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第三話:当代の慈愛シンデレラは拗らせ女を篭絡する

【恋愛時代を終えたシンデレラ】

 

 広間を埋め尽くすように鳴り響く拍手。それは、彼女が初めてアーサーの婚約者としてその名を世に知らしめた夜だった。

 輝くシャンデリアの下、メレディスが披露した一糸乱れぬダンス。その姿は、王都の貴族たちの心を一瞬で射止めた。

「さすがはアーサー王子の伴侶となる方だ」

 人々は口々に称賛の声を上げたる。メレディスはただ、微笑む。

 フォルケン公爵家が幅を利かせるこの時代に、縁もゆかりもない侯爵家からの嫁入り。未来の王妃という地位には、並々ならぬ責任と重圧が伴う。彼女はそれを全身で理解していた。自分が持つすべての武器を使い、その地位を確立することを決意した。

「この国の未来を形作るために、私は選ばれたのだわ」

 夜空の星々が輝く窓辺でそう誓ったあの日の彼女は、紛れもなく当時の恋愛物語の主人公だった。


 やがて婚姻を経て、王子妃となり、メレディスは母となった。その日々は、喜びと喧騒、そして果てしない忙しさに彩られていた。気づけば三人の子どもたちはすくすくと成長し、家庭内での役割に追われる日常だ。

「恋愛物語の主人公」からずいぶん遠ざかった現実の中で、メレディスはふと、かつての煌めきを懐かしく思い出すことがあった。広間の中心で、誰よりも輝いていたあの頃。しかしその思いは、決して後悔などではない。

「今の私は、寵愛を受ける者ではなく、寵愛を与える者として存在しているのだわ」

 鏡越しに映る自分の姿に、彼女はそっと語りかける。

 夫アーサーへの信頼、子どもたちへの愛情、そして国の未来への責任。それらは、将来の王妃としての彼女を形作る重要な要素だった。もはや彼女にとって、脚光を浴びることは目標ではない。自分の周りを照らす光になり、そこに希望の種を蒔くこと――それが、王太子妃となったメレディスの新たな役割だった。


 恋愛物語の主人公だった女性は、愛と慈しみをもって、新しい自分を生きていた。彼女の歩みは、確かに次の時代を形作る礎となっていく。


【戴冠に向けた準備】


 王宮の一室、春の日差しが薄絹のカーテン越しに差し込み、光が室内を満たしていた。メレディスは重厚な机に向かい、広げられた書類に視線を落としていた。

 王太子であり夫のアーサーの戴冠まであと四年。その準備は、ただの儀式ではなく、王家の未来を確立するための重要な基盤作りでもある。

「女性たちの支持……それが鍵になるわね」

 独り言のように呟く。メレディスはペンを手に取り、計画の一部を書き足した。

 社交界を彩るのは女性、政治を掌握するのは男性。これはアヴェレート王国に限らず、貴族社会であればどこの国でも同じようなもの。その役割分担は、女性貴族の政治に対する無知・無関心を正当化する。

 結果として、女性の声は政治の場で無視され、軽視され、知らない間に抑圧されている。


 しかし、アーサーが目指す『千年の団結』を実現するなら、社会のあらゆる層に根を張る支持基盤が必要だ。特に女性たちの共感を得ることは、王家の安定に直結する。

 メレディスは、王妃候補としての自分がダンスで脚光を浴びた日々を思い出す。あの頃の舞踏会は、王子妃としての自分を示す舞台だった。それと同じように、この国の女性たちに未来を示す必要があると感じていた。

 そのためにはある人物の協力が不可欠だった。


「アデル・カレスト公爵……」

 彼女の名前を口にした瞬間、メレディスの目が鋭さを帯びる。この国で唯一の女性公爵であり、北部を中心に絶大な影響力を持つ彼女。女性の政治参加が薄い文化で、彼女の存在は特異点だ。

