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挿話:侍女の目で見る拗らせ女

【①誕生日後の拗らせ女】


 アデルは部屋の隅に飾られた、タチアオイの花束を見つめていた。ラグナルから贈られた、二十七歳の誕生日プレゼント。この花束に目を向けることが、最近のアデルの癖だった。

 そしてそんなアデルを見つめるのは、侍女のケリーだった。

 ケリーの視線に気づいたのか、アデルが振り返る。「何?」と、アデルは声をひっそりと上げた。

 ケリーは肩をすくめて微笑んだ。

「何でもありません、お嬢様。ただ、あまりに美しい花束でしたから」

「……そう? それならいいわ」

 アデルはすぐに顔を背け、花束をもう一度じっと見つめた。その視線は微妙に泳いでいた。

 ケリーは何も言わず、その場で黙って見守っていた。アデルは明らかに動揺している。それを、彼女に長年仕える侍女として見逃すはずがない。

「……タチアオイって、薬用になるのよね」

 アデルが急に早口で言い始めた。

「そう、薬用として……東部の教会でも生産されていたわ。ただうちの領地ではそれを転用するノウハウがなくて。だって、教会は薬学を独占してるでしょ? どうにかしたいんだけど……でも見込みもないのに教会を敵に回すのも……」

 ケリーはその言葉を聞いて、内心でため息をつく。


 ――お嬢様。ごまかすならもう少しマシにやってください。政治の話を花束に結びつけるの、無理がありますって。


 しかし、アデルは一方的に自分の言葉を続けた。

「でも、そうなるとやっぱり、アレよね。タチアオイは美しいだけでなく、医療にも使えるってすごいわ。わが領地にも転用できるよう、研究してみたいわ」

 ケリーは心の中で絶望を感じていた。その時。

「この花束って本当に素敵ね」

 アデルが、素直に花束への気持ちを表した。

「ラグナル殿下が選んでくれたって思うと、心が温かくなるわ」

 ケリーは一瞬、驚きの表情を浮かべたが、それをすぐに隠す。

 

 ――そうそう、素直にそう言えばいいのです、お嬢様。


 ケリーは無表情を貫くが、自然に瞳が優しくなる。

 そんなケリーに気づかないのか、アデルはまた話を続ける。

「でも、よく考えてみると、鑑賞用としても、薬草としても優れているなんて、ラグナル殿下って実に目利きだわ。これはカレスト公爵領に、この花の栽培や研究を期待しているという意図なのかしら」


 ――そんな意図ないですから、ラグナル殿下にはただ花を送ってもらっただけですから!

 

 悲しくも、ケリーのツッコミはアデルに届かない。

 その後も、アデルは次々と話を進め、最終的にはタチアオイの栽培方法や転用に関する政治的・経済的な視点を語り出す。

 ケリーはその勢いに呆れながらも、黙って聞き続けるのであった。


【②お茶会の拗らせ女】

 

 ケリーは壁際に立ちながら、アデルとラグナルの会話に耳を澄ませていた。部屋の中には、薬草茶と共に、ふわりと漂う穏やかな空気があった。二人のやり取りは、まるで心地よい調和を奏でるかのようで、どこか甘く、ちょっとだけ照れくさい雰囲気が漂っている


 ――ああ、これ……キてる……!


 ラグナルが時折アデルに微笑みながら、甘酸っぱく揶揄う。そのたびに、アデルは一瞬戸惑い、慣れない反応をする。アデルは理性的に繕っているものの、内心で慌てているだろう、とケリーは確信し、口角がムズムズしてくる。

 けれども、ケリーはあくまで表情を崩さず、ただその場を見守る。そんな最中、ラグナルの攻勢に耐えかねたのか、アデルが急に真剣な顔になる。

 

「ラグナル殿下、この薬草茶で使用しているスフィリナは、まだまだ研究の余地のある夢の薬草です。ただ我が領地には薬学知識のある人材に乏しく、なかなか研究が進んでおりませんの。研究投資資金も、スフィリナも潤沢に揃っているのに人材だけが足りていないのですわ。そこでどうでしょう、王家と共同で研究するというのは……」


 ――お、お嬢様、今この甘酸っぱい空気の中でそれを言うのは……悪手です……!


