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第二話:二人の恋敵

【王都の風と噂】


 アデルが王都に到着したのは、建国記念日の数週間前だった。七月一日の建国記念日は、王城で盛大なパーティが開かれる。このパーティは、夏の社交シーズンの本格的な幕開けを告げる行事であり、王族や貴族にとっても国家の結束を誇示する場でもある。

 アデルにとって、社交シーズンの王都は姦しく、時に煩わしかった。しかし今年は違った。ラグナルに少しでも早く会いたい。それだけで足取りが軽くなった。

 六月十五日、ラグナルの誕生日の夜。アデルは彼から「親密な歓迎」を盛大に受けた。それまで城から出られなかった、彼の反動だろうか。

 あの夜を思い出すと、アデルの頬が熱くなる。彼の腕に抱かれた温もり、その低い声で囁かれた甘い言葉。その記憶だけで胸が高鳴り、つい口角がムズムズする。

「しっかりしなくちゃ」と自分に言い聞かせながらも、アデルの心は浮き立っていた。


 そんな折、アデルの元にまたしてもロザリンドが現れた。アデルは応接室で彼女をもてなす。薬草茶の香りと共に、会話が弾んだ。

「私が支援している宝石職人がいるのよ。そのジュエリーが素晴らしくって」

「あら、タンザナイトかしら? すごく繊細で美しいネックレスだわ」

 ロザリンドが得意気に、ネックレスを見せつける。カッティングの精細さが、宝石そのものに命を与えているようだった。アデルの美意識をくすぐる逸品だ。

「今度、アデルもお店にいらっしゃいな。うっとりできるわよ」

「行商ではなく、店舗形式なのね。画期的ね」

 そう言いつつ、アデルは今後のスケジュールを思い出す。王家主催の美術展への審査員参加、王国議会、建国記念日のパーティ、その後は社交、社交、社交……。


 ――ロザリンドには悪いけど、行く余裕はないかもしれない。


 アデルは己の美意識をそっと胸の奥にしまった。


 話題が二度ほど変わった後、ロザリンドが切り出した。

「そう言えば隣国のヴァルミールから、姫君が留学に来るらしいわよ。テオドール殿下との交換留学ですって」

「ヴァルミール?」

「そう、ヴァルミール。前王妃のオクタヴィア様のご出身の国よね」

 その国名を聞いた瞬間、アデルは胸の奥にひそかな緊張を覚えた。

 アヴェレート王国の東方の隣国であり、同盟国のヴァルミール。そして、ラグナルがかつて八年間滞在し、名外交官として名を馳せた地だ。

 あの頃のラグナルの活躍は、アヴェレート王国の中では不自然に伏せられていた。まるで彼の存在そのものを潜伏させたいかのように。ラグナルの赴任国すら知らない者も多かった。ゆえに五年前の大功績――ヴァルミールとその隣国エルゼーンの対立調停と戦争回避――すら、「アヴェレート王家の功績」となっていて、ラグナルの名は語られなかった。

 しかし国際感覚を持つ政治家であれば、誰もがラグナルの手腕だと察していた。


 そのヴァルミールから姫が来る――アデルの心がざわめいた。政治的な観点ではなく、もっと個人的な予感として、「もしかして、姫の目的は……」と思わずにはいられなかった。

「どうしたの、急に難しい顔して」

 ロザリンドが目を細めてアデルを覗き込む。何かを感じ取ったのか、彼女は軽く首を傾げた。

「ああ、そうか……」

 ロザリンドの目が輝きだした。

「ヴァルミールって、もしかしてラグナル殿下が滞在されてた国だったかしら?」

 アデルの心臓が跳ね上がる。慌てて目を逸らし、冷静を装う。

「それがどうかしたの?」

「どうかしたって、あなた気づいてるでしょう? 姫が来るってことは――」

「何のことか分からないわ」

 ロザリンドは唇を歪め、からかうように笑った。

「いつもラグナル殿下のことが頭にある人じゃないと、この可能性には気づかないわねぇ。なるほど、そういうことね」

「だから、何のことだって言ってるでしょう!」

 ロザリンドはわざとらしく肩をすくめた。その様子が、アデルをますます逆撫でする。

 ヴァルミールの姫がラグナルとどう関わるのか。それを確かめるまで、アデルの心は落ち着きそうになかった。


【南部からの挑発】


 雨音すらも、芸術にしてしまう。クラシカルな荘厳さと、今時の洗練さが融合した、見事な邸宅。それが王都のルーシェ公爵邸だ。中庭に咲くのは、ダリア、黒薔薇、カラドンナ。

 その中庭を一望できる広間で、ダモデス公爵は会食の場にあった。ゲストは東西南北の高位貴族が二十人ほど、バランス良く参加している。一見すると、その顔ぶれには共通点がない。

