第二話:繋がり始めた道
【王弟殿下と公爵の会合】
「まさかラグナル殿下からのお誘いとは」
戴冠式から数日後。アデルのもとに、王城から正式な招待状が届いた。「新王の戴冠に伴い、今後の国家運営を検討するため忌憚のない意見が欲しい」という、何ともラグナルらしい内容だった。
公爵として王室との関わりは当然だが、相手がラグナルというのはアデルも意外だった。先日の会話が余程印象に残ったのか、それとも高位貴族の意見が欲しいだけなのか。
「いずれにせよ、新王の元での政局を見極めるにはちょうど良い機会だわ」
そう呟き、アデルは外出の準備を進めた。
王城の会議室は、豪奢な調度品が設えられる。しかし過剰な装飾は少ない。
アデルとラグナルは早速、テーブル越しに向かい合った。
「お忙しいところありがとうございます、アデル嬢」
「ちょうど空いてる日でしたから」
アデルはそう言うものの、数日前に政敵からの招待を断っていた。彼が派閥での影響力を誇示し、アデルを貶めたい意図が透けていたためだ。「その日は風邪を引く気がしますわ」と雑に断っていたことを、ラグナルは知らない。
議題は、カレスト公爵領が属する北部地域の経済について。
アデルはテーブルに広げられた地図を見つめ、現状を説明した。ラグナルもまた、アデルの説明に耳を傾けつつ、視線を地図の上に滑らせる。
「つまり、現在の物流ルートでは、王都と北部を結ぶ道が不便すぎる、ということですね」
ラグナルが地図の一点を指し示しながら、確認するように言った。アデルはため息をつき、姿勢を正す。
「ええ。今の道は北部の山岳地帯を迂回し、大きく弧を描いています。移動時間だけでなく、馬車や荷車にかかる負担も相当なものですわ」
「道を整備し直す、というのはどうでしょう?」
「それも良い案です。ですが――」
アデルは頬に手を添えて、苦笑を浮かべた。
「本当は、森の一部を切り開いて、私の領地と王都を直接繋ぐルートが取れれば、移動時間は半分以上短縮できるのです」
その言葉に、ラグナルが僅かに眉を動かす。
「森を切り開く……ですか」
アデルは指先で地図上の森林地帯を軽く叩き、続けた。
「夢物語だと笑われるかもしれませんが……新通路は有料とするのがいいでしょうね。治安維持部隊を重点的に配置し、物流の要とするのです」
ラグナルが顔を上げた。その表情に、ごくわずかに驚きの色と――隠しきれない興味が浮かんでいた。
「大変興味深いです。しかし、新通路の利用が増えれば、元の道で宿などを営んでいた民たちの生活が脅かされますが……」
アデルは、その懸念に懐かしさを覚えながら答えた。
「元々の道は、四季折々の風景が楽しめます。通路舗装を強化すれば、馬車が快適に通れるようになりますし、観光目的で宿需要は高まるでしょうね」
ラグナルはアデルの顔をじっくり見つめ、問いかけた。
「――いつから構想を練っていたのですか?」
アデルは僅かに目を細め、遠くを見つめた。
「まだ父の生前に、ともに語り合った夢なのです」
前カレスト公爵・タリオンが健在だった頃。「一切の制約がないとしたら、何の課題に着手するか」と問われ、アデルは真っ先に「通路改革」と答えた。そして、考えられる弊害をタリオンから次々と問われ、全て打ち返した矢先に出来上がった構想だった。
それを聞いたラグナルの表情が和らぐ。
「確かに前カレスト公爵は、領民思いの素晴らしいお方でした」
アデルはラグナルに目を戻し、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。父をそのように評価していただけるとは……父は先見の明がある人でした」
その後、アデルは目を伏せて肩をすくめた。
「ですが、現実は厳しいもの。大きな予算、多数の工員、長い工期――実現できる頃には、私は老女公爵でしょうね」
ラグナルは黙って地図を見つめ、顎に手を添えて静かに考え込む。彼はゆっくりと地図上に視線を滑らし、アデルが示したルートを確かめる。アデルはラグナルの沈黙を、そっと見守った。
「……これは、夢物語ではないかもしれません」
その呟きに、アデルは驚いたように彼を見つめた。ラグナルは真剣な表情で、アデルに向き直る。
「貴女の発想は、大きな可能性を秘めています」
アデルは動揺を隠せなかった。いつもの仮初の微笑みは溶け出し、驚きのままに目を見開いた。その瞳には光が揺めいている。
「ラグナル殿下は……無理だとは言わないのですね」
「四つの国を一週間で統一した家系の末裔ですから」
ラグナルは何でもないことのように答えた。
アデルの夢は大きかった。大きすぎて、凡百の者たちには理解されなかった。「コストが高すぎる」「リスクが大きい」……異口同音の抵抗。
ラグナルの反応は、その記憶を塗り替えるように色鮮やかだった。
――彼は政局を渡り合う相手ではなく、共に未来を語り合える相手かもしれない。
