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第二話:先代の政略シンデレラは愛の逸話を実演する

【プロローグ:『愛の逸話』】


 王国歴一一四年、夏。アヴェレート王国の建国記念日のパーティは、いつにも増して華やかだった。城の大広間には絢爛たる装飾が施され、王国の貴族たちが一堂に会している。その中に、妖精のように美しい少女がいた。

 白金の髪に光を受けて輝くオクタヴィア姫。彼女は十四歳。隣国ヴァルミールからの外遊の名目で、この場に招かれていた。

「私に、この夜の一曲をお許しいただけますか、オクタヴィア姫」

 王国の第一王子、十六歳のノイアスがオクタヴィアに手を差し向ける。

 ノイアスに導かれる形で、オクタヴィアは広間の中央へ進む。楽団の奏でる音楽が響き渡り、二人のダンスが始まった。

 オクタヴィアはステップを踏みながら、首筋をしなやかに傾けて視線を絡ませるような、印象的なターンをいくつも披露する。その洗練された動きに、周囲から小さな感嘆の声が漏れる。

 そして、城の外にある大時計が、時刻を知らせる鐘の音を鳴らした。その音に合わせるように、楽曲が終わり、二人のダンスも幕を閉じる。


 ノイアスはもう一曲を誘おうとしたが、オクタヴィアは美しい一礼を見せながら応じる。

「宵も更けてまいりました。こちらにて失礼します」

 その言葉とともに、オクタヴィアは人波の中へと消えた。礼の際に髪から落ちたクリスタルの髪留めに気づくことなく。

 ノイアスはそれを拾い上げ、しばらくの間、じっと見つめていた。その目に浮かぶ感情は、周囲の貴族たちに「新たな恋の始まり」と映った。


 その後、ノイアスはヴァルミールを訪れた。クリスタルの髪留めを届ける名目だ。そして、妖精姫を婚約者として連れ帰る。

 その堂々たる態度と情熱に、アヴェレート王国の民は熱狂した。白金の髪と青い瞳を持つ彼女の美しさも相まって、国中から称賛の声が広がる。

 

 民は、誰も知らない。フォルケン公爵家が将来の王妃として娘を送り込もうとする動きを封じたいアヴェレート王家。王国との軍事同盟を強化したいヴァルミールのフィーリス王家。この両家の思惑が一致した、どこまでも冷徹な政略結婚だということを。

 ここまでの筋書きは全て、オクタヴィアの綿密な計画とノイアスの協力によって演じられた――臣民人気を得るための完璧な演目『愛の逸話』だった。


【第一幕:後宮争いの始まり】

 

 王国歴一一六年、建国記念日。この日のパーティで、ノイアスの立太子が正式に宣言された。同時に、オクタヴィアはノイアスの正妃として後宮入りを果たした。

 オクタヴィアが後宮の広間に足を踏み入れると、すでにそこには一人の女性が待っていた。赤みを帯びた茶色の髪を結い上げ、黒い瞳が自信に満ちている。豪奢な装飾が施されたドレスが、その女性の立場を語っていた。フォルケン公爵家の娘、ジュスティーヌ。ノイアスの側室だ。

 二年前にノイアスがオクタヴィアと婚約したことにより、フォルケン公爵家の婚姻圧力を封じることは成功した。それでも、側室として娶ることは避けられなかった。建国以来の家柄であり、文化的権威の強いフォルケン公爵家を、無碍にはできない。

 王国歴一〇〇年頃から、王家は警戒を強めている。フォルケン公爵家の野心に。


「初めまして、オクタヴィア様」

 ジュスティーヌは笑みを浮かべて頭を下げる。

「こちらこそ、お目にかかれて光栄ですわ」

 オクタヴィアも微笑みを返す。その表情には、一切の感情を窺わせない完璧な礼儀が宿っていた。

 ジュスティーヌは顔を上げると、何気ない口調で続ける。

「王太子殿下が新しい妃を迎えられて、どれほど喜んでおられるか、私も拝見しておりましたの。とても微笑ましい光景でしたわ」

 その言葉には、わずかに含みがあった。先に後宮入りした自分の立場を匂わせながら、オクタヴィアの反応を伺おうとする。しかし、オクタヴィアの表情は微動だにしない。

「それは何よりですわ。殿下がお喜びになられることが、私たちにとっての何よりの幸せですから」

 穏やかに、しかし確実にかわすその返答に、ジュスティーヌの瞳が一瞬だけ揺れた。その反応を見逃さないオクタヴィアだが、あくまで冷静に微笑みを浮かべ続ける。

 オクタヴィアにとって、目の前の側室がどう思おうと、些細なことに過ぎなかった。

「愛」はこの結婚において本質ではない。この結婚の真の目的は、アヴェレート王国とヴァルミールの軍事同盟の強化である。オクタヴィアは、その象徴である王太子妃の座を揺るぎないものとすることが使命。それに比べれば、フォルケン公爵家が送り込んだ側室など、取るに足らない問題だ。