 ケリーは思わず顔を青くした。

 アデルが必死に政治的な提案を持ち出すその瞬間、ケリーは心の中で何度も叫んでいた。二人の微妙な雰囲気の中で、いきなりそんな提案をするのは、今の状況には不釣り合いだ。男女の仲を盾にした政治交渉と見られなくもない。ラグナルの反応次第では、全てが台無しになりかねない。

 

 しかし、ラグナルは微笑みながら、すぐに冷静に答えた。

「アデル嬢との提携事業が増えるのは、こちらも大歓迎なんですけどね。ただ、王家も薬学人材は抱えていなくて。教会が独占してますから。今の聖女は急進的な知の解放派だから、彼女を支援すればあるいは……しかしせっかく政教分離が進んだのにここで揺り戻しするようなことは……あぁ、だが、今の教会動向なら、別の可能性はなくもないな」

 

 ――すごい……! 本当に冷静に政治のことを整理してくれるなんて!


 アデルの拗らせに対して真正面から受け止めてくれたラグナルに、ケリーは内心で拍手喝采した。

「心配せずとも、貴女の課題は近々解決する糸口が見つかりますよ」

 そしてティーカップを置いた後、改めてラグナルはアデルに向き直る。

「これほど領地領民に心を寄せている。貴女は本当に理想的な領主だ」

 ラグナルは心底嬉しそうに微笑んだ。


 ――懐が深すぎます、王弟殿下。


 ケリーは内心で、感嘆と呆れが混ざった声を上げた。

 一方、ラグナルの言葉に、アデルは満足そうに微笑んだ。その顔には、確かな安心感と共に、少しの誇らしさが浮かんでいる。

 ケリーはその姿を見守りながら、再びため息をついた。

 

 ――どうしてこう、政治の話をしたかと思えば、途端に幸せそうに笑顔が浮かぶんですか……。


 ケリーはただ黙ってその場に立ち尽くし、アデルとラグナルのやり取りを何とも言えない気持ちで見守っていた。


【③従妹と拗らせ女】


 ケリーは、アデルとロザリンドのために薬草茶とお菓子を整えた。

「お茶をお持ちしました、ロザリンド様、お嬢様」

 ケリーが声をかけると、アデルが微笑んでうなずき、ロザリンドもまた優雅に席につく。ケリーはそのまま部屋の端に控えめに立ち、二人の会話に耳を傾ける。二人の言葉が交わる中で、ケリーの目はいつものように、アデルの微妙な反応に注がれていた。

 ロザリンドが雑談の口火を切る。

「ねえ、最近の領地はどう?」

「順調よ。改革も少しずつ実を結んできているわ」

 ロザリンドは一瞬、軽く首をかしげてから、急に声を落とし、目を細めた。

「まあ、さすがね。でも、そういう話じゃなくて――ラグナル殿下のこと」


 ――ロザリンド様が仕掛けてきたわね。


 戦いの火蓋が切って落とされた。

 ロザリンドの言葉に、アデルの手元がわずかに止まった。ケリーはその瞬間を見逃さなかった。アデルがどれだけ冷静に振る舞っていても、その仕草に浮かぶ微かな戸惑いが、ケリーにはすぐにわかる。

「何のことかしら」

 アデルは努めて平静を装い、すぐに茶を口に運ぶ。しかしアデルの理知的な外面が、ロザリンドの直球を受けて少し動揺している。

「隠しても無駄よ。サロンで噂を聞いたの。殿下が、あなたの領地に随分長く滞在されたって」

「大袈裟だわ。それに、公務の一環よ。国の未来を考える大切な交渉だったわ」


 ――お嬢様、ここまでは平然と切り返しているけど、いつまで続くかしら。

 

