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第三話:カレスト公爵領に忍び寄る策略の気配

【工事現場は未来の最前線】


 アデルは馬を走らせた。ラグナルたちもそれに続く。彼女たちが現場に到着した頃、夕陽は地平に消える直前だった。

 工事現場は、暴力と略奪の跡が残っていた。資材や道具が散らばり、止血の布を巻く者もいる。普段の活気は影を潜め、不安げな表情があちこちに見られた。

 アデルは馬から降り、集団に向かった。カレスト公爵家の護衛たちも続いた。ラグナルは少し後ろに控え、周囲を見渡して状況を確認していた。


「皆さん!」

 アデルの声が響くと、ざわめきはぴたりと止んだ。現場の作業員たちの目が一斉に彼女に向けられる。

 アデルは息をつき、声を張った。

「今回の野盗被害、私も報告を受けました。まずはけが人がいないことを確認していますが、もし何か困っていることがあれば、隠さずに教えてください」

 作業員の一人、やや年配の男性が前に出てきた。

「公爵様、資材の一部が持ち去られてしまいました。それに……こういうことがまた起きるんじゃないかと、みんな怖がってるんです」

 アデルが頷く。そして間髪入れず、次の言葉を発した。

「まずは、失われた資材の代替をすぐに手配します。そして、この現場の安全を守るため、警備を増強します」

 アデルの的確な対策指示に、作業員たちは落ち着きを取り戻す。

 しかしアデルは更に言葉を続けた。

「ここはただの工事現場ではありません。この国の未来を作る最前線です。皆さんの命と誇りは、カレスト公爵家の名に賭けて守りきりますわ」

 アデルの言葉がその場を制した。不穏な空気が一掃された。アデルの堂々たる姿に、作業員たちは自然と背筋を伸ばす。

「女神様……」

 誰かがポツリと漏らした。平常時なら笑い事になる言葉。しかし今、その場にいる者たちの心に、真実味を伴って染み渡った。


 雰囲気の好転を察して、ラグナルが一歩前に出る。

「失礼いたします、ラグナル・アヴェレートです」

 彼は優雅に一礼すると、作業員たちがあっと目を見開く。

「アヴェレート……!? まさか、王家の……」

 新たなどよめきが広がる。本来なら雲の上の存在が、今自分たちと同じ地平に立っている。恐れと驚きが入り混じった声が次々と上がる。数人が無意識にひざをつこうとした。しかし、ラグナルは軽く手を挙げて制した。

「この工事はカレスト公爵領だけでなく、王国全体にとっても重要な事業です。だからこそ、一部の勢力が妨害しようとしている。皆さんの不安はもっともです」

 作業員たちが顔を見合わせる。自分たちが置かれている状況を、改めて認識したのだ。

「しかしその者たちの狙いは、恐怖や不信を広めて、ここにいる皆さんの絆を断ち切ることにある――何とも卑劣で許しがたい行いだ」

 ラグナルの断罪に、作業員たちは生唾を飲んだ。王家がこう言った以上、妨害者は文字通り許されない。

 ラグナルはふと、声を穏やかにした。

「ですが、私が保証します。この工事の指揮官であるアデル・カレスト公爵は、すでに対応策を講じています。警備の増強はもちろん、背後にいる者たちへの調査も進めています。どうか、ご安心ください」

 アデルとラグナルの言葉によって、作業員たちは安堵のため息をついた。誰かが「領主様、俺たち頑張りますよ」と声を上げる。その輪が広がって、現場は今までになく活気に満ちた。


