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第二話:現場に近づく嵐

【現場作業員たちのちょっとした非日常】


 カレスト公爵領の工事現場、作業員たちが集まり始める頃。ちょっとしたニュースが、彼らを騒がせた。

「今日、領主様が視察に来るらしいぜ」

「領主? どうせ嫌味なおっさんだろ?」

 ヒューゴは顔を顰めた。労働によって鍛えられた体格と、日焼けした肌。彼は最近、王都に流入し、この現場で働き始めた者だ。

 現場にとって、上層の人間が来ることほど、やりにくいことはない。黙って見られているだけでも緊張するものだ。ひどい場合は、いらぬ口を挟んで現場を引っ掻き回されかねない。

「ああ、お前は外から来たから知らないか。うちの領主様は女性だよ。俺も顔は見たことないが」

「ふーん。でもどうせ嫌味なババアだろ。ついでに腹も肥えてるだろうよ、俺らの税金で」

「滅多なこと言うなよ。うちの領主様は人気が高いんだ。この現場で上手くやっていきたいなら、領主様への悪口は避けた方がいいぞ」

 カレスト公爵領の地元住民でもある彼は、声を下げてヒューゴを嗜める。ヒューゴは、「貴族なんてどいつもこいつも同じじゃないのかねぇ」と、訝しんだ。


 ヒューゴが自分の現場に入ったのは、朝日が燦々とする頃。そこに、見慣れない人物がいた。作業服を着た女。それだけでも異色の組み合わせだ。そこから顔立ち、体型、姿勢と、その女の全体像を認識する。

 一際目を引くのは、作業服には不似合いな赤い唇。それが妙に女の顔に映えている。


 ――何でこんないい女が、こんなところに?


 その女は、ヒューゴの上司と何かやり取りしていた。そしてヒューゴと目が合うと、向かって歩いてきた。彼は警戒することすら忘れて、その女の接近を許した。

「いつもありがとうございます。何か、現場でお困りごとはありませんか?」

「へっ!? あ、いえ、ないっす! むしろ他の領地の現場より全然働きやすいっす!」

 ヒューゴの答えに、その女は微笑む。

「もし何かお困りごとがあったら、上司に報告してくださいね」

 そう告げた女は、その上司とともに、別の作業現場へと向かっていった。


「おいヒューゴ、今のってもしかして、うちの領主様じゃないか?」

 ヒューゴが呆気に取られていると、同僚が興奮した様子で話しかけてきた。するとワラワラと、他の同僚たちも集まってくる。

「おいおいおい! 領主様が美人って噂、マジだったのか!」

「あれ領主様っていうか女神様だろ!」

「しかも独身らしいぞ! おい、もしかしてワンチャンあるんじゃねーの!?」

 同僚たちが、ヒューゴの周りで大盛り上がりする。ヒューゴはまだ放心していた。やがて、彼がようやく口を開いた。

「……俺、カレスト公爵領に移住するわ」


【心強い味方】


「作業員たちはしっかり働いてくれていますね。心強い限りです」

 一通りの現場視察をしたアデルが、そう告げた。それを聞いた現場責任者は、「領主様の取り計らいのおかげです」と返す。

「しばらくここで、皆さんの様子を眺めていてもよろしいですか? 邪魔はしませんので」

「ええもちろんです。むしろあいつらも、やる気を出すと思います。でも、お一人で大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。何せここは、私の領地ですから」

 その言葉には、領民に対する信頼が滲む。それを聞いた責任者は、密かに心を打たれていた。

 もちろん、本当に一人だったわけではない。カレスト公爵家の密偵が、物陰からアデルを護衛している。これは現場の求心力を高めるための、アデルのパフォーマンスだ。

 アデルは視察を続けた。作業員たちが忙しなく働いている。掘削、運搬、伐採。どの作業も重労働であり、アデルには到底できることではない。一人ひとりの労働が、アデルの夢を叶えようとしていること。その貢献に、アデルは胸の内で感謝を抱く。


