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第四話:友人宣言

【園遊会で花開くもの】


 その日の王城の中庭では、夏の園遊会が行われていた。

 季節の花が色とりどりに咲き誇るこの中庭は、王都の名所の一つだ。普段から貴族たちにむけて開放され、王都民にとっては定番の憩いの場となっている。

 しかし今日は木陰やパラソルの下に、見目麗しい軽食が用意され、貴族たちがカジュアルに交流していた。

 主催者である王族たちも、挨拶や雑談で忙しなくもてなしている。


 アデルも国王夫妻やその子ども達と挨拶を済ませた。そしてもう一人の王族――ラグナルは、やや離れた場所で、すっかり女性たちに囲まれていた。


 ――あの光景を見るのも、久しぶりね。


 アデルは苦笑する。ラグナルが隣国へ旅立つ前から、その女性人気は不動だった。ただ不思議なことに、これまで彼が誰かに靡いた様子はなく、いつも女性たちを適度にあしらっていた。

 それは今も変わらないようであり、ラグナルは特定の一人と話し込むこともなく、器用にかわしていく。

 視線の先でラグナルが令嬢にグラスを手渡され、それを礼儀正しく受け取る――その所作が妙に絵になる。令嬢たちが一斉に頬を染める様子を見て、アデルの脳裏に過去の一幕が蘇った。


 それは、ラグナルが王都を発つ直前の舞踏会。

 一曲踊り終えるたび、別の令嬢が彼の腕を取っていく。あまりに引く手あまたで、曲と曲の間に一歩も休めないほどだった。

 ついには、休憩のためにバルコニーへ逃げたラグナルを、今度は既婚貴婦人と未婚令嬢が両脇から挟み、お茶を注ぎ合戦まで始めた。

 極めつけは――廊下の片隅で「殿下のための花占い大会」が勝手に開催されたことだ。殿下の好みを当てるだの、次の踊りの相手を占うだのと、まるで戦場の陣取り合戦のような有様だった。

 その興奮の中で誰かが叫んだ、「ラグナル殿下はアヴェレート王国女性全員の旦那ですわぁ!!」という迷言は、すっかり廃れた側室制度の復活を企図しているのかと物議を醸した。


 ――あの時、護衛たちが“人払い”ではなく“人寄せ止め”として機能していたのを、私は初めて見たわ。


 アデルは遠い目をしながら、過去に思いを馳せた。


 ふと、アデルの近くの貴婦人たちが、小声で囁き合っていた。その声がアデルの耳に入り、現実に意識を戻す。

「ラグナル王弟殿下、相変わらず身持ちがお堅いようですわねぇ」

「ええ、本当に。隣国でもあの様子だったと、旦那から聞きましたわ」

「あれだけの良い男が誰にも靡かないなんて、不思議ですわぁ」

「ラグナル殿下はよほど理想が高いのではないかしらね」


 そんな会話が耳に入ってきたが、そのタイミングで、アデルが別の貴族に声を掛けられた。同じ公爵位を持つ、政界の重鎮だ。

「カレスト公爵、ご無沙汰しております。お元気でしたか」

「これはこれは、わざわざご挨拶いただきありがとうございます」

 そうしてアデルの思考は切り替わり、政治家同士の情報交換が始まった。農作物の生育状況や、国境の治安、領地間の人材交流の可能性など、互いの話題は尽きない。


 そのアデルの様子を、先ほどのおしゃべりな貴婦人たちが眺めていた。

「……見目が良くて、高い地位を持ち、とっても身持ちの堅い女性――なんだか聞いたことのある話ですわねぇ?」

「ええ、とっても――似た者同士ですわね?」

 貴婦人たちが好奇の目を向けて、アデルとラグナルを見比べながら続けた。

 アデルは女性貴族たちの間で、別格の存在として認知されていた。何せ、王国史上初の女性公爵であり、国内随一の名領主である。

 そもそも一般的な女性貴族は、政治・経済の教育をあまり受けない。それよりも社交術や詩、刺繍、その他の教養全般など、女性らしい振る舞いや嗜みのトレーニングが優先される。