 一方で、ジュスティーヌの苛立ちはじわじわと募る。自分の言葉に挑発されるどころか、完璧に受け流すこの若い妃に、心の中で舌打ちをする。彼女にとって、この結婚はフォルケン公爵家が王家に干渉するための絶好の機会。

 そしてこれは、ジュスティーヌ個人の価値観。自身の家柄、美貌、影響力に相応しい男は、ノイアスしかいないと。高貴な黒髪黒目の、当代きっての美男子で、優秀で穏健と評判の王太子。そのような存在からの寵愛があって、ジュスティーヌが考える「女の栄華」は完成する。

 そのためには、早急に王太子からの寵愛を受け、子どもをもうける必要がある。

 二人の微笑みの裏側で、互いの思惑が火花を散らしていた。


 初夜が明け、オクタヴィアはノイアスと向き合っていた。しかし、そこに甘い雰囲気など一切なかった。

「殿下、側室よりも先に私が子をもうける必要があります。そのためには計画的に妊娠の時期を調整する必要があると考えます」

 オクタヴィアは事務的にそう切り出す。その声には、感情の揺らぎはない。彼女にとって、妊娠は戦略であり、王太子妃としての地位を盤石にする手段だった。

 ノイアスは苦笑する。

「この二年間で君の人柄は知ったつもりだったけど、うん、想像以上だな……まさか初夜の翌朝にスケジュール管理の話をされるとは思わなかったよ」

「成果とは計画の時点で八割決まっているものですから」

「今僕は確信したよ。君と築く王政は間違いなく歴史に残るって」

 ノイアスの皮肉に、オクタヴィアは「ありがとうございます」と返した。ますますノイアスは苦笑を重ねる。彼はしばらくその黒目を伏せた。そして、穏やかな笑みが戻る。

「君の考えは正しいし、尊重するよ」

「ありがとうございます」

 しかしノイアスは、その言葉に続けた。

「でも、夫婦というのは、ただ責任を分担するだけの関係じゃないと思うんだ。僕といる時間くらいは、君が一息つける時間にしてもらえたら嬉しい」

 オクタヴィアは、思わずその言葉を反芻した。


 ――一息つく? 一体何を言っているのだろう。


 しかし、その意味を探るよりも早く、オクタヴィアの心が受容してしまった。

 ノイアスの言葉には、何の駆け引きも含まれていない。ただ、目の前の自分を気遣っている。それだけだ。

 その気遣いが、オクタヴィアの心に一滴、温もりのある何かを落とした。


 その日、オクタヴィアは久しぶりに、自分が「人間」なのだと思い出した。


【第二幕:ドレスを巡る文化の争い】

 

 数週間後、王太子夫妻の結婚式を祝う披露宴が、王城で盛大に執り行われていた。会場は、荘厳で威厳ある装飾が施される。フォルケン公爵家を筆頭に、多くの貴族たちで賑わっていた。

 その日、オクタヴィアが纏っていたのは、アヴェレート王国の文化を尊重した、裾が長く縦ラインを強調するドレスだった。ヴァルミール出身の王太子妃として、王国文化への敬意を示す選択だ。

 開場を控えた控え室。そこでオクタヴィアは、ジュスティーヌと対峙することになる。豪奢な装飾が施されたドレスは、フォルケン公爵家の娘であり、王太子の側室としての地位を雄弁に語っていた。

「緊張されているようですわね。ワインでもいかが?」

 ジュスティーヌが微笑みながら、ワインの揺れる銀の盃を差し出してきた。

 その所作に、オクタヴィアはほのかな違和感を覚えた。

「お心遣い感謝しますが、私はまだ未成年ですので」

 そう言いながら、彼女はさっと身を引いた。

 次の瞬間、ジュスティーヌの手から盃がこぼれた。ワインがオクタヴィアのドレスの裾に広がった。オクタヴィアの色素の薄い髪や肌に合わせた水色のドレスに、悪意のような真紅が広がる。

「まあ、なんてこと!」

 ジュスティーヌが申し訳なさそうに慌てる。オクタヴィアは茶番と判断した。そして早急に控室に戻る。

 オクタヴィアの侍女たちが駆け寄った。誰もが焦りの色を隠せない。

 当のオクタヴィアは動じない。彼女は侍女たちに短く指示を出し、冷静に行動を開始する。

「裾の布を切り取ってください。そして、その布を使って装飾を加えます。リボンとレースも用意してください」

 手早く切り取られたドレスの裾は、たくし上げられてスカート部分に飾り付けられ、膨らみのある華やかなデザインに変貌を遂げた。ヴァルミール文化を思わせる優美で軽やかなラインだ。


 その後、彼女は時間を無駄にすることなく、完成したドレスを身に纏い、会場へと向かった。

 パーティ会場に現れたオクタヴィアの姿を見た人々は、思わず息を呑んだ。王国の文化を尊重した荘厳さの中に、彼女の母国ヴァルミールの優美さが見事に融合している。特に控え室で一部始終を目撃していた者たちは、彼女の即興の機転に驚嘆していた。

