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神は自ら助けるものを助ける

 宝石が沢山ついていて、キラキラ光るドレス。それが今、ジェシカの部屋に飾られていた。

 ジェシカは自分の部屋に入ろうとしなかった。ただ、ドアの前に立ち尽くしていた。あんなに欲しかったドレスに、彼女は触るどころか近寄りもしなかった。


「ジェシカ」

 シェーラが、そんな彼女にそっと寄り添う。ドレス、着てみない? と。

 ジェシカは黙って首をふった。

「どうして?」

 驚くシェーラに、ジェシカは何も言わず、ただ、黙って首をふった。




 五歳児にとって、言葉にして明確に、自分の気持ちを表すのは難しい。

 ことに情感に関しては。


 理屈で自分の心を説明できない。そんな相手には、こうするしかない。


 アランがやったのはショック療法に近かった。彼はシェーラに言った。これは賭けだと。

 

 ジェシカが、どう出るか。どう思うか。これは賭けだと。


 


 アランが冒険者パーティに入ると決めた日。彼は国王より、褒美の品としてドレスを賜った。理由は、彼の提案に王がいたく感謝されたからだ。

「よくぞ申した。ハーヴェイ男爵」

 国王は泣いていた。周りの廷臣らがギョッとする。王ともあろう身が、公衆の面前で落涙するなど、あってはならないことだったからである。

 しかし王は流れる涙を止めることなく、いな、おそらく止まらなかったのだろう。

 王の面前で彼の息子が、父上、僕は納得してませんと喚き散らしている。いつもなら父親の彼にとって頭を抱えるところである。だが王は歓喜の涙を流し続けた。

「これが泣かずにいられるか」

「陛下」

「ここまで、我が子に親身になると申してくれた家臣に対し、わしはどう報いて良いやらわからぬ。のう、ハーヴェイ、せめてもの礼だ。受け取ってくれ」

 ドレス欲しさに、勉強を頑張っていたとアランから話を聞いたフリート一世。早速そのブティックに命じて、仕立てさせたのである。

 仕立てる間、ジェシカは物凄い喜びようだった。父親が冒険者パーティに入ったことなどどこ吹く風。そもそも、両親がどんな状態なのか、たぶん今まで何にも考えていなかったのだろう。

 彼女が事態に気付いたのは、父親のアランがこう言った時だった。


「ジェシカ。パパはこれからお仕事で遠くに旅立つ」

 この時はまだ、ジェシカは事の深刻さを理解していなかった。気を付けてねとしか言わなかった。

 だが。

「もちろん、ママもよ」

 自分を真剣な目で見つめる両親。ジェシカは何やらたじろぎながらも言った。いつ帰ってくるの?と。

 そんな娘の問いにアランは言った。


 お前が、本当にパパとママを愛してくれるようになったらな、と。


「それまでは、パパもママも帰らない」

「え、でも」

「意味がわからないか? だって今のジェシカに、パパとママは必要か?」

 両親の言葉に茫然となる五歳の娘。アランは苦しそうな表情になりながらも、キッと娘を睨み据えた。

「パパ……ママ……」

「今のお前に、パパもママも必要ないんだ。なら、一緒にいても仕方ないだろう?」

 アランはそう言ってジェシカのもとを去った。抱きしめもしなかった。

「じゃあ、ママも行くわね」

 アランの後ろに付き従うマリー。

 追いかけようとする五歳の子供の前で、重い扉が力強く閉められた。





 

 

 


 


 








