第四話:政略と社交の狭間
【年末会議】
王都では木枯らしが吹き荒ぶ。道行く人々は、外套の襟元をしっかり握りしめ、寒気を堪えている。
しかし城内は、その寒さも忘れるような緊張感に包まれていた。
今、王城は、年末会議の真っ只中だ。この会議は、王国の重要な政治イベントとして位置付けられている。
まずは二ヶ月に一度行われる立法議論。これは毎回、数日間に及ぶ。その後、年間の領地経営報告会と、翌年の国政方針発表がなされる。
年末会議が始まって五日目、領地経営報告会が始まった。この会には、領地を持つ侯爵家以上が参加する。
アデルも公爵家当主として、報告を行う番が回ってきた。彼女は立ち上がり、堂々とした態度で話し始めた。
「我が領地は今年、税収が良好であり、人口も順調に増加しております。また、来年からは王都との物流を活性化させるため、新しい交易幹路を開拓する計画を立てています。今、王家の支援を受けて、その実現に向けて進めております」
その報告により、しばしの沈黙が広がった。その中で、公爵家の一人が、手を上げて発言を求めてきた。
「素晴らしい実績を上げておられますな、カレスト公爵。だが、王都との交易幹路の件について、少々懸念があります。開通したところで、果たして本当にうまくいくのでしょうか? 物流の安定化には多くのリスクが伴うということを、忘れてはなりません」
その声に、場が硬直する。貴族たちはその意見を受け、アデルを見守った。
発言主であるバルデリック・ダモデス公爵は、老獪な男である。カレスト公爵家とは同じ北部地域だが、関係は冷え切っている。
アデルの赤い唇が、弧を描く。
「仰る通り、幹路整備にリスクはございます。天候災害、野生動物、人身事故。ですがその全てに、対策を講じております。――カレスト公爵家にとって、予想できるリスクは、諦める理由になりませんの」
アデルの言葉が、議会を制した。貴族たちが、カレスト公爵家の実績を思い出す。金山開拓、農地改革、新産業創出。その全てがリスクの先に掴んだ成功だ。それを思い出してしまえば、反論できる者はいない。
アデルに続いて、ラグナルが言葉を添えた。
「本件は、王家としても『千年の団結』の実現に向けた骨子の一つと見なしております。カレスト公爵家は、その志を最前線で示してくれた。その献身を、王家は必ず支え、報いる所存です」
会議の雰囲気はがらりと変わった。ダモデス公爵は明らかに顔色を変えた。周囲の貴族たちも、思わずと言った様子で騒然とする。
「あの噂は本当だったのか……」
「それどころか、あれは同盟と言ってるに等しい」
近頃、王家とカレスト公爵家の間で、政策協調による接近が噂されていた。しかしラグナルの言葉は、一時的な利害の一致を超える宣言だった。王が目指す『千年の団結』の実現に向けた、カレスト公爵家からの長期的な支持。それが事実として周知された瞬間だった。
ダモデス公爵は作り笑いで、「成功を祈っております」と告げた。しかし、その目にはどこか不満そうな色が浮かんでいた。
このやり取りによって、王家と地方領主の新たなパートナーシップ像が示された。今後、立ち振る舞いを変える者も出てくるだろう。
その後、領地経営報告会は粛々と進んだ。
翌日、王から翌年の政策方針の発表がなされた。その目玉施策として挙げられたのが、国土強靭化と物流活性化構想。東西南北地域を繋ぐ通商路を整備・統一し、物流活性化を目指す構想だ。
アデルとラグナルが進めている、交易幹路計画の成功こそが、この構想の最重要課題である。
王国の東西南北地域の分断が、連携を始め、やがて包摂へ。『千年の団結』は、理想から現実へと変わりつつあった。
【年の瀬のパーティ】
その日は、王都中の全ての花や星を集めたような夜だった。
年の瀬、王城では盛大なパーティが開かれる。いくつもの煌びやかなシャンデリアが、大広間全体を照らし出す。豪華なドレスをまとった貴族たちが、あちらこちらで談笑を重ねる。色とりどりの食事と、バイオリニストの演奏が、場を彩る。