 ノイアスもまた、オクタヴィアのアレンジされたドレスに目を留め、ふと微笑む。

「王国とヴァルミールの文化が融合したような素敵なドレスだね。君に相応しい。思わず目を奪われたよ」

 その言葉に、オクタヴィアは微笑み返す。

「ジュスティーヌ様のご協力があってこそですわ」

 その皮肉を理解したジュスティーヌは、一瞬だけ眉を顰めたが、すぐに穏やかな笑みを取り繕った。彼女の胸の奥で、怒りが煮えたぎっていることを知る者は、誰もいない。


【第三幕:教会との信頼関係を巡る争い】

 

 王国歴一一七年、春。アヴェレート王国と教会が、聖女を囲む晩餐会を共催する。この会は、政治と民心の方向性を占う一大行事として執り行われた。

 聖女とは教会の民衆救済の象徴であり、「神の奇跡を起こす者」。その実態は薬剤調合に優れた薬剤師だが、聖女の存在が王国の信仰の柱となっていた。

 オクタヴィアにとって、この晩餐会は王太子妃としての力量を試される重要な場だった。異国出身の彼女が、王国の信仰を理解していることを示さなければならない。

 特に、フォルケン公爵家が教会に多額の寄付を重ね、影響力を示している現状。それを背景にジュスティーヌが存在感を示す中、オクタヴィアは負けるわけにはいかなかった。

「ヴァルミールと王国は一蓮托生の関係にある。私は両国に責任を持つ未来の王妃だ」

 オクタヴィアは自分を鼓舞し、晩餐会に臨んだ。

 

 オクタヴィアの一行は、馬車二台の簡素な行列を組んで移動していた。教会への示威行為と受け取られないための配慮だ。

 移動経路は念入りに検討された。ジュスティーヌを警戒し、彼女たちとは異なるルートを行く方が安全だと判断した。事前に馬車の点検も入念に行われており、不備が見つからなかったことを確認した上での出発だった。

 しかし、完璧な策など存在しない――それを思い知らされる出来事が突如として起きた。

「車輪に不備がございます。大変申し訳ございません」

 先頭の馬車を止めた御者が、恐縮しながら報告する。状況を確認した侍女や従者たちの顔には動揺の色が広がった。

 オクタヴィアは馬車を降り、従者の説明を受けながら、状況を見極めた。馬車の車輪の留め具が緩んでおり、外れかかっている。その損傷は一見軽微で、舗装された道や硬い地面を走る程度では問題がないように思えるものだった。しかし、この湿地帯特有のぬかるんだ地面に差し掛かった途端、車輪が地面に引っ張られる形で負荷がかかり、破損が顕在化した、という。


 ――あまりにも絶妙な破損の仕方ね。どれだけ綿密に整備をしていても、出発前に見抜くのは不可能だったでしょう。


 これほどマイナーな壊れ方を狙うには、高度な計算が必要だ。これが偶然とは考えにくい。ジュスティーヌが背後で手を回している可能性は極めて高い、とオクタヴィアは即座に判断した。

 その推測にたどり着くと同時に、オクタヴィアはすぐに別の策を練り始めた。周囲を見渡したとき、湿地に群生するアイリスの花が目に留まる。それはオクタヴィアにとって、神が自分を見捨てていないと確信させるものだった。

 オクタヴィアは侍女たちに指示を出す。自生するアイリスを摘み集めさせ、手際よくブーケを仕立て上げた。


 一方、晩餐会はすでに始まっていた。王太子妃の不在に、貴族たちはざわつき、誰もが同じ疑念を抱いていた。

「オクタヴィア王太子妃は、この国の信仰を軽んじているのではないか」

 その言葉をあえて口にする者はいなかったが、場の空気には明確な影が落ちていた。

「彼女は必ずここに来ます」

 ノイアスが断言した。普段の彼の穏やかさとは打って変わった、力強さで。それ以上疑念を持つことを許さない、と言外に伝えていた。

 ジュスティーヌはその言葉を受け、控えめに微笑むだけだった。その胸の内では、王太子妃不在の不穏さがどれだけ評判を傷つけるかを計算している。

 

 晩餐会も終わりに近づく頃、会場の扉が開いた。

 オクタヴィアが到着した。紫と青に彩られた、アイリスのブーケを持って。

「遅くなり、大変失礼いたしました」

 遅刻を詫びなからも、必要以上の謙りを見せなかった。オクタヴィアはまっすぐ、聖女の元に向かう。その足取りには遅刻の気まずさなど微塵も感じられない。ただ一つ、場を掌握するために君臨した。

「聖女様。この花を貴女にお捧げいたします」

 オクタヴィアは優雅な微笑を浮かべながら、ブーケを手渡した。

「民の救済に心を砕かれる聖女様に、王太子妃として感謝と敬意を込めて」

 その一言に、会場が息を呑んだ。

 この場にいる者で、聖女の起源神話を知らない者はいない。

 疫病が蔓延った時代に、神の遣いとしてこの地に聖女が降り立った。そのとき、足元にアイリスの花が咲き誇った。この花を使い、調合した薬湯が、この地における初めての薬剤であり、病に苦しむ民を救ったのだ。

