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第十二話:男女の睦言は朝日の下で

【あなたの隣で目覚める朝】


 鳥の囀りが、夜明けを告げた。

 王城の最上階近くに位置する、ラグナルの私室。磨き上げられた白い石の壁が、朝焼けに染まる。窓の外には、まだ目を覚ましきらない王都が広がっていた。

 アデルは柔らかいリネンの感触に包まれながら、ゆっくりと目を開けた。視界に映ったのは、ラグナルの微笑みだった。その青い瞳が、アデルをじっと見つめている。まるでこの瞬間を目に焼き付けるかのようだ。

「おはよう、アデル。よく眠れたかい?」

 低く優しい声が、静かな朝を満たした。

 アデルは昨夜の出来事を思い出し、頬が熱くなる。どうにか平静を装い、努めて冷静な声で答える。

「ええ、よく眠れたわ。貴方が隣にいると、不思議と安心できるのよね」

 彼女の言葉に、ラグナルはさらに微笑みを深めた。

「それは光栄だね。僕は君が隣にいると、つい夜更かししたくなってしまうよ」

「もう朝なのに、そんな軽口を叩くの?」

 アデルは呆れたように眉を上げる。しかし、口元が緩むのを止められなかった。

「君が隣にいる朝だからこそ、だよ」

 彼の声音に砂糖が溶けたようだった。アデルは、それに抗えない。

 自分の表情を隠すように、アデルはラグナルの胸に顔を埋めた。ラグナルはそれを受け入れる。そしてアデルを抱きしめながら、髪を梳いた。


 窓の外の朝日が、白くなってきた。

 アデルはラグナルの胸元から離れ、そっと身体を起こす。ベッドサイドにかかるドレープ越しに朝日を眺めた。

 昨夜のパーティの喧騒を思い出しながら、彼女は口を開いた。

「パーティに至るまで、大変だったでしょう」

 サプライズ発表された王太子レオンと、セレーネ嬢の婚約。

 当初、貴族がセレーネに向ける目は厳しいものだった。ルーシェ公爵の差し金とはいえ、少し前までラグナルに迫っていたこと。「節操がない」と厳しくも真っ当な、非難の声が上がった。

 しかし、あるたった一つのアイテムが、盤面を黒から白へ変えるように全てを覆した。一転して、二人は暖かい大歓迎を受けたのだ。


 アデルはその様子を見て、真っ先に思い当たったことがあった――なんとラグナルらしい手口だ、と。

 あれだけの逆境を塗り替える、魔法のような筋書きは、年若いレオンやセレーネには不可能だ。ラグナルが可愛い甥っ子とその恋人のために一肌脱いだのだろう。

 そして彼がこうした策略をする時に、目的が一つのはずがない。数多ある目的の一つに、アデルの怒りの原因を取り除くこともあったと思われた。

 それを理解し、アデルはラグナルへの愛しさと、「ちょっと可哀想なことをしたな」という申し訳なさが込み上げた。

 しかしアデルの立場では謝ることができない。彼の策略を上塗りする形で、地域間関税無税という国策を飲ませてしまった。その正当性を否定することは言えなかった。

 だからせめて、ラグナルを労いたかった。


 そんなアデルの複雑な心境を知ってか知らずか、ラグナルは優しい笑みを浮かべている。

「そうだね。でも、君が最後に僕の隣で微笑んでくれたから、すべて報われたよ」

 さらりと放たれた甘い言葉に、アデルは一瞬息を呑んだ。次いで、視線を逸らしながら軽くため息をつく。

「もう、本当よく次から次へとそんな言葉が出てくるわね」

「本心だからね」

 ラグナルの声は優しい。その視線を真正面から受け止めるのが恥ずかしくなり、アデルは「またそうやって……」と小さく呟く。

 ラグナルとの接見を連日拒否したり、過剰な政治要求をしたり――アデルはラグナルの愛を試した。それらを「過ぎたこと」として水に流すラグナルの度量に、アデルはついぞ敵わない。そしてそれだけの愛を向けられていることに、気付かずにはいられない。