「ジェシカ」

 両親がいない家はだだっ広かった。祖母と二人でテーブルに向かうと、スプーンが皿にぶつかる音がやけに大きく響いた。


「ジェシカ、少しは食べないと」

「……食べたくない」

「ジェシカ!」

「ママがつくったのがいい!」

 ぶわわわ、と目に涙がたちまちたまる。ジェシカ、とシェーラは小さな子を抱きしめた。

「ごめんね、おばあちゃんのせいだわ。あんなこと言ってしまって」

 泣きじゃくる孫。今ではアランのしたことがよく分かるシェーラ。もし今、自分が息子の立場だったらたぶん同じことをするだろう。

 しかしこれはあまりにも辛すぎた。

 乗り越えなければならないとはいえ、まだ、まだ五歳なのだ。

「ねえおばあちゃん」

「なあに?」

 泣きすぎて声にならない声でジェシカは言った。どうしたらパパとママ帰ってくるの? と。

「パパが言ったでしょ? ジェシカがパパとママを本当に愛したらって」

 シェーラの言葉にジェシカは狂ったように泣き喚いた。そんなの分からないと。

 因みにアランは要人の警護で、隣国のフランク王国まで出向している。

 今、塾も休んでいた。ジェシカはまるで老人のように、両親がいた部屋に閉じこもっていた。シェーラが時々様子を見にいくも、ドアを開けるとものが飛んでくる。おばあちゃんなんかいらない、パパとママ、パパとママと言って。

「ジェシカお願い、ご飯だけでも食べて」

「ママのがいいッ!」

 そう言って扉の向こうで泣き崩れる孫。その扉の前でシェーラも崩れ落ちて泣いていた。他のパーティメンバーがかわるがわる呼びかけても同じだった。

 

 そんな日々が続いたある日のことだ。

「失礼しますわよ!」

 いきなり台風のように、ジェシカの家に客人がやって来た。ソフィアである。

 彼女は部屋の前で座り込むシェーラを押しのけ、ドアを開けた。入んないでよとぬいぐるみが飛んでくるのを避け、シェーラが、冒険者たちが唖然とする中、ソフィアはジェシカを外に引きずり出した。

「離してよ!」

「離しませんわ!」

 ジェシカが暴れまくり、ソフィアは傷だらけだった。それでも彼女は握った手を離そうとしなかった。

「さあ、塾に行きますわよ!」

「行かないもんッ!」

「行くのよ!」

 ソフィアはジェシカに蹴られつつも叫んだ。塾に行こうと。

「話は聞きましたわ! ご両親のこと! 会いたいんでしょ?! だったら侍女試験に受かって、偉くなって、ご自分の足で探しに行けばいいじゃない!」

「ソフィアちゃ……」

「わたくしならそうしますわ! どこかの誰かさんみたいに、ウジウジグズクズ言って部屋にこもっていたりしませんわ!」

 ソフィアの両手が、パチパチバチとジェシカの頬を叩いた。そのたびにジェシカの目がはっきりと光を取り戻し始めた。

「それが、愛すると言うことではございませんの?! 必要とするって、そう言うことではありませんの?!」

 そこに、フスカ公爵夫人もやってきた。大人が見守る中、二人の少女は互いににらみ合い、そして……。

 取っ組み合いのけんかが始まった!

 何よ偉そうにとジェシカが言えば、そっちこそとソフィア。この弱虫と言えば弱虫じゃないもんとジェシカが言い返す。

 やめなさい二人ともと引き離された時は、互いの顔に青あざを作っていた。

「申し訳ありません公爵夫人、本当に申し訳」

「お静かに、ハーヴェイさん」

 フスカ公爵夫人がそう言う。彼女は目線で、子供たちを見ろとシェーラを促した。


「明日から来ますわね?」

 ゼイゼイと息を弾ませつつ言うソフィア。

「今から行くもん!」

 これまた同じく言い返すジェシカ。

「上等ですわ。さあお母様、参りますわよ!」


 公爵夫人とシェーラは互いに見つめ合い、そして心からの頬笑みを浮かべた。ジェシカがバタバタと用意をする。

 行ってくるねーと元気に、ジェシカは手を振り、公爵家の用意した馬車にソフィアと乗り込んだ。

 

