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挿話:昨今の王国議会風景 〜推し活紳士の静かなる産声〜

【農作物品質基準統一法案審議】


 四月下旬の昼下がり、王城に高位貴族たちが集まっていた。

 二ヶ月に一度の王国議会の初日。議事の開始を告げる鐘の音が響く。その音に合わせ、議場の貴族たちは席に着く。

「それでは農作物品質基準統一法案を審議します」

 現在王国では、各領地で自由裁量で農作物が生産され、その品質にばらつきが生じていた。品質のばらつきは、取引価格の不安定さを招き、国民生活にも悪影響を及ぼしている。そのため、王家は農産物の品質基準を統一し、生産性の向上と価格の安定化を図ることを目指していた。

 しかし、現状では多くの領地がその基準を満たせそうにない。特に西部地域は農業には不向きな地域であり、鉱業や漁業が主な産業となっている。農作物の品質基準を達成するのは容易ではない。

 そのような中、アデル・カレスト公爵が立ち上がった。その顔は命を削って戦う勇猛な戦士のようであった。


「『千年の団結』のロールモデルとして、我が領地の農地改革ノウハウを無償提供いたしますわ」


 この言葉は、貴族たちに大きな衝撃を与えた。数年前にカレスト公爵領が成し遂げた農地改革は、今のアデルの地位と名声を確固たるものにしたのだ。この農地改革によって生まれたスフィリナの薬草茶が、紅茶一辺倒だった貴族たちのティータイムを変えたほどに。そのノウハウを他領に無償で提供するという提案。とてもではないが、正気の沙汰とは思えなかった。

 しかし、一部の貴族たちはすぐに気づいた。そのノウハウを実現するには、カレスト公爵家が特許を持つ肥料や農具を購入し続けなければならないということに。

 アデルはそれを巧妙に進めようとしていた。農地改革のノウハウを無償で提供する一方、品質基準を満たすために必要な肥料や農具の供給は、すべてカレスト公爵家の手に委ねられる。

 後の世に「プラットフォーム戦略」と呼ばれる概念の先駆けであった。


【喧々諤々の議論】


 議場では、賛成派と反対派の意見が真っ向から対立していた。

 

 賛成派の一人、西部地域のウィンドラス公爵が手を挙げた。彼は口角を上げながら、率直に意見を述べた。

「私は法案に賛成です。特に、カレスト公爵家のノウハウが無償提供されることで、税収増加が見込まれる点を見逃してはなりません。これによる領地経済の活性化は確実でしょう。農業において、カレスト公爵家は唯一無二の成果を得ているわけですから、その恩恵を受けるのは非常にありがたいものです」

 ウィンドラス公爵の意見には、賛同する声が多く上がり、会場の空気は賛成派寄りになりつつあった。


 次に、東部地域のザルムート公爵が立ち上がった。

「私も品質基準の統一には賛成だ。ただし、これを単に各領地の利益争いに堕する場にしてはならない。王国全体の発展へ繋げるには、各地で得た成果を共有し、全体の底上げを図る仕組みが必要だろう」

 ザルムート公爵の発言は、単なる賛成に留まらず、より高次の視点からの提言だった。カレスト公爵家への依存に歯止めをかける目論見もあった。

 貴族たちは深く頷き、「その通りです」と声を上げた。


 反対派も黙ってはいなかった。

 南部地域のルーシェ公爵が立ち上がり、意見を述べた。

「もちろん品質基準の統一は理にかなっています。しかし、その実現には高いコストが伴うことを忘れてはなりません。最初の投資をどこが負担するかです。土地の改良、技術の導入、農作物の品質向上には多額の費用がかかります。それが一部の領地には、非常に負担が重い。特に地方では、この負担に耐えることができるかどうかが問題です」

 ルーシェ公爵の発言は、表向きには現実的な懸念を示していた。しかし実際には、南部の肥沃な大地で生産される作物の競争力が、他の領地の追随によって相対的に低下することを恐れていた。それでも反対派の支持を集める発言であった。

 

 そして、北部地域のダモデス公爵が冷静な声で続けた。

「法案の理念には賛同します。しかし、カレスト公爵家に依存し過ぎることには懸念がありますな。農業ノウハウの提供を受ける代わりに、私たちがその肥料や農具を継続的に購入しなければならないことが、カレスト公爵家に対して過剰な優遇を与えることになるのではないか。その結果、多くの領地がカレスト公爵家に不公平な形で依存していくことになる可能性がありましょう」

 ダモデス公爵の発言は、賛成派を牽制する形となった。会場の空気が再び重くなり、議論の流れは一層複雑になってきた。


【切りたくても切れない最強切り札】


 反対派の中には不満を抱きつつも、どうしても言葉にできないジレンマを抱えている者たちがいた。王弟ラグナルとカレスト公爵のスキャンダル批判という、強力な切り札を持っているはずの反対派。「王家が一領地に私情で肩入れしようとしているのではないか」とさえ言えば、王家は領地間バランスを取るために、法案のあり方を大きく見直さざるを得ない。