 しかしアデルは王家に対して、明確に忠誠を誓うことを避けている人物でもあった。

「警戒心が強いのも当然ね……それだけ聡明な方だもの」

 かつてのカレスト公爵家は、フォルケン家の抑圧に晒されていた。

 しかしフォルケン家の時代が終わった後、カレスト公爵領は自力で再建・発展した。まるで水を得た魚のように。

 今やアデルは、新進気鋭の公爵領主として実力を示している。それ故に、自助自立の精神が強く、王家からの支配が強まることを避けているようでもあった。


 メレディスはペンを置き、窓の外を見やった。満開の花が風に揺れ、庭を彩っている。

「まずは警戒心を解かなくては。形式的な接触だけではだめ。もっと自然な場で、彼女自身を知る必要があるわ」

 過剰な熱意を見せれば、彼女はますます警戒を強めるだろう。かといって、礼儀正しいだけでは何も心に響かない。まるで糸の上を歩くような緻密さが必要だ。

 社交界の華として名を馳せてきた社交力を、ここで活かさない手はない。メレディスは慎重に、しかし確実に距離を縮める方法を模索することにした。


【メレディスの戦略】

 

 数日後の午後、メレディスは王宮の庭園にアデルを招待した。テーブルを囲うように、季節の花々が咲き誇っている。

 アデルが到着すると、メレディスは微笑みを浮かべながら出迎えた。

「カレスト公爵、ようこそいらしてくださいました。今日の庭園は、まるで貴女を歓迎するかのように美しいですね」

「ありがたいお言葉です、王太子妃殿下。私には少々分不相応な場のように思えますが……」

 アデルは形式的な挨拶を交わす。

 メレディスはアデルの心中を察する。


 ――警戒されているわ。でも、それこそ彼女が信頼に値する人物である証明。


 警戒するであろう立場の者が、正しく警戒している。それが誠実さではなく何なのか。メレディスの社交哲学が、そう判断した。

 メレディスは柔和な微笑みを浮かべる。

「いいえ、むしろ貴女のような方とお話しできることは、私にとって光栄ですわ。それに、たまには少し肩の力を抜いていただくのも、大切なことかと存じます」

「肩の力を抜く、ですか。それを王太子妃殿下に言われると、逆に背筋が伸びてしまいます」

 アデルはわずかに視線を逸らしながら、茶化すでもなく言った。

「ふふ、そうでしょうね。私も、言っておきながら慣れてはおりませんもの」

 メレディスはカップに口をつけ、アデルを観察していた。真面目で、几帳面で、言葉を選ぶタイプ。メレディスは、狩猟態勢を崩さない毛並みの良い猫を想起した。


「素敵な庭園ですね。さすが王家の庭師ですわ」

 話題を変えるようにアデルが尋ねると、メレディスは軽く笑った。

「実はこのあたり一帯は、私と子どもたちで少しずつ世話をしている庭ですの」

「王太子妃殿下が、直々に?」

 アデルが瞠目する。

「たまに、ですけれど。子どもたちが雑草を「秘密の薬草」と呼んで抜かない時もありますの。大抵、最後には私が抜いてますけれど」

 その話に、アデルは不意に小さく笑った。

「それは、ちょっと想像していませんでした」

「でしょう? だから時々「王太子妃らしくない」と言われてしまうのです」

「まぁ。そのようなことをおっしゃる方がいるとは」

「ええ。まぁ、現王妃なのですけどね、大体」

 メレディスは悪びれもなく笑う。アデルは曖昧に微笑んだ。

 二人の間に、少しだけ風が吹いた。香るのは、整えられすぎていない花々の匂い。


「カレスト公爵は、何かご趣味がおありですか?」

 メレディスが切り出す。アデルは首を傾げながら、答えた。

「読書ですかね。歴史書や戦記が主です。領地経営の参考にもなりますし」

「趣味と実用が曖昧なところ、貴女らしいと思いますわ」

「……褒めておられるんですよね?」

 アデルがティーカップ越しに、メレディスに真意を探る視線を送る。