 そうした社会背景のもと、政治家として卓越した実績を残しているアデルは、女性貴族からの畏敬を集めていた。

「……若い娘がラグナル殿下の隣に座るのは、身の程を知りなさいと言いたくなりますが、彼女なら――認めざるを得ませんわぁ」

「あらあら。かつてはラグナル殿下を追っかけていらっしゃった貴女が、まさかそんなことを言うなんて。年月は人を変えますわね」

 クスクスと、貴婦人たちの優雅で悪戯めいた笑い声が上がる。アデルの関与しないところで、噂は勝手に花開いていた。


 こうして園遊会は、穏やかに過ぎていく。

 その日、アデルとラグナルが交流することはなかった。ただ一瞬、視線が交錯したのみで、それは誰にも気付かれなかった。


【新たな友人】


 園遊会から数日後。王都の門を出てしばらく行った、街道沿いの小高い丘。広がる景色は朝の夏の陽光に照らされ、柔らかな風が草木を揺らしていた。

 そんな中、ひとつの馬車が足を止める。丘の上の木陰で、高貴な御仁の姿を捉えたからだ。

 馬車の扉が静かに開き、アデル・カレスト公爵が姿を現す。朝日を背にして、彼女の姿はどこか神々しく、そして堂々としていた。

「お見送りとは、恐れ入りますわね、ラグナル王弟殿下」

 アデルはどこか呆れた調子で言う。まさか領地へ発つ前に、再び彼と顔を合わせることになるとは思ってもみなかったのだ。

 ラグナル・アヴェレートが、黒馬にまたがり、その背後には少数の護衛だけを従えていた。

 ラグナルが馬から降りてくる。そして軽く肩をすくめ、アデルにむけて柔らかく笑った。

「見送りたくなったのです。非公式なものですが、お許しください」

「……それはわざわざどうも」

 アデルは困ったように小さくため息をつく。しかしその顔は、まんざらでもなさそうだった。ラグナルはアデルに向き直り、真摯な瞳で見つめる。

「領地に戻られても、また、貴女のお知恵をお借りしたい。……いえ、それだけではありません」

 アデルが少し目を見開く。ラグナルは言葉を続けた。


「もっと単純に、貴女とお話したいと思っております」


 夏の風が、アデルの髪を撫でながら、心地よく通り過ぎてゆく。

 ラグナルの真っ直ぐな言葉に、アデルは目をそらしそうになるが、どうにか堪えた。少し居心地が悪そうに、軽く肩をすくめて見せる。

「世慣れしていない若い令嬢なら、うっかり恋に落ちてしまうところですわね」

 そう言いながら、アデルは内心で苦笑する。柔らかな空気をまとい、真っ直ぐな目で語りかけるこの王国紳士に、ご令嬢たちは夢中になる。その理由が、アデルにはよく分かった。けれども、アデルはあくまで公爵として、己の矜持を保った。

「光栄でございます、ラグナル王弟殿下」

 アデルは一歩近づき、淡く微笑んだ。

「我が領地は、スフィリナを使った薬草茶の名産地でもあります。……ぜひ、お茶を飲みにいらしてください。お待ちしておりますわ」

 その言葉に、ラグナルの目元が優しく綻んだ。アデルの柔らかい誘いは、彼女なりの友誼の証である。

「それは楽しみですね。では、次にお会いするときは――友人として」

 ラグナルが手を差し出す。アデルは目を丸くしたが、すぐにその意図を察した。


 ――その関係になることが、こんなにも腑に落ちるなんて。


 アデルは優雅な所作で手を取り、握手に応じる。握手はごく礼儀正しく、形式的なもの。しかし、彼の指先にわずかに籠った重みが、アデルの注意を微かに引いた。ただしそれも、すぐに意識の表層から消えた。

「こんなに特別扱いされてしまってよろしいのかしら」

 あのラグナルが、誰かに、それも女性にここまでの親しみを示すなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。アデルはそれが自分に向けられていることに、小さな苦笑を漏らす。しかしその笑みには、心地よい穏やかさが漂っていた。

 握手を交わしながら、ラグナルは彼女を見つめ、微かに頷いた。

「それだけの価値が、貴女にはあります」

 アデルはその言葉を否定せず、ただ静かにラグナルを見つめ返した。


「それでは道中、お気をつけて」

 どちらからともなく、互いの手が離された。自身の手に残る余韻が、いよいよ別れの刻だと、アデルに囁いてくる。

「ラグナル様も、あまり自由に動き回りすぎないよう」

 アデルなりの親しみを込めた皮肉に、ラグナルは少年のように笑った。


 アデルはラグナルを振り返りながら、ゆっくりと馬車へと乗り込んだ。そして馬車が動き出す。アデルは馬車の中で、思いを巡らせた。

 新たな友人。感謝と、信頼と、そして親愛――その一つひとつの感情を、アデルは花びらを数えるように、確かめる。胸の内に生じた温かさを噛み締めて、アデルは一人、笑みを隠せずにいた。


 馬車が、北方に向かっていく。その後ろ姿が地平の彼方に消えるまで、ラグナルはその場所を動かなかった。

 ラグナルは、アデルと握手した右手に目を落とした。風が穏やかに吹き抜けると、彼は小さく呟く。

「次に会う日が、待ち遠しいですね……アデル嬢」

 その言葉は彼自身に向けたものであり、夏の陽射しの中でそっと消えていった。

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