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第七話:スピンオフ短編主人公たちのその後の視点(後編)

【王都のジュエリー店『エテルニタ』】


 王都の高級ジュエリーを扱う『エテルニタ』。その店奥のサロンは、今まさに甘酸っぱい空気を漂わせていた。

 女店主ヴィオラ・スミスと、幼馴染以上恋人未満の男爵令息カイル・ロシャールが、見つめ合う。その時、店舗とサロンを仕切るベルベットのカーテンが開かれた。

「あらあら、どうして私はいつもタイミングを間違えてしまうのかしら……」

 高貴な声が涼やかに響く。

「それとも単に貴女たちが四六時中そんな雰囲気になってるせい?」

 そこに立っていたのは、馴染み客の王女マルガリータ・アヴェレートだった。ヴィオラとカイルは慌てて調子を整え、ヴィオラは薬草茶を、カイルはお菓子をマルガリータに差し出した。エテルニタのいつもの平和な光景だ。


 何だかんだ三人でいると会話は楽しく弾み、話題が次から次へと目まぐるしく変わる。その中の一幕のこと。

「ヴィオラ、叔父上の注文、受けるの大変だったでしょう」

 マルガリータの質問に、ヴィオラはつい苦笑いをしてしまう。

「大変光栄な、名誉あるお仕事をさせていただきました――私の職人人生で、最も難しい挑戦だったと思います」

「あのヴィオラ姉が、工房であんなに頭抱えているの初めて見たよ……」


 夏。マルガリータが王弟ラグナル・アヴェレートをエテルニタに連れてきた際に、ラグナルが注文したロイヤルサファイアのネックレス。

 その内容は気品・審美性・独創性、全てにおいて至高であり、ヴィオラの職人魂に真っ向から叩きつけられた挑戦状だった。作業スピードに自信のあるヴィオラでさえ、何日間か臨時休業して対応したほどだ。

「ヴィオラが、春前の工芸品展でロイヤルサファイアのジュエリーを展示したでしょう。それを見た叔父上が、覚えていたらしいの」

「まさか、その頃から認知いただいていたとは……本当にありがたいことですね」

 ヴィオラは薬草茶を口にしながら、職人としての誇らしさを胸に抱く。ジュエリーの品位にこだわってきた自分が、国内でも最高峰に位置するだろう王国紳士に認められたこと。そして彼のパートナーへの贈り物を用意する名誉にあずかれたこと。きっと生涯でもそう何度もない経験ができた喜びを、ヴィオラは噛み締めた。


「もしかして今後、王弟殿下がエテルニタの常連となって、このサロンで鉢合わせることもあるのかな?」

 カイルがソワソワした様子で尋ねると、ヴィオラとマルガリータは目を見合わせ、少しの間を置いて笑い合った。

「叔父上が、カレスト公爵以外の女性の元に、そう何度も足を運ぶとは思えないわ。あの人、多忙のはずなのに隙あらばカレスト公爵のところに行くんだから」

「ええ、そうでしょうね。あの注文で嫌というほど伝わりましたから――王弟殿下からカレスト公爵への愛が」

 ヴィオラのその言葉に、カイルは何かにピンと来たらしい。ヴィオラを改めて見つめ、「やっぱり心を込めた贈り物か……」と呟いていた。


【王都のアルモンド侯爵家の工房】


「ああ、違う! くそ、あいつら一体なんなんだ!」

 アルモンド侯爵家の工房から、高位貴族の屋敷とは思えないような怒声が響き渡る。その声の主は芸術家ゼファリス・デュヴァン――またの名を†漆黒の画狂神†。彼は今まさに、仕掛かり中のキャンバスの前で頭を抱えていた。

 その隣にいるのは、ソレアン・アルモンド侯爵令息。ゼファリスの幼馴染であり、パトロンである。

 ソレアンは呆れが八割、心配二割で眺めていた。ソレアンがゼファリスに呆れるのはいつものことだが、心配が混じるのは珍しい。というのも、ゼファリスの魂の震えが最大震度を記録して以来、彼は寝食を忘れてキャンバスに向かう。それがもう数ヶ月続いている。

「あいつらって、仮にも王弟殿下と公爵閣下だぞ。不敬にも程がある……」


 ゼファリスの魂を震わせた一幕とは、夏の王城のパーティでのことだ。

 貴族たちの衆目の中で、王弟ラグナルがカレスト公爵に跪き、愛を乞うた。その大胆告白劇を、ゼファリスとソレアンは間近で目撃した。恋愛に疎いソレアンですら「すげー!」と貴族らしからぬ反応をしてしまった。

 その隣の画狂神には「愛の啓示」でも降りてきたらしかった。その場で無我夢中にスケッチを始めるわ、屋敷に戻ってきたら一週間は工房から出てこなくなったわと、大変なことになっている。


「ソレアン、あいつらの目を見たか!? あれは単なる恋仲じゃない。もっと深い溝の底で、互いの命、いや、もっとでかいものを人質にしていやがった!!」

「いやいや、大袈裟だって……やだよそんな恋人……」

 王弟と公爵が、たかが恋愛で自分の命や、ましてや「もっとでかいもの」……領地や国家まで差し出しているなど世も末だ。つまり自分やゼファリスの首もかかっているということじゃないか、絶対にあり得ない――常識人ソレアンは極めて冷静に判断する。