「もちろん。真面目で、すぐ何かの役に立てようとする。その誠実さが、なんだか可愛らしいわ」

 メレディスの言葉に、アデルはわずかに表情を引き締めた。

「……私に可愛らしいなどと面と向かって仰るのは、王太子妃殿下くらいです」

「まあ。この国の男性たちは見る目がありませんわね」

 メレディスは笑みを深めた。アデルは、その表情の柔らかさに一瞬だけ戸惑う。

「……王太子妃殿下がもしも男性だったら、さぞかし女性から人気があったことでしょう」

「それも、褒め言葉と受け取っておきます」


 ティーカップの茶が底をつく。アデルは一瞬、メレディスを見つめた。

「王妃殿下。王家には感謝すべきことが多々あります。ただ、それをそのまま示すのが正しいかどうか――そこが難しいところですの」

 メレディスはその言葉に、深く頷いた。

「もちろんです、カレスト公爵。私はただ、貴女という方をもっと知りたいと思っただけなのです」

 その真摯な答えに、アデルは微笑みを返した。メレディスとの交流は、小さいながらも、アデルの心に何かを芽吹かせた。


 この日を境に、二人の関係は少しずつ動き始めていく。


【女同士のお買い物】

 

 アデルは、色とりどりの布地に目を向けていた。柔らかなシルク、豪華な刺繍が施された生地。それらが整然と並べられていて、まるで小さな美術館のようだ。

 隣には、すでに熱心に行商人とやり取りをしているロザリンドの姿がある。

「アデルったら、いつもお堅い服ばかり選ぶんだから! 次の王城パーティこそ、流行りのドレスを着ないと駄目よ!」

 ロザリンドは小さな指を勢いよく振りながら、行商人に次々と候補を挙げさせている。アデルは苦笑しながらその様子を眺めていた。

 今日はアデルの屋敷で、ロザリンドとともに新しいドレスを見繕っていた。

「流行りのドレスといっても、似合わなかったら他の貴族に笑われるわよ」

「そんな弱気になってる場合じゃないわ!」

 ロザリンドは振り返り、アデルに真剣な表情を向ける。

「アデル、貴女は女公爵なのよ? もちろん威厳や品格も大事だけど、それだけじゃ駄目。女性としての魅力だって忘れちゃいけないの。だから、私に任せて!」


 ロザリンドの熱意に押され、アデルは控えめに頷いた。その胸の内では、従妹の気遣いが嬉しくもあり、少しばかり照れ臭くもあった。

 アデルは、女公爵としての立場を意識しすぎてしまう。服装一つ取っても、「公爵にふさわしいかどうか」が判断基準になりがちだった。

 ロザリンドはそれを解きほぐそうとしている。少女時代、ドレス選びを楽しんでいた頃のアデルを思い出してほしい――その想いがひしひしと伝わってくる。


「これなんてどうかしら?」

 ロザリンドが差し出したのは、鮮やかな赤い布地のドレス。滑らかなシルクが光を受けて輝き、裾には繊細な金糸刺繍が施されている。アデルの唇と絶妙に調和する、深みのある赤が目を引いた。

「……これが?」

 アデルは思わず目を見開いた。

「そうよ! 貴女のスタイルを際立たせるカットだし、裾の広がりも優雅で素敵だと思わない?」

 ロザリンドはアデルの肩を軽く押し、試着させようとする。

「でも、少し派手すぎないかしら?」

「いいえ、大丈夫。貴女は堂々と着こなせるわ。むしろ、このドレスを着て堂々としていれば、それこそ女公爵としての風格が増すんじゃない?」

 その言葉に、アデルは思わず笑みを漏らした。ロザリンドの勢いに圧されつつも、その心の中では、久しぶりに少女時代の無邪気な楽しさを思い出していた。


 アデルが試着を終えると、ロザリンドは歓声を上げた。

「やっぱりぴったり! 本当に素敵よ、アデル!」

 鏡に映る自分の姿を見つめながら、アデルも心がときめくのを感じた。公爵としての重責を忘れるわけではない。それでも、「女性としての楽しみ」を、今だけは素直に受け入れてもいいのかもしれない――そんな思いが胸に浮かんだ。

