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第一話:前途多難のご挨拶

【両親へのご挨拶】


 冬の夜、王宮の一室に灯る暖かな明かり。

 アーサーは、ラグナルと向かい合い、酒杯を傾けていた。すっかり日課となった兄弟の時間である。

「明日、父上と母上に挨拶するそうだな」

 アーサーが切り出すと、ラグナルは酒杯を軽く傾けながら頷いた。

「ええ。きっとアデルのことを気に入ってくださると思います」

 その自信満々な様子に、アーサーは軽く眉を上げる。

「お前がそう言うなら、まあ大丈夫だろう。ただ、母上は……時々突拍子もないことを言うからな」

 ラグナルは口元に薄い笑みを浮かべた。

「それは存じています。母上はいつだって正しいことをおっしゃる方でしたから」

「正しいことを言うというか……困惑させることを言うというか……。お前も似たようなものだが」

 そう言ってアーサーは、過去のエピソードを思い出す。


「あなたたちに架空の城を預けます。三日後、敵国の要塞から、軍が接近します。あなたたちはこの城と民を守らなければなりません。各自、迎撃のための計画をまとめなさい」

 ある日、母オクタヴィアが突然出してきた命題。長男アーサーが十五歳、次男コーネリアスが十一歳、三男ラグナルが十歳の頃である。


 第一王子アーサーの案は、極めて現実的だった。

 既存の防衛線を活用した即席のバリケード設置、見張り台の仮設、城門の補強など、リソースを最小限に抑えた防衛強化策を指示。民間人を後方へ避難させつつ、兵糧管理の厳格化。

「計画的ね。ただし計画を成立させる前提を疑わなさすぎる。民間人の中に敵国の間者がいて、暴動を焚き付け背後から狙ってくる可能性は考慮したの?」


 第二王子コーネリアスの案は、戦禍の回避を重視していた。

 外交交渉を優先。敵将の妹を人質に取っていた、という前提で「人道的解放」を条件に停戦提案。同時に少数精鋭を使って陽動作戦を組み、敵軍の足止めを図る。

「善意と知恵を使おうとしているのは良いわ。でも、貴方の計画には「判断の責任者」が見えない。最終的に誰が手を汚すの? それを貴方は避けている」


 第三王子ラグナルの案は、ラグナルの案でしかなかった。

 国境に最も近い村が略奪されることを前提に、村から城までの街道を破壊し進軍スピードを遅らせる。その村の食糧と水に致死性の毒を散布。敵の進軍中に一網打尽にする。

「ラグナル。貴方、その村の者たちはどうするの」

「臣民であれば避難させなければなりません。逆に臣民ではない者を配置しておけばいいのです。地下牢にいっぱいいるじゃないですか」

「なるほど。良心と倫理観を捨てた策は確かに効果的。でも貴方は王になってはいけないわ」


 ……と、そんな教育を受けてきた二人。

 幼少期の母の教育は、ラグナルに多くの影響を与えていた。

「それでも、アデルなら問題ありません」

「またそれか。お前の惚気は、もう聞き飽きたわ」

 アーサーがため息をつく。ラグナルは肩をすくめた。

「人の恋路をあれだけ揶揄っていたというのに、最近の兄上はつれないですね」

 ラグナルの皮肉に、アーサーは返す言葉がなかった。


【前国王夫妻との邂逅】


 アデルも、流石に緊張していた。

 今日は特別な日だった。ラグナルとの婚約の了承を、彼の両親……すなわち前国王夫妻にお願いするための訪問だ。

 アデルが二人と対面するのは、これが初めてではない。アーサーが即位する前の八年間、彼らの治世の元、公爵としての責務を果たしてきた。

 しかし私的な立場として謁見したことはない。

「緊張してる?」

 隣を歩くラグナルが、彼女を気遣うように声をかける。

「少しだけ。でも、貴方が一緒なら大丈夫よ」

 アデルは顔を上げ、軽く微笑んだ。その表情を見て、ラグナルも笑みを返した。

「安心して。君も知っているとおり、父上は穏やかな人だ。そして母上も優しい。ただ、少し厳しいところもある。それと――」

 ラグナルは少し言葉を切って、低い声で続けた。

「僕を深く理解している人物だ」

 アデルは深く頷いた。

「ええ、そのような方だからこそ、私も敬意を持って接するわ」

 アデルは答えた。その言葉にラグナルは満足げに頷くと、彼女の手を引いて扉の前で立ち止まる。

「行こう」


 離宮の応接室。

 ラグナルが扉を開けると、蝶番が軋む音がした。部屋の中は、歴代の王族の肖像画と、豪奢な調度品が設られている。そのソファに、前国王夫妻が並んで座していた。

 前王ノイアス・アヴェレートは、穏やかな笑みを浮かべて、アデルとラグナルを迎え入れた。その横には前王妃オクタヴィア。かつては「当代きっての美男子」「妖精姫」と謳われた夫婦は、白髪になっても尚、その端正な容姿に気品を漂わせる。

