第四話:家族が見守る中で
【国王アーサー・アヴェレートが知ること】
まだ晩夏の湿り気が残り、それを涼風が運び去る頃。
その日、前王妃オクタヴィアが、離宮から王城へと私的に訪問していた。現国王夫妻が迎え入れた。
ちなみに用件は「孫たちに会いに来た」であるが、本当の目的は「メレディスが土いじりをやり過ぎていないか」の牽制である。メレディスは、「お義母様ったら、本当に心配性ですわね」と微笑んでいたが、庭で採れたハーブを使ってお茶を出していた。
高貴な嫁姑バトルが繰り広げられる、平和な午後だった。
そんな一幕の後の夕暮れ。王城の最上階で、アーサーとその母であるオクタヴィアが、窓辺に並んでいた。
窓の下に広がる中庭では、ラグナルとアデルが逢瀬を楽しんでいた。
「母上、最近ラグナルが随分と変わりました」
アーサーが切り出すと、オクタヴィアは小さく頷く。
「ええ、私も聞いていますよ。ラグナルが、カレスト公爵と親しくされているそうですね」
オクタヴィアの蒼玉の瞳が、中庭を見つめる。アーサーとラグナルにも受け継がれる青い瞳だ。
「はい。北部を代表する才媛で、私も彼女の領地運営には感銘を受けています。ラグナルと共に国の未来を語れる数少ない人物です」
「彼女は聡明な方ですからね。あの厳しい北部をよくここまで繁栄させたものです」
オクタヴィアの声には、安堵と喜びが滲んでいる。
「ただ、驚きましたよ。まさかラグナルが自分の側に女性を置くとは。あの子は、長い間自分一人ですべてを背負おうとしていましたから」
「既に国全体がそう思っているかもしれませんね。今まで浮いた話一つなかった弟が、彼女とは肩を並べて歩いているのですから」
オクタヴィアは目を閉じた。
「ラグナルがこうして心を開いたのは、あの子にとって彼女がよほど特別な存在なのでしょうね」
アーサーは微かに笑い、少し冗談めかして答えた。
「ラグナルの態度からも、それが漏れ出ていますよ。母上もお分かりになるでしょう」
オクタヴィアは窓越しに中庭の二人を見つめながら、しみじみとした声で言った。
「それは素晴らしいことです。あの子の未来に寄り添える相手がいるということですから」
一瞬、静寂が訪れた。アーサーは少し逡巡しながら、口を開く。
「母上、私はたまに、ラグナルに過分なことを背負わせてしまったと、胸が痛むことがあるのです」
オクタヴィアは凛とした表情で、ただ窓の外を見つめた。
二十年以上前、アーサーが成人を迎える年に起きたフォルケン家の横槍。かの家はアーサーの立太子に意を唱え、国内を二分する事態に発展した。
当時の王ノイアスは、穏健な姿勢で不和を解消しようとした。王国の建国以来の歴史を持つフォルケン家との融和は、国内の安定を図る上でも重要だと、ノイアスは考えていた。
しかし、まだ十三歳だったラグナルは、違う意見を持っていた。
「フォルケン公爵家は今後更に増長するでしょう。今から布石を打っておくべきです」
幼さを残した顔でそう語るラグナルの目には、既に冷徹な策略家の暗い輝きがあった。
ラグナルは、フォルケン家を中心に、国内の有力貴族の要職に間者を送り込む計画を提案した。それは、内部で信頼を勝ち取るために長年の時間を要する非公式な計画だった。ラグナルは十年越しの構想を見事に描き切り、実行に移した。
王国歴一四九年、ラグナルはその計画を成就させた。フォルケン家の巨額の脱税の証拠を、ラグナルは父王に提出した。
「王国歴一五〇年の節目を、あの家に迎えさせてはならない」
その深い青の瞳は、とっくに血を流す覚悟を決めていた。アーサーもまた弟の覚悟を受け止め、父に言い添えた。
「我々が千年続く王国にするのです。百五十年に満たない歴史の家系に、何を遠慮する必要があると?」
二人の息子の言葉に、父王は重い腰を動かした。
そうして行われた断罪劇は熾烈を極めた。フォルケン家を中心に二十人近くの首が刎ねられ、アーサー達の腹違いの兄弟までもが幽閉された。
