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第五話:二十年以上前から続く目論見

【王弟ラグナル・アヴェレートが研ぎ続けてきたもの】


 王国歴一三七年。この年、アーサーが成人となり、立太子するはずだった。

 ラグナルは無遠慮に扉を開けて、王の執務室に足を踏み入れた。

 父王ノイアスと兄アーサーが向き合って座っており、重苦しい空気が漂っていた。アーサーが振り向き、驚愕の目を向ける。

「ラグナル、どうしてここに」

 当然の疑問。しかし、ノイアスがそれを制する。ノイアスはラグナルに向けて頷いた。

 ラグナルは扉を閉め、アーサーの隣の席につく。

「どうやら、ラグナルもこの話を聞いているようだな」

 ノイアスが低く呟く。ラグナルは頷くのみだった。

 兄アーサーの立太子が認められない――その現実に、ラグナルの心は怒りと危機感で満たされていた。

「なぜ兄上が相応しくないのですか?」

 ラグナルが問いかけると、父王は眉間に皺を寄せた。

「フォルケン公爵家がコーネリアスを推している。血の繋がりがある以上、あの子を無碍には扱えない」

 今この場にいない、異母兄コーネリアス。彼の存在は、フォルケン公爵家との複雑な関係に縛られている。

 ラグナルは唇を噛んだ。


 ――フォルケン公爵家の増長は、もはや国内を覆う暗雲そのものだ。このままでは、王家そのものが揺らぎかねない。


「時間をかけて調整すべきだ。無理に動けば、国を乱すだけだ」

 ノイアスの言葉は慎重そのものだった。

 しかし、ラグナルには違う未来が見えていた。

「フォルケン公爵家は今後更に増長するでしょう。今から布石を打っておくべきです」

 ラグナルの言葉に、部屋の空気が張り詰めた。

「布石だと?」

 ノイアスが低い声で問い返す。

「フォルケン公爵家を中心に、国内有力貴族の領地内の要職に間者を送り込みます。彼らの動きを監視し、必要があれば証拠を掴む。それを公にして、内側から崩すのです。ただこの計画が上手くいくには、最低でも十年の下準備が必要でしょう」

「そのやり方は、国中が疑心暗鬼に陥る。王家が取るべき手段ではない」

 ノイアスは我が子を諭すように、しかし敢然と答えた。それでもラグナルは言葉を止めない。

「十年後までに問題が解決すれば、何事もなかったかのように部隊を解散させれば済む話です。しかし、十年後も状況が変わらず悪化していた場合、我々は何のカードもないことになるのです」


 ラグナルの核心を突いた言葉に、ノイアスは押し黙った。この十三歳の少年の先見の明に、父も兄も反論できなかった。

 するとアーサーが口を開いた。

「ラグナルの提案には一理あります。そして、十年もあれば、私が王太子として相応しい功績を打ち立て、フォルケン公爵家を黙らせることができましょう。ラグナルの取り越し苦労に終わる未来にすれば良いのです」

 兄の力強い言葉に、ラグナルの胸は震えた。絶望の中で喝を見出し、人々の心を繋ぎ止め、希望を与える――これがアーサーの資質だった。

 ノイアスも渋々ながら提案を了承した。

 ラグナルは、兄のため、そして国のために己の剣を研ぎ続ける覚悟を固めた。


【王弟ラグナル・アヴェレートが守り続けてきたもの】


 王城の大広間では、華やかな夏のパーティが開かれていた。ラグナルは壁際に立ち、鋭い視線で周囲を見渡していた。令嬢たちは彼に注目していたが、その刺々しい雰囲気のため、近づいてくる者はほとんどいない。

 彼の関心は、令嬢ではなく、フォルケン公爵家を中心とした反王家勢力に向けられていた。誰が敵で、誰が味方なのか。それを見極めるため、彼の目は一瞬たりとも休むことがなかった。

