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第七話:偏執の甘露

【噂はサロン以外でも】


 王城の食堂では、年明けにも関わらず官僚たちで盛況だった。

 食卓に添えられるのは、高位貴族に関する噂話だ。

「オルフィウス侯爵が、今度はカレスト公爵に熱を上げているらしいな」

 誰かがつぶやく。その発言に他の官僚たちが反応し、話が広がる。

「どうせまた『オルフィウスの熱病』だろうな」

「まったく、高位貴族の浮気は大目に見てもらえるとはいえ、元気なことで」

「けど、カレスト公爵は独身だろう。いつもと事情が違いそうだが」

 その時、誰かがふと口を開いた。

「我らが王弟殿下は、これをどうするんだろうな……」

 その一言に、テーブルの周囲が静かになった。

 直近の年末会議で、王家とカレスト公爵家のパートナーシップが示されたばかりだ。一方でオルフィウス侯爵家は西部地域の家だ。西武地域は代々、王家と一定の距離感を保っている。

 このタイミングで、オルフィウス侯爵がカレスト公爵に接近している。そして不穏な動きを見せた場合、それは王家と公爵家に対する離反工作ではないか。

 一体オルフィウス侯爵が何を企んでいるのか――官僚たちは政局的な観点からその動きを推測し、さまざまな憶測を飛ばす。


 この話を聞いた中年のメイドが、黙って食堂を後にした。

 彼女は、官僚たちの会話を一通り聞き終えた後、ラグナルのもとへと報告に訪れた。

「殿下、オルフィウス侯爵とカレスト公爵の件、王城内で盛んに噂されております」

 実はこのメイド、特殊な訓練を受けた間者である。王城内に潜伏しつつ、政治的な動きや噂を察知次第、ラグナルに報告する任務を負っている。

 彼女の報告内容は、先ほど食堂で耳にした通りだった。

 ラグナルは報告を受ける間、一切表情を変えず、無言のまま聞き続けた。そしてメイドが下がると、机に肘をつき、片手で目を覆うように頭を支えた。


 ――瑣末だ。どこからどう聞いても瑣末な話だ。


 ラグナルはほぼ正確に、内情を洞察していた。

 十年近く前のアデルの元婚約者が、急に行動した理由。これまで氷雪の砦とさえ呼ばれた彼女が、最近になって自分との関係を噂されるようになり、途端に惜しくなったのだ、と。

 ラグナルは自分自身に説く――「昔の女はいつまでも自分を好きでいてくれる」と思い込みたい男の悲しい性に、アデルもさぞかし困惑したことだろう。

 ラグナルはこの後のことを予測する。まずアデルは政治上の根回しをするだろう。その上で、オルフィウス侯爵に対して、毅然と対応する、と。

 彼女の知性も、気高さも、ラグナルは全て分かっていた。


 ラグナルはふいに立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。冷たい夜風が顔を撫でるが、その熱を鎮めるには程遠い。脳裏に浮かぶのは、アデルの手を取りキスをするオルフィウス侯爵の姿。そしてその瞬間、胸を抉るような苛立ちがこみ上げる――彼女に触れた男が他にいる。


 ラグナルはその場でじっとしていることができず、すぐに動き出した。外はすでに夜も更けており、深い静寂に包まれていた。しかし、それは彼の静かなる衝動を宥める理由にはならなかった。


【慎重な偏執】


「ウィンドラス公爵との会合を取り付けられたのは重畳ね」

 夜のカレスト公爵邸。アデルは私室で、薬草茶と共に一息ついていた。

 王都もそろそろ寝静まろうとしている。そんな静寂を破るように、執事がアデルの私室をノックした。

「アデル様、王弟殿下でございますが……いかがいたしましょうか」

 アデルは驚きの表情を浮かべる。

「こんな時間にラグナル様が?」

 何か重大なことに違いない。アデルは胸騒ぎを抑えて、落ち着いた口調で執事に言った。

「応接室にお通しして。……それと、他の者たちは下がらせてちょうだい」

 執事が下がり、ラグナルの元へ行く。その間にアデルは使用人に命じ、応接室の灯りを灯すように指示した。部屋の中に温かな光が広がる。そのまま一人で応接室にて待っていると、ラグナルが護衛も伴わずに現れた。


