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第一話:未来と過去の眼差し

【王太子レオン・アヴェレートが誓うこと】


 晩夏の月と初秋の風が、まだ共存する頃。

 王太子レオンが成人して以来、父アーサーと叔父ラグナルと晩酌を共にする機会が増えていた。普段は威厳に満ちた二人だが、この時ばかりは砕けた口調で語り合う。その様は王族という肩書を忘れさせるほど温かく、またどこか滑稽であった。

「ご祝儀にしては高すぎる!」

 アーサーが嘆息交じりに言う。

「まだ言ってるんですか、兄上。仕方ないでしょう、諦めてください」

 ラグナルが肩をすくめながら返す。

「そもそも、私をエリオノーラ姫のダンスに行くよう仕向けた兄上も悪いのですよ。あれで状況がますます拗れたんですから」

「お前……最近ますます太々しくなったな」

 アーサーは目を細めながら息をついた。

 ラグナルがアデルとの結婚を決めた際、「ご祝儀がわりに北部の薬草茶と南部産ワインの関税免除を認めてほしい」と軽い調子で頼んだことが、いまだにアーサーの頭に重くのしかかっている。


「とはいえ、王家にとっても悪い話ではないですよ」

 ラグナルは涼しい顔で言葉を続けた。

「北部の通路が開通すれば交通税が入る。その上関税まで取ったら、せっかくの道も閑古鳥が鳴きます。そこでスフィリナの薬草茶と、南部産ワインが関税なしとなれば、必ずそれが交易の呼水になる。アデルはそこまで見越しているんです」

 彼の口調には、アデルへの剥き出しの尊敬が滲む。「今日もアデルの煌めきは翳らない」と、ラグナルは惚気を隠さない。アーサーは頭を抱える。「秘された関係のままの方が平和だった……」と。


 レオンは、密かに叔父に王族としての憧れを見出していた。スマートで堂々とした立ち振る舞い、政局を見極めるバランス感覚、大胆不敵な策略家としての頭脳。

 そんなラグナルが選んだアデル・カレスト公爵は、美しく才気溢れる女性で、その手腕に一目置かれる存在だった。一度だけ、レオンは、ラグナルとアデルの会合に同席したことがある。その時の議題は、交易幹路計画における予算編成と人員計画。明確な論点のもとに、次々と意見を出し合い、決断が下される。その知性の応酬は目眩がするほど。

 その二人が恋仲らしいと聞いたときは、「確かにこの二人なら釣り合う」と納得した。


 翌日の王城のテラス。レオンはセレーネとお茶を楽しんでいた。

「セレーネ。苔を鉢で育てるのは、かわいそうだと思う?」

「せっかく大地に広がる植物なのに、閉じ込めてしまうようで、ちょっと胸が痛みます」

 相変わらず苔を愛する二人だった。

 ふとレオンが視線を回廊に向けると、ラグナルとアデルの姿が目に入った。二人は微笑み合いながら歩みを進める。側から見ても、親愛と信頼で結ばれているのが一目で分かる。

 セレーネがぽつりと呟いた。

「いつ見ても素敵な公爵閣下……」

 その赤らんだ顔を見て、レオンは複雑な気持ちになった。アデルは若い貴族女性の憧れの的である。セレーネも例外ではなかった。

「きっと、私があの二人の姿を先に見ていたら、アプローチしたって無駄だと分かったと思います」

 かつてセレーネは、養父からラグナルに近づくように命じられていた。しかし、レオンとのある会話が転機となった――「その重圧に耐えることは、本当に貴女の信念なのですか?」

 その一言が、彼女の心の奥深くに触れたのだ。

 セレーネはその後急速にレオンに心を開き、巧みに距離を詰め外堀を埋めていった。今では婚約者として彼の隣にいる。彼女もまた強かな貴族であり、養父に操られるだけのご令嬢ではなかった。

「あの時、私にあの一言をかけてくださって、本当にありがとうございました。私は未熟者です。ただ、今の私の信念は、将来この国を背負って立つ貴方を、笑顔でお支えすることです」