 そんな中、カレスト公爵が今年五歳になる娘を伴い、ラグナルの元に挨拶に訪れた。

「ラグナル王子殿下、この度はお目にかかれて光栄です」

 カレスト公爵が丁寧に頭を下げる。ラグナルは一礼しつつ、視線を公爵に注いだ。

「こちらこそ、お会いできて嬉しいです。公爵、北部はお変わりないですか?」

 公爵は微笑みながら頷いた。

「冬に備え、薪の備蓄を進めております。厳しい季節に備えるのは我々の務めですから」


 ふと、小さな幼い声が口を挟んだ。

「お父さま、冬でも領民の皆様が暖かく過ごせるように、西部のヴァルターお兄さまのお家から、今から石炭をいっぱい買っておけば良いのでは?」

 カレスト公爵の娘――アデル・カレストだった。その言葉にラグナルは驚き、公爵も思わず苦笑いを浮かべた。

「アデル、それはいい案かもしれないが、他の地域から物を買うと、次は運ぶのが大変なんだよ」

 アデルは真剣な顔で考え込み、次の瞬間明るく答えた。

「じゃあいっぱい運べるように道をかけましょう!」

 その無邪気な提案に、ラグナルの胸が眩しさで満たされた。この幼い少女が持つ未来を見据える視点――それは幼いながらも、間違いなく人を導く才能の片鱗だった。ラグナルは微笑みながら、膝を折って彼女と同じ目線に合わせた。

「そうやって人々のために、いっぱい考えるんだよ。それが、みんなを幸せにするからね」

 アデルは嬉しそうに微笑み返し、公爵もまた、娘の才知を褒めてくれたラグナルに感謝の意を示した。

 ラグナルは立ち上がり、アデルの小さな姿を見つめた。彼女が見る未来――その未来を守るために、自分はこの剣を研ぎ続ける。改めてその決意を胸に刻んだのだった。


 あれから二十年以上の時が流れた。

 北部の夜は、中秋でも既に冷え始めている。

 カレスト公爵邸の暖炉の前で、アデルとラグナルは隣り合って座っていた。近頃新たに開発された燃料「フレアコール」の、暖かな黄金色の炎が揺れる。その揺らめきによって、ラグナルの遠い記憶が呼び覚まされていた。

「アデル」

「なに?」

 アデルはラグナルの顔を覗き込む。

「君に初めて会った時のこと、覚えているかい? 君が五つの頃だ」

 ラグナルの瞳に懐かしみが宿る。アデルは首を傾げた。

「五歳の頃? そんな昔のこと、覚えてないわ」

 ラグナルが静かに語り始めた。

「あの時、君の父上、タリオン殿が北部の冬の備えについて話していた。そしたら君が急に話に割り込んできてね、西部の石炭の大量購入を提案したんだ。しかもそのあと、『いっぱい運べるように道をかけましょう!』って、真剣な顔で言ったんだよ」

「……そんなこと言ったの?」

 アデルは目を丸くし、ティーカップをそっとテーブルに戻した。

「ああ。驚いたよ」

 ラグナルは小さく息をつきながら続ける。

「あの年齢で西部の石炭鉱山や物流について知っているだけでも驚きだったが、それ以上に君が領民の生活を真剣に考えていたことが、僕には忘れられなかった」

「そんなに大げさに言わなくても……ただの子どもだったんだから」

 アデルは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

「それでも、君には確かに見えていたんだろう。領民たちがどんな未来を望むべきか」


 ラグナルはその言葉を響かせた。

「兄上――アーサーには、力強い言葉で人々を結びつけ、どちらへ向かうべきかを示す力がある。でも君の希望は、ちょっと違う――君は未来そのものだ。君が歩む道がどんな新しい景色を見せてくれるのか、人々がその光に引き寄せられていく、そんな力を持っている」

 アデルは彼の言葉を受け止めながら、驚いたように彼を見つめた。

「私にそんな力があるって、本気で思ってるの?」

「ああ、間違いない」

 ラグナルの声には確信がこもっていた。

「君の見る未来を守ることが、僕の使命の一つだとずっと思っている。あの頃からね」

 アデルは気恥ずかしそうに、目を背けた。

「……本当に変な人ね、ラグナル」

「そうかい?」

 ラグナルが穏やかに笑う。

 暖炉の炎が、二人の間で揺れていた。

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