 聖女はブーケを受け取り、しばしそれを見つめた後、微笑んだ。

「この花を選んでくださるとは……」

 聖女は言葉を詰まらせる。その瞳には光るものが宿り、震える声で続けた。

「この国の信仰と、民の苦しみを理解してくださるお心が、この一輪一輪に宿っています……これほどの贈り物を、私は他に知りません」

 その声は真摯でありながら、心の底から感動しているのが伝わってきた。聖女は、貴族からの献金や贈与によって、教会内で信徒が堕落しつつある現状を憂いていた。

 会場に漂っていた不穏な空気は一瞬にして消え去り、感嘆の波が広がる。


 晩餐会終了後、オクタヴィアの名声は一段と高まった。誰もが、彼女の行動に気高さと知性を見出したのだ。

「蒼玉の賢妃」――オクタヴィアがそう呼ばれるきっかけとなった出来事だった。

 その一方で、ジュスティーヌは平静を装いながらも、心中では怒りに震えていた。


【第四幕:王太子からの寵愛を巡る戦い】


 王国歴一一八年。

 オクタヴィアが王太子妃となってから、すでに二年が経過していた。その間、彼女は王太子妃に相応しい名声を確立していた。内政における鋭い洞察力と、優雅な立ち振る舞い、臣民からの人気。

 しかし、ある噂がじわじわと後宮を蝕んでいた。

「王太子妃は子どもを作れない体質なのではないか」

 その噂の発信源はフォルケン公爵家。当然、ジュスティーヌのためにオクタヴィアを貶めるための噂。

 オクタヴィアはその噂を耳にするたび、焦燥感を募らせた。世継ぎを生むこと――それが王太子妃としての最重要課題であることを、彼女は誰よりも理解していた。


 一方で、ジュスティーヌもまた、心中穏やかではなかった。この頃彼女が焦っていたのは、自身が子どもを産むこと以上に、ノイアスの愛を得ること。

 側室という立場を覆すには、王太子の愛を自分だけのものにする必要がある。その愛こそが、自分を飾るトロフィーであり、オクタヴィアを貶める最強の武器になる――ジュスティーヌはそう信じていた。

 しかし、その浅はかな思惑は、ノイアスに見抜かれていた。

「ノイアス殿下、私の前ではもっとお寛ぎくださいな。正妃殿下ほど、私は貴方を突き放したりしませんわ。正妃の前では殿下の心が休まらないのでは、とても気がかりで……ふふ」

「お気遣いありがとう。でも雑に扱われてるくらいの方が、自分の立場に驕らず謙虚になれるようでね」

 ノイアスはジュスティーヌに対して側室としての敬意を払いつつも、彼女との信頼関係はついに築くことができなかった。

 ジュスティーヌはノイアスの愛を得られていないと、本能的に察していた。しかしその理由がわからない。自分の家柄、美貌、影響力、何をとってもオクタヴィアと劣るはずがない。にも関わらず、なぜ――その不満の矛先はオクタヴィアに向けられる。「王太子妃としての責務を果たしていない」と揶揄する声が、オクタヴィアの焦燥を焚き付ける。


 ある晩、静かな寝室で、オクタヴィアはとうとうその思いをノイアスに吐露した。

「私は、この国にとって王太子妃としての責務を果たさなければなりません。それなのに……子を授かることができず、皆の期待を裏切っている」

 彼女の声は冷静だったが、その目には確かな不安が滲んでいた。ノイアスは彼女の手を取り、穏やかな声で言った。

「君がどれだけこの国のために努力しているか、僕は誰よりも知っているよ。僕は君を誇りに思っている。世継ぎのことは、焦らないで。君と過ごす時間こそ、僕の何よりの幸せなんだから」

 その言葉に、オクタヴィアは目を見開いた。

 彼の言葉には駆け引きの色がなく、ただ純粋な思いが込められていた。長い間、義務と責務だけを考えてきたオクタヴィアにとって、その言葉は予想外だった。

「これは睦言だと思って聞き流してもらえたらと思うけど……君を独占できるこの時間は、正直、誰にも明け渡したくない。例えそれが僕たちの子どもであっても」

「なっ……」

 聞き流すことなどできなかった。オクタヴィアの顔が熱に染まる。ノイアスは悪戯が成功した少年のような笑みを浮かべている。

 オクタヴィアの心に、波紋が広がった。安堵と高揚を伴って。


 その夜、オクタヴィアはいつもと違う心持ちでノイアスに寄り添った。自分の存在が義務としてではなく、彼にとっての「幸せ」なのだと思えた。そして、それが新たな希望をもたらした。


