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第七話:無音の処刑宣告

【貴族たちの優雅な噂話】


 噂は瞬く間に、王都に広がった。

 南部地方から来た艶やかな美女、セレーネ・ルーシェと、同盟国ヴァルミールから来た可憐な姫、エリオノーラ・フィーリス。この二人が、王弟ラグナルを巡って争っている。

 令嬢たちがサロンで語り合う。

「セレーネ嬢の妖艶さ。流石のラグナル殿下も射止められてしまうのかしら」

「エリオノーラ姫も可憐よ。それにお二人は旧知の仲なんですって」

 男たちが会食で話し合う。

「お国柄の差だろうか。南部の娘は果実のようで、ヴァルミールの姫は妖精のようだ、なんて評判だ」

「ルーシェ公爵と組めば国内の食糧自給の半分を制することができるが、熟れ過ぎれば腐敗する。隣国と組めば友好が進むだろうが、所詮それは幻かもしれない」

 人々は囃し立てた。まるで競走馬を語り合うように。


 しかし、それとはまた別の噂も流れていた。

 カレスト公爵の姿が、そのパーティから早々に姿を消したという。元々、ラグナルとの関係が噂されていた彼女の行動は、意味深だ。

「流石に、若い令嬢たちには敵わなかったのだろうか?」

「北部地域は交易幹路で、これから更に発展が見込まれる。その旨味を、殿下も閣下も簡単には手放さないとは思うが、優先順位は変わるかもしれない」

 そんな囁きが飛び交う中、意外な反応を示したのが、ご夫人方だった。彼女たちは、冷ややかな視線を向けてこう言い放つ。

「若い娘風情が、あの鉄壁の王弟殿下を巡って争うなんて、滑稽ですわ。氷雪の砦に挑むあの方が、小娘なんぞに本気で興味を持つとでも?」

「公爵様はこの騒動に巻き込まれないよう、距離を置かれたのですわ。だって、あまりにも馬鹿馬鹿しいですもの」

 彼女たちにとって、アデルは別格の存在だ。自分たちとは全く別種の栄光を掴んだ女性。その道のりを同じ国で見続けた彼女たちは、称賛と尊敬、共感と憧憬を抱いていた。

 つまり、アデルと同じく若さにコンプレックスを持つご夫人達から、大層人気がある。彼女たちは「恋路の小石、蹄鉄の裁きを受ける」という詩入りの扇子を広げ、アデルへの支持を表明した。


 こうして王都では、若い姫君たちの争いと同時に、アデルもまた噂の中心に据えられていた。


【非公開処刑】


「全く、特許の申請にわざわざ当主が出向かなければならないなんて。権利を獲得するというのはいつの時代も手間がかかるわね」

 アデルはブツクサと文句を言いながら、馬車で王城を目指していた。カレスト公爵家の新薬開発の完成が目前となり、プロトタイプ版として特許申請をする予定だ。

 合理性が重んじられるこの国では、時折、時代を塗り替えるような大発明がなされる。例えば、現在では当たり前に使用されている、軸受け回転機構による軽量馬車。その基本構造はアヴェレート王国の技師たちが確立したものだ。

 技術革新が起きやすい土壌で、その発想と技術の盗用が社会問題となり、特許法が整備された。かれこれ五十年以上昔の話だ。それ以前は、盗用問題で領地間の紛争が起きたこともある。だからアデルの言う手間など可愛いものである。


 王城の門外に着き、アデルは御者に待機を指示した。そして王城の敷地内に足を踏み入れる。ラグナルの職場兼実家と思うと、少しばかり心がささくれ立った。

 王城の門内は賑やかだ。行政の中枢でもあり、貴族たちの観光名所でもある。今日のように天気が良いと、人々が敷地内の広場で楽しそうに過ごしている。

 歩いていると、木漏れ日の下にセットされたティーテーブルが見えた。そこに、ラグナルとエリオノーラ姫が向かい合って腰掛け、何人かの護衛たちが周囲に並ぶ。

 ラグナルと目が合った。この時、アデルの心臓は握り潰されたかのようだった。

 アデルが口を動かした。周囲には気づかれないように、無音で。


「お・し・あ・わ・せ・に」


 アデルが断頭台の刃を振り下ろした。罪状は「排他的二者関係の維持努力義務に対する背任罪」。

 アデルはそのまま城門へ向き直り、颯爽と歩き去る。いくつか仕事の予定を組み替えなければならなくなった。しかしこのまま王城に留まるよりはマシだった。


【美しき死刑執行人】


 権力者には自由がない。

 ラグナルは木漏れ日の風に吹かれながら、微笑みを湛えた。しかしその実態は、板挟みの管理職のそれである。カレスト公爵家への訪問予定を早急にねじ込むために、午前中に書類仕事を済ませ、午後に社交予定を詰め込んでいた。今夜は主だった夜会もない。そのタイミングが打ってつけだと考えていた。