「良かったですね、女将さん」

 ジェシカに薬草採取を教えたハートーションが言うと、シェーラは言った。子供が三歳なら、親も三歳だと言うが、それは祖母である自分もそうなのかも知れないと。


「この年で教えられることがあるなんて、ある意味ステキかもね」


 あの息子を持って、あの嫁がいて、孫がいて、本当によかったわ。


 そっと涙を拭きながらそう言うシェーラであった。










 人は、必要な時に必要な人と出会う。

 運命から逃げずに立ち向かっていたら、必ずそうなるように出来ている。


 アランにとって、必要な人はロベールだった。

 

 別にこれは皮肉でも何でもない。だってロベールがアランの生活に介入しなかったら。

 今頃彼は何も知らずじまいだったろうから。


 今頃、何も知らず、役所に勤めていただろうから。そして娘の状態にも気付けなかったのだから。


 だからアランはロベールに感謝していた。そして彼に引き合わせてくれた国王と、神に。


 ――なんとしてでも、この人をまっとうな道に戻す。それが、ジェシカを救うことになる。


 パーティメンバーの中でのロベールの役目は荷物運び。それを旅立つ前に専門家からみっちり教えてもらったアランはロベールの教育担当になった。


「そうではありません、何度申し上げたら分かるのですか?!」


 職安にいたころとは別人の厳しさで、アランはロベールに接した。そして何度失敗しても、彼から仕事をとり上げることはしなかった。

 後始末も、自分でやらせた。


 とにかく仕事を天から馬鹿にしてアランの言うことをまともに聞かないロベール。そのせいで貴重な備品を壊してしまうこともたびたびあった。

 そんな時、アランは容赦なく鉄拳を振るった。そしてパーティメンバーに土下座して謝らせた。

 もちろんアランも一緒に土下座して。


 そんな夫をマリーが心配そうに見守る。


 アランに小突き回され、怒鳴られたロベールの世話をするのはマリーに任された。お食事をとマリーが皿を渡すと、その皿を地面に叩きつけられた。貴重な食料が地面に四散する。代わりを持って来ようとするマリーをとめ、アランは言うのだった。拾いなさいと。