 現場は撤収した。アデルは、作業員たちの帰宅の安全確保のため、宿舎までカレスト公爵家の護衛をつけさせる。

 アデルとラグナルもまた、それぞれの馬に乗りながら公爵邸へと向かっていた。

「ありがとう、ラグナル。皆があれだけ士気を取り戻せたのは、あなたの言葉のおかげね」

 アデルの礼に、ラグナルはとぼけた。

「女神様の宣告のおかげですよ。僕は添え物にすぎない」

「まぁ。では貴方を神官にして、カレスト教でも始めようかしら」

 二人は笑う。しかし、すぐに険しい表情に戻った。

「これは始まりにすぎない気がするわ」

「僕も同感さ」

 ラグナルは真剣な表情で頷いた。

「だが、一つ良い兆しもあった」

「良い兆し?」

「現場の作業員たちだよ」

 ラグナルが馬を止め、現場の方を振り返る。

「彼らは君に信頼を寄せている。どんな妨害があっても、彼らが結束を乱さなければ、この工事は進む。だからこそ、妨害者たちの焦りはこれから増すだろうね」

 アデルは目を閉じ、一つ深呼吸をした。

「なら、こちらも動きを加速させるべきね。防衛策と工事の進行、どちらも妨げられないように」

 ラグナルは満足そうに頷いた。

「その意気だ、アデル。共に戦おう」


【カレスト公爵領の動乱】


 北の地の花々も、うら若き乙女のように咲き誇っていた。

 しかしカレスト公爵領には、花も枯らせてしまうような、冷たい緊張感が漂っていた。

 工事現場の初襲撃以降、襲撃は何度か繰り返された。ただし警備の強化によって、作業員が直接危険な目に遭うことはなかった。

 それ故に、厄介な問題が発生していた。アデルは執務室で、深いため息をついた。

「これが、ダモデス公爵の次の一手…」

 アデルの元に届いた厄介ごと。それは、ダモデス公爵からの訴状。彼の派閥の者たちとの連名で、王家に提出されたものだ。


『カレスト公爵領の警備隊が取り逃がした野盗団が、北部地域内の各領地に逃げ込み、被害をもたらしている。警備の不完全性が原因であり、工事が引き続き行われるのであれば、さらなる被害が懸念される。よって、警備体制が万全になるまで工事を停止されたい』


 アデルは苛立ちで顔を顰めた。しかし、書面をうっかり握りつぶさないだけの冷静さは保っていた。

 警備隊を総動員しても、野盗の完全排除は現実的ではない。相手は人数も武装も毎回まちまちで、昼に現れたかと思えば、次は夜襲。襲撃のタイミングも手口も読めない。そんな相手に全力で対応しようとすれば、もはやそこは工事現場ではなく戦場だ。守るべき優先順位を間違えれば、結果として残るのは焼け野原だ。

 領主である彼らが、その事実を知らないはずもなかった。


 さらに公爵領内でも、工事に伴う新たな問題が表面化していた。

「お前、子ども相手に何をやってるんだ! この出稼ぎめ!」

 そんな怒声が、領地の至るところで聞こえるようになってきた。

 工事現場の規模が拡大するにつれ、カレスト公爵領には外部労働者や商人が増えてきた。真面目に働く者もいれば、無作法で傲慢な輩も混じる。そして後者は、地元住民との間で軋轢を生む。それによって、領民たちから苦情が相次いで寄せられていた。

「アデル様、隣の村でまた乱闘騒ぎがあったそうです。外から来た労働者が地元の子どもたちを脅したとかで、領民たちが激怒しています」

 執事が報告書を差し出す。アデルはその場で目を通し、額に手を当てた。

「すぐに対応するわ。現地に向かう準備を。必要なら労働者を追い出すことも検討しましょう」

 アデルの頭には、父の教えが浮かんでいた。

「領民を守るのが公爵の役目。外から来た者がどんなに有能でも、領民の安心を損なうようでは本末転倒だ」

 しかし、すべてを同時に解決するのは容易ではない。工事現場、地元住民、隣領地からの圧力。

 その上、公爵の仕事は領地の管理だけでない。二ヶ月に一度の王国議会の参加もある。特に四月末の議会では、領地の案件を抱えたまま、王都で数日間にわたる審議に参加した。

 領地に戻ってきた頃には、アデルは出涸らしのようになっていた。

 

『先日の議会で貴女のお顔を拝見した際には、まるで命を削って討論に臨んでいるかのようにお見受けしました。どうか、その美しい顔を曇らせぬよう、ほんの少しでも休息をお取りくださいませ』

 ラグナルからの最新の手紙には、さりげなくも彼女を気遣う言葉が並んでいた。

「死にそうな顔って、レディに対してよく言ったものね」

 アデルは久しぶりに笑った。肩の力が抜けるような心地だった。しかしこんな些細なことで癒されてしまうほど、疲れ切っていることは由々しき問題だった。

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