「ありがとう、ロザリンド」

 微笑みを浮かべたアデルの言葉に、ロザリンドもまた満足げに微笑んだ。


 こうして、アデルの次なるパーティのためのドレスは決まった。鮮やかな赤いドレスは、彼女の内なる輝きを引き出すと同時に、ロザリンドの優しさと、少女時代の楽しさを思い起こさせる特別な一着となった。


【女性たちの社交界】


 豪華なシャンデリアが輝く広間に、音楽と笑い声が溢れる夜。華やかなドレスに身を包んだ貴族たちが、踊りの輪を作り、時折杯を傾けながら談笑を楽しんでいた。

 この夜のパーティはイレギュラーなものだった。社交シーズン外なも関わらず、急遽開かれた祝賀会。王国が仲介役を務めた、ヴァルミールとエルゼーン間の和平合意を祝うためのもの。国内外に向けて「アヴェレート王家の平和外交の成功」をアピールする場だ。

 しかし、和平の立役者である王弟ラグナルの名は一切語られなかった。その存在を伏せるのは、ラグナルの決意を尊重した結果だ。それは「兄アーサーの戴冠まで帰国しない」という強い決意。

 それでも、国際感覚のある者は、和平の舞台裏にラグナルの尽力があったことを薄々察していた。


 そんな特別な夜の中心で、アデルは周囲からの注目を一身に集めていた。赤いドレスを纏った彼女の姿は、この夜の誰よりも目を引いた。

 それは決して単なる見た目の美しさのせいだけではなかった。その背筋の伸びた佇まい、冷ややかでありながら品格に満ちた微笑み、そしてどこか近寄り難い雰囲気――それら全てが、彼女を特別な存在にしていた。

 しかし、その気高さを本当の意味で理解する者は少なかった。特にこの夜、女性らしい装いをした彼女は、下心や嫉妬を隠せない男たちの標的となっていた。


「カレスト公爵、今宵は一段とお美しいですね。赤いドレスがお似合いで、まるで一輪の薔薇のようだ」

 ある高位貴族が、わざとらしく感嘆の声を上げる。

「ありがとうございます。貴方の賛辞には花が恥じらうほどの華がありますね」

 アデルは微笑みを保ちながら、さらりとかわす。

「これは恐れ入ります。そうだ、公爵、踊りの相手がまだお決まりでないなら、この私が光栄を賜りたいものですが」

 男は自信満々に胸を張り、手を差し出した。その態度に透けるのは下心。アデル自身に対してだけではなく、カレスト公爵領もその対象だ。

「最近読んだ本に、こう書かれていましたわ。「侵略者は笑顔と褒め言葉ともにやってくる」と」

 アデルの言葉に、目の前の男だけでなく、取り巻いていた男たちも硬直した。


 今度は別の貴族が口元に笑みを浮かべながら、声をかけてきた。

「カレスト公爵領の金山開拓には驚きましたよ。鉱業なんて汗と泥に塗れる仕事は男のものだと思っていましたから。だから王国議会でも、前に出て発言されるのでしょうなぁ。議場で貴女の美しい声が聞こえると、未だに驚いてしまうものです」

 その言葉には賞賛の形を取っていたが、アデルの耳には聞こえ方が違っていた――「女のくせに政治で出しゃばるな」。

「恐縮ですわ。ただ、政治とは、領民の幸せのために務めるもの。性別に関係なく、最善を尽くすべきだと考えております」

 アデルの声は冷静そのものだったが、相手の挑発に乗る気はないことが明らかだった。

「おやおや、それはまたご立派なことだ。しかし、随分と肝が据わっていらっしゃる。殿方もやりにくいことでしょうな」

 皮肉交じりの言葉に、周囲の男たちが薄笑いを漏らす。

「それは大変ですわね。殿方がやりやすくなるよう、配慮して差し上げませんと」

 アデルは穏やかな微笑みを浮かべながら、冷ややかな視線を投げた。その目の鋭さに気づいた男たちは、一瞬だけ笑みを引きつらせた。


 少し離れた場所で、ロザリンドがその光景を目にしていた。彼女の表情には、明らかな怒りが浮かんでいる。

 とはいえロザリンドも、この場で感情のままに割って入ることはできなかった。「政治を知らぬ者が政治の話に割って入るのははしたない」、それが社交場でのマナー。年若い侯爵夫人でしかない彼女が介入したら、「はしたないご夫人」と陰口を叩かれるだけだ。

