクタヴィアの一言に、アデルとラグナルの表情が緩んだ。
ノイアスも微笑みを浮かべ、二人を見つめながら告げた。
「これからも二人で力を合わせ、この国を支えていきなさい。そして、カレスト公爵」
「はい」
「君の決意と覚悟は、ラグナルを救い、この国の未来を照らす光となるだろう」
アデルは深く頭を下げた。その誉れある言葉に感謝を込めて。
ラグナルは、彼女に寄り添うようにそっと手を取った。アデルもまた、ラグナルに微笑みを浮かべる。
二人の信頼と愛情が両親に承認された。それはこれからの長い道のりの、暖かな一歩目となった。