 ケリーは心の中で思わずため息をつく。ロザリンドの鋭い指摘に、アデルにジワジワと焦りが滲んでいるのを、ケリーは見逃さなかった。

「ふーん、でもね。お忙しい王族の方がそんなに長く滞在するなんて珍しいことじゃなくて?」


 ――さすがです、ロザリンド様。おっしゃる通りでございます。


 ケリーは先日のラグナルの訪問を思い出していた。お茶会で解散する予定が、あれよあれよと自然に宿泊する流れとなったのだ。貴族同士の交渉成功後にはよくあることだ。しかしあの時の二人は、示し合わせたかのように予定の延長を決めた。もしかして手紙のやり取りの中で、その時のための台本でも書いていたのだろうか? と思わざるを得ないほどに。

 もしもあの場にロザリンドがいたら、それはもう楽しく眺めていたに違いない。


「ロザリンド、あなたの想像力には感心するわ」

「何もないって顔ね。でも、まあいいわ」

 ロザリンドが軽く肩をすくめ、茶を口にしながら笑う。

「その冷静さ、まるで元から準備していたみたいね?」

 

 ――ロザリンド様、これは手厳しい。さすがの鋭さでございます。


 アデルは過去何度か、男女の噂を流されたことがあった。その度に「なぜ私の領地より発展してない領地の者を選ぶと思うのかしら、私に何のメリットがあるのよ」「そんな噂する暇があるなら民の生活の視察にでも行けば良いのに、だからパッとしない領地が多いのよ」と、拗らせ最高潮な反応でブツクサと文句を言っていた。

 そんなアデルが冷静に毅然としている……それ自体が、今まで見たことない反応なのだった。

(ちなみにアデルの領地より明確に発展している領地など、南部地域の王家直轄領くらいしかないことを、ケリーは知らなかった。知っていれば「これまでの拗らせは伏線だったの!? ……キてる!」となっていただろう)


「それは当然でしょう」

 アデルはティーカップをソーサーの上に戻した。

「今までの経験から、男女の噂が流れることくらいわかっていたわ。だけど今回は王族よ。今までなら無碍に否定したって問題ない、取るに足らない相手ばかりだったけど、今回は否定するにしても気を使うわ。どう攻められたとしても冷静に毅然と、それでいて失礼のないように否定できなければ、下手したら私が不敬罪で逮捕よ。それに王弟殿下との円満な関係は自領だけでなく国内全体の発展に直結するわ。王家が描く『千年の団結』を実現するロールモデルとして範を示せれば、他領も追随するでしょうね。その時に、カレスト公爵領にとって有利な仕組みを組み込もうと思っているの。他領が真似すればするほど、カレスト公爵領の利益が上がる仕組みを――」

 アデルはめちゃくちゃ早口になっていた。

「アデル、政治的な見解で誤魔化そうったって無駄よ。不自然すぎるわ」


 ――ロザリンド様、もっと言ってやってください。王弟殿下の前でもこれなんですよ。


 この時ばかりは、ケリーはロザリンドを心から応援するのであった。


【④不良化する拗らせ女】


「あの、狸ジジイ!」

 応接室からつんざくような暴言が聞こえてきて、外で待機していた執事とケリーは思わず目を見合わせた。普段なら一大事のはずなのに、何故か二人ともその瞬間を過ぎると、あっさりとした表情に戻った。二人には耐性がついていた。

 最近のアデルは不良化していた。夜遅くにラグナルと二人きりになるわ、他領の領主を「狸」と呼び捨てにするわ――そして今、この暴言である。もはやツッコミどころがありすぎて、ケリーもどこから手をつけていいのか分からない。

 

 ――お嬢様が不良になられてしまった……遅く来た反抗期なのかしら……。


 ケリーは軽くため息をつく。いくらストレスを溜めているからとはいえ、もう少し言葉を選んだ方がいいんじゃないか、と。

 隣の執事と目を合わせると、執事は深いため息をついて肩をすくめた。その仕草から「お目溢ししてあげよう」と言いたい気持ちが手に取るようにわかる。アデルの不良化は、公務に忙殺されているせいだとわかっているからだ。その表情にケリーも無言で返す。「そうですね」という意を込めて、ちょっとだけ微笑んでみたが、苦笑いになってしまった。