その予感はアデルの心臓を打った。彼女はこれまで自助自立の精神で歩んできた。味方がいないわけではない。しかし、同じ視座で、同じ志で、思考を共有できる相手はいなかった。
ふと、アデルは8年前を思い出す。あの時の彼の言葉も、こんな風に心強かった、と。
「貴女の提案、持ち帰らせていただきます」
ラグナルはそう言いながら、アデルの目を見つめた。その青い瞳の力強さに、アデルは息を呑んだ。
会合はお開きとなり、アデルは王城を後にした。
馬車へ向かう道すがら、顔馴染みの政敵――ダモデス公爵と鉢合わせた。
「これはアデル嬢。北部地域の会合はご欠席で、王城から出てこられるとは」
アデルは「ごきげんよう」とだけ返す。
「風邪と聞いておりましたが、宮廷医師にでも診てもらっていたのでしょうか」
「ええ、そうですわね」
アデルは何の衒いもなく返すと、ダモデス公爵は眉を引き上げた。
「……よほど有意義なご用件だったのでしょう」
「ええ、ええ。とっても」
それだけ言って、アデルはさっさと馬車に向かい、乗り込んだ。
残されたダモデス公爵はしばらく呆然とした。いつもの舌鋒が返ってくると疑わなかったからだ。そしてハッと我に返り、「愚弄しておるのか、あの女狐!」と地団駄を踏んだ。
馬車に乗り込んだ後も、アデルの心はまだ会議室にあった。夢を共有できた――先の出来事の眩しさに、戸惑いを覚えていた。
窓から入り込む夕風は、そんな彼女を宥めすかすように、優しかった。
【勅命】
王城の謁見の間。重厚な扉が静かに閉じられる。アーサーは玉座に深く座り、ラグナルの報告に耳を傾ける。
「――以上が、アデル・カレスト公爵との会合で得た提案です。兄上が考える国家の姿に、一致する話ではありませんか?」
ラグナルは広げた地図を指差し、王都と北部地域を繋ぐ新しい道筋を示す。アデルの新通路案は、確かな現実味と将来性が感じられた。アーサーは地図に目を落とし、腕を組んで深く考え込む。
「王都が心臓となり、国全体に人と物と金を巡らせ、千年続く国家の基盤を整備する。『千年の団結』、それが私の望む形だ」
アーサーの目は、遠くを見据えるように静かに光る。10年前の立太子から始まった彼の政策は、成果は確かに生まれ始めているが、道半ばだ。
「各地で行政と経済の連携が進み始めたとはいえ、今のままでは、我が国は小国の寄せ集めと変わらん」
王国は繁栄していた。しかし、それは地域ごとの経済圏が孤立し、個々で成り立っているだけのものだった。
アーサーの低い声には、10年の重みと、なお残る課題への焦燥が滲む。
ラグナルは静かに頷きながら、アデルの提案に再び触れた。
「この道が整備されれば、物流は劇的に改善されます。更にこの道を王都から伸ばし、東南西地域への主要通路に繋げば――王国の動脈となります」
アーサーは弟の言葉を噛み締め、そして重い沈黙を破った。
「その話、現実にせよ」
国家百年の礎となり得る王命に、謁見の間の空気が引き締まる。
「承知いたしました」
ラグナルは深く頭を下げ、指示を受け取った。
アーサーは息を吐き、ようやく弟に向けて穏やかな笑みを見せた。
「カレスト公爵――大胆だとは思っていたが、これ程とは」
「ええ、彼女ほど現実的で的確な意見を持つ者はそういません」
ラグナルの言葉には、素直な敬意が滲む。アーサーはその様子を見て、含みを持たせるように口角を上げた。
「どうやら、お前も楽しく話せる相手を見つけたようだな」
「……どうでしょうね」
ラグナルは笑みを崩さず、淡々と返すだけだった。
ラグナルは私室に戻り、窓から王都の景色を眺めていた。暗がりに浮かぶ街並み。そこに未来の構想が重なる。王都を中心に、交易の幹となる通路を繋ぐ。その道の上を、これまでの何倍もの人・物・金が流通する。そして王都の風景はより華やかに、整然としたものとなるだろう。
ラグナルの思考は、この未来を魅せた張本人へ移る。
大地の色を宿した茶髪に、黒曜石のような瞳。この国の民族的特徴を象徴する容姿に、鮮やかな赤の唇が映える。それは単なる装いではなく、彼女の気高さと自立の意志を示すものだった。
アデル・カレスト――彼女の姿は、王国の文化と誇りを体現していた。
――やはり彼女を、一介の貴族として扱うのはあまりに惜しい。
――それに彼女と話していると……不思議と時間を忘れてしまう。
「……もう少し話を聞いてみたいな」
ぽつりとこぼれた言葉に、ラグナル自身が驚いていた。しかし、すぐに理性で解釈し直した。同じ為政者として、彼女の視点が興味深い――それだけだと。
「彼女とは、うまく友誼を結ばねばならない」
ラグナルは静かに呟く。一人の貴族に大義も脈絡もなく肩入れすれば、他の貴族たちから反感を買う。それは彼の立場上、避けなければならない。人は自分の不公平に敏感なものだから。
ラグナルは深く息をつき、机に向かった。先の会合で得た情報を整理し、次に打つべき手を練り直すために。
心の片隅に残る、淡い心地よさの意味を――彼は、考えないことにした。