 ふと、すぐ近くから咳払いが聞こえた。アデルは顔を振り向ける。

「これはアデル嬢、見事な集中力ですね。作業員の士気を保つためにも、このまま監督を続けていただきたいところですが、少しだけこちらにお時間をいただけますか」

 ラグナルだった。その背後には数名の護衛を連れている。そして彼は少しばかり、拗ねた様子を漂わせていた。

 アデルは苦笑しつつ、笑顔で一礼した。

「ラグナル様、ようこそお越しくださいました」

「アデル嬢もお元気そうで何よりです」

 本日のラグナルの訪問は、工事現場視察の名目だ。さらに裏の目的として、ダモデス公爵対策の話し合いも予定している。

 アデルは一歩下がり、工事現場に向けて手を伸べた。

「現場をご案内いたします。こちらからご覧いただけますでしょうか。進捗は順調です」

 ラグナルはアデルに続いて歩きながら、周囲の作業員に視線を向けた。現場の雰囲気は乱れることなく、仕事を進めていた。

「工員たちの意欲も高いようですね。なによりです」

「はい、少しずつですが、皆が目標に向かって着実に進んでいます。カレスト公爵家の長年の悲願を、皆さんにも理解いただけているのですわ」

 アデルの言葉には強い決意が込められていた。

「その覚悟を、私も感じていますよ」

 ラグナルは一瞬、北の空を見つめた。

「ただ、アデル嬢。ダモデス公爵が裏で手を回している可能性が高いことを、お忘れなく。順調な時ほど、周囲は勝手に敵意を燻らせるものですから」

 アデルは少し顔を曇らせた。

 周囲の作業員たちは、忙しく動き回っている。彼らは、貴族の思惑など知らない。

「私もダモデス公爵のことはよく存じております。彼相手に警戒を怠るなど、畑を食い荒らす狸に餌を与えるようなものですわ」

 アデルの皮肉に、ラグナルはふっと顔を緩めた。

「貴女の闘志を見くびっていたようです。言葉を変えましょう――狸に選ばせないとなりませんね。山に帰るか、鍋となるか」

 その言葉に、アデルは思わず吹き出した。


 二人は視察を続けた。現場の作業員たちの作業の様子や、士気の状況は良好だ。この現場を守らなくてはならない。アデルはその思いを固めた。


【春の嵐は突然に】


 黄金色の夕日が、カレスト公爵邸の応接室を染め上げる。

 アデルとラグナルは、テーブル越しに向かい合って腰掛けていた。ラグナルは深刻な表情で話し始める。

「アデル、ダモデス公爵の最近の動きについてだが」

「どのような動きか、知っているの?」

 ラグナルは身を乗り出し、声を落として話を続けた。

「彼は自身の派閥の者たちとの連携を密にしているようだ。表立った行動はまだ起こしていない」

 アデルは顎に手を当てて、考えを巡らせる。派閥の力を使い、カレスト公爵家を攻撃する。ダモデス公爵のいつもの手だ。

「これは何か仕掛けてくる予兆と見て良いだろう」

「そうね、あの男が何もせずにいるとは思えない。準備をしておかなくては。何かあればすぐに対応できるように」

 アデルは深く息を吸い込み、背筋を伸ばした。これから来る嵐の予感に、決して慌てることなく、冷静さを保とうとしていた。


 ふと、ラグナルはソファから立ち上がり、アデルの隣に腰を下ろす。そしてそっと手を伸ばし、アデルの手に重ねた。

「アデル。貴女は一人ではないよ」

 ラグナルの手の温もりが、アデルの心にじんわりと広がった。彼の優しい視線に、アデルもまた微笑みを返した。

 二人は互いに見つめ合う。言葉を交わさずとも、そのまま距離が近づいていった。ラグナルの唇がアデルのそれに触れ、アデルが受け止める。もう何度も重ねたその熱。それでも、その度に、胸の高鳴りを抑えられない。

 突然、応接室のドアを大きくノックする音が響いた。二人は急に我に返り、慌ててお互いに距離を取った。

「誰かしら?」

 アデルは落ち着いた声で、ノックの主に声をかけた。

「失礼いたします、アデル様。緊急の報告です」

 ドアが開き、使用人が顔を覗かせた。彼の顔色は真剣そのもので、すぐにアデルに向かって話しかける。

「工事現場で野盗による被害が発生しました。現場責任者が襲われ、数名の作業員も怪我をしています」

 その言葉に、アデルが瞠目し、立ち上がった。ラグナルの表情も変わり、即座に立ち上がってアデルの横に歩み寄る。

「すぐに状況を確認し、対応しなければなりません」

 ラグナルの青い瞳には一瞬の迷いも見えなかった。

「現場に向かいます。ラグナル様もご一緒に」

 アデルも出発のために動き出した。

 カレスト公爵領に、悪意という名の嵐が近づいてきていた。

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