「カレスト公爵は、この前の美術展でお前の絵に審査員特別賞をくれた人だぞ。滅多なこと言うなよな」

 六月の美術展で、ゼファリスの才能が知れ渡った。その受賞作品はソレアンの肖像画なのだが、本質はソレアンの眼差しだった。

 その作品に対して、カレスト公爵が「ここに描かれているのは単なる人物画ではありません。狂おしいほどに無垢な『共感と憧憬』の眼差しです」と的確に言語化した。

 これを知ったゼファリスは、珍しく「俺の絵がわかるとは、良い目をしてる奴もいるな!」と鼻を高くしていた。


「……おいソレアン、今なんて言った」

 ゼファリスが地を這うような低い声で問いかける。ソレアンは驚きつつ、「いやだから、滅多なことを言うなと」と続けるが、ゼファリスはキャンバスの前からグルリとソレアンに向きを変え、ソレアンの肩を掴み迫る。

「違う! その前だ!」

「うわ、ビックリさせるな! だから、カレスト公爵は、お前の絵に審査員特別賞をくれた人で……!」

「そういう大事なことは早く言え! くそ、だからあの女は最初からわかってたんだな……!」

 ゼファリスがまたキャンバスに向き直り、色を作り始める。

 その一連の動きが、ソレアンの目には時が引き延ばされたかのように見えていた。ゼファリスがキャンバスに向き直る直前、彼の目に芸術を司る狂った神が宿ったのを見逃さなかった。


 ――もしかして……芸術史に残る大作の前触れか……。


 ソレアンは、自分が偉大な瞬間に立ち会っているかもしれないことに、神経を昂らせる。ゼファリスの左手が、キャンバスに色を塗り重ならせる。その一瞬一瞬を、ソレアンは自身の眼に刻みつけていた。


【南部地域ヴェルマルク家のサロン】


――南部社交報『虚飾の街角』第四十一号――


近頃、南部地域の社交界で公開告白が流行っている。流行りの震源地はもちろん、魅惑の王弟殿下と麗しき公爵閣下。私も王城で目撃していたし、絵になりすぎるワンシーンは目の保養とエッセイの肥やしになった。


だが、あれは立場も美貌も名声も最上級の二人がやるから様になるのであって、そこらの凡庸な貴族が真似たところで、目を背けたくなる光景になるだけだ。例えば、先日見かけた某伯爵令息。舞台の台詞のような熱情を込めた告白をしていたが、見る者は盛り上がるどころか羞恥に襲われ、お相手のご令嬢も顔を引き攣らせていた。こういう場面、確かに劇的ではあるが、背景が伴わなければ子どものお遊戯会にも及ばない。


貴族の美徳の一つに分別というものがある。私は常々、貴族としての行動には責任が伴うべきだと考えている。無責任に感情を曝け出すのは、むしろ醜態をさらけ出すだけだ。


社交界は見せ物小屋ではない、分別をつけなさい。


著 レディ・ファントム



「今回もまた素晴らしい批評だったね、レディ・ファントムのエッセイ」

 ユリア・ヴェルマルク侯爵令嬢の婚約者、ヒルド・ホーキンス侯爵令息が、薬草茶を飲みながら感想を伝えてきた。南部地域で人気のエッセイスト、レディ・ファントムは、ユリアのペンネームである。正体不明の作家だが、婚約者ヒルドだけは既知であった。

「そうね。ちょっと批判が過ぎる気がしたけど」

 ユリアは少し顔をしかめてから、自分で書いたくせに、他人事のように評価を口にした。

 ヒルドはその反応を面白そうに見つめる。


「それにしても、あの元祖公開告白、ユリアの目にはどう見えていたのかな」

「近年稀に見る、最上級の催しでした。王家からの福利厚生と思っております」

 ユリアは冗談交じりに言ったが、ヒルドはその答えに苦笑を抑えきれなかった。

「言い得て妙だね。あの二人の立場や影響力を考えたら、本来ならもっと国内に混乱が生じていてもおかしくない。なのにこの歓迎ムード……自分たちの影響力を逆手にとって、一瞬の内に王国全土を劇場にした」

「ヒルドは、あれを策略の一環だと?」

 ユリアは興味深げに尋ねる。

「そう解釈できるというだけさ。そう考えれば、王家とカレスト公爵の政治的パートナーシップも、ご夫人たちの間での妙な流行りも、全てが一つの筋書きに見えてくる」

 ヒルドはあくまで冷静に推論する。ユリアはその考えに一定の説得力を認めつつ、意見する。


「もしここまで全てが策略だというなら、あのお二人の心の内はこんなところじゃないかしら……『自分たちの仲を邪魔するな』」

 ヒルドは肩をすくめながら、冗談めかして答えた。

「情熱的だね。そんな純愛で事を運んだのだとしたら、僕もうっかり王家を支持表明してしまいそうだ」

「あら、次期ホーキンス侯爵は、明確に王家への賛成の立場を取られると?」

「同じく純愛で将来の伴侶を決めた者として当然の共感だよ」

「愛で政が動くとは。高位貴族の不貞は大目に見られた時代も、終わりを迎えそうですね」

 ユリアは皮肉を込めた言葉を投げかけながら、どこか満足げな表情を浮かべていた。その様子をヒルドは愛おしげに見つめる。

「虚飾と策略で動く政治よりは、よほど平和的かもしれないね」

「それは南部地域の歴史に対する批判じゃないかしら」

「批判じゃなくて反省、あるいは自嘲かな。いずれにせよ、妻への愛に忠実であることが憚られない世の中になるなら、僕にとっては都合が良い」

 ヒルドの言葉に、ユリアはにっこりと微笑んだ。

 二人の皮肉と愛が交差する瞬間。それこそが、二人の目に映る真実だった。

ヴィオラ・カイル・マルガリータの話

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ゼファリスとソレアンの話

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ヒルドとユリアの話

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