 王国歴一一九年の春、オクタヴィアは懐妊を告げられた。待ち望んでいた知らせに、王宮全体が歓喜に沸いた。

 そして同年の秋、長男アーサーが無事に誕生する。王国の未来を担う新たな命の誕生は、アヴェレート王国にとって何よりも明るい兆しとなった。

 その裏で、ジュスティーヌは唇を噛みしめていた。その焦りと怒りは、さらなる悪意と憎悪へと繋がる伏線となる。


 王国歴一二二年。アーサーの誕生から三年が経ち、オクタヴィアはますます賢妃としての名声を高めていた。しかしその裏で、後宮には新たな波紋が広がりつつあった。

「ノイアス王太子殿下が側室を軽視されている」

 そうした囁きが、宮廷や貴族たちの間で密かに広がっていた。側室は、王家の血筋を絶やさないための重要な役割を担う存在。文化的にも敬意を払われるべき立場だ。ノイアス自身の血筋を辿れば、かつての先祖の側室に行き着く。このことからも、側室の否定は王国の歴史の否定にあたる。

 そしてフォルケン公爵家の存在も無視できない。ノイアスがジュスティーヌとの接触を避け続ければ、フォルケンを蔑ろにしているとの批判が避けられない。

 ノイアス自身もこれらの批判理由を理解していた。ジュスティーヌとの関係を完全に断ち切ることは、フォルケン公爵家を余計に刺激し、政治的な混乱を招きかねない。またフォルケン公爵家に今以上の政治的影響力を持たせることは好ましくないものの、建国以来の王国文化を支えてきた功績は、ノイアスとしても無視できなかった。

 政局とはいつの時代も、綱渡りだ。

 結果として、彼はやむを得ずジュスティーヌの元へ渡る頻度を増やすこととなった。


 オクタヴィアはその動きを冷静に見守っていた。彼女は側室に払われるべき敬意を理解し、今までも特に感情を揺らすことはなかった。しかし、アーサーを授かったあの夜以来、彼女の心には微かな変化が生じていた。

 ノイアスがジュスティーヌの元に通うたび、胸の奥に小さな痛みが走る。それは嫉妬と呼ぶには複雑で、自己嫌悪と呼ぶには切実だった。オクタヴィア自身も、その感情の正体を理解しきれていなかった。

 一方で、ノイアスもまた苦悩を抱えていた。ジュスティーヌとの夜を重ねるたびに、虚しさで削れていく。愛のない行為が、オクタヴィアに対する後ろめたさを強めていく。


 王国歴一二三年の春、ジュスティーヌが懐妊を発表する。彼女はまるで正室のように、その事実を堂々と周囲に広めた。

「ノイアス殿下は私を心から愛してくださっています」

 ジュスティーヌはそう繰り返し、まるで自分が正室であるかのように振る舞う。その背後では、フォルケン公爵家がさらなる噂を流していた。

「王太子殿下の心はジュスティーヌ様にあり。王太子妃は義務としてそこにいるだけだ」

 その噂は、オクタヴィアの耳にも届いた。彼女は普段通りの優雅な振る舞いを崩さなかったが、自室に戻ったとき、誰にも知られることなく涙を流した。


 ――なぜ、私はこんなにも心が揺れるのだろう。

 

 オクタヴィアは胸の奥を見つめ、自らの心に生じた変化に戸惑っていた。彼女の人生は責務とともにあった。それが最善と信じて疑わなかった。

 しかし今、その無垢な価値観が少しずつ崩れていっている。


 その後、ノイアスがオクタヴィアを以前にも増して情熱的に求めるようになった。まるで、これまでの時間を埋め合わせるように。

「君が僕の腕の中にいるこの瞬間が、僕の生きがいだよ」

 彼の振る舞いは、ただ王太子妃としての義務を果たす相手に対するものではなかった。目を見つめる時間が長くなり、会話の端々に甘えが滲むようになり、夜伽の際には宝物のように優しく触れてくる。

 オクタヴィアはそれを受け入れながらも、胸の内に戸惑いを抱いていた。ノイアスの接し方に、どう対応すべきかわからなかった。その上、「それを嬉しい」と感じる自分がいた。


 ある晩、二人だけの寝室でノイアスがぽつりと口を開いた。

「君だけを求めたいんだ」

 その言葉は驚くほど率直だった。オクタヴィアは手にしていた書簡をそっと脇に置き、ノイアスを見つめた。

「……殿下?」

「君の前では、王太子としての肩書きも責任も全部忘れてしまいたい。ただの一人の男として、君が欲しい」

 ノイアスは静かな口調で続ける。その目に宿るのは、王太子としての威厳ではなく、一人の人間としての真摯な想いだった。

 オクタヴィアの心の奥で、何かが溢れ出した。自分が今まで必死に保ってきた冷静さも、距離感も、その一言で瓦解する。

「……いつの間にか私は……貴方の心が欲しいと思うようになっていました」

 気づけば、涙が頬を伝っていた。それを自覚したときには、すでに感情を抑えることなどできなかった。

 ノイアスは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに優しい微笑を浮かべると、オクタヴィアを抱き寄せた。

