第十一話:恋仲
【決意】
誕生日パーティのその後のこと。ラグナルは「後は皆さんでお楽しみください」と、早々に帰宅した。主役アデルを差し置いて、自分が脚光を浴びないための配慮だった。
しかしそれが却って貴族たちを焚き付けた。「閣下、あれは実質プロポーズですよ!?」「どうか公式として公認してください!」と、大騒ぎになった。
そんな一幕を終え、アデルも帰宅。執務室に一人、放心するように佇んでいると、不意に扉が微かに軋む音が届いた。
アデルが顔を上げる。そこに立っていたのは――ラグナルだった。
「まったく……この屋敷の使用人たちは一体誰の味方なのかしら」
アデルは呆れて肩をすくめた。ラグナルは部屋へと足を踏み入れ、アデルの前に来た。
「心配しなくても、彼らの忠誠心は揺るぎないよ。ただ少しだけ、僕に協力してもらっただけ」
アデルはため息をつき、手にしていた書類を机の上に置く。するとラグナルが小さな箱を差し出した。
「これは?」
「開けてみて」
アデルは箱を受け取り、躊躇いながらも蓋を開く。そこには見事なロイヤルサファイア――サファイアの中でも最上品質のもの――をあしらったネックレスが横たわっている。まるで、ラグナルの瞳の色をそのまま閉じ込めたかのような。
「……ラグナル」
名前を呼ぶ声は、無意識に震えていた。
「アデル嬢。お慕いしております」
あまりにもシンプルな一言は、しかし重く響く。これほど単純な言葉を、彼から聞く日が来るとは思わなかった。
「どうして、私なの……?」
その言葉は、自嘲に似た響きを帯びていた。視線を落とし、アデルは続ける。
「私は若くもないし、かわいげもない。エリオノーラ姫と比べて、良い条件の女ではないわ」
アデルはとっくの昔に、覚悟を決めていた。自身の人生の先に、普通の女の幸せはないものだと。その覚悟とともに育まれてきたコンプレックスは、アデルの女公爵としての実績が積まれるにつれて、より深い地中へと根を張り巡らせてきた。
ラグナルは苦笑し、ゆっくりと首を振る。
「君は勘違いをしているよ、アデル。エリオノーラ姫はそもそも若すぎて、女性として見たことがないんだ」
ラグナルは言い切った。アデルは思わず息を呑む。
「条件で言うなら、アデル、君以上の女性はいない。正式な爵位を持ち、実績と信頼を得ている。そして君の子どもは間違いなく、次期公爵として名実共に認められるだろう。僕は今まで、次の王位継承争いの火種を避けるために結婚しなかった。その僕が唯一、結婚できる相手が君なんだ」
ラグナルの言葉に、アデルは目を見開いた。自身の人生が、このように認められるなど考えたこともなかった。
「もちろん、条件だけじゃない。条件が良いだけの相手なら、僕は独身を選ぶよ。でも、そうじゃないんだ。僕が欲したのは、君個人なんだ」
ラグナルの目が真正面から、アデルを射抜く。彼と積み重ねてきた記憶が、それは真実だと囁く。
「この一年、僕はずっと君に惹かれ続けてきた。愛しさと狂おしさに飲み込まれるほどに。それなのに、君に受け入れてもらえなかったらと思うと怖かった。君の気持ちを探るように求めながらも、本心を言葉にしてこなかった。姑息なことをして、本当にごめん」
ラグナルが痛ましげに眉をひそめた。アデルはこの言葉をずっと聞きたかった。
「互いの本心を確信できない不安定な関係の中で、自分たちの立場を守ろうとして、あまつさえ他の者を優先した。それがどれだけ傲慢な行為だったか……」
ラグナルは目を伏せた。そしてもう一度、アデルへと目を向ける。
「もう立場を理由に君の心を蔑ろにしたくない。だから、君さえ良ければ、僕はこれからの人生を、君と――日の当たる道で歩んでいきたい」
ラグナルの差し出す未来。アデルは意味を理解するより先に、その未来を思い描いてしまった。
「君の心配もわかってる。僕たちが結ばれることで国内にどれだけの影響があるか。だけどこの一年で、国内の見る目は変わったよ。それは君の王国への貢献のおかげにほかならない」
ラグナルが微笑む。アデルの心の錘が、泡となって消えた。
「受け入れてくれるなら、そのネックレスを、次の王城の舞踏会で身につけてきて。愛してるよ、アデル」
ラグナルは彼女の唇にそっとキスを落とした。アデルに、抵抗する理由はなかった。
彼が部屋を去り、静寂が戻る。
アデルは瞳を閉じる。気づけば涙が頬を伝っていた。
「……本当に、とんでもない人ね」
呟きながらも、彼女の心は既に決まっていた。ラグナルからの贈り物――彼の瞳を閉じ込めたネックレスを、アデルはそっと抱きしめた。
【日向の道】
夏空に星の川が輝く夜だった。その星々が降り注いだようなシャンデリア。王城のパーティは今日も変わらず華やかだ。