 アデルはラグナルの手に、そっと自分の手を重ねた。

 ラグナルはその手を捕まえる。そしてゆっくりと身体を起こし、彼女に寄り添うようにして座り直した。そのまま、アデルの頬にもう片方の手を添え、微笑む。

「君の顔を見ていると、時間を忘れそうになるよ」

「それは、ただの暇つぶしでしょう?」

 アデルは眉根を寄せて呆れたように言う。

 ラグナルの手が、頬、首、胸、腰へと降りていく。彼の指先が触れるたびに体が熱を帯びていくのを感じていた。

「こんな贅沢な暇つぶしはないね」

 ラグナルが真顔で答えると、アデルは思わずため息をつく。

「本当に油断ならないわね……」


 次の瞬間、彼はアデルを引き寄せ、唇にキスを落とした。アデルの胸が一瞬にして高鳴り、言葉が出なくなる。軽く触れるだけだったものが、やがて深く甘いものへと変わっていった。それに気づき、アデルは少し身を引こうとするが、ラグナルに捕まえられてしまう。アデルの小さな抵抗虚しく、彼女もまたその甘やかな時間に身を任せる。ラグナルはアデルを再び寝台へ押し倒し、アデルもそのまま彼を受け止めた。

 キスの雨はやまない。

「もう、まだ満足しないの?」

 彼女はようやく息を整えながら彼の肩を押すが、ラグナルは少しも動じる様子を見せない。上から覗き込む青い瞳がアデルを捉えて離さない。

「ちょっと前に、ずっとお預けされていたからね。まだ乾きが癒えない」

「おかげでこっちが干上がりそうよ、貴方のキスで」

 アデルは苦笑する。そのくせ、拒むことはしない。

「僕のせいじゃないよ。君が綺麗すぎるのがいけない」

「そうやって、すぐ誤魔化すんだから……」

 アデルの声は呆れと愛しさが交じり合っていた。けれど彼女もまた、もう一度キスを受け入れてしまう。


 キスの合間、アデルはふと小さく呟いた。

「こんなに愛されるのって、慣れないわね……」

 その言葉にラグナルは目を丸くする。しかしすぐに微笑を浮かべた。彼は彼女の手をそっと取り、まっすぐに瞳を見つめた。

「じゃあ、これから慣れていけばいい。僕が何度でも証明するから」

「証明って、大袈裟ね」

 アデルは照れ隠しに笑って答えるが、その心臓は先ほどからずっと高鳴りっぱなしだった。ラグナルの言葉に込められた愛情の深さに、胸がいっぱいになる。

「じゃあ私も証明するわ。貴方への愛が変わらないことを」

 アデルの言葉に、ラグナルは破顔する。

 彼が再び唇を寄せてきた時、アデルはもう何も考えられなかった。


「そろそろ朝食の時間よ」

 アデルがようやく理性を取り戻して言う。しかしラグナルはアデルに覆い被さりながら、軽く首を振る。

「もう少し、こうしていよう」

「本当に子どもみたいね」

 彼女は笑いながら呆れたように言ったが、その声には愛しさが滲んでいた。ラグナルの腕に抱かれながら、アデルはラグナルの黒髪を慈しむように撫でる。

「僕は君の前でだけ、甘えていたいんだよ」

 その言葉に、アデルは胸の奥が再び温かくなる。ため息をつきながらも、彼の背に手を回した。


「いい加減、昼になるわよ」

 寝台の上で、アデルが窓の外の高くなった太陽を見上げながら言うと、ラグナルは彼女を腕の中に引き寄せて微笑む。

「じゃあ、昼になってから行こう」

「ふざけないで。王城の人たちにどう思われると思ってるの?」

 アデルが抗議するが、ラグナルは全く悪びれず、さらりと言い放つ。

「僕が君を手放さないと思われるんじゃないかな?」

 その言葉にアデルは返す間もなく再びキスをされ、ついに抵抗を諦めた。

「もう、完全に私の負けだわ」

 アデルの諦め顔には、それでいて慈愛が滲む。ラグナルは嬉しそうに、彼女の肩に自分の頭を預けた。


 そして結局、その日は昼を過ぎても、アデルはラグナルの部屋を出られなかった。

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