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第二話:外交官時代のラグナル

【エリオノーラ姫とのお茶会】


 翌々日にはエリオノーラ姫からの招待状が届いた。そこにはこう記されていた。

『メレディス王妃陛下より、カレスト公爵がオクタヴィア前王妃から命題を受けたと聞きました。帰国前に少しでもお力になれればと思います』

 メレディスとエリオノーラの意外な助け船だった。アデルはその申し出をすぐに受け入れ、姫の滞在先を訪ねることにした。


 王城の客室。

 エリオノーラの部屋だけ、隣国ヴァルミールのようであった。薄いクリーム色の壁に、繊細な刺繍のカーテンが揺れる。窓辺には淡いピンクの花が飾られている。優美な曲線美の調度品が設られ、花畑のような色合いで統一されている。

 エリオノーラ姫は、その空間に完璧に調和していた。彼女の薄い金髪はまるで絹糸のようで、瞳は淡い灰色がかった青。透き通るような白い肌は、まるで雪解けの陽光を受けた湖のように輝いていた。

 アデルはその美しさを見つめながら、オクタヴィア前王妃の淡い色素を思い出す。フィーリス王家の血統が、エリオノーラにも色濃く受け継がれていることに納得した。

「ようこそ、カレスト公爵。お越しいただきありがとうございます」

 エリオノーラが微笑みながら着席を促す。

「お招きいただき光栄です、エリオノーラ姫殿下」

 アデルは一礼し、席に着いた。

 侍女が紅茶を淹れ、エリオノーラはそれを受け取る。そして口をつけてから、切り出した。

「お力になれるか分かりませんが、私が知る限りのラグナル様についてお話しさせていただきますね」

 アデルが頷くと、エリオノーラは語り始めた。


「ラグナル様は外交官として、ヴァルミールで素晴らしい手腕を発揮されていました。どのような場でも冷静で穏やかで、そして譲らない強さをお持ちでした」

 エリオノーラの言葉は、純粋な敬意によって語られた。

「ラグナル様が三者湖畔会談で成し遂げた功績は、今もヴァルミールで語り継がれています」

 三者湖畔会談。それは、ラグナルが成し遂げた大功績の舞台となった場だ。ヴァルミールとその隣国エルゼーンが、一触即発の貿易対立を起こした際の調停。

「交渉の前夜まで、村々では戦火を恐れて荷物をまとめる者が続出していました。誰もが、明日には争いが始まると怯えていたのです」

 その一言に、アデルの胸がざわついた。恐れ惑う民の様相が容易に目に浮かんだ。

「ですが、ラグナル様は冷静でした。豪奢な場を用意することが外交の常識とされる中、大胆にも素朴な交渉の場を選び、実直で合理的に交渉を進められたと聞いております」

 エリオノーラの言葉が、ラグナルの功績の重みを浮かび上がらせる。

「彼の功績は、アヴェレート王国ではあまり語られておりませんの。ですから、当事者たるエリオノーラ殿下の言葉は、大変貴重ですわ」

「まぁ。そうだったのですね。我が国では英雄扱いですのに」

 エリオノーラが困ったような笑みを浮かべた。アデルは、「秘密主義の彼らしいですけど」と肩をすくめた。


 エリオノーラが再度、紅茶に口をつけた。

「ラグナル様は、いつも祖国のために譲れない一線を明確に引いていました。その姿勢が、ヴァルミールの貴族たちにも尊敬を持って受け入れられていたのです」

 アデルは頷きながら、ラグナルの王国に対する誠実な態度を思い返す。

「貴国からいらした方の中で、ラグナル様ほどヴァルミールの人々から慕われた方はいないでしょう。特に女性たちからの人気は非常に高かったですわ」

「そうでしょうね」

 アデルは紅茶を流し込んだ。心の内に生じた小さな苛立ちと共に。

 エリオノーラはそれを見逃さなかったのか、すぐに続けた。

「ですが、ラグナル様が誰かと浮名を流すようなことは一度もありませんでした。それよりも、常に祖国を心配している様子でした」

 アデルは以前、ラグナルに聞いたことがある。

 八年もの間、一時帰国することすらなく、王国から離れ続けた理由。王国内でラグナルを担ぎ上げ、国を二分しようとする勢力がいたからだ。

