第三話:社交界の注目
【王都の貴族が噂すること】
木々が赤や黄に染まり始めた頃。
王城の中庭は、和らいだ陽光に照らされる。その日向で貴族たちが談笑に興じていた。
ここは王家が開放する社交場であり、様々な階層の貴族たちが自然に集まる。
上流階級のご夫人たちは絢爛たる装いで身を固め、その目には熱気が宿っていた。彼女たちは、やはりカレスト公爵と王弟ラグナルの話でもちきりだった。
「本当に素敵なカップルですわね。王家と領地の未来そのものよ!」
「主人が、『北部との交易が潤っているのもカレスト公爵の手腕のおかげだ』と言っていましたの」
「うちも同じですわ。主人が『王家と公爵閣下を支持するのは理に適っている』なんて言い出して、すっかり二人のファンですのよ!」
「逆にうちの主人が『あの二人の影響力が大きすぎる』と言い出して離反工作を企てた時には、三日三晩家から追い出しましたわ。反省したようで、今ではすっかり二人の支持派ですわ!」
「さすがですわ! 私も支援している芸術家に、二人の絵画を描かせましたの。もう十枚は集まりましたわ」
「私たちの王国のために――そして二人の未来のために、布教活動を進めていきましょう!」
彼女たちは楽しげに笑い合うが、その情熱は侮れない。彼女たちの家庭内での布教活動が、アデルとラグナルへの好意的な空気を王都中に広めていたのだ。
中庭の片隅、木陰に集まるのは、伯爵家の令息たち。ご夫人方の盛り上がりに、彼らも自然とその話題に引き込まれる。
「ラグナル殿下とカレスト公爵が進めてくれてる工事の影響で、北部全体が活気づいてきたよ」
「南部もだ。スフィリナの薬草茶と南部産ワインは関税なくなっただろ? おかげで商人たちがお祭り騒ぎだよ」
「スフィリナと言えば、カレスト公爵家と東部の元聖女が手を組んで、スフィリナの研究をしているってさ」
「西部も、王都との交易ルートの整備に協力するってさ。王家と距離を置いてたあの西部が、マルガリータ王女と関係を強化している」
「王様の『千年の団結』ってスローガン、最初は大げさだと思ったけど、現実になりつつあるのがすごいよな」
「しかもその始まりが、ラグナル殿下とカレスト公爵の恋物語だなんて、ロマンチックすぎるだろ」
「母親がうるさいんだよ、『あの二人を見習え』ってさ。俺にできるわけないっての」
「俺だって、美人で頭の切れる婚約者がいるなら頑張れるんだけどなぁ」
「はは、違いないな」
彼らは皮肉交じりに笑う。しかし、その尊敬と憧れの念は隠しきれないようだ。
中央の噴水近くでは、男爵家の令息とその婚約者が仲睦まじく語り合っていた。遠くから聞こえてくるアデルとラグナルの名前に、彼らも耳を傾けていたようだ。
「またあの二人の話題か」
「ええ、当然でしょうね。あんな風に信頼し合えるなんて、誰だって憧れるわ」
「まあ、あの二人は雲の上の存在だよ。俺たちが目指せるもんじゃない」
「でも、あんな風に互いを尊重し合える二人になれたら素敵だと思わない?」
「……そりゃ、思うさ。俺たちも、少しずつ頑張ろう」
穏やかな笑顔を交わす二人の姿は、未来の希望を映し出しているかのようだった。
中庭の様子を見渡す中年のメイド。表向きは王城で働く普通の使用人だが、その実態はラグナル直属の間者であった。
「良い流れね」
メイドは満足げに微笑み、小さく呟いた。
「ご夫人方の推し活、伯爵家の若者たちの理解、そして男爵家の夢。国全体が、かのお二人を受け入れている」
彼女は王都の治安が良好であることを確認し、次の潜入先へ向かう。背中には、アデルとラグナルが作り上げた穏やかな影響が、確かに感じられた。
【侯爵夫人ロザリンド・マグノリアが願うこと】
カレスト公爵領の田畑が、黄金色になりつつある頃。
ロザリンド・マグノリア侯爵夫人がまた、アデル・カレスト公爵の元に駆けつけていた。
公爵邸のテラスを、そよ風が包み込む。薬草茶の香りが漂う中、ロザリンドが切り出した。
「ずいぶん仲睦まじいらしいわねぇ。これは出産祝いも早めに用意した方が良いかしら」