「お久しぶりです、父上、母上」

 ラグナルが頭を下げると、ノイアスは微笑みながら頷き、手を軽く振って促した。

「そんな形式ばった挨拶は不要だ、ラグナル。今日の主役はそちらの方だろう」

 アデルは前国王夫妻に向かい、深々と一礼する。

「本日お時間をいただき、感謝申し上げます。アデル・カレストです」

「よく来てくださいました」

 オクタヴィアが微笑んだ。アデルは緊張した面持ちで、オクタヴィアに目を向けた。彼女の姿は、厳粛な優美さを纏っている。そして透き通るような淡い青の瞳。

「あのカレスト公爵が、ラグナルの側にいてくれているとは。望外の喜びとは、こういうことを言うのだろう」

 ノイアスが穏やかに告げる。掘りの深い目鼻立ちに、柔らかな物腰。アデルはノイアスの生み出す空気感に、胸を撫で下ろす。

 前国王夫妻を前にして、アデルはラグナルの血筋に思いを馳せた。


「さあ、どうぞお掛けなさい」

 二人がソファに腰を下ろすと、しばし和やかな会話が続いた。ラグナルの幼い頃の話題や、北部再編に尽力するアデルの功績などが語られ、雰囲気は穏やかだった。

 しかし、会話の中でオクタヴィアはふと目を細め、静かな声で問いかけた。

「カレスト公爵、伺いたいことがあります。貴女はラグナルの過去について、どれほどご存知かしら?」

 アデルはその問いに、一瞬言葉を詰まらせた。

「彼が若い頃、王国のために様々なことをされてきたことは存じています。しかし、具体的にどの時点のことでしょうか?」

 その言葉を聞いた瞬間、オクタヴィアの微笑みがわずかに曇った。


「そうですか」

 オクタヴィアの声音のトーンが、一つ落ちた。

「では、こう申し上げましょう。ラグナルの過去を知らずして、私はこの婚約を認めるわけにはいきません」

 その場の空気が一瞬で引き締まる。ノイアスは驚いたように眉を上げる。

「オクタヴィア、それはいくら何でも……もう過去のことだろう?」

 しかし、オクタヴィアは譲らない。

「確かに過去のことです。しかし、その過去こそがラグナルを形作ったもの。それを知らないままでは、彼の伴侶としての資格を問われても仕方ありません」

「母上、それは……」

 ラグナルが口を開きかけたが、オクタヴィアは彼を遮った。

「ラグナル、貴方も協力は許しませんよ」

 そして彼女はさらに釘を刺すように続けた。

「少しでも協力する素振りを見せたら、彼女との接触も禁じます。それほど重要なことなのです」

 その言葉の厳しさに、ラグナルも口を閉ざすしかなかった。


「カレスト公爵。オクタヴィアはこう言っているが、無理に従わなくていい。これはラグナルと貴女の間で話し合うべきことだ」

 ノイアスがアデルに、優しく言葉をかける。

「ノイアス様、ご配慮ありがとうございます。ですが――」

 アデルはその赤い唇に、笑みを浮かばせた。いつもの、希望の女神に捧げる笑みだ。

「オクタヴィア様のお気持ちは、よく分かりました。彼の過去を知ることが、伴侶としての資格だと言うのであれば、私はどこまでも追い求めてみせます――例え地獄の果てまででも」

 その毅然とした態度に、オクタヴィアは満足げに微笑みを浮かべた。

「期待していますよ、アデル・カレスト公爵」

 女たちの微笑みの間に火花が散る。ラグナルとノイアスは目を合わせ、頷き合っていた――「口出しするのはやめておこう」。


 その後、ラグナルとアデルは応接室を後にした。

「まだ私に秘密があったのね」

 アデルが、少し拗ねたように言う。ラグナルはその言葉に苦笑を浮かべた。

「ごめん……知らせる勇気がなかった」

 彼の声は低く、どこか重々しかった。

 その瞬間、アデルは理解した。ラグナルにとって、それは単なる秘密ではなく、触れることすら厭う深い傷。

 アデルはラグナルの愛を疑っていない。その彼が口を噤むほどの過去。むしろ彼こそが、ずっと恐れてきたことなのではないだろうか、と。


 アデルはそんな彼を見つめ、そっとその手を取った。

「貴方の秘密を暴くなんて……楽しみだわ!」

 アデルは楽しげに笑みを浮かべた。まるで、新たな遊びを知った子どものように。

 ラグナルが瞠目する。そして、笑みを浮かべた。とびきり穏やかで、嬉しそうに。

「まったく、君には敵わない」

 ラグナルは、アデルの手を優しく握り返した。


 二人はそのまま歩き出す。これから訪れる試練を予感しながらも、互いを信じて。

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