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挿話:推し活夫人たちの誕生 ~共感と憧憬の文化の萌芽~

【王都に広がる噂とロザリンド】


 王都のとある豪華なサロン。陽光がカーテン越しに差し込む中、貴婦人たちが薬草茶を片手に談笑していた。

 話題の中心は、今や社交界で最も熱い噂、「王弟ラグナル殿下とカレスト公爵閣下」についてだった。

「先日の舞踏会でのお二人、本当にお似合いでしたわね!」

 夫人Aが興奮気味に声を上げる。

「ええ、あのラグナル殿下があんなに自然体で女性と踊るなんて珍しいことですわ!」

 夫人Bが頷くと、夫人Cがため息交じりに続けた。

「それもただの女性ではなく、あのカレスト公爵……! 王弟と公爵、紳士と淑女、美男美女……完璧なバランスではありませんか」

「もう尊すぎて……鼓動を抑えられませんわ!」

 夫人Dが胸を押さえて言うと、他の夫人たちも一斉に同意する。


 その時、サロンの扉が優雅に開かれた。現れたのは、ロザリンド・マグノリア侯爵夫人。気品と明朗を纏った彼女に、夫人たちの視線が集中する。

「皆様、ご機嫌よう。今日も熱心に語らわれているようですわね」

 ロザリンドがにっこりと微笑む。夫人たちは、待っていましたとばかりに身を乗り出した。

「ロザリンド様、新しい情報をお持ちではありませんか?」

「もちろんですわ。二人に関する最新の話題をお届けに参りました」

 ロザリンドは薬草茶を一口含み、話を始めた。

「まず、ラグナル殿下が最近、北部から届いた地酒を王宮で振る舞ったそうです。皆に大好評だったとか。そして、殿下自ら『カレスト公爵のおかげで手に入った』とおっしゃったそうですわ」

「なんですって!? それはもう、事実上の贈り物ではありませんか!」

 夫人Aが歓声を上げる。

 夫人たちがうっとりと聞き入る中、ロザリンドはさらりと付け加えた。

「さらに十年前、議場にてアデルが次期公爵として紹介された際、ラグナル殿下が優しげに微笑んでいらしたという話もございます。その頃から、殿下は彼女の未来を見据えておられたのかもしれませんわね」

「十年前、ですって!? もしかしてお二人はその頃から秘めたる想いを……!」

 夫人Cが手で口を抑えながら声を震わせる。


 ご夫人たちは完全にロザリンドの話に引き込まれていた。そしてロザリンドを「二人の真実を伝える宣教師」として崇めた。


【推し活コミュニティの暴走】


 噂に熱狂したご夫人たちは、次第に「推し活」の域に達していった。

「舞踏会でお二人が踊られた場面を刺繍にしたタペストリーを作るのはいかがかしら?」

 夫人Dが提案すると、他の夫人たちが口々に賛同する。

「それは素晴らしいアイデアですわ! タペストリーだけでなく、香水やブローチも作りましょう!」

 こうして商人や職人たちが噂を聞きつけ、「ラグナル&アデル」をモチーフにした商品を次々に作り出した。高位貴族向けの商品ラインナップには、サファイアとブラックパールをあしらったブローチや、「蒼珠と雪薔薇」と名付けられた香水が並び、瞬く間に飛ぶように売れた。なんと王妃までもが手に取ったという。それを知った推し活夫人たちは、「王家公認!」「王妃様はこちら側!」とコミュニティ内で加熱した。


 ロザリンドはさらに燃料を投下する。

「アデルがラグナル殿下と頻繁にお話を重ねていらっしゃると伺いましたわ。難しい政治に関するお話も多いとか。お二人の知恵と努力が、王国にも良い影響を与えているとお聞きしましたの。さすが、見事なご協力ですわね」

「さすがカレスト公爵、王族とも対等に政治のお話をなされるなんて、稀代の才女ですわ……!」

「しかも、そんな彼女を受け止められるラグナル殿下の度量……なんて気高く聡明で器の大きい方なの……!」

「愛し合うだけでなく、王国の未来を支えてくださるなんて……お二人がいれば、この国はきっと安泰ですね……!」

 このロザリンドの語りをきっかけに、「推し活扇子」なるものも登場した。宝珠と薔薇、宵闇と雪などのモチーフが描かれ、金糸で一行の詩が刺繍されている――「蒼珠と雪薔薇の愛、王国の未来を照らす」。

 推し活扇子はご夫人たちの必須アイテムとなった。

 

 かつて王国の主流文化だった、荘厳な芸術。大貴族による圧倒的な資金力によってもたらされた美。それは人々を圧倒し、畏敬させる存在だった。

 しかし、推し活夫人たちが生み出したのは、それとは全く異なる文化の萌芽だった。共感と憧憬を土台に、自然発生的に広がり、人々の心を動かしていく新しいうねり。王国の文化は、かつての荘厳さから、より人々の暮らしに根付いた新しい形へと変わり始めていた。


【ラグナルの困惑】


 ラグナルも王都の異変に気づき始めていた。

「最近、やたらと夫人方の視線が生温かいような気がする……」

 これまでもラグナルは、女性から情熱的な視線を向けられた。しかしそれとはまた違う、見守るというか……凝視されているというか……経験したことのない居心地の悪さを、ラグナルは感じていた。

 街中を歩けば、妙なデザインの刺繍やブローチが視界に入る。そこにはラグナルとアデルをイメージした図柄があしらわれていた。さらに先日の王妃が開いたお茶会でのこと。ラグナルが挨拶に伺うと、多くのご夫人たちが一斉に扇子を広げた。その扇子に書かれた一行詩に、ラグナルは困惑した。

 ついに彼は、間者を呼び出して状況を確認することにした。

「王都で何が起きている?」

「ご夫人方の間で、殿下とカレスト公爵の噂が熱を帯びております」

「一応聞くが、噂とは?」

「殿下とカレスト公爵が未来の王国を象徴する理想のカップルだという風潮が広まり、応援する動きが出てきています」

「応援……?」

「ええ。殿下のカレスト公爵への振る舞いが、ご夫人方にとって『尊い』ものとして受け止められている模様です」

 ラグナルは額に手を当て、眉間に皺を寄せて深いため息をついた。

「『尊い』とは何なのだ……?」


 間者の報告を受けてから数日後、ラグナルは北部のアデルに手紙を書いていた。

「彼女がこの噂を知ったら、どんな顔をするだろう……」

 手紙に記すべきかどうか迷い、しかしどう説明したら伝わるのか自信が持てず、諦めた。ペンを置いた彼の顔には、困惑と微かな笑みが浮かんでいた。


 一方、サロンではロザリンドがご夫人たちをさらに焚き付けていた。

「北部の冬景色に佇むお二人を想像してみてください。凛とした空気の中で語り合う彼ら、それだけで詩ですわ!」

「素晴らしい! さすがロザリンド様ですわ!」

「私は壁になりますわ!」


 こうして王都の「推し活」熱は、ますます過熱していく。そして、この熱狂が引き起こす波紋に気づかないまま、アデルとラグナルの物語は新たな展開を迎えようとしていた。

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