第六話:スピンオフ短編主人公たちのその後の視点(前編)
【東部地域のスフィリナ研究所】
東部地域の辺境に拠点を置く、スフィリナ研究室。
「僕の上司が恋人を作ったんだけどさ」
カレスト公爵領の代理人、ルシウス・テオバルトが呟いた。
「この村にも噂が聞こえてきていますね。王弟殿下とカレスト公爵が恋仲であると……」
シエラ・ロウラン――教会の元聖女――が、研究の手を止めないまま応じた。
「氷雪の砦なんて言われてた人が信じられないよね。あの様子じゃ結婚も秒読みだろうな」
ルシウスは肩をすくめた。
最近、ルシウスがカレスト公爵邸に行くと、稀にラグナルを見かけるのだ。ルシウスの立場で会話することなどは恐れ多くてあり得ないが、殿上人中の殿上人が、ごく当たり前に自分の目の前を横切っていくことに、そろそろ慣れつつあった。
「それはおめでたいですね。きっと国中の民が湧くことでしょう」
「そうだねえ。既に国内中に受け入れられてる感じするし……上手いことやるなぁ、本当」
ルシウスの捻くれた感想は、そのくせ額面通りに受け取ってはならないと、シエラはとっくに知っている。
「そう言っている貴方こそ、嬉しそうに聞こえますよ、ルシウス」
シエラは理解している。ルシウスがカレスト公爵に忠誠を誓い、上司として尊敬していることを。ただ彼の軽薄な誠実さが、それを素直に表に出してくれないだけだと。そんな飄々としたルシウスの振る舞いを、シエラは愛しく思う。
「君には敵わないなぁ」
ルシウスもまた、シエラに心根を見抜かれ面食らいつつも、シエラが自分を理解してくれていることに安心と喜びを抱いていた。
「ルシウス。私からもカレスト公爵に、婚姻の贈り物などはできないでしょうか」
シエラもカレスト公爵には何かと恩義がある身だ。
教会を追放されて東部地域産の薬草の調合を禁じられたところに、薬草スフィリナを無料提供する契約をしてくれたこと。教会から宗教裁判を起こされた時にはルシウスを通じて助けてくれたこと――そのルシウスと出会わせてくれたことも恩義の一つだと、シエラは心の中で付け足した。
「それなら君がカレスト公爵領に移住してくれることが、一番の贈り物だと思うな」
ルシウスがにっこりと微笑む。
シエラは、その声に手を止め、ルシウスを見上げた。確かにまだまだ薬学知識が普及していないカレスト公爵領に、シエラが籍を置けば、カレスト公爵の依頼のもとに、様々な研究や薬剤開発の機会があるだろう。
しかしルシウスの言葉は、そうした経済的な人材獲得の意味合いだけではないように、シエラには聞こえていた。
「シエラ、カレスト公爵より先に結婚する気ない?」
ルシウスのいつもの飄々とした態度に、わずかな緊張が滲んでいた。その空気に当てられて、シエラの心臓も躍動する。互いの気持ちはとっくに通じ合っている仲だったが、いざその言葉を向けられると、シエラは動揺を隠せない。
しかし少しずつ、動揺から喜びへと心が移ろっていく。
「……聖女の地位を追放されたときは、まさか自分の身にこんな幸せが訪れると、思ってもいませんでした」
シエラは顔を赤らめながら、満面の笑みを浮かべた。一方で、ルシウスは目を見開いた後、意を決したように穏やかな微笑みを浮かべた。
「君をもっと幸せにするよ、シエラ」
ルシウスは真摯な眼差しで宣言し、シエラに誓いのキスをした。
【王都のエインズリー家】
「やっぱりあの二人の噂、本当だったわね!」
ニコラ・エインズリー夫人の屋敷には、いつもの仲良し令嬢たちが集まり、色めきだっていた。
「恋愛小説みたいなことって、本当にあるのね……!」
ニコラはすっかり、推し活夫人の一員になっていた。今の彼女は、アデルとラグナルを全力で推している。彼女が持つ扇子には、「蒼珠と雪薔薇の愛、永遠なれ」と刺繍されている。
「恋愛小説みたいなって言うけど、貴女たちだってよっぽど物語みたいな結婚してるわよ?」
ニコラの友人の一人、レティシアの言葉に、ニコラは「やだぁ、そんなことないわよ!」と、嬉しそうな赤ら顔でわざとらしく謙遜した。それを見た友人たちは思いっきり顔を顰めた。
今年の春頃に王都を騒がせた、貴族向け婚活マッチングサービス「ペアリッチ」の詐欺事件。ニコラ・グランヴィル伯爵令嬢と、友人マルコム・エインズリー伯爵令息が、その解決に乗り出した。
その後二人は急速に仲を深めた。二人が成人を迎えると同時に、婚約もすっ飛ばして結婚した。
伯爵令嬢仲間の中では、一番結婚から遠かったはずのニコラ。彼女がいきなり一番乗りとなったことに、友人たちは「何でよ!」と言いつつ祝福した。