 しかし、誰一人としてそのカードを切ろうとしなかった。

 なぜだろうか? その答えは、王国の高位貴族たちの家庭内にあった。


 例えば、ある高位貴族の家庭内でのこと。

「今日の議会で、ラグナル殿下とカレスト公爵はどのような議論していたの?」

 妻に聞かれた夫は、あくまで「冷静に議論を交わされていたよ」と、純然たる事実のみを伝えるに留める。

「きっと、そのやり取りは、お互いに深い愛と信頼があってこそよね! 議会が終わった後には、お二人は政治家ではなく恋人として、お互いの愛を語り合っているに違いないわ……公私混同しない関係って素敵……!」

 家の居間で、奥さまが満面の笑みで語りながら、手を合わせる。その言葉に旦那は「いや、まぁ……それはどうか……」と心の中で突っ込みながらも、口には出せずにただ頷くしかない。

「だって、それだけ冷静に議論し合えるのは、お二人の心が通じ合っているからに決まっているじゃない。きっと本当にお互いを大切にしているからよ!」

 夫はもう、ただ溜め息を吐くしかない。彼の中で微かに湧き上がる「妄想だろ、それ」と言いたい気持ちを、心の奥に押し込める。妻に逆らえば、家庭内での平穏が崩れる。そんな空気に飲み込まれる毎日。


 高位貴族の家庭では、この「推し活夫人たちによる布教=妄想」が日常的に広がっていた。そんな妄想を日々聞かされていると、議会内での議論においても、反対派は「男女スキャンダル」という切り札を使えない。それを言った瞬間、他の貴族たちから「推し活夫人の妄想を真に受けている阿呆」と笑い飛ばされる。

 結局、自分が大恥をかくのは目に見えていた。


 そのため反対派の貴族たちは口をつぐみ、議論は建設的な方向で、ますます白熱していくのであった。


【逆転劇の結末】


 四月末の議会では結論が出ることなく、議論は持ち越された。そして、迎えた六月の審議。驚くべきことに、反対派筆頭のダモデス公爵が突然、賛成派に転向した。

「私はこの法案に全面賛成する立場を取ります」

 この背景には、ダモデス公爵家とカレスト公爵家の関係改善と、両者間でスフィリナの栽培・加工契約が新たに結ばれたことがあった。ダモデス公爵領でスフィリナの栽培をするならば、カレスト公爵家の農地改革ノウハウは無視できない。それを無償提供してもらえるのであれば、ダモデス公爵にとってこれほど美味しい話はない。

「カレスト公爵家のノウハウは、大いに学ぶべきところがある」

 いけしゃあしゃあと述べるダモデス公爵の言葉に、賛成派の貴族たちは歓声を上げ、反対派の貴族たちは困惑の色を隠せなかった。カレスト公爵とダモデス公爵の関係改善、ひいては北部の地域結束が周知された瞬間だった。

 公爵家の中で唯一の反対派となった、南部のルーシェ公爵は、強い不満を抱えつつも沈黙を守った。


 意見があらかた出尽くした頃、王弟ラグナルが細かな論点を整理する。そして議論中に挙げられた懸念への対応策を示唆した。

 その結果、法案は賛成多数となり、国王の承認を得ることとなる。


「最近の王国議会、議論が建設的になったよな」

「王家の無理難題を、カレスト公爵が現実的な策として提案するから、具体論で話が進む。議論時間も短くなって助かる」

「カレスト公爵が牙を剥く前に、ラグナル殿下が論点整理してくれる。心臓に優しくてありがたい」

 王家とカレスト公爵家の相性の良さが、政界の空気を変えつつあった。


 審議後、緊張感が解けた後の議場には、穏やかな余韻が漂っていた。

 アデルはラグナルと軽く目を合わせ、にっこりと微笑んだ。

「お疲れさまでした、殿下。今日も見事な議論でしたわね」

「お疲れさまでした、アデル嬢。今日は本当に素晴らしい成果を得られました。貴女の存在が大きかったと思います」

 二人のやり取りはあくまで貴族間の儀礼的なもの。お互いに微笑みながら、建前を重ねる。

 それでいて、二人の間に漂う信頼感。王家と領地のパートナーシップを感じられる、円満な関係だ。

「そんな、私の方こそ。殿下がいらっしゃったからこその成功ですわ」

「お互い様ですね。引き続き、貴女のお知恵とお力をお借りしたい」

 互いを補い合い、信頼に満ちた二人。魑魅魍魎が蔓延る政界の中、二人の関係は周囲をほっこりとさせる。

 このやり取りを見ていた数名の貴族たちの心に、新たな思惑が芽生えた。

 

 ――なんか、あの二人、確かにちょっと、良いかも……?


 彼らの心の中で芽生えた、「良いかも」という感情は、胸の内に秘められた。

 誰もが知っている。政治家として、貴族として、カレスト公爵と王弟ラグナルは、あくまで理性と計算の上で動いているのだと。

 だから、これはもしもの話だ。もしも、その背後で、情熱的な絆が築かれているのだとしたら……。


 この瞬間、「推し活紳士」という存在が、誰にも知られることなく、静かに誕生していたのだった。

推し活という名の思想感染。

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