「王都に戻ったら必ずお前を縛り首にしてやるハーヴェイッ!」

 覚えてろと眼と歯をむき出してアランにそう脅すロベール。そんな有様を見てハンスが心配し、アランに言った。大丈夫かと。


「なんか、俺にできることはねえか? なんならあの馬鹿王子〆るのて伝ってやってもいいぜ」

 バキバキ関節を鳴らして言うハンスに、アランは苦笑して言った。

「これは殿下と私の戦いだ。他の手が入ってしまったら今までの努力が水の泡になる」

 努力? あの王子が? というハンスに、アランは言った。王子は気づかぬうちに努力されていると。


 呪いの様に文句を言いながら荷物をまとめるロベール。最初のうちはものに当たり散らしていたが、それが無くなった。

 そんなことをしたら怒られるからというのもあるが、おそらく別の理由もあるとアランは言う。


「別の理由だと?」

 ハンスがそう尋ねたが、アランはロベールの仕事に不備を見つけたらしい。彼はハンスの問いに答えずロベールの方に走って行った。 


「別の理由ねえ」

 ロベールをどやすアランを見つつ、ハンスは煙草を懐から引っ張り出して火を付けると、自分の傍らで夫を見守るマリーに尋ねた。

「旦那の言うこと、分かる? 奥様」

 ハンスの問いに、マリーは首をふった。女の私には分かりかねますと。

 ただ、とマリーは言った。

「殿下が最初の頃より、何やら楽しそうに見えます」

「楽しそう?!」

「ええ。だって」

 アランと怒鳴り合うロベール。前まで不満しか言わなかったその言葉の中に、自分の意見が混じるようになっていた。例えば――。

「僕はこのやり方がいいんだ! 口を出すなハーヴェイ!」

 こんな風にである。

 もちろんその意見は間違いだらけである。まともな人間が聞けば、何を我儘なと思うだろう。が、自分の頭で考えて言えるようになっているのは良い傾向だとマリーは言った。

「ちゃんと人と話そうとしてる。今まで一方通行だったのに」

 結果を褒めろ。しかなかったロベールの頭の中。それが少しずつ崩れてきている。自分なりの考えを言えるようになったのはその兆候なのだ。

 たとえ怒られても、怒鳴られても、それが言えることが、人間としての第一歩なのだ。

「なるほどねえ」

 ハンスは深く煙草を吸い込み、フーッと吐き出した。確かに第一歩だと。

「ただなあ、奥方さんよ」

「はい?」

「問題はそこから、なんだよ」

 ハンスはまた煙草を深く吸い込んだ。マリーがその横顔を真剣な面持ちで見守る。

「あの坊ちゃんの試練はそこからなんだよ。坊ちゃんだけじゃねえ。人間生きてて本当にシンドイのは、人から怒鳴られることじゃねえんだ。そんな苦労は些細なことなんだよ」

「ハンスさん」

「人生のほんとの苦労はそこから始まる。これからあの馬鹿王子にはもっともっと大変なことが降りかかるだろうよ。それこそその場から逃げ出したいこともあるだろう。いたたまれないことも起きるだろう。それは努力や苦労の数でどうにかなる代物じゃねえんだ」

「そうですね……」

「その時に、どう向かい合うかだな。それが出来りゃ、もうしめたもんだ」

 そう言ってハンスはにやりと不敵に笑うのだった。



 





 


 神の試練とは、辛いことではなく、悪魔がまき散らす誘惑のことであると聞いたことがある。だとしたらおそらくその日が、ロベールにとって試練の日だったのだろう。


 その日は朝から雨が降っていた。天の底が抜けたかと思うほどの雨で、パーティはモンスターの皮で作った防水性のテントの中でいったん落ち着くことになった。


 テントの外では、ロベールがばらけてしまった荷物をまとめなおしていた。ここまで歩いてくるときに、結わえていたロープがほどけてしまったのだ。


 そんなロベールの隣で、同じく雨に打たれながらアランが指示を飛ばしていた。


 アランに怒鳴られ、言い返してまた怒鳴られ、ロベールはわあわあ泣きながら仕事を終えた。まるで幼児のように見えたが、それでも一応、やるようになったんだから大した進歩だとハンスは言った。


 ようやくテントの中に入ることを許されたロベールは火の傍で震えていた。マリーが暖かいスープを手渡すと、むさぼるように飲んだ。慌てすぎて舌を火傷するロベールに、落ち着けとパーティメンバーが話しかけた。

「まだ沢山ありますから」

 マリーが空になったロベールの皿にスープを足す。そこにアランがやって来た。夫にも同じようにスープをマリーが渡していると、いつの間にかロベールは姿を消していた。

「嫌われてるね」

 魔法使いのシンディが苦笑いして肩をすくめる。アランも苦笑いして同じように肩をすくめた。

 

 




 バカは勝手にしゃべってろ。

 ロベールは腹の中でせせら笑っていた。

 彼は自分にあてがわれたテントに入ると、毛布をめくった。そこには結構中身が詰まってそうな袋が横たわっている。

 彼はそれを開け、中に小さな宝石のようなものを入れた。それは魔法力を高める魔石だった。売れば結構な値がつく代物である。

 そしてその袋の中はそんなアイテムだらけだった。


 毎日毎日、アランに怒鳴られながらロベールはせっせとアイテムをかすめ取っていた。時としてわざと備品を壊し、そのすきに盗んだりした。人のいいアランは全く気付いていないようだった。


 もうそろそろゲルマンの国境にも近い。森を馬で突っ切って行けばそんなに時間もかかるまい。国境を越えたらこっちのものだ。辺境の領主の家にでも泊めてもらえばいい。その間に軍隊に迎えに来てもらって……。


 あのくそ偉そうな男爵。男爵の分際で自分に居丈高に命令し意見したあの男を父親の前に突き出す。王子である自分にどんなことをしたのか言いつけてやる。そうすれば縛り首は間違いない。

