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挿話:文通の綴り手たち

 晩夏から初秋へと季節が移ろいできた頃。

 王宮の一角、文書管理室には早朝から慌ただしい足音が響いていた。机に並べられた封蝋付きの手紙は山積みで、宮廷使者たちは次々に宛先ごとに仕分けを進めている。

「また北部か……最近多いな」

 一人の使者が手にした手紙は、深い青の封蝋で封じられていた。そこにはラグナルの個人印が刻まれている。

「王弟殿下が誰に送っているか知りませんが、よほど重要な相手のようですね」

「これだけ頻繁に手紙を送るなんて、どんな方なんだろうな」

 使者たちの間では密かな噂話が囁かれ始めていた。


 文書管理室の使者たちは、仕分けと配送のみを担当する。手紙の最終的な届け先は知らされていない。

 しかし、もしも彼らが、もう少しラグナルを知っていたら――北部を代表する大貴族、アデル・カレスト公爵宛だと察しただろう。

 短期間の間に何度も往復される書簡。この事実を、他の貴族が知ったら、果たしてどうなるか。密かに進行する文通に、新たな政局の兆しを直感し、警戒を強めるに違いない。


 ――では、実際にどのような手紙が交わされているかというと……。


手紙①: ラグナルからアデルへ


拝啓 北部の涼しげな風景を思い浮かべながら、この手紙をしたためております。

王都は相変わらず賑やかで、特に最近は市場が大変な熱気を見せております。もっとも、暑さに弱い私にとって、この季節の王都は少々厳しいものです。文机の上で蝋燭のように溶けてしまいそうですので、もし涼を取る方法をご存じであれば、ご教示いただければ幸いです。


政務に関しましては、北部産の木材が王都の建築需要を満たしつつあるとの報告を受けております。貴女のご協力に心より感謝申し上げます。


追伸――北部の冷涼な気候が心底羨ましいです。


敬具

ラグナル・アヴェレート


 アデルは封蝋をそっと剥がし、手紙を読み進めた。その形式ばった中にも、最後に添えられた軽口が彼らしいと感じる。紳士的な物腰で油断させながら、時に相手を驚かせることをする、そんな彼の姿を眩しく思い出していた。


手紙②: アデルからラグナルへ


拝啓 ご丁寧なお手紙を賜り、感謝申し上げます。北部は例年通り穏やかな気候に恵まれておりますが、朝晩はまだ冷え込みます。涼を取る方法とおっしゃいましたが、残念ながら北部の秘訣は寒さに耐える術です。とはいえ、そちらで溶けすぎませんように。


木材の件、王都の建築事業に貢献できていると伺い、安堵いたしました。今後も北部の資源が王国の繁栄に寄与するよう努力を重ねる所存です。


月末には王都で議会がございますね。長丁場になることは覚悟しておりますが、殿下におかれましては、どうぞご無理なさらぬようお気をつけくださいませ。議論の場で貴方とどのようなお考えを共有できるのか、楽しみにしております。


追伸――「涼」をお求めでしたら、ぜひ北部へお越しくださいませ。その際には、手厚く歓迎いたします。


敬具

アデル・カレスト


 ラグナルは手紙を読み終えると、ふっと笑みを漏らした。

「寒さに耐える術とは、らしい答えだな」と呟きながら、手紙を優しく机に置く。追伸の一文に視線を留め、指先で封筒の縁をなぞる。

「北部へ……手厚く歓迎か。早く、例の幹路の計画をまとめないとならないな」

 そう心の中でつぶやき、手紙を持つ手に微かな温もりを感じた。

 

手紙③: ラグナルからアデルへ


拝啓 再び筆を取らせていただきます。先日の議会では長時間にわたる討議、お疲れ様でした。あの空間の息苦しさは、今でも思い出すだけで背筋が冷たくなるようです。貴女が疲労の中でも毅然と振る舞われていたお姿には、私も見習うべき点が多いと感じております。


しかし、議会の場ではあれほど近くにいながら、一度もゆっくりお話しすることができなかったのは残念でした。お互い忙しい身ではありますが、次回は議会後に時間を作り、王都の涼しい場所ででも意見交換ができればと思います。


さて、先日南部から届いた赤ワインを試飲する機会がございました。その芳醇な香りと深みのある味わいに感嘆しましたが、一人で楽しむには勿体なく、兄上に奪われてしまいました。赤と白、どちらが優れているかで激論を交わしましたが、結局は「兄上は赤、私は白派」という結論に至りました。貴女のお好みはどちらでしょうか?


