第六話:未練の苦汁
【年明けの一幕】
冬の社交界。王都の貴族だけでなく、領地に住む貴族たちも集結する。貴族の邸宅が立ち並ぶ通りは、連日馬車と人でごった返す。その様相は華やかさを超え、時に狂乱とも言える現象が起きる。
例えば前王ノイアスがまだ王太子だった頃、隣国の姫に一目惚れし、彼女の国に行きそのまま婚約者として連れ帰った。このエピソードに当時の臣民たちは熱狂した。姫が身につけていた髪飾りのレプリカが飛ぶように売れた。それだけでなく、令息が令嬢と駆け落ち同然で婚約するブームも起きて、社会問題化した。
こんな様相なので、諸外国では「アヴェレート王国は恋愛の国」というイメージがつき始めている。
アデルも例に漏れず、この社交シーズンは王都に滞在していた。挨拶や親交、それによって得られる情報と人脈。それらは、彼女が領地を経営する上でも欠かせない資源だった。
この日、アデルは、ある侯爵家が主催するパーティに招待されていた。そこで、主催の侯爵が挨拶していた相手に、アデルの目が止まった。
「オルフィウス侯爵がいらしてくださるとは、大変光栄です」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
ヴァルターの姿があった。珍しいこともあるものだ、とアデルは思う。人脈が重なっていない二人が、こうした場で顔を合わせるのは珍しかった。
「オルフィウス侯爵、やっぱり良い男ですわねぇ」
「さすが、西武地域一の色男と言われるだけありますわ」
「その分、火遊びの噂も多いですけど……それすらも魅力かもしれませんわね」
ヴァルターの洗練された振る舞いが、ご夫人たちの噂に花を添える。
一方、アデルは東部地域の公爵夫人と話し込んでいた。
「『スフィリナの奇跡』ですか。まさか東部地域の寒村で、そんなことが」
「ええ。教会の元聖女様が、たまたま手に入れたスフィリナを調合して、村の子ども達を病から救ったそうです。それを聞き、私もほっとしましたわ」
「スフィリナがお役に立てたようで、私としても喜ばしいです」
アデルは善意の言葉を告げながら、別の算段を始めていた。
教会の聖女と言えば、薬学の全てを修めた、「奇跡の担い手」だ。その神聖な立場は、大貴族であっても簡単には接触できない。
しかし、「元」聖女なら話は別。今彼女は、教会の主流派によって追放され、ただの人となっているという。教会を敵に回したくない東部地域の人々は、彼女との接触を控えている。唯一匿ったのが、その寒村だった。
――教会を敵に回す? 希望の女神は笑顔の者が好きなのよ。
アデルは美しい笑みを浮かべ、「少々失礼いたしますわ」とその場を抜けた。そして屋敷の外に出て、従者に指示をする――「元聖女をこちらの陣営に引き入れよ」。
その指示によって、カレスト公爵家は年始早々、部下たちが慌ただしくなるのだが、それはまた別の話だ。
そして何食わぬ顔でアデルが会場に戻ろうとしたとき。屋敷の廊下に、ヴァルターがいた。ヴァルターはアデルに微笑みかけた。
「アデル、やはり君は年々美しくなるね」
ヴァルターの低い声に滲むのは、計算された情熱。アデルは自身の顔に、社交用の笑みを貼り付けた。
「ご丁寧にありがとうございます、オルフィウス侯爵。年明け早々、こうしてお会いできて光栄ですわ」
「君にそう言っていただけるなら、僕の新年も上々だね。それにしても、今日の君は――まるで会場の中心で輝く星のようだ」
「お言葉は嬉しいのですが、過分ですわ」
アデルの返答は穏やかだが、内心警戒していた。しかし無碍にもできなかった。
ヴァルターは今や、西武地域を代表する有力貴族。この地域が有する豊富な炭鉱山は、北部地域の冬を乗り越える上で無視できない。この数年、荷車の改良などを重ね、ようやく石炭の取引量を増やせたのだ。そう簡単に、敵に回すわけにはいかない。
ヴァルターがアデルと距離を詰めた。アデルは一歩、後退する。
「君が今もなお僕の心を掴んで離さないなんて、思いもしなかったよ。あの時、父上と争ってでも君を選んでいれば……今、君の隣にいるのは僕だったかもしれない」
ヴァルターは優雅に、それでいてやや強引に、アデルの手を取った。そして一切の濁りなき動作で、その手にキスを落とす。
その瞬間、アデルは眉を顰めた。しかしそれ以上の動揺を見せることを堪えた。礼儀正しく手を引き、控えめに微笑む。
「ご厚意には感謝いたしますが、誤解を招くようなことは避けたいと思いますわ」