 その囁くような声に、覚悟を決めた黒檀色の瞳に、レオンはまた恋をした。

 彼は彼女の手を取り、心からの想いを伝えた。

「セレーネ。この国の百六十年を超える歴史を次代に繋ぐため、どうか僕と共に歩んで欲しい」

「もちろんです、レオン殿下」

 セレーネがレオンの手を握り返す。そして二人は顔を赤らめながら、微笑み合った。

 レオンは誓う。あの二人――ラグナルとアデルの背中を追いながら、自分とセレーネもまた新しい歴史の一頁を刻んでいくのだと。


【バルデリック・ダモデス公爵が察すること】


 秋の恵みが刈り取られ、食卓が華やかになる頃。

 ダモデス公爵は、王弟ラグナルとカレスト公爵を伴い、自らの領地を案内していた。

「ここが我が公爵領の誇るべき市街地です。市場の賑わいを見れば、北部の交易の要としての役割を果たしていることがおわかりになるかと」

 胸を張るダモデス公爵に、ラグナルは微笑みを浮かべて頷いた。

「素晴らしい場所ですね。これほどの活気があれば、幹路の発展計画もますます現実味を帯びます」

 ラグナルが感心したように言えば、アデルも頷きながら口を開く。

「ええ、本当に。これまでの北部への投資の結実に、感服いたしましたわ。……もっとも、我が家が貴家の輪に入るまでには、少々時間がかかったように思いますけれど」

 アデルが微笑みながら言うと、ダモデス公爵は肩をすくめて鼻で笑った。

「自立心旺盛な貴家のことだ、てっきり我々と手を取るまでもないのかと思っておったよ」

「いやですわ、私どもはいつでも友好の手を差し伸べておりましたのに」

 そんな二人の軽口の応酬を、ラグナルは穏やかな表情で見守っていた。それに気付いたアデルもまた、ラグナルを微笑みながら見つめ返した。

 言葉もいらない様子だった。もはや夫婦のような貫禄さえ感じさせる。

 ダモデス公爵も内心で驚いていた。


 ――こりゃ本当に夫婦になるのも時間の問題だな。


 ダモデス公爵は思わずため息をつく。

 十一年前、フォルケン家の断罪が行われた時を思い出す。穏健派だった前王が、あれほど苛烈な判断を下した。その背景には、息子たち――特にラグナルの強い意志があったのではないか。

 その老獪な直観に伴うのは、若き日のラグナルの姿だ。


 ――かの少年は、敵と見定めた相手には、容赦なく牙を剥かんとしているように見えた。未成年者に情けなくも心底恐怖したのは、あれが最初で最後だ。


 そんな男が、今ではアデルと共に歩んでいる。

 貴族たちは、「ラグナル殿下がカレスト公爵の牙を和らげている」と評する。しかし、ダモデス公爵の見立ては逆だった。彼女の存在が、ラグナルの狂気と闘志を宥めているように見えた。

「ふむ、毒気も抜けたというものだ」

 そう言いながら、ダモデス公爵は空を見つめた。アデルの亡き父が生きていれば、どんな顔をしてこの二人を見ただろうか。


 その夜、ダモデス公爵はアデルを晩餐に招いた。南部産のワインを片手に、腹を割って語り合おうと誘った。

「公爵領主として、お前もよくここまでやったものだ」

「ありがとうございます。貴方の頑固さには随分助けられましたわ」

 そう言いながらアデルがワインを口に含む。

 晩餐は進み、二人は北部の民らしく、豪快に樽を空けた。これまでのいがみ合いを笑い飛ばし、互いを「狸ジジイ」「女狐」と呼び合った時代を懐かしむ。

 ダモデス公爵はふと静かな声で切り出した。

「実はな、そろそろ引退を考えている」

 その言葉に、アデルは表情を曇らせた。

 ダモデス公爵は、その反応に感慨深さを覚えた。「さすがのお前も、少しは寂しさを感じてくれるか」、そんな淡い期待を抱いた瞬間だった。

「その後継というのは、あの貴方の息子殿ですか?」

 アデルがやや意地悪な笑みを浮かべながら言った。

「……何?」

「失礼しました。ただ、その……ご子息には、まだ伸び代があるかと存じますの。あと十年ほど。良ければ我が公爵家の執行部で見習いとして働かせましょうか? 最低賃金で」

「貴様ぁあああ!!!」

 ダモデス公爵の顔は怒りに赤く染まり、テーブルを叩いて立ち上がった。

「我が息子を愚弄するつもりか!」

 しかし、アデルは涼しげな表情のまま扇子を広げる。

「落ち着いてくださいませ、公爵閣下」

 アデルはさらに煽るように続けた。

「彼に任せるくらいなら、いっそ私がこの公爵領領主を兼任した方がマシですわ」

「なっ……!」


 売り言葉に買い言葉、二人の口論はエスカレートし続けた。最終的に、ダモデス公爵が大声で宣言する。

「引退なんぞしてたまるか! まだまだ現役でやってやるわ!」

 アデルは満足げに笑みを浮かべ、ワインをもう一口飲んだ。

「それが聞きたかったのです、公爵閣下」


 こうして、ダモデス公爵は再び奮起することを決意した。さらに、息子の教育方針も大きく見直すことにした。

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