第三話:王家との交流
【文化人の王女】
六月後半、雨季の終わりの晴れ日。その日、王城の広間は、数々の絵画が展示されていた。王家主催の美術展だ。
その数々をアデルは眺める。まるで絵画と対話するように。
「カレスト公爵ってば、すごい集中力ですのね」
ふと、声をかけられた。振り返ると、そこには美しさと利発さを備えた少女が立っていた。黒みを帯びた茶色の髪、青みがかった黒目。王と王妃の色を少しずつ受け継いだ、王女マルガリータ。
「マルガリータ殿下が主催された美術展ですもの。しっかり審査させていただきますわ」
アデルの言葉に、マルガリータはふわりと微笑んだ。
アデルは以前から、王家の子ども達と交流が深かった。第一王子レオンは「貴女の未来を見通す目に、学ぶべきものがあります」とアデルを慕い、第二王子テオドールは「カレスト公爵の戦略ってもはや芸術ですよね」とどこかの誰かそっくりなことを言う。そして王女マルガリータは、「この国を愛する者として、貴女の献身に感謝しております」と、アデルを支持していた。
そのマルガリータが、文化振興の一環で主催したのが、この美術展。その審査員の一人として、アデルに依頼があった。
マルガリータの頼みとあっては、アデルも断る道理はない。
アデルの目が、ある作品に止まった。それは人物画。濃茶の髪目で、穏やかながら端正な顔立ちの青年。アデルもその青年を見たことがある。都市貴族、アルモンド侯爵家の令息だったはずだ。
一見すると、優雅な貴族を描いたように見える。しかし、それだけではない。慣れ親しんだ熱っぽさが、アデルの肌の上を走った。
令息の目に映し出されたのは、狂気と神性が同居した抽象的で精巧な何か。それと目が合い、アデルは全てを理解した。
――この画家が描こうとしたものを、私は知っている。
「ここに描かれているのは単なる人物画ではありません。狂おしいほどに無垢な『共感と憧憬』の眼差しです」
アデルはそう講評し、推薦した。この『共感と憧憬』という言葉が、後にこの時代を表すキーワードとして、王国の記憶と記録に刻まれることになる。
ちなみにこの絵を描いた作家のペンネームは、†漆黒の画狂神†。アデルは後日、「ペンネームも審査対象にすれば良かった……」と後悔したという。
【推し活王妃】
西に落ちつつある日が、王城内のサロンを満たしていた。そこには豪奢な装飾と、静謐な空間が広がり、涼やかな香が漂う。
「お待ちしておりましたわ、アデル」
そう声をかけたのは、このサロンの主人である王妃メレディス・アヴェレート。茶色の髪をまとめ上げ、優美なティアラを頂く姿。その気品と親しみやすさは、国母そのものだ。
美術展の終了後、王妃がアデルを茶会に誘ったのだ。
「お招きいただきありがとうございます、メレディス様」
言葉こそ丁寧であるものの、アデルの表情と声色は柔和だ。旧知の間柄の、心地よい雰囲気が漂っていた。
「いえ、堅苦しいことはなしですわ。今日は貴女とゆっくりお話がしたくて、お招きしましたの」
メレディスは微笑みながら席を促す。テーブルには薬草茶と菓子が用意されていた。
「明後日からまた王国議会も始まりますわね。貴女はただ一人の女性議員、多くの期待を寄せられる立場でしょう。しかもその働きは素晴らしいものですもの」
メレディスの言葉に、アデルは丁寧に頷く。王妃はさらに続けた。
「けれど、肩肘を張る必要はありませんわ。貴女のそのままの姿こそが、多くの女性たちの導になるのですから」
その言葉は、芯のある優しさに満ちていた。アデルは微笑み、メレディスを見つめた。
「ありがとうございます、メレディス様。ですが、私は女性という枠に留まるつもりはございません。民の代表として、この国の未来のために戦う所存でございます」
その真摯な言葉に、メレディスは穏やかに微笑んだ。
「それでこそ、私が推す貴女ですわ」
「推す」という言葉に、アデルは嫌な予感を覚えた。しかし、それを確認する暇もなく、メレディスは続けた。
「最近、王都では『推し活』というものが流行っているのをご存知?」
「推し活……ですか?」
アデルはしらばっくれた。メレディスがお構いなしに続ける。
「ええ。貴婦人たちが、他の誰かを応援する活動のことですわ。皆さんの活力には感心いたします」
にこやかに語るメレディスが、そっと手元から小箱を取り出した。そこから現れたのは、サファイアとブラックパールが繊細にあしらわれた美しいブローチだった。
「これもその一環で購入しましたの。素敵でしょう?」
アデルは言葉を失った。脳内で警報が鳴り響く――ご支持いただいているのは、本当に私単体でしょうか。
「あの……恐縮です……」
それが精一杯だった。そんなアデルを見て、メレディスは満足げに頷く。
「貴女のこと、私も応援しておりますわよ」
そう言われた瞬間、アデルは泡を吹く心地だった。王妃の笑顔は変わらず穏やかだ。
会話が続く中、アデルは何度も薬草茶に手を伸ばした。馴染みの茶のはずなのに、その味を感じられなかった。ただひたすら、王妃の視線と言葉の重みに圧倒されていた。
――どうして私は、こんなに生温かい視線に包まれているのかしら……?