 執事は最近、アデルの不良化――特にラグナルとの関係――を心配していた。確かに、アデルとラグナルが、二人で国政に影響を与える重要な話をしているのは理解している。しかし、あまりにも人払いしすぎるのはどうなのか。何かといえば「公務」と言いながら、二人きりで会う時間が増えていることに、執事はいかがなものかと苦言を呈している。


 そして執事は気づいていないようだったが、同性であるケリーはよくわかっていた。部屋から出るとき、アデルがなんとなく「ツヤツヤしている」ことがある。それを見て、ケリーは毎回「男女のお時間でしたね」と内心で納得するしかないのだ。さすがにそれを他の人に言うわけにはいかないので、胸にしまっておくしかない。


 今、ケリーはひたすらアデルの暴言に驚きつつも、どうにも冷静であろうと努めている。アデルがこんな風に狸呼ばわりをしているのを見るのは、もはや日常だ。彼女が理性を欠いた暴言を吐くたびに、少しだけ心の中で笑ってしまう。


 ――狸ジジイって、ほんとにひどいわね。


 しかしそんなアデルのささくれ立った心も、あの懐の深い王弟殿下が慰めてくれているだろう。どうぞお嬢様をよろしくお願いします、ただし良識の範囲内で――と、ケリーは扉の向こうにそっと祈るのだった。


【⑤愛される拗らせ女】


 夜も深まった頃。アデルの屋敷の前に、足音を響かせながら一人の男性が現れた。その男は、アデルの親しい友人――恋人?――である、王弟ラグナルだった。近所とは言え馬車も使わず、徒歩で訪れるとはいささか異常だ。しかも、護衛は最小限の人数で、まるで他人に見られることを恐れていないかのように見える。

 執事がその姿を見て、驚きの表情を浮かべた。

「ラグナル殿下、この時間にお越し頂くのは少し……」

 執事は礼儀正しく言葉を濁す。最近、アデルはラグナルと二人きりにならないように注意(意地悪)していた。その意を汲んでのことだった。

 ラグナルはそのまま穏やかに、そして決然とした口調で言った。

「彼女にプロポーズしたいんだ」

 その言葉に、執事は完全に言葉を失った。目を見開いたまま数瞬の間が過ぎる。


 ケリーはその一部始終を、後ろから見守っていた。

「まだお嬢様は起きていらっしゃいます。そのご用件なら、お通しすべきかと」

 ケリーは迷いなく執事に声をかけた。その言葉を聞いて、執事はようやく我に返った。少し躊躇した後に、意を決したように頷いた。

「ご案内いたします、アデル様にはご内密で」

 執事はラグナルに向かって歩み寄り、館内へと通す。ケリーもまた、その後ろ姿に目を凝らした。


 あの日から、十一年の月日が流れた。婚約破棄の日から、アデルがどれだけ傷つき、どれだけ心を閉ざしてきたかを、ケリーは知っている。しかし、今こうして、ラグナルがその全てを抱きしめようとしてくれている。

 アデルの従者たちは皆、いつかこの日が来ることを夢見ていた。アデルが再び、女性としての幸せを手に入れる日が来ることを。ラグナルは、その幸せを与えてくれる人だと、ケリーは確信している。

 アデルはラグナルからも、従者たちからも、心から愛されている。なのにそのことを素直に受け取ることができない。そんな拗らせた主君を、ケリーは誇りに思う。


 ラグナルの後ろ姿を見送りながら、ケリーはその場に立ち尽くし、深く息を吸い込んだ。もうすぐ、アデルのもとに最も大切な瞬間が訪れるのだと、確信していた。

ケリーの目には、アデルは「おもしれー女」として写っている。

次の章は幕間になります。ちょっと変則的な、味変のような章です。

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