 その時の様子を想像し、ロベールは一人暗く笑うのであった。


 ロベールはそっとテントの外を伺った。

 雨がまだ降り続いている。絶好のチャンスだ。こんな時はパーティメンバーは火の傍に集まっているからである。


 馬の口を縛り、そっと鞍をつける。かすめた荷物をそこに括り付けたロベール。

 テントの、みんながあつまるほうに向けて唾を吐く仕草をし、彼は雨音に紛れてそこから逃げ出した。






 

「大変だハーヴェイ!」

 まだ夜も明けてないころ、アランはパーティのタンダという男にたたき起こされた。アランに荷物運びのテクニックを教えた男である。

「何か……タンダさん」

「何かもなにもない、あの馬鹿王子が」

 話しを聞いてアランは飛び上がった。慌てて服を着こみ、ロベールのテントに向かう。そこにはご親切にも置手紙があった。


 ――王都で待っている。逃げられると思うなよハーヴェイ。


「あの馬鹿、この先の森を案内人もなく行くつもりか?!」

 タンダが呻くように言う。実はゲルマンとフランク王国の間にある森はゴブリンの出没地点として知られており、そこを突っ切るには専門家の案内が無ければ命にかかわるほど危ないのだ。タンダはその専門家でもあった。


「まったく、やってくれたなあの坊っちゃん」

 ハンスもそこにやって来た。どうする? とアランに聞くハンス。

「どうするって」

「そのまんまの意味さ。どうするんだ? お前さん。このまま放置してても俺は別に構わねえと思うぜ。国王はお前さんを責めたりしないさ。なんたって事情が事情だからな」

 それにとハンスは言う。今から追いかけてもあまり望みはないと。

「多分出て行ったは夜中だろう。そして奴は馬を持って行った。てことはもうかなり森の深いところまで行っちまってるってこった。まったく。イクんなら別のことでイケばいいものをあの坊ちゃんは」