 その機運を収めるために、ラグナルは祖国を離れた。功績すらも隠したのは、そうした勢力に一片の餌も与えないためだ。

 今でこそ国王アーサーのもとに、王国は一つにまとまりつつある。しかし当時の政局の混迷と不安定さは、公爵になりたてのアデルにとっても他人事ではなかった。

 ヴァルミールにいながらも、常に祖国を憂慮していたラグナル。アデルはその気高さに敬意を覚えつつ、その心情を想像して胸が痛んだ。


 エリオノーラのティーカップの底がつく。侍女がさり気なく継ぎ足した。

「ラグナル様が王国への帰還を決められた際、父が感情を隠しきれず、強く引き留めたことがありました」

「噂には聞いておりますが……」

 ラグナルは一年半前、現国王陛下の戴冠に合わせて帰国した。しかしもっと早く帰る予定だったと、アデルも聞いている。「ヴァルミールがどうしてもラグナル殿下を手放さない」と、王国の高官たちがこぼしていた。

「きっと噂以上ですわ。父は直前まで「貴殿の手腕は、この国に不可欠だ!」と叫んでおりました。もうラグナル様に縋り付くのではないかと思うくらい」

 エリオノーラは肩をすくめながら微笑んだ。

「父が本気で狼狽しているのを見たのは、あれが初めてでした。ヴァルミール宮廷では今も笑い話です。『子離れできない親のようだ』などと」

「それほどラグナル様が必要とされていたとは。家臣としては誇らしいですわ」

 アデルは極めて穏当な感想を述べた。「エリオノーラ殿下の父君は親しみやすい方ですね(王としての威厳はどこ行った?)」という皮肉は、紅茶と共に流し込んだ。

 そんなアデルの内心を知ってか知らずか、エリオノーラは目を伏せた。


 エリオノーラはしばし言葉を止めた。しかし紅茶を含んだ後、意を決したように口を開いた。

「ラグナル様が帰国されてしばらく経った後です。吟遊詩人たちが、彼の恋を仄めかす詩を歌い始め、それがヴァルミール中で流行しましたの」

 アデルは紅茶を吹き出しそうになるのを堪えた。

 恐らく「王国夫人の最新事情〜蒼珠と雪薔薇の誘い〜」のことである。その詩を聞いた時、アデルは恥ずかしさと居た堪れなさで頭を抱えたのだった。まさか異国の地で流行していたとは、生き恥である。

「私、嫉妬のあまり、父に留学を申し出ました。その時、父が『お前がラグナル殿下を連れ帰るなら、どんな手段を使っても構わない』と言ったのです」

「……それはまた、大役を仰せつかったのですね」

 あの詩のもたらした影響と顛末に、アデルは何とも言えない気持ちになる。そのせいで、アデルはラグナルと痴話喧嘩をし、税制が変わり、二人は公に恋仲となり、オクタヴィア前王妃から命題を出されている。「風が吹けば樽職人が儲かる」とはよく言ったものだ。

 エリオノーラは自嘲気味に微笑んだ。

「ですが、今なら分かります。父の願いは、私には過ぎたものでした。ラグナル様がこの国と貴女を深く愛していると知り、それを壊すことなど私には到底できません」

 エリオノーラの言葉に、アデルは胸を締めつけられた。彼女の心情の潔さと、ラグナルへの真摯な想いが痛いほど伝わった。

「私がラグナル様をどれほど想っても、彼の心はすでに貴女のもとにありました。それを受け入れたとき、ようやく私が目指すべき方向性が見えた気がしました」

 そう述べるエリオノーラの笑顔には、一点の曇りもなかった。

「……ありがとうございます、エリオノーラ姫殿下」

 アデルは深く感謝しながら、彼女の誇り高い姿に敬意を抱く。

「お役に立てたのなら、嬉しいです」

 エリオノーラはそう言って優雅に一礼した。

 こうして、元恋敵であり、敬うべき隣国姫とのお茶会は終わった。


 アデルは退室後、中庭にて考えを巡らせる。


 ――ヴァルミールでのラグナル像は、私の知る彼と大きな乖離はない。


 彼女はふと顔を上げ、空を見つめた。冬の空気が澄み渡り、高く高く、遠い。


 ――恐らく、核心はさらに昔にあるはず。彼がどれほどの重荷を背負ってきたのか、そこに答えがある。


 その確信を胸に、アデルは中庭から歩き出した。

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