 食卓に並ぶ料理は豪華そのものだ。貴族たちは贅沢な昼餉を堪能しながら、軽口を交わしていた。


 そんな中、ルーシェ公爵が笑みを浮かべ、唐突に話題を切り出した。

「諸君に紹介したい者がいる」

 興味深そうに耳を傾ける貴族たちの前に、ルーシェ公爵が手を振ると、ひとりの若い女性が優雅に現れた。

「ご紹介しましょう。我が養女の、セレーネ・ルーシェです」

 目の前に現れた令嬢に、全員が息を呑んだ。

 彫刻のような顔立ちと黒檀色の髪と瞳。そして未成年だというのに、彼女はすでに危険な妖艶さを放っていた。

「これはまた……なんという美しいお嬢さんだ」

 鼻の下を伸ばす貴族たちを一瞥し、ルーシェ公爵は満足げに笑う。

「今度、王家の皆様にもご紹介しようかと思っております――例えば王弟殿下とか」

 その一言に、空気が凍りついた。

「王弟殿下に?」

「それは……」

 言葉を濁しながら、貴族たちは視線を交わす。

 王弟ラグナルはカレスト公爵と強い繋がりを持つ。そのラグナルをルーシェ公爵家の者に引き寄せる。それは即ち、王家とカレスト公爵家の離反工作。


 ダモデス公爵はワインを飲みながら、その場を見渡した。彼は気づいていた。このゲストの顔ぶれは――最盛期の半分を下回るが――カレスト公爵に敵対的な者ばかり。事実、皆は戸惑った表情を見せながらも、悪意の煌めきが目に宿っている。「カレスト公爵の鼻を明かせるなら面白い」と。

 ダモデス公爵がここに呼ばれたのは、北部の最新動向をルーシェ公爵が知らないが故だろう。

 ダモデス公爵はこれを「カレスト公爵」の問題ではなく、「北部地域」の問題として認識した。


【小うるさい親戚のおじさん】

 

 アデルは王都の邸宅で、引き続きロザリンドとお茶を楽しんでいた。シトシトと降る雨が庭園を緑の香りで満たす、穏やかな午後。

 しかし、その静けさは乱暴に破られる。

「カレスト公爵!」

 ドアを叩く暇もなく、ダモデス公爵がズカズカと入ってきた。アデルは驚きのあまりティーカップを落としそうになった。

「何事ですか、ダモデス公爵!」


 交易幹路の一件以降、アデルとダモデス公爵の関係は改善された。

 その中でも特筆すべきは、カレスト公爵領とダモデス公爵領の間で、スフィリナ栽培と薬草茶加工の契約が結ばれたことだ。

 近頃、薬草茶の需要がますます高まっている。もはやカレスト公爵領だけでは生産が追いつかない。

 そこでダモデス公爵と協力し、生産拡大を目指すこととなった。この動きに関心を寄せた北部の他領でも、契約希望が出てきている。

 今後、スフィリナは、北部の地域経済を支える産業となることが期待されている。

 そうしたことを背景に、ダモデス公爵もアデルに気を許し、すっかり口うるさい親戚と反抗する娘のような関係になっている。


 ダモデス公爵は声と鼻息を荒げた。

「ラグナル殿下を今すぐ手籠にせよ!」


 その場が静寂に包まれたのは、ほんの一瞬だった。次の瞬間、アデルの顔は真っ赤に染まり、ロザリンドは椅子から崩れ落ちそうなほど笑い出した。

「な、何をおっしゃるのですか!」

「まぁまぁ、アデル。公爵がそこまでおっしゃるなら、真剣に考えてみたら?」

 ロザリンドが挑発的に微笑みながら、茶をすする。ますますアデルは慌てふためいた。

 ダモデス公爵は憤りを露わにし、先ほどの会食での出来事を語り始めた。セレーネ・ルーシェの美貌と、ルーシェ公爵が「王弟殿下に紹介する」と言ったことを。


「南部の奴らが王弟殿下を取り込む気だ! 我々北部に対するあからさまな挑発だぞ!」

「そんな話、私に言われても……」

 表向き、政治的パートナーでしかないアデルとラグナル。万が一ラグナルに婚姻話が上がったとしても、アデルが表立って文句を言う権利はない。

 その可能性を、アデルも考えてこなかったわけではない。ただ、それが政略的な動きであれば、どうにでもできると結論づけた。

 むしろ問題は感情を伴った場合だが――アデルはそれ以上、考えないようにしていた。

 そういうわけでアデルは、この件に関して静観することにした。しかし、ダモデス公爵の剣幕は収まらない。

「何を悠長なことを言っておる! そんなだから婚期を逃すんだ!」

「それとこれとは関係ないでしょう!」

 もはや売り言葉に買い言葉。議題はあらぬ方向に横滑りした。


 見かねたロザリンドが口を挟んだ。

「美しい娘だなんて……あら、これは強敵ね」

 ロザリンドの声音に、隠しきれない好奇心が滲む。

「ねぇアデル、ウカウカしてると本当に取られちゃうかもよ?」

「ロザリンドまで何を言うの!」

「だって、愛はタイミングが全てじゃなくて?」

 二人の無責任な挑発に、アデルはすっかり呆れ果てた。

「もう……うるさいのが二人に増えた……」

 そう呟きながら、アデルは脱力する。アデルの頭痛の種がまた一つ増えたのだった。

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