「ただいま、ニコラ。皆さんもいらっしゃいませ」
ちょうどニコラの夫マルコムが仕事から帰宅し、サロンを覗く。マルコムは成人後、スカウトされていた王都治安局の局長室に就職し、充実した社会人生活を送っている。
マルコムを前にして、ニコラは花が咲いたように笑う。
「マルコム、お帰りなさい! 今日は王弟殿下や公爵閣下はお見かけしなかった?」
夫が帰ってきて真っ先に聞くことがそれか、と、友人たちは呆れるが、次のマルコムの言葉で空気は一変した。
「ああ。実はさっき、お二人に呼び出されてさ……ペアリッチの件、よくやったって、直々に
褒章されたよ」
ペアリッチ運営は詐欺業者だったが、その広告に、王弟ラグナルとカレスト公爵を彷彿させる巧妙なイメージを使っていたのだ。それを早期に告発したことで、マルコムは二人から非公式に感謝された。
「ええええええマルコム、二人と直接会ってきたの!? 羨ましい!! ていうか告発者は私なのに!?」
「エインズリー様、本当ですの!? お二人はどんなご様子でしたか!?」
「やっぱり王弟殿下、スフィリナの香水使っていらっしゃいましたか!?」
ニコラおよび友人一同がマルコムに詰め寄り、キャイキャイと大騒ぎする。マルコムは女性たちのエネルギーと熱視線に圧倒されていた。
【西部地域のオルフィウス侯爵邸】
秋の彩りが街並みを飾る。そろそろ石炭需要が高まり始める頃である。
西部地域の大商人トワーナ・エルヴランは、ヴァルター・オルフィウス侯爵の元を訪れていた。八ヶ月ほど前に、トワーナがオルフィウス侯爵家に新燃料「フレアコール」の製造委託をして以来、定期的に雑談する仲となっている。
「フレアコールによって、カレスト公爵領を始めとした北部地域と交易が盛んになっていらっしゃいますね。目論見どおりで何よりです」
トワーナは扇子で口元を隠しながら、大胆不敵な笑みを浮かべる。互いのビジネスが順調であることを喜んだ。
「ミス・エルヴランのおかげだ。これでアデル……いや、カレスト公爵とも、少なくとも経済的な関係には戻れたよ」
オルフィウス侯爵は肩をすくめつつ、得られた成果に満足している様子だ。
「そのカレスト公爵の話題は尽きませんね……最近も、北部の薬草茶と、南部産ワインの関税免除を実現したとか」
今日、トワーナがオルフィウス侯爵の元に足を運んだ最たる理由が、これを聞くことだった。
「ああ、王家からのご祝儀だそうだ。カレスト公爵は噂の通りだし、南部のセレーネ・ルーシェ嬢もレオン殿下と婚約しただろう。そう言われてしまえば、こちらも文句をつけようがない」
そういうオルフィウス侯爵の表情は忌々しさが浮かぶが、果たしてそれは政治家としてなのか、しょうもない理由か、トワーナは判断を保留にした。
トワーナはカレスト公爵に対して、複雑な印象を抱いていた。高貴な政治家でありながら、商人のような抜け目なさも併せ持つ女。今や彼女の動向が王国経済を左右する。
トワーナは、会ったこともないその女に、関心を抱かずにはいられない。まるで狩も化かし合いも上手い狐のようだ、と。それはカレスト公爵の仕事への敬意か、自分のシマを荒らしうる仮想敵としてか、それとも婚約破棄されて尚折れない意地への共感か――。
「もし私なら、次は西部地域と東部地域を巻き込んで、関税免除の枠組みを広げます」
強欲な商人だったら、食前酒だけ飲んで満足するはずがない。前菜、スープ、メインディッシュ、デザート……最後まで食い尽くして尚皿を舐めつくす。そういう生き物だ。
「……君はあの女傑と同じ類の人間だと、たまに感心するよ」
オルフィウス侯爵は苦笑いした後、トワーナを眩しそうに見つめた。その目には演出された熱情が込められている。トワーナは眉を顰めた。
「オルフィウス侯爵、次の契約更新の際には、契約書の中に一文盛り込ませていただきますね――変な気を起こした瞬間に即刻契約解除すると」
トワーナは扇子を閉じてオルフィウス侯爵の鼻先に突きつけ、ピシャリと言い放つ。
オルフィウス侯爵はすぐにその目から熱を冷まさせ、「どうして僕の好みの女性はつれない人ばかりかね」と、再度肩をすくめた。
ルシウスとシエラの話
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マルコムとニコラの話
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トワーナとオルフィウス侯爵の話
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