 ラグナルは扉を閉めると、ためらうことなく彼女に歩み寄る。そして、その細い体を強く抱き寄せた。

 彼の香水が、ほんのりとした優しい香りを漂わせ、アデルの鼻をくすぐる。アデルが何かを言おうとした瞬間、耳元で低く甘い声が囁かれる。

「オルフィウス侯爵とは、どういう関係なの?」

 その問いは、最初から用意していたかのようだった。そして嫉妬を隠そうともしていなかった。

 アデルは一瞬面食らったが、すぐに毅然と答える。

「元婚約者よ。今は何の関係もないわ」

 ラグナルはその答えに微かに目を細める。彼女の髪に唇を触れさせながら、言葉を続けた。

「でも、愛を乞われているんだよね」

 ラグナルの声が一層低くなった。慎重な言葉選びは、アデルの反応を探っているかのようだった。

 彼の嫉妬は明らかだった。アデルの胸は不覚にも高鳴り、頬がじんわりと熱くなる。それでも、理性を保った。

「一方的なことよ。むしろ迷惑しているくらいだわ」

「迷惑ね。君が隙を見せたんじゃないか?」

 ラグナルはそう言いながら、今度は彼女の頬にキスをした。アデルはその距離感に圧倒され、うまく言葉を紡げない。

 ラグナルはそんな彼女を見下ろし、微笑むとさらに畳みかけるように囁いた。

「今だって、こんなに隙だらけなのに」

 彼の唇が耳元に触れ、甘噛みされる。その瞬間、アデルの体が小さく震える。甘い痺れが駆け巡り、彼女は何も言えないまま彼を見上げた。

 ラグナルは、彼女の沈黙を見てさらに挑発的に言葉を重ねた。

「何も言わないなら、このまま続けても良い?」

 彼の手が大胆に、アデルの腰を撫で回し始めた。その行為に限界を感じたアデルは、ラグナルの胸を押し返し、彼の青い瞳を捉えた。その目に宿る偏執が、自分にだけ向けられている。それは存外、心地のいいものでもあった。それ故に、アデルの理性が警鐘を鳴らす。


「そんなに気になるなら……私を捕まえて閉じ込めておけばいいわ。できるものなら」

 ――公にすらできない関係のくせに。貴方に嫉妬する権利なんてあると思って?

  

 それは抵抗と挑発が入り混じった、艶やかな返答だった。

 ラグナルはアデルの黒い瞳に見惚れたまま、しばらく沈黙した。そして次の瞬間、堪えきれないように笑った。

「ごめん。わかってて意地悪した」

 ラグナルはそう言いながら、アデルの体をそっと解放する。

「君は本当に手強い」

 それはアデルの気高さと度胸に対する、手放しの賞賛だった。アデルも体の緊張を解く。

「そちらこそ、私の出方を試そうとするなんて、悪い人ね」

 ラグナルの偏執的な言葉と瞳は、その割に計算めいていて、アデルの反応を伺っていた。その違和感をアデルは見逃さなかった。

「でも嫉妬したのは本当だよ」

 ラグナルはアデルの手を優しく取り、恭しくキスを落とした。アデルはため息をつきながら、彼を優しく睨み返す。

「もう。仕方のない人」

 言葉に混じるのは、彼への苛立ちではなく、どうしようもない愛しさだった。アデルは無防備に微笑んだ。

「ラグナル。貴方が心配するようなことは、一つもないのよ」

 その言葉に、ラグナルは瞠目する。そして悪戯めいた笑みを浮かべた。

「ではその弁明を願おうか。これは君に触れる特権を持つ者として、正当な要求だよ、アデル」

「こんなに嫉妬深かったとは。意外な一面ね」

 アデルは苦笑する。そう言いつつも、彼の新たな側面を、嬉しいと思ってしまう。

「知らなかったかい? アヴェレート王家の歴史は執念の継承さ」

「本当、この国の合理と情熱に相応しい家柄ね」

 そんな皮肉を交えながら、二人はソファに並んで腰掛けた。

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