その言葉に、アデルは薬草茶を吹き出しかけ、慌ててティーカップをテーブルに置いた。
「しゅ、出産……!? まだそんなこと考えてないわよ!」
顔を真っ赤にして抗議するアデルに、ロザリンドはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「あら、でも王城の奥へ消えていく貴女たちを見たって話を聞いたわ。仲が良いのは何よりよ」
アデルは再び顔を赤らめ、口をパクパクとさせるだけだった。
ロザリンドはそんな彼女を面白がりながらも、ふと昔のことを思い出した。
まだアデルが十代だった頃、政略によって理不尽に婚約者を奪われた。その日、アデルは何も言わず部屋に閉じこもり、涙を流し続けていた。ロザリンド自身も彼女を慰めながら一緒に涙を流したものだ。
当時、アデルは婚約者に淡い恋心を抱いていた。しかしフォルケン家の横暴によって、その幸せは無残にも奪われてしまった。
婚約破棄後、アデルは女公爵として茨の道を選び、現在では北部地域を牽引する存在となった。
ロザリンドはアデルを心から尊敬していた。しかしあの日の涙を知るロザリンドは、アデルには政治家としてだけでなく、女性としても報われて欲しかった。
「アデル、気をつけなさいよ。あまり情熱のままに身を任せると……」
ロザリンドの真剣な眼差しに、アデルは思わず息を呑む。
「マンネリ化するわ」
一瞬の沈黙が場を支配した。
「――貴女って人は!」
アデルは困惑しながら抗議の声を上げるが、ロザリンドは涼しい顔で続ける。
「まぁまぁ、聞きなさいな。恋人の時間より夫婦の時間の方が長いのよ。いつだって相手に自分へ恋をさせ続けることが重要だわ」
既婚者ならではの説得力に、アデルは思わず真剣に耳を傾けてしまう。
結局、ロザリンドが話を広げていくと、アデルは「……それで? 具体的にはどうすれば?」と身を乗り出していた。
それを見たロザリンドは勝ち誇ったように笑う。
「アデルったら素直ねえ。でも、これ以上はお子様には教えられないわ」
「ちょっと待って、ここまで言っておいて?」
抗議するアデルに、ロザリンドはウインクを飛ばしてこう締めくくった。
「続きは結婚してからのお楽しみね」
数日後の夕方、王城の中庭。爽やかな秋風が吹き抜ける中、ロザリンドは旦那との待ち合わせをしていた。そこへ、「奇遇ですね」とラグナルが現れた。
「本当に奇遇なのかしら?」と内心疑いつつも、表情には出さない。自然な調子で二人の会話が始まった。
「クッキーを作れるようになった子に、両手で抱えきれないほどのクッキーを分け与えていると聞き及んでおりますわ」
以前、ロザリンドがアデルの気持ちをラグナルに代弁するために使った例え話だ。
実はあの日の裏側は、なかなかの修羅場だった。ロザリンドがアデルの家でお茶を飲んでいたとき、ラグナルが訪問してきたが、アデルは仮病を通したのだ。さすがのロザリンドも「王族相手に何てことを……」と戦慄した。しかも五日連続だという。「痴話喧嘩の仕方が下手すぎる」と、見るに見かねたロザリンドが、使者を通じてラグナルに助け船を出したのだ。
「クッキーだけではありませんよ。最近はワインも送りました」
ワイン? と、ロザリンドはその含意を読むことはできなかったが、ラグナルの浮かべた苦笑に、その内心を察することはできた。
「難しいことは私にはわかりませんが、きっと贅沢なおねだりだったのでしょう。それでも受け入れてくださったこと、私からも感謝申し上げます」
「いえ、こちらこそ、あの時の育児相談がなければ、アデルを永久に失うところでした」
ラグナルの堂々とした態度に、ロザリンドは眩しさを感じた――この方は本気でアデルを人生の伴侶にしようとしている。
――きっとアデルのこれまでの苦労は、彼との出会いに通じているのだわ。
「もしもアデルのことでお困りがあれば、いつでもご相談ください」
ロザリンドがそう宣言すると、ラグナルは微笑み返した。
「これは心強いですね。頼りにしております」
ロザリンドは、アデルの女性としての幸せを確信し、慈愛と祝意の気持ちで満たされたのだった。