「僕の心は、最初から君だけのものだったよ」

 その言葉に、オクタヴィアは顔を上げる。彼の黒い瞳に宿る確信に満ちた光が、嘘ではないと告げていた。

「婚約の愛の逸話……臣民があそこまで熱狂したのは、僕が本当に君に惚れていたからだよ。ただの作り話で、民があそこまで心を揺さぶられることはないだろう?」

 ノイアスは照れたように笑った。

 オクタヴィアはその言葉を反芻し、ふと気づいた。フォルケン公爵家が流す「ノイアスはジュスティーヌに心を寄せている」という噂が、結局はジュスティーヌ目線のものでしかないことを。そして、その噂がどれほど流れても、最終的に臣民が信じたのは、自分たちの「愛の逸話」であったことを――。

 あの夜が真実だったと知ったオクタヴィアの心には、これまで以上に強い確信が宿った。それは、ノイアスへの愛情という名の確信だった。

「愛してる。オクタヴィア」

「私もです、ノイアス様」

 その夜、二人は互いの心をさらけ出し合い、本当の意味で夫婦となった。


 その約一ヶ月後、オクタヴィアは第二子を懐妊していることに気づく。

 新たな命の兆しは、ノイアスとオクタヴィアの間に、さらに深い絆を生む契機となった。そしてその命は、王国にまた一つ、明るい希望をもたらすことになるのだった。


【第五幕:ジュスティーヌのご乱心】


 王国歴一二四年の晩冬。ジュスティーヌの心は、終わりの見えない暗闇に囚われていた。

 オクタヴィアの懐妊が発表された。ジュスティーヌが出産してからわずか数ヶ月後のことだった。自分が身重の間に、ノイアスがオクタヴィアを妊娠させたということだ。

 ジュスティーヌの心は耐えきれないほどの嫉妬と怒りに飲み込まれた。その感情は、彼女が長年築き上げてきた虚勢をも崩壊させた。


 この屈辱を、オクタヴィアを支持する平民が解することはない。ジュスティーヌにはそもそも、平民の支持がなかった。自身の生まれに絶対の自信を持つ彼女は、平民たちに笑顔を見せたり、手を振るようなことは一度もなかった。街の行事や祝賀に顔を出すこともなく、庶民の暮らしを気遣うような振る舞いは皆無だった。

 貴族ですらも、ジュスティーヌに同情を示すのは、フォルケン公爵家の権威にあやかりたい者たちばかり。ジュスティーヌがその立場を利用して、周囲を屈服させてきた過去は、彼女に味方のいない現実を際立たせた。


 ジュスティーヌは、気づかぬうちに孤立を深めていた。その事実に気づいたとき、彼女の胸には憤怒と自己憐憫が渦巻いた。そのプライドの高さが、彼女の心をより孤独に、そして狂気へと掻き立てる。従者や侍女たちもまた、その異様な変化に怯え、彼女を避けるようになっていた。

 ジュスティーヌはオクタヴィアへの憎悪を募らせた。オクタヴィアの堕胎をも画策する考えも浮かんだ。しかしオクタヴィアはジュスティーヌの手口を熟知していた。隙のない防御網を築き、ジュスティーヌが近づくことすらできなかったのだ。

 

 王国歴一二四年、初夏。

 ラグナルの誕生は、王宮に新たな希望をもたらした。王太子夫妻の間に生まれた第二子として、彼の存在は王太子妃オクタヴィアの地位をさらに確固たるものにした。


 それからジュスティーヌは社交界にも出ず、王宮の片隅で孤独に心を病ませ続けていた。ノイアスも最初のうちは彼女を気にかけていたが、日に日に彼女の攻撃性は増すばかり。

 ついには宮廷医師から「王太子殿下と会わせてはならない」と厳命されるに至った。


 そして王国歴一二七年、夏。庭園での悲劇は突如として起きた。

 オクタヴィアは庭園で、貴族たちとお茶会を楽しんでいた。遠くには、ラグナルが乳母に抱かれながら侍女たちと遊ぶ姿が見える。

 その平和な風景の中、ジュスティーヌが現れた。

 珍しく穏やかな微笑を浮かべたジュスティーヌの姿に、侍女たちは一瞬緊張したが、彼女の言葉がその警戒心を和らげた。

「オクタヴィア様とはいろいろありましたけど……こんなに可愛い子を恨むなんてできないわ」

 ジュスティーヌは聖母のような微笑みをラグナルに向ける。そして乳母に優しく声をかけた。

「抱っこしてもいいかしら?」

 その様子に乳母は少し迷った。しかし彼女の穏やかな表情に心を許し、ラグナルを渡した。


 次の瞬間、ジュスティーヌの顔が一変した。鬼の形相となり、ラグナルを抱えたまま庭園の池に向かって駆け出したのだ。

「止めなさい!」

 遠くからその様子を見ていたオクタヴィアは即座に声を上げた。すでにジュスティーヌを警戒していた彼女は、一瞬の迷いもなく席を立ち、護衛と共に駆け出す。

 ジュスティーヌがラグナルを池に投げ落とそうとするその刹那、護衛たちが彼女を取り押さえた。

 オクタヴィアはラグナルを抱きかかえ、彼が無事であることを確認する。そして間髪入れず、ジュスティーヌの頬に平手打ちを食らわせた。裂くような音が庭園に響き渡る。ジュスティーヌの顔が横を向き、彼女は一瞬呆然としたように口を開いた。