 その社交予定の一つがこの、エリオノーラの見学付き添いだ。兄王アーサーから仰せつかった公務の一つである。


 ――こういう場であれば、あらぬ噂を立てられることもないだろう。


 護衛が周囲を取り囲み、会話も聞こえる開放的な空間。どこから見ても、礼節を重んじた「見学の付き添い」以上のものではない。ラグナルはそう自分に言い聞かせた。


 エリオノーラが周囲を見渡しながら、口を開く。

「アヴェレート王国には、開かれた場所が多いですね。とても新鮮です」

「建国当初からの文化です。四つの国が統一されてできたのが王国ですから、各国との文化的統合のため、互いがすれ違い、話しかけることが自然な市街設計となっていましてね」

 ラグナルが説明すると、エリオノーラは感心したように頷いた。

 ラグナルは、ヴァルミール滞在の頃を思い出す。あの頃もエリオノーラは、アヴェレート王国の話を好き好んで聞きに来た。文化大国の自負が強いヴァルミールで、わざわざアヴェレート王国に興味を持つのはエリオノーラくらいだった。その様を、ラグナルも微笑ましく思ったものだ。

 ただし、それはラグナルが二十七歳、エリオノーラが八歳の頃からの関係性である。そのような相手に、今更特別な感情を抱く? 正気の沙汰ではない、とラグナルの良識が断じる。

 アデル以外のことであれば、彼は非常に真っ当な感性の持ち主だった。


 とは言え、エリオノーラの恋心自体は、ラグナルも理解していた。多感な年頃に、近くにいた年上の男性に対する憧れ。それがまだ燻っているのだろう、と。

 現段階で、ラグナルは甘酸っぱい好意の視線を向けられるだけで、具体的な何かを求められるわけではない。それでもラグナルにとっては困った話だ。外交問題を避けるため、彼女の好意を無碍にはできない。

 しかしそうすると、今度はアデルの機嫌が悪くなる。不機嫌な姿すら愛しかったが、その原因が自分であることは由々しき問題だった。


 ――あちらを立てればこちらが立たず。権力者に平等が求められるのは、こういう調整で疲弊させて暴走を止めるためなのだろうか。

 ――表向きの平等と、裏での優遇。まぁ、いつもやっていることだ。今回もその方針で行くのが穏便か。


 そんな彼の思考を遮るように、エリオノーラ姫が微笑みを浮かべながら話しかけてきた。

「ラグナル様、香水を変えられましたよね?」

 ラグナルの眉が少し上がる。

「以前の優しい香りも素敵でしたが、今のはっきりとした香りも、お似合いですね」

 彼女の言葉を聞き、ラグナルの胸の内に複雑な感情が広がった。今つけている香水は、アデルが誕生日に贈ってくれたものだった。アデルが自分に手渡した日のことを、ラグナルは思い出す。

「これは……」

 ラグナルは、咄嗟に説明をする。

「スフィリナという薬草を使った香水です。この国でも一部の地域でしか採れない、珍しい植物を使っていましてね」

 エリオノーラ姫の表情がわずかに硬くなった。どうやら彼女は、この植物がカレスト公爵領の名産品であることを知っていたらしい。

 ラグナルは、これがささやかな牽制になればいいと、内心で胸を撫で下ろした。


 しかし、その安堵も長くは続かなかった。ラグナルの視界の端で、動く影があった。彼は無意識のうちにそれを捉える。そして次の瞬間、全身が一気に緊張に包まれた。

 そこにアデルがいた。彼女の姿であれば、ラグナルはどんな時でも見つけてしまう。そういう目を持っている自分が、今だけは恨めしかった。


 ――アデル、違うんだ。これは公務の一環だ。もしも浮気なら、こんな目立つ場所で見せつけるようなことするはずないだろう?


 万が一アデルに見られた時のために、事前に用意していた言い訳。しかしいざその場面が来ると、無理だった。理屈よりも先に罪の意識が前に出た。


 夏の陽射しの中、アデルの力強く艶やかな赤の唇が、静かに動く。声は届かない。それでも、ラグナルは確かにその音を視認した。


「お・し・あ・わ・せ・に」


 それは、美しき死刑執行人が告げる処刑宣告だった。

 ラグナルの顔は、一瞬にして蒼白になった。周囲の護衛たちも、エリオノーラ姫も、その変化に気づくことはない。

 ただ彼だけが、アデルの無音の刃に貫かれていた。

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