追伸――貴女の北部での酒豪伝説を耳にしました。それについてもお聞かせいただければと思います。


敬具

ラグナル・アヴェレート


 アデルは手紙を読み終えると、喉の奥から笑い声が漏れた。

「酒の種類だなんて、何とも贅沢な議題だこと」

 そう呟きつつ、追伸の一文に目を留める。

「酒豪伝説……どこまで知っているのかしらね?」

 苦笑しながら、筆を取り軽快に書き始めた。「量を語らずに酒を語るなんて、まるで水のない湖を論じるようなものですわ」と言いながら、ペンを走らせた。


手紙④: アデルからラグナルへ


拝啓 手紙を拝読し、貴方がワインを語られる姿を思い浮かべました。その上での私の答えですが、どちらでもございません。量が足りれば満足です。

北部では貴族も平民も同じ酒を楽しむ文化がございます。厳しい冬を共に越えるため、酒が皆を繋ぐ架け橋のような存在なのです。同じ酒を酌み交わしながら、家族のことなどを語らうものです。ラグナル殿下も、北部の宴に参加されたらその独特の雰囲気を気に入られるのではないかと思います。


ちなみに私は一度、大男たちとの飲み比べに勝ったことがございますが、王都の貴族たちは酒を嗜む余裕などお持ちでしょうか? 

  

追伸――南部産ワインで酔い潰れる貴方を想像すると、いささか愉快です。


敬具

アデル・カレスト


 ラグナルは手紙を読み終え、口元に微笑みを浮かべながら椅子にもたれかかった。

「量が足りれば満足、とは実に北部らしい」

 冷涼な北部で育まれる温かい文化に思いを馳せつつ、追伸の一文に軽く眉を上げる。

「酔い潰れる僕を想像して愉快だと?」

 小さく笑いながら、ラグナルは新しい便箋を手に取る。その筆は軽快に走りつつも、頭の中では次にどんな返答をしようかと考えを巡らせていた。


手紙⑤: ラグナルからアデルへ


拝啓 先日いただいた北部の地酒は素晴らしいものでしたが、あまりの量に驚かされました。貴女は私を試されているのですか? それとも、北部では飲み干すのが礼儀なのでしょうか?

手下たちまで飲み会を始めてしまい、私は彼らの無礼講に付き合わされる羽目になりました。それでも、質より量を愛する貴女の気概を感じました。


また、北部の酒がその濃厚な味わいで冬の厳しさを緩和しているのだと実感しました。しかし、南部産ワインを嗜む私にとっては、その量にはどうしても慣れません。もし私が北部の宴に出席したなら、きっと北部の方々に笑われるでしょうね。


追伸――次は質を追求した一品を楽しみにしております。ただし、適量を添えていただけると嬉しいです。

 

敬具

ラグナル・アヴェレート


 アデルは手紙を読み終えると、口微笑を浮かべた。

「飲み干すのが礼儀、ね。さすがに皮肉が上手いわ」

 追伸に目を留め、彼女はそっと首を傾げた。

「質を追求したもの、ですって? 北部の量の勝負を甘く見ているわね」

 そう呟きながらペンを取り、楽しげに次の一手を考え始めた。


手紙⑥: アデルからラグナルへ


拝啓 地酒をお気に召していただけたようで何よりです。ただし、北部の厳しい冬を越えるためには、量が何よりも大切であることを、ぜひご理解くださいませ。貴方のような都会人には難しいかもしれませんが……。

ちなみに、北部の酒には特別な作法がございます。それは「初めの杯は友の健康を祝う」というものです。この文化を貴方にも体験していただければ嬉しく思います。


また、南部産ワインと北部の地酒を合わせた宴を一度試みてみたいものですね。地域の違いがもたらす味わいの違いは興味深く、きっとお楽しみいただけるかと思います。殿下の感想も伺いたいところです。


追伸――次回は直接お会いして飲み比べをいたしましょう。その際には、酔い潰して差し上げます。


敬具

アデル・カレスト


 ラグナルは最後の手紙を読み、視線を封蝋の跡に留めた。その隅に記された一文に、彼の心が微かに震える。

「貴方との手紙のやり取りは、いつも私に元気をくれるものです」

 ラグナルはそっと手紙を机に置き、視線を窓の外に向けた。手紙越しの彼女の存在が、彼の心に温かな光を灯しているようだった。

「次に会う日が楽しみだ」

 彼は静かに呟きながら、新しい便箋を取り出した。


 このやり取りは、二人が距離を縮めていく第一歩となり、やがて運命を共にする関係へと繋がっていく。

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