「最近、カレスト公爵が社交復帰されたとか」
そんな噂がされた時、アデルが大広間に現れた。胸元には、見事なロイヤルサファイアのネックレスが輝く。
「あれは……まさか」
「王弟殿下の瞳の色だわ!」
瞬く間に会場はざわつき始める。アデル・カレスト公爵が、王弟殿下の贈り物を身につけて現れた――誰もが何かを予感した。
アデルは優雅に悠然とした足取りで、会場を進んでいく。彼女の顔には一切の迷いがない。
広間から音が消えた。王弟ラグナルが現れたのだ。
ラグナルの目が、アデルの胸元に輝くネックレスを捉えた。その瞳が揺れ動く。
ラグナルは躊躇なくアデルの元へと進む。彼女の前に跪くと、彼女に真っ直ぐ目を向けた。
「お慕いしております、アデル嬢」
まるで最初の告白であるかのように、誠実に、そして大胆に。
アデルは一瞬瞳を伏せるが、すぐに彼を見つめ返す。そして艶やかな微笑みを浮かべた。
「そのお気持ちをお受けし、私の心を貴方にお捧げします、ラグナル様」
アデルの返答が凛として響き渡った。
その瞬間、貴族たちの間から感嘆の声とざわめきが起こり、波のように広がった。
「王弟殿下と公爵閣下がついに……!」
「これほど大胆で美しい告白劇は見たことがないわ!」
王族と公爵――二つの立場を超え、互いの心を示し合った二人の姿は、場にいるすべての者の記憶に焼きついた。中には「まさかこれはファンサービスなんですの……!?」「公式の突然の供給過多で窒息しますわ……!」と泣き出す熱量の高いご夫人方もいた。
その一幕は、すぐに王都中で話題となる。「王弟殿下、ついにカレスト公爵に愛の公開告白」「なぜ二人は惹かれ合ったのか?」――噂は絶えることなく飛び交った。
そしてこの告白劇が、ある変わり者の芸術家の魂を震わせた。彼は寝食も忘れるほどの集中力で、筆を動かし続けた。
後に、王都の美術館には一枚の大作が飾られることになる。胸元に青いネックレスを輝かせ、堂々と微笑む女性と、その前に跪く男性の姿。この時代の証拠となる名画『日向の道』。
それは、誰もが知るアデルとラグナルの物語だった。
【社交シーズンの終わりに】
夏の日差しが中庭を照らす中、エリオノーラ姫は涙を堪えていた。彼女はラグナルの前で立ち止まり、震える声で告げる。
「お慕いしておりました、ラグナル様……」
その言葉に、ラグナルは静かに息をつき、申し訳なさそうに答える。
「光栄です。しかし、私にはもう、心に決めた人がいます」
その言葉を耳にした瞬間、エリオノーラの涙は堰を切ったように溢れ出す。
「……失礼いたします」
震える声でそれだけ言い残し、エリオノーラはその場を静かに去っていった。
八月の上旬のダンスパーティ。この夜、一つのサプライズ発表がされた。それは、王太子レオンの婚約発表。
なんと、婚約相手は南部の美姫、セレーネ・ルーシェ。
「ルーシェ公爵家が? あの家は王家から手を引いていたはずなのに!」
「セレーネ嬢が未来の王太子妃とは……」
会場中が驚きの声で満たされる。そんな中、アデルは少し離れた場所からその光景を眺めていた。
「……あの子、やるわね」
ルーシェ公爵は王家への接近をやめていた。にも関わらずこうなったのは、国王アーサーと、当人達の働きかけによるものと考えられた。
隣のラグナルが、意味深に微笑んだ。ちなみに彼はアデルのパートナーとして、堂々と彼女に付き添っている。
「僕は最初からこうなると思ってたよ」
「まさか、貴方の差金……?」
アデルは疑いと動揺を含んだ声で問いかける。ラグナルは何も答えず、ただ微笑んだままだった。
すでに公に恋仲と発表されたふたりは、以前よりも堂々とふるまえるようになった。
王太子の婚約発表が先行したため、ラグナルとアデルの正式な婚約はしばらく先とされているものの、もはや誰の目にも実質婚約者であることは明らかだった。
夜中、ラグナルはアデルを自室に招く。
「この一年、ずっと我慢してたんだ」
彼の低く熱を帯びた声に、アデルは目を細める。
「あれだけ好き放題してたくせに」
肩をすくめて言い放つ彼女の表情には、挑発的な笑みが浮かぶ。
「一線を越えてないだけでしょ?」
その言葉に、ラグナルは喉の奥で笑う。そしてアデルを抱き寄せた。
「おかげでもう、君の体は知り尽くしてるよ。だから安心して身を任せて」
彼の言葉は、まるで甘い罠のようだった。アデルはその言葉に頷きながら、小さな声で告げる。
「私のすべてを貴方に捧げます。愛してるわ、ラグナル」
その言葉を合図に、二人は深いキスを交わす。夜の帳が下りたその先は、二人だけが知る――。