「――次代の後継者指名の責任は、全て当代にあります」
オクタヴィアは断言した。
「貴方の指名が遅れたことの責任は私達にあります。その責任を果たすために、最も有効な手段を決定した。その手段を有していたのがたまたまラグナルだった。貴方は私達の意思決定に不満があると言いたいのですか」
その言葉は、前王妃から現国王に対する詰問だった。例え当代であったとしても、自分達の正当性を疑うのであれば容赦しない。それが王家の責任の取り方であると、オクタヴィアはアーサーにその覚悟を示す。
アーサーは息を呑み、口を噤む。そして幾ばくかして、口を開いた。
「失礼いたしました、前王妃陛下」
アーサーの言葉にはもう、迷いはなかった。
オクタヴィアは優しく微笑み、アーサーの肩に手を置いた。
「ラグナルがあのような提案をしたのは、王国を守りたい一心からです。そして私たちがその重みを引き受けたのも、次の世代が平和を享受できる未来を作るためでした。私達の覚悟は、現国王である貴方が善政を敷くことによってのみ、報われるのです」
オクタヴィアはもう一度、中庭に目を向けた。
「今、ラグナルの隣に彼女のような女性がいるということは、私たちが選んだ道が無駄ではなかった、何よりの証です」
アーサーも、再び中庭へ視線を落とした。
「彼女は、母上も気にいる方だと思います。近いうちに挨拶に来ることもあるでしょう」
アーサーの言葉に、オクタヴィアは穏やかな笑みを浮かべる。
「そうですね。彼女がラグナルの歩みをどう支えているのか、ぜひ知りたいわ」
少し間を置いて、オクタヴィアは再び口を開いた。
「貴方たちの世代がこの国に、どのような繁栄と幸福を築いていくのか……私も心から期待していますよ」
【二人が誓うこと】
豊かな実りが人々に喜びをもたらす日。
カレスト公爵領は収穫祭で賑わいを見せていた。
しかし二人はその喧騒から離れ、小高い丘の上の墓地を訪れていた。
色づいた木々に囲まれ、風に乗って枯葉が舞う。足元に落ちる葉の音が、却って静けさを引き立てる。
アデルの視線は、目の前に立つ一対の墓石に注がれていた。それは彼女の両親の墓だった。ラグナルもまた、その墓に深く頭を下げ、静かに手を合わせた。
アデルはしばらく黙ったまま、墓石を見つめていた。その瞳には、感謝と誇り、そして少しの寂しさが滲んでいる。
「お父様、お母様……私をここまで導いてくれて、ありがとうございました」
彼女は一呼吸置き、さらに言葉を紡ぐ。
「私が公爵として生きていくと決めた時、お父様は、ただ私を信じてくれました。その信頼があったから、私はここまでやって来られました」
彼女の言葉に、ラグナルは目を伏せたまま耳を傾けていた。アデルはそっと振り返り、彼を見た。そして彼女は続けた。
「今日は、大切な方を紹介します。この方がラグナル・アヴェレート殿下……私がこれからの人生を共に歩むと決めた人です」
ラグナルは墓石に向き直り、ゆっくりと跪いた。そして、低く響く声で語りかける。
「カレストご夫妻へ。私は、アデル・カレストを伴侶とする覚悟を持っております。この方をお預かりし、これからの道を共に歩む所存です。どうか、天より見守っていてください」
その声は、厳格でありながらも、どこか温かみを感じさせるものだった。
アデルの目に涙が浮かび、頬を伝う。
「お父様、お母様……私はこれからも、この国の未来のために、自分の道を歩みます。どうか、見守っていてください」
彼女の誓いの言葉に、ラグナルは立ち上がり、アデルの隣に並んだ。その肩にそっと手を置き、微笑む。
「これからの未来、私たちは共に歩んでいきます」
夕陽が墓地を照らし、二人の影が長く伸びていく。秋の枯葉が風に乗り、二人の足元を包むように舞った。
墓地を後にする二人の背中は厳かで、幸福感に満ちていた。