彼女の冷静な返答に、ヴァルターは微かに目を細める。
「もちろん、君を困らせるつもりはないよ。ただ、こうして話せる機会を大切にしたかっただけだ」
「お心遣いには感謝いたします。それでは、他の方々にもご挨拶をして参りますので、失礼いたしますわ」
ヴァルターは肩をすくめながら、彼女の立ち去る姿を見送った。彼の余裕のある態度は、これまでの恋愛経験がなせる技だった。
一方、そのやり取りをうっかり目撃してしまったのは、とある夫人だった。彼女はアデルとヴァルターを交互に見やり、すぐに顔を輝かせる。まるで新しい物語を見つけたかのように。彼女は足取り軽やかに、次のサロンへと向かうのだった。
【噂といえば】
数日後、ロザリンドが元気いっぱいにアデルの屋敷に押しかけてきた。
「アデルが王都にいる間は本当に退屈しないわね。どこもかしこも貴女の話で持ちきりよ」
アデルはソファの背もたれに寄りかかり、盛大にため息をついた。
「そんなにうるさくしないで。今日は静かに過ごしたいのよ」
しかしロザリンドは、そんなアデルに配慮しない。にやりと口角を上げる。
「でも、ヴァルターとの噂については、静かにしておけないわ。ほら、サロンでちょっと聞いたんだけど……」
アデルは思わず顔を顰めた。
「本当に何もないわ。勘違いしないで」
アデルの断定的な否定の中に、明らかな苛立ちが混じる。
ロザリンドがそれをうっかり聞き逃すわけがない。にんまりとした表情で追撃する。
「あら、ラグナル殿下の時とは全然違う反応するのね。あの時の貴女、満更でもなさそうだったじゃない!」
アデルはその言葉に、思わず背筋を伸ばした。反論しようとするが、ロザリンドの表情に言葉が詰まる。
「そ、そんなことは……! 言いがかりよ!」
ロザリンドは、侍女が用意した薬草茶を口にする。上品な仕草にも関わらず、その表情はおもちゃで遊ぶ子どものようだ。
「ふふ、それならヴァルターのこと、同じように澄ました反応しても良さそうなのに」
アデルは困惑し、眉をひそめながら聞いた。
「その噂、どれくらい広まってるの?」
ロザリンドは軽く肩をすくめ、茶目っ気たっぷりに答える。
「サロンで持ちきりよ。『氷雪の砦に挑戦する二人目が現れた!』なんて言われてるわ」
アデルは目を怪訝に細めてロザリンドを見つめた。
「二人目……?」
「そうよ。一人目はもちろん、ラグナル殿下」
ロザリンドは薬草茶をもう一口飲んだ。
「でも今回は、『元婚約者との残り火が膨らんで砦が崩れるんじゃないか』なんてね。誰かが詩にでもしそうな勢いよ。『氷雪の砦の悲恋譚』とか?」
「サロンの噂話って、本当に無責任よね……」
アデルは力なく肩を落とす。
「仕方ないわよ。あの『氷雪』のアデルが、手を取られただけで大ニュースなんだから」
ロザリンドは肩をすくめ、言葉を足した。
「まあ、ヴァルターが既婚者だってことも、噂に拍車をかけてるけど」
「既婚者だからこそ、余計に困るのよ!」
アデルは目頭を押さえ、天を仰ぐ。
高位貴族であれば、既婚者の浮気はお目こぼしされる風潮がある。政略により愛のない結婚生活を送る者も少なくないからだ。ただ、それは既婚者同士の浮気の話であり、一方が独身というのは、「夫婦の仲に割って入る間男・間女」として外聞が悪い。
ロザリンドは悪びれずに続ける。
「こんなに話題になってるなら、近々王宮にも噂が届くかもしれないわね。『殿下に続き、新たな挑戦者が砦を崩し始めた!』なんて」
その言葉に、アデルは背筋がぞくりとする。まるで氷水を背中に流し込まれたかのように。その様子にロザリンドは思わず吹き出す。
「まあ、ヴァルターは論外よね。既婚者だし浮気者だし。噂もすぐに消えるでしょうけど」
ロザリンドはティーカップを置き、王城の方角を見つめながら続ける。
「でも、ラグナル殿下はどう思われるのかしら」
「ロザリンド、本当にもうやめて!」
アデルが頭を抱えた。その仕草に、ロザリンドは口元を抑えつつ笑う。
「わかったわ、今日はこれくらいにしておいてあげる」
ロザリンドはさりげなく立ち上がり、窓辺の景色を一瞥する。その背中越しに、アデルは心底疲れたようにソファに沈み込む。
話題はひとまず打ち切られたものの、アデルの気苦労は絶えない。
元聖女の話はスピンオフ短編として書いています。
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