「ハンス、すまんが俺は急ぐ。話なら帰ってから聞く」

「何? まさかお前」

 アランの考えていることを予想してハンスが青ざめる。まさか助けに行くとか言わないよなと。

「そのまさかだ。俺は行く。申し訳ないが人を探知できる魔法道具があっただろう。あれを貸してくれ」

「待て、待てハーヴェイ」

 ハンスは落ちつけとアランに言った。アランがいら立っていう。貸すのか? 貸さないのかと。

「貸すよ。だがこっちの言うことも聞け。タンダを連れて行くんだ。タンダ、頼むぞ」

 分かったと言うタンダにアランは首をふった。それは出来ないと。

「お前、案内人もなくこの森をうろついたら死ぬぞ?!」

「それは君らも同じだろう。ずっとここにいられない。いずれ動かねばならない……その時に案内人がいなかったら」

 アランはマリーを見た。心配のあまり気を失いそうになっている妻がそこにいた。

「マリーを頼む。探しに行くのは俺一人で十分だ」

「あなた、やめて!」

「よし、だったら俺が護衛になろう」パーティのうちの一人、戦士のグラントがぬっと立ち上がった。

「いやしかしそれは」

「奥方の気持ちも分かってやれ。このまま君が一人で行ったら多分狂い死にするぞ」

「……分かった」


 慌ただしく準備がなされた。アランとグラントの体に、防御力を高める魔法をシンディがかける。ハンスが一番攻撃力の高い剣を二人に渡した。


「じゃあ俺たちは一刻も早くゲルマンに入って事の次第を陛下にご報告する。それでいいか? アラン」

 頼む、とアランは言い、マリーを傍らに呼び寄せた。


「今から俺は殿下を救いに行く。君は絶対にみんなの傍から離れるな。いいか?!」

「やっぱり私も連れて行ってあなた」

「駄目だ! そんなことをしたら俺は戦えない。君は無事を祈っててくれ」

 あなたと涙を流すマリー。そんな妻に激しく口づけし、アランは言った。


「必ず帰ってくる。みんなのために」


 あなた、とマリーが絶叫する。

 アランとグラントは森の奥へと入り込んで行った。







 助けてくれと叫びながらロベールは森の中をこけつまろびつ逃げ惑った。ちなみに馬はもういない。逃げてものの一時間もしないうちに、ゴブリンらに食われてしまったのだ。

「助けよ、誰か、僕を助けろ! 助けてくれ!」

 キキキ、とまるでロベールをあざ笑うかのように追いかけてくるゴブリンたち。

 ロベールの足がもつれる。もう何時間こうして逃げ回っているか、彼にも分からなくなってきていた。

 ゴブリンたちは狡猾だった。ロベールが休もうとするとそこに現れ、血まみれの口をカッと開いて彼を驚かせ走らせた。まるで今お前がいる場所は分かっているぞと言いたげに。

 そんなことを繰り返されたロベールは恐怖で狂いかけていた。どこにも安息の場所がないのだ。

「やめろ、こっちに来るな、やめてくれぇぇぇ!」

 そんなロベールの叫びをゴブリンが真似する。それがさらに彼の恐怖をあおりたてた。

 その時、アランたちはロベールの位置をなんとか掴むことに成功していた。ロベールは国境とは逆方向の、山の方に向かっていた。

「まずいぞハーヴェイ。山にはオークの巣がある」

「急ごう」

 群がり襲い掛かるゴブリンを右に左になぎ倒し、戦士のグラントは道を開いた。俺の後ろに続けとグラントは言い、アランを自分の後ろに守りつつ剣を振るった。

 やがて彼らの耳に、ロベールの絶叫が聞こえてきた。

 互いに血まみれの顔で頷き合う二人。ロベールは彼らの至近距離にいた。


「殿下!」

 駆け寄るアラン。異臭が鼻につく。ロベールは失禁していた。そして助けに来たアランを物凄い目で睨みつけた。

「お怪我は?!」

 怒鳴りながら彼も襲い掛かるゴブリンを切り倒した。

「ハーヴェイ、急ごう、日が暮れてくる」グラントが空を見た。日が暮れるとモンスターの活動時間になる。

「分かった。殿下。歩けますか?」

「離せ!」

 差し伸べるアランの手をはねのけ、よろよろと立ち上がるロベール。が、彼は歩けなかった。腰が抜けてしまったのだ。アランはそんな彼に御無礼、と言うと背負った。

「おい、何をする、おろせ!」

「他に方法がございませぬ」

「お前なんかに背負われるくらいならここで死んだほうがましだ! 離せ無礼者!」

 アランの背中でぎゃあぎゃあ暴れるロベール。そこにグラントのパンチが飛んだ。歴戦の勇士の拳を食らって気絶するロベール。グラントは苦笑して言った。

「凄いプライドだな。恐れ入ったよ」

 すまん、とアランが言うと、お前が謝ることはないとグラントは言った。


 しばらくゴブリンの襲撃もなく、二人と気絶した男の一行は森の中を街道目指して歩いた。アランの息が切れる。気絶している成人男性を背負うのはかなりの重労働だった。

 グラントが変わろうと言ってくれたがアランは断った。肝心の戦う人間が手を塞がれていたのでは話にならない。

 だがそのうち背中でもぞもぞしたかと思うとロベールが目を覚ました。途端にまた暴れ、アランの背中から転げ落ちる。

「殿下!」

「いつ、いつ僕が助けろと命じた?! 余計な世話だ!」

 腰が抜けているのは治ったのか、意外なほど軽快なステップでロベールは二人から離れていった。

「いいか覚えておけ、こんな森なんかすぐ抜けて僕は辺境の領主の処に身を寄せる。そこから反乱を起こしてこの国を乗っ取ってやる! そして僕を軽んじた奴らを皆殺しにしてやるんだ。ああそうとも、まずは手始めにお前からだハーヴェ……」

 

 イ、とロベールが言おうとした、その時だった。

 ウサギのように跳ねる彼が着地した地面が崩れ落ちた。


 二人が血相変えて駆け寄る。ロベールが落ちたのは、ゴブリンの巣へ続く落とし穴だった。

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