パーティの冒頭に、王家からの慰労の言葉や、来年の繁栄を祈願する挨拶が交わされた。祝宴はひとしきり賑わいを見せた。
アデルも華やかなドレスを着て、社交の場へと身を投じる。ドレスは落ち着いた色合いだが、アデルのボディラインを引き立て、本人の存在感を強調した。
アデルは、王族、親戚、友人、仕事相手と、あらかたの挨拶を終えた。すると、目の前にラグナルの姿が現れる。彼もまた必要な挨拶を終えたようで、彼女と目が合った。
ほんの一瞬の沈黙の後、アデルは微笑みながらラグナルの方へ歩み寄った。
「ラグナル殿下、お変わりなくお過ごしのようで何よりです」
「アデル嬢も、今宵の装いが一段とお似合いです」
周囲から好奇の目が二人に集まる。「やはり、政治的に円満ということか」「いいえ、もっとロマンチックな関係かもしれませんわ」――そんな空気が、広間の一角を満たした。
しかし二人はその空気に動じることはなく、優雅に、品よく、時折皮肉を織り交ぜた、貴族の会話を続けた。
その時、バイオリニストのソロ演奏から、楽団の華やかな音楽に変わる。ダンスの時間が近づいてきた合図だ。男女が一斉にダンスの準備を始める。ラグナルもまた、アデルに向かって手を差し出した。
「アデル嬢、今宵のダンスをお誘いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、お受けいたしますわ」
アデルは流れるように、その手を取った。まるで二人の間で決めていたかのように。
二人は舞踏の輪に加わる。音楽に合わせて優雅に踊り始める。旋律と喧騒の中で、ラグナルは小声でアデルに話しかける。
「今夜のあなたは本当に美しい。まるで雪に佇む女神のようだ」
その言葉にアデルは目を細め、小声で答えた。
「ありがとうございます。殿下も、いつにも増して素敵ですわ」
二人の囁き合うような会話は、他の誰にも聞こえない。
ラグナルとアデルのダンスは、絵画のように美しかった。二人の流麗なステップは、貴族たちの目を奪う。その目は、感動と称賛に満ちていた。
噂好きのご夫人方からは、賑やかな声が上がった。
「なんと息ぴったりなのでしょう」
「まるで長年のパートナーだったかのようだわ」
立場も、容姿も、ダンスの技量も、全てが最上級の二人を、社交界は放っておくことができない。
その空気の中、ひときわ注目される人物がいた。ロザリンド・マグノリアだ。社交界の華であり、アデルの従妹。今、彼女の発言は、神託のように期待を寄せられていた。
そのロザリンドが、ついに口を開いた。
「アデルを昔から知る者として言えるのは、彼女の心を動かすことは、まるで氷雪を溶かすように大変だということよ」
ロザリンドが含み笑いを浮かべて言う。その言葉に、ご夫人方の目がさらに輝きを増した。
「氷雪を溶かすのは大変ではあっても、不可能ではない、と?」
「厳しい冬が終わり、暖かい春が訪れるのかしら!」
「ふふ、何だか私、春の雪解けを見たくなってきましたわ」
ご夫人たちの声が次第に熱を帯び、噂話が膨らんでいく。それを横目に、ロザリンドは二人のダンスに視線を戻した。
ロザリンドは、二人が恋や結婚を躊躇していることを、十分に理解していた。責任感の強い二人が、立場を超えて個人の感情を優先することは、考えにくかった。
だからこそ、ロザリンドは噂を逆手に取った。社交界の空気を「二人の関係を祝福する方向」に誘導する。氷雪の砦に挑戦する王弟殿下、というわかりやすい物語に、人々が食いつかないはずがない。
――貴族である以上、噂からは逃げられない。なら、それを利用するのもまた貴族の嗜みだわ。
ロザリンドは、わずかにラグナルの方に視線を送る。その視線は、「もっと積極的に行動しなさいよ」とでも言っているようだ。もっとも、その視線に気づく余裕は、アデルに夢中のラグナルにはなかったが。
曲が演奏され続ける間、二人は踊り続けた。その間でどのような感情が交錯しているのか、周囲にはわからない。
しかし二人のダンスに魅せられた人々は、口々にこう語った。
「あの二人のその先があるのなら、見てみたい」