 ロザリンドはしばらく逡巡した後、意を決して広間の端に立つ一人の女性の元へ向かった。この国で数少ない、政治責任の一端を担う女性。その女性――メレディス・アヴェレート王太子妃は、貴族たちの中心にいるわけではなく、少し離れた位置で穏やかな微笑みを浮かべていた。


「王太子妃殿下、こんばんは。この度のご盛会、本当に素晴らしいですわね」

 ロザリンドは優雅に挨拶をした。

「ロザリンド侯爵夫人、ようこそお越しくださいました。いつも素敵な装いで、見とれてしまいますね」

 メレディスの言葉に、ロザリンドは謙遜の笑みを浮かべた。

「まだまだ私など、ドレスに着られてしまいます。それよりも、カレスト公爵です。彼女はどんなドレスも見事に着こなしてしまうのです」

 その言葉に、メレディスの視線がアデルの方へ向いた。遠目にも彼女の赤いドレスが美しく輝いているのが分かる。

「ああ、確かに今日の彼女は、いつも以上に魅力的ですわね」

 その穏やかな言葉に、ロザリンドは内心で安堵した。

「ええ。そのせいか、少々、花蜜に誘われたミツバチが多くて……彼女を毒針で刺してしまわないか、心配ですわ」

 ロザリンドの言葉には、皮肉と共に淡い緊張が滲んでいた。メレディスはその意図を正確に汲み取った。

 メレディスは再びアデルを見やり、その周囲の様子を注意深く観察した。そして、彼女の目に映ったのは、気高さに挑むような男性たちの無礼な態度だった。

「なるほど……」

 優雅に言葉を口にしたメレディスは、持っていた杯をテーブルに置いた。

「少々失礼しますわ」

 その言葉と共に、メレディスは広間を横切り、アデルの元へと向かった。その背中は頼もしく、ロザリンドは安堵とともに見送った。


 メレディスは、アデルを囲む一団に目を留めた。赤いドレスに身を包む彼女の姿は、まるで紅蓮の炎のように鮮烈だった。しかし輪の中に漂う空気は、どこか刺々しい。

 言葉の応酬は表面的には和やかに見えた。しかしメレディスの耳はごまかされない。その奥に隠された皮肉と侮蔑がはっきりと聞こえていた。

 アデルは涼やかなポーカーフェイスを保っていた。しかしその背筋の緊張が、どれだけ彼女がこの場で孤独を感じているかを物語っていた。

「さて、行きましょうか」

 深緑のドレスの裾を軽やかに揺らしながら、メレディスはその輪に向かって歩み出た。

 輪に加わったメレディスは、微笑みを浮かべながら、男たちを一瞥した。そして、アデルに向き直る。

 二人のドレスが並び、周囲の者たちが息を呑んだ。メレディスの深緑とアデルの紅蓮はお互いに補い合い、称え合うようだった。


「カレスト公爵、こんな素敵な夜に踊らないのはもったいないですわね。私も貴女を口説かせていただきたいところですけれど」

 メレディスの言葉に、周囲が静まり返った。

 男たちが驚きに目を見開く中、アデルもまた目を丸くし、次いで戸惑いの表情を浮かべた。

「王太子妃殿下、それは……」

 アデルが言葉を探している間に、メレディスは軽やかに一歩前に進み、彼女に手を差し出した。

「私と踊っていただけますか?」

 その言葉遣いと所作は、理想的な王国紳士のようだった。洗練され、堂々としていながらも品格に満ちている。そして何より、メレディスの瞳には、からかいの色は微塵もなかった。

 アデルはわずかにためらった。しかし、次の瞬間にはその手を取っていた。

「喜んで」


 紅蓮のような赤と翡翠のような緑――二人の対照的なドレスが、旋律に合わせて軽やかに揺れる。特にアデルの赤いドレスは、回転のたびに裾が大きく広がり、まるで炎舞のようだった。その鮮烈な赤が緑の中に溶け込むたび、二人の動きはひとつの芸術作品のように映え、息を呑むような美しさを生み出していた。