 オクタヴィアは一言も発しない。その代わり、肩を激しく上下させながらジュスティーヌを睨みつける。怒り、侮蔑、そして、我が子を守るための揺るぎない決意。

 ジュスティーヌは取り押さえられたまま叫び続ける。

「私が奪われたのよ! あの女が全てを奪ったの!」


 オクタヴィアはラグナルを抱きしめた。そして彼を安全な場所へと急ぎ去った。オクタヴィアの罵声を振り切るように。

 その道中、ラグナルは一言も泣き喚くことなく、ただ強く母の手を握りしめていた。その小さな手の温もりに、オクタヴィアはかけがえのない存在を守り抜いたことを確信した。

 事件の後、ジュスティーヌは「静養」の名目で後宮を追放されることとなった。目撃していた貴族たちの間には緘口令が敷かれたが、どこまでそれが守られることか……。


 ジュスティーヌが後宮を去る前、息子コーネリアスに最後の言葉を残した。

「貴方は、何もしてはならないわ」

 その呪いのような言葉は、後に彼の運命を大きく左右するものとなる。


【エピローグ:次の時代へ】


 ジュスティーヌが後宮を去った後、フォルケン公爵家が見せた態度は意外なものだった。

 公爵家当主は、王家を責めなかった。それどころか、「我が娘が悪い」と公然と認めたことで、逆に貴族社会からは「公爵家の品位を示した」と評価された。

 しかし、当主の腹の底では怒りが煮えたぎっていた。その悪意は、まるで黒い液体がグツグツと音を立てるように蠢き、終わりなき復讐心へと凝縮されていく。外面の穏やかさとは裏腹に、底知れない闇が渦巻いていた。


 ある夜、フォルケン公爵家の広大な書斎にて、当主は息子に向かって厳しい口調で語った。

「王家を内部から操るのではなく、外圧で追い詰める。そのために、まずはこの家の財力を極限まで高める。今度こそこの国の全てを手に入れるのだ」

 彼の声には、ジュスティーヌを失った悔しさと、報復への揺るぎない決意が滲んでいた。その言葉を受けた息子の目にもまた、父と同じく深い決意が宿る。

 この息子こそが、後のフォルケン公爵家の最後の当主となる男だった。


 王国歴一二八年。新たに戴冠したばかりのノイアス王は、王国議会の壇上に立った。厳粛な空気が広間を包む中、彼は貴族たちを見渡した。

「諸侯各位、まずは私をこの場に立たせてくださったことに感謝申し上げます。そして、これからの王国の安定と繁栄を築くために、後宮の制度について新たな方針を提案いたします」

 ノイアスの落ち着いた声が広間に響く。貴族たちの間で軽いざわめきが起きるが、彼はそれを意に介さず、続けた。

「長きにわたり、側室制度は王家の安定を保つ一助として機能してきました。しかし、それが後宮内での争いを生み、ひいては王国全体に不和を招いたこともまた事実です。この教訓を踏まえ、私は制度の見直しを進める決断をしました」

 一部の貴族が神妙な顔つきで頷き、他の者たちが慎重な視線を交わす。

 ノイアスはさらに踏み込んだ言葉を紡ぐ。

「具体的には、側室を迎える条件を厳格化いたします。今後、側室を迎えることができるのは、王妃が後継者を授かることが不可能と判断された場合に限り、その判断には王妃の合意と議会の承認を必須とします」

 静まり返る議場。前列に座るフォルケン公爵の表情は読めないままだった。ノイアスはその様子を捉えながらも、さらなる言葉を続ける。

「また、側室が生んだ子どもの王位継承権についても明文化し、王妃との間に生まれた正統な後継者がいる場合には、継承権を与えないこととします。ただし、すでに正妃オクタヴィアが養子として迎え入れたコーネリアス第二王子に関しては、例外とすることをここに明言します。これにより、後宮内での争いを防ぎ、王位継承の混乱を未然に防ぎます」

 一瞬、議場に緊張が走ったが、続く言葉に貴族たちの表情が変わっていく。

「この改革は、王家の安定のみならず、後宮と王国全体の調和を図るためのものです。過去の苦い経験を繰り返さないために、私たちは今こそ新たな一歩を踏み出さねばなりません。これが次代のために私が下した決断です」

 議場に静寂が戻り、数秒の間を置いてから拍手が湧き上がった。

 フォルケン公爵はじっとノイアスを見据えていた。やがて小さく頷き、拍手に加わった。その仕草に気づいたノイアスの口元に、一瞬だけ安堵の色が浮かぶ。


 この提案が否定されることはなかった。議場にいる誰もが、ある記憶を共有していたからだ。かつてジュスティーヌが引き起こした凶行――それは王宮内では暗黙の了解として、語られることなく封じられていた。しかし、その恐ろしさを知る者にとっては、ノイアスの言葉を否定することなど到底できなかった。