そんな彼女をよそに、メレディスは優雅な笑顔を崩さずに、最後までお茶会を楽しんでいた。
【溺愛王弟】
六月の王国議会が無事に終了した。
数日間にわたる議論は、流石にアデルも骨を折った。それでも、実りの多い議会だった。農作物品質基準統一法案が賛成多数となり、カレスト公爵家の農地改革支援業が軌道に乗る見込みであること。王家の補助金が使われている、不採算事業の段階的廃止に持ち込めたこと。領民の籍管理の厳格化と、手続きにおける領地間連携強化。
アデルも協力する王家の国家展望「千年の団結」が、着実に具体化している。アデルはその手応えを感じていた。
その達成感とともに、王城の回廊を歩いていた時。
「カレスト公爵閣下、こちらへ」
ふいに声をかけてきたのは、王城のメイド。アデルもこれまでに何度か顔を見たことがある。その彼女に案内され、アデルは遠回りを経て、知らないうちにラグナルの私室の前に立っていた。
一瞬、冷や汗をかくアデルだったが、意を決して扉を開けた。そこにいたのは、彼女を待ちわびていたラグナルだった。
「おいで」
そう言うや否や、ラグナルはアデルの腕を引き、部屋の中へと引き込む。
扉が閉まると同時に、ラグナルはアデルの唇を奪った。深いキス。まるで離れていた時間を埋めるかのように。
「んっ……!」
アデルの体が一瞬硬直するも、ラグナルの腕が優しく彼女を引き寄せる。
ふと、ラグナルが纏う、スフィリナの香水が香った。その香りはスパイシーで男性らしい。乙女を弄ぶ悪い紳士にお誂え向きの香り。
「ずっとこうしたかった」
耳元で囁かれた声は、低く甘やかだった。彼の息遣いが乱れ、アデルの耳たぶをくすぐる。
「会議中の君は、本当に見惚れるほど美しかったよ」
ラグナルはアデルの顔を両手で包み込む。狂おしいほど無垢な視線が、アデルに降り注いでいる。
――この目に晒されている私もまた、淫らな顔をしているのだろう。
ラグナルの昏い愛情に触れる度、アデルは自覚する。希望をもたらす女神への信仰、運命を狂わせる魔性の女への情欲。それらが自身に向けられている。そのことに、アデルは愉悦と優越を感じてもいた。
「でも、できればあの姿を他の誰かに見せたくはないね。公爵としての君すら、独占したくなる……」
ラグナルはそう言いながら、アデルの頬に指先を滑らせる。
触れられた箇所が熱を帯びる。アデルは小さく抗議の声を上げた。
「もう……ラグナル、ずるい」
「ずるいのは君のほうだ。僕をこんなにも夢中にさせるなんて」
ラグナルの微笑みは、どこか少年のような無邪気さを帯びていた。その微笑みに、アデルは油断した。
再び唇が奪われる。今度はさらに濃密なキスが交わされた。アデルが息をつく間もない。
アデルの手が自然と彼の肩に置かれた。その指先が、彼の服の上から僅かに力を込める。
「僕はもうとっくに、君の魅力に抗えないというのに」
ラグナルの言葉が囁きとなって耳に届くたび、アデルの指先に甘い痺れが迸る。ラグナルの渇望に捕らわれる度に、アデルもまた、彼を受け入れるように誘ってしまう。
「はぁ……どれだけキスしても満たされない」
切なげな声で囁きながら、ラグナルはアデルへ再びキスを落とす。アデルはその熱情に抗うどころか、むしろ引き寄せられるように彼の首に腕を回した。
「本当に、悪い人……」
アデルの呟きが震える。
その言葉に、ラグナルは小さく笑うだけだった。そしてアデルをそっと寝台へ連れ、繊細な絹布を扱うような優しさで、押し倒した。
画狂神の話はこちら
https://ncode.syosetu.com/n8418ka/