 観客たちの間にはざわめきが広がり、誰もがその華麗な光景に目を奪われた。音楽に合わせて咲き、燃え盛る赤い炎と、それを支える深緑の落ち着き――二人の調和が会場全体を魅了していた。

 踊りながら、メレディスは小さく囁いた。

「旦那以外で初めて、実力を隠さずに踊れる相手を見つけましたわ」

 アデルは少し目を瞬かせながらも、フッと笑みを浮かべた。

「光栄ですわ」

 メレディスもまた微笑みを浮かべ、彼女を包むような優しさを感じさせる視線を向けた。

 ダンスが終わる頃には、会場全体が静まり返っていた。やがて拍手が湧き起こり、メレディスは一礼しながら、アデルの手をそっと解放した。

 その様子を遠くから見ていたオクタヴィア王妃は、静かに目を細めた。二人の姿は、未来の王国を象徴する新たな女性像を予感させるものだった。


 この夜を境に、アヴェレート王国内での空気は劇的に変わる。

 アデルの政治手腕は、性別抜きで語られるようになった。同時にメレディスも「芯の通った未来の国母」として、評価を確固たるものにしていく。


【王太子妃の領地視察】


 カレスト公爵領は、整然とした繁栄を見せていた。美しく舗装された道路、整った農地、行き交う人々の温かい表情。それらすべてが、この地を治める公爵の手腕を如実に物語っていた。

 メレディスは、馬車の窓からその景色を眺めながら、思わず息を飲んだ。アデルの手腕は噂以上だった。この地がこれほど豊かに保たれている背景に、どれだけの努力と犠牲があったかを思うと、ただ感嘆するばかりだ。

 アデルは領民たちと親しく言葉を交わし、時折立ち止まってはその意見を丁寧に聞いていた。特に、年配の農夫が手を振ると、彼女は微笑みながらその場に駆け寄り、屈託のない会話を交わしている。その様子は、王都で見せる彼女の冷ややかで毅然とした表情とはまるで別人のようであり、メレディスは心の奥に温かなものを感じた。


 領内視察が一通り終わり、アデルの館に戻った二人は、応接室で向かい合っていた。現在、市販化を目指して開発中という薬草茶が、部屋の中を満たしている。

「素晴らしい領地ですね、カレスト公爵。この目で拝見して、ますます尊敬の念を抱きました」

 メレディスの言葉に、アデルは微笑みを浮かべた。しかし、その瞳にはわずかな警戒心が宿っている。

「お褒めいただき光栄です。ただ、この地を守るためにしてきたことが、王家にとっては都合の悪い部分もあったかもしれません」

 メレディスはその言葉に驚くこともなく、穏やかな微笑みを保ちながら、茶を一口含んだ。

「それが何であれ、私はむしろ貴女がここまで成し遂げてきたことに心から敬意を表しますわ」

 その真摯な声色に、アデルはわずかに目を伏せた。そして、意を決したように顔を上げる。


「王太子妃殿下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんですわ」

 アデルは視線を強くした。そこに、メレディスは彼女の真剣さを感じ取る。

「アーサー王太子殿下が掲げている『千年の団結』は、王家への権限を集め、各領地の自立を奪うものではないでしょうか?」

 部屋の空気が一瞬、張り詰めた。アデルの問いは、王家批判とも取れるものだった。

 しかし、メレディスは顔色一つ変えずに頷いた。その後、わずかに微笑みを浮かべながら口を開く。

「カレスト公爵、私は貴女たちほど政策議論に明るいわけではありません。ですが、アーサーが掲げる未来の理想については、理解しているつもりです」

 メレディスの言葉は静かで、穏やかで、揺るぎない信念を感じさせた。

「『千年の団結』とは、王都が心臓となり、王国全体に物や人、富を行き渡らせる構想です。それが叶えば、どんな僻地でも人々はちゃんと必要な物を手にし、必要な出会いがあり、必要なだけの富を得られることでしょう。そして、誰も置き去りにされない、安全な国を目指す――それがアーサーの願いです」