 側室制度がもたらした悲劇を、再び繰り返すわけにはいかない。

 ノイアスの提案が持つ重みは、明文化されない記憶と相まって議場に広がり、貴族たちの心に刻まれていく。その中には、かつて争いの火種となった当事者たちだけでなく、次代を担う者たちへの警鐘として受け止める者も少なくなかった。


 オクタヴィアもこの場に参加していた。彼女もまた息を吐き、微かに頷いた。この瞬間、王家と貴族との間で交わされた暗黙の駆け引きの結果が、新たな秩序として形を成したことを確信した。

 しかし、それが同時に新たな火種を生むことを、まだ誰も知る由もなかった。


 王国歴一三四年。

 十歳になったラグナルは、母であるオクタヴィアの執務室を訪れた。

 小さな体をまっすぐに伸ばし、少し大人びた顔つきの利発な少年。その姿は、すでに未来の王国を支える若者の片鱗を見せている。

「母上、最近フォルケンの影響力がさらに強まっています」

 ラグナルは落ち着いた口調で続けた。

「彼らは、その野心をまだ諦めていないのではないでしょうか。せっかく、私を使ってあの側室を追いやることができたのに……」

 その言葉に、オクタヴィアは微かに眉をひそめた――「私を使って」という言い方が、どこか引っかかる。

「ラグナル、それはどういう意味かしら」

 促すように問いかけると、ラグナルは少し迷いながらも正直に答えた。

「そもそも、私の存在自体が……あの側室を追い落とすための策略だったのではありませんか。コーネリアス兄上と私の年齢が一歳しか違わないのは、そういう意図があったからではないかと……」

 その瞬間、オクタヴィアは思わず声を上げた。

「ラグナル!」

 彼女の厳しい声に、ラグナルは驚いて目を見開く。

 オクタヴィアは強い言葉で続けた。その目を真っ直ぐに見つめながら、一点の曇りもなく。

「貴方は私たちの愛の結晶よ。一度だって貴方をそのように思ったことはない。二度と、そんな悲しいことを口にしてはいけません」

 その声は、母としての厳しい愛情が溢れていた。

 ラグナルは一瞬戸惑いを見せたものの、やがて微笑んだ。

「ありがとうございます、母上。お叱りの言葉も含めて、心に刻みます」

 その表情には、幼い少年らしい無邪気さと共に、深い安堵が混じっていた。

 オクタヴィアは彼の姿を見つめ、少しだけ口元を緩めた。


 王国歴一三五年、春。月日が流れた後宮には、かつての激動の影はほとんど残っていなかった。ノイアスは穏健さと熟慮、オクタヴィアは威厳と知性で知られ、二人の関係は安定した王国の象徴だった。しかし、その背後で、フォルケン公爵家の権勢は依然として強く、政界へも深く浸透しつつあった。

 この状況下で、王家は次代の王妃となる者を慎重に選ぶ必要に迫られた。王家が選んだのは、フォルケンとは無縁の家柄の侯爵令嬢、メレディスだった。物腰は柔らかくも賢明な評判を持つ彼女と、オクタヴィアが後宮で対面した。

「初めまして、メレディス。遠いところをよくいらしてくださいましたね」

 オクタヴィアが微笑むと、メレディスは深々と頭を下げた。

「貴女は後宮に入ることで、多くの試練に直面するでしょう」

 オクタヴィアは静かな声で語りかけた。その言葉に、メレディスは真剣に耳を傾ける。

「そして、それ以上にアーサーや臣民からの期待が重くのしかかるはずです。しかし、覚えておいてください。寵愛とは、ただ受け取るものではなく、己で掴みに行くものです」

 その言葉に、メレディスは一瞬目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。

「貴女のやり方で、アーサーからも、後宮からも、そして臣民からも愛されなさい」

 オクタヴィアの声には静かながらも力強い響きがあった。その言葉に、メレディスは深く頷く。

「はい、オクタヴィア様。そのお言葉、心に刻みます」

 メレディスは穏やかな笑みを浮かべた。その笑顔はまるで優しい日差しのようだったが、その奥には固い意志が秘められていた。

 その姿を見つめながら、オクタヴィアは自らの目が正しかったことを確信した。この若い令嬢には、次代の王国を支える覚悟と力が備わっている。

「どうか、貴女のやり方で後宮を築いてください。そして、アーサーを支えてあげて」

 メレディスは一礼し、堂々とした姿でその場を後にした。その後ろ姿を見送りながら、オクタヴィアは未来を思い描く。


 王国の歴史は常に変化を伴う。しかし、この若い女性に未来を託せる――その確信が、オクタヴィアの胸に新たな希望を灯した。

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セレーネたちの話で「愛の逸話」が超純愛っぽく描かれてたのに この裏側なの鳥肌立ちました ラグナル生きてて良かった
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