 アデルはその言葉を聞きながら、なおも視線を外さない。

「ですが、王家が権限を持ちすぎれば、各領地の自立が損なわれる恐れもあります。それでは……」

 アデルが言葉を言い淀む。メレディスは小さく首を振った。

「その懸念は、アーサーも十分理解していますわ。むしろ彼が願っているのは、領地が自立して運営されていること。人体は心臓だけでは成り立ちません。各領地が脳なり、胃袋なり、肝なりとして、自立して機能すること。それがなければ、王国全体が健康でいることは不可能です」

 その言葉に、アデルは目を見開いた。メレディスの言葉には、単なる理論以上のものがあった。彼女の表情には、夫アーサーへの深い信頼と、自らの責務への真摯な想いが滲んでいた。

「だから私たちは、貴女の領地運営の理想が、この国全体に広がる未来を夢見ています」

 その一言に、アデルの目に光が宿る。

「王太子妃殿下……」

 アデルは頭を下げた。その一礼に込められた敬意。メレディスはそれを受け取り、微笑んだ。


【王太子夫妻】


 春の日差しが差し込む王宮の一室。窓の外では庭園の花々が咲き誇り、穏やかな風が木々を揺らしていた。部屋の中では、アーサーとメレディスが小さなティーテーブルを挟み、ゆったりとした時間を共有している。

「最近、貴族のご婦人方とお話しするのがとても楽しいのです。皆さん、それぞれに魅力的で、個性豊かですわ」

 メレディスが笑みを浮かべながら話すと、アーサーも自然と目尻を下げて微笑んだ。彼女のそんな姿を見るのは、彼にとっても心安らぐひとときだった。

「そうか。それは良かった。君が社交の場で楽しんでいる姿を想像するだけで、安心するよ」

「ありがとう、アーサー。でも、中でも特に印象的だったのは、やっぱりアデル・カレスト公爵ですわね」

 アーサーはその名前を聞くと、軽く眉を上げた。

「カレスト公爵か。あの孤高の女史が君にどんな印象を残したんだい?」

 メレディスは、ティーカップを置きながら優雅に笑みを浮かべた。

「彼女はしっかり者ですけれど、どこか不器用なところがあって……そうですね。まるで年の離れた妹のように感じるのです」

 その発言に、アーサーは思わず吹き出しそうになりながら、苦笑いを浮かべた。

「妹、か。そんな風にカレスト公爵を語れるのは、本当に君くらいだな。彼女をそう呼ぶ勇気のある者が、この王国に他にいるだろうか」

 メレディスは微かに首を傾げ、穏やかな声で応じた。

「そんなことありませんわ。ただ、皆さん彼女を誤解しているだけだと思うのです。彼女は冷たい人ではなく、むしろ温かい心を持っている方ですもの」

 アーサーはその言葉を聞いて、一瞬考え込むように視線を落とした。

「確かに、彼女の行動は理知的だが、その裏には情熱があるのかもしれないな」

「ええ。彼女の真の理解者が、きっとこれから現れるはずですわ。そうでなければ、この国の未来は変わりませんもの」

 それは予言のように響いた。アーサーは目を細めながら微笑んだ。

「君がそう言うなら、そうだろう。君には人を見る目があるからな」

 夫婦の間に流れる穏やかな空気。ティーポットから注がれる紅茶の香りが、二人の温かい時間を包み込んでいた。


【メレディスの本音】


 王城の中庭は、晩春の陽光に包まれ、まるで絵画のように美しかった。色とりどりの花々が咲き誇り、そよ風に揺れるたびに甘やかな香りを漂わせている。

 二人の女性が、その庭を歩いていた。

 王太子妃メレディス・アヴェレートと、アデル・カレスト公爵。対照的な二人だが、その佇まいには、どこか共鳴するものがあった。

「王太子妃殿下、なぜそこまでして私を口説こうとするのですか?」

 アデルが足を止め、振り返る。その瞳には冷静さとともに、迷いを隠せない色があった。

 メレディスは彼女を見つめ、わずかに微笑んだ。

「カレスト公爵、貴女はこの国の未来を照らす存在だからです」

 その言葉は、まるで迷いを断ち切るかのように力強かった。

「未来を照らす存在、ですか?」

 アデルは眉を顰めながら、その意味を探るように問い返した。

 メレディスは、季節の花々に目を向けながら語り始めた。

「この国は、まだ大きな変革の途中にあります。そしてその変革を導く鍵を握るのは、貴女のように聡明で、信念を持った方です。王家の力だけでは、決してすべてを変えることはできません。貴女のような存在が、周囲に影響を与え、未来の礎を築くのです」

 アデルはメレディスの言葉に黙し、耳を傾けた。

「そして、貴女がその心のままにあることが、いつかこの国の女性たちの生き方を変えることになると私は信じています」

 メレディスがアデルの前に並び出る。

「貴女が女公爵として立ち続ける姿は、多くの女性たちに希望を与える。いつの日か、女性が自らの意思で未来を選び取れる時代が訪れるとしたら、それは間違いなく、貴女がその先駆けとなるのです」

「……その未来の兆しを、守りたいと?」

 アデルが視線をメレディスに向ける。メレディスは頷いた。

「そうです。同じ女性として、私は貴女を心から尊敬しています。そして、その尊敬の念を行動で示したいと思っています」

 メレディスの言葉には、躊躇いも迷いもない。

「私は、一人の女性として貴女に信頼されたいのです。政治や立場を超えた関係を築きたい。それが、私の真実の願いです」

 その言葉に、アデルの胸の奥で何かが解けるような感覚があった。

 目の前の女性は、互いを尊敬し合える「仲間」であることを。

「……メレディス王太子妃殿下、いえ、メレディス様」

 アデルは微笑みを返した。その笑みは、これまでのどんな場面でも見せたことのない、穏やかなものだった。

「私も、貴女を信じたいと思います」

 風に乗って花々が優しく揺れた。

 季節の花々に囲まれる中庭で交わされた、女性同士の約束。それは二人にとって、かけがえのない出来事となる。


【始まりの絆】


 夏の夜空に花火が咲き誇る、建国記念日のパーティ。王城の大広間には、貴族たちが織りなす華やかな光景が広がっていた。

 その中央で、アデルとメレディスがダンスの輪に加わる。

 アデルの濃い青のドレスは宵闇のように深く、メレディスのゴールドのドレスは夜空を彩る月の光のように優しい。二人が並ぶと、まるで夜空そのものがダンスフロアに描かれたかのようだった。

 今回はアデルが男性パートを務めた。しなやかな動きでメレディスをリードし、優雅な旋律に合わせて二人は軽やかに舞う。

 旋回するたびにアデルのドレスが闇夜に一輪咲く花のように広がり、メレディスのドレスがその光を優しく受け止めて輝く。その調和と美しさに、会場中の視線が二人に集中していた。

 高貴な二人の女性の間には、互いに対する深い信頼と、理と利を超えた友情が結ばれていた。


 ダンスが終わると、会場から惜しみない拍手が送られた。

 アデルはメレディスの手を取りながら一礼し、その手をそっと解放しようとしたところで、メレディスが軽くその手を握り返した。

「アデル。これからも一緒に、この国を導いていきましょう」

 メレディスは満足げに微笑みながら、その言葉に静かな決意を込めた。

 アデルもまた、微笑みを返す。

「ええ、そのための協力は惜しみませんわ、メレディス様」

 夜空を彩る花火が再び上がり、二人の間にある絆を祝福するかのように輝いた。


 これより数年後、王家とカレスト公爵家の関係はより緊密なものとなる。王弟ラグナルの帰国を機に、公に政治的パートナーシップを結ぶのだ。

 しかし、両家の絆の始まりは、政治や利害を超えたところにあった。それは、アデルとメレディスの間で紡がれた、一人の女性としての信頼と友情――この国の未来を照らす光となった、特別な絆だった。

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