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燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

 塾に呼び出されたアラン。

 そこにはカンカンに怒っている相手の親……フスカ公爵夫人と、ずぶ濡れのソフィアの姿があった。

 ジェシカもずぶ濡れだった。


 塾に着くまでに、マリーから大体の事情を聞いたアラン。

 何でも、掃除当番でもめたらしい。


 五歳児クラスから、教育の一環として掃除をさせられる。それは当然塾の子らに全員平等に割り振られているのだが、なぜか上の身分の子たちはやらなかった。全部下級貴族、あるいは平民の子にさせていたのだ。

 もちろんソフィア嬢も例に漏れない。

 結果、ほぼ毎日のようにジェシカは掃除当番が回ってきて、でも彼女なりに辛抱していたところ、たまたま通りかかったソフィアがバケツを蹴倒してひっくり返し、ジェシカをずぶ濡れにさせた。ソフィアは振り返りもせずにそのまま帰ろうとした。

 そこでキレたジェシカがバケツに水を静かにため、後ろから追いかけて行って相手にぶっかけたのだ。


 ちなみに掃除の時は親はいない。待合室のようなところで待機している。講師に言われて慌てて駆け付けた時には、もうすでに決闘にまで話が進んでしまっていた。


 夫婦ともどもそろって詫びに来いと怒鳴りつけられ、マリーが仕事場までやって来たと言うわけである。

 つくなりアランは土下座せんばかりの勢いで公爵夫人に詫びた。マリーも。しかしジェシカが頑として謝らなかった。


 事情からしてもジェシカだけが一方的に悪いのではないし、むしろ非は相手にありそうな気もするのだが、世の中、いつも正論が通るわけではない。


「ここはパパの顔を立てて、頼むから謝ってくれジェシカ」

「やだ」

「ジェシカ、お願いだから謝ってくれ」

「どうして? ジェシカ悪くないもん! ゴメンナサイするのあいつだもん!」

 そんなジェシカに、悪いのはアンタでしょとソフィア嬢。

「水ぶっかけておいて!」

「先にかけたのお前だもん!」

「お」

 お前ですって?! とソフィア嬢はさらにいきり立った。

「この無礼者! そっちの言う通り決闘、受けて立ってやろうじゃないの! 二度とそんな口がきけないようにしてやるから!」

 ちょっと、頼むから二人ともやめてくれとハーヴェイ夫婦は半泣き状態だった。ちなみに塾の関係者らはとっくの昔に逃亡していた。そんな中、ジェシカが、大人でも飛び上るほどの声で相手に怒鳴った。


「先に無礼を働いたのはそっちだもんッ!」


 ジェシカ、やめなさいと夫婦が止めるも、本気で怒った子供の力は大人より凄かった。ジェシカは両親の制止を振り切り、相手の勢いにやや押され気味のソフィアに向かって指を突きつけた。


「いつもいつも掃除当番さぼってッ! 先生観てる時だけやってるふりしてッ!

 そんな子が侍女なんかになれるわけがないんだもんッ!」


「そ、それの何が悪いのよ!」

 ちょっとパワーダウンして言い返すソフィア嬢。そこにフスカ公爵夫人の静かな、怒りに満ちた声が覆いかぶさるように響き渡った。


「よっく分かりました」

 すくっ、と夫人は立ち上がった。その顔面はまるで魔王のようであった。


「よっく分かりましたハーヴェイ男爵! 貴方方夫妻は子供のしつけがまったくなっていないことが! だいたい、公爵家の人間に男爵家風情が口を聞くだけでも恐れ多いと言うのにそれをわきまえもせず、あろうことかこんなくだらない理由で我が娘をこんな目に! 貴方のことは

必ずしかるべき処分が下るように陛下に訴えますからそのつもりで!」


 さあ帰るわよとフスカ公爵夫人は娘を促した。待ってくださいと追いかけるハーヴェイ夫妻の前で、待合室の扉が思い切り大きな音を立てて閉まったのだった。







 

 

 


  

 その日の夕方。シェーラの営むギルドのところに、公爵家から使いが来た。正式な決闘の申し込みを受けるソフィア嬢の返事とその内容の封書を携えて。


「決闘の内容はダンジョンでの薬草採取。より多くとったものが勝ちとします」

 

 事情をまだ知らず、唖然とするシェーラの前で、使者は高々と持ってきた書類を掲げ、内容を読み上げた。ダンジョンは小学校の遠足でも行く、王都近くのそれであること、五歳という年齢を加味し、命まではかけないこと。だが、貴族の家と家との対決とすることは大人と条件を同じくすること、と。


「ハーヴェイ男爵令嬢が勝利した場合、フスカ公爵令嬢は掃除当番のみならず、今まで他人にさせていたことを全部自分ですることとします。フスカ公爵令嬢が勝利した場合、ハーヴェイ男爵家を国外追放とすることとします。以上が決闘の内容であります」


 日時はこれより十日後の休息日。開始時刻は朝の六時。


 そこで、それまで黙って聞いていたシェーラが口をはさんだ。


「一体何の話?」

「何のお話しとは?」

「私は何が何だかさっぱりわからないわ。何がどうなってるのよ」

「わたくしにも分かりかねますが、これも仕事でございまして」

 使者は書類を綺麗に巻くと、絹のリボンで器用にまとめてシェーラに手渡した。

「それではお伝えしましたぞ」

 ではこれにて失礼。使者がそう言って立ち去ると、シェーラは纏めてくれたリボンをほどき、

 もう一度その書類とやらに目を通した。後ろからギルドに所属するパーティらが心配そうに覗く。

「女将さん、大丈夫か?」

「……」

 くしゃ、とそれを握りしめ、シェーラは階段の上に向かって叫んだ。


「アラン! ちょっと降りてきなさいッ!」


 返事がない息子夫婦の部屋にシェーラが行くとカーテンを閉め切って真っ暗だった。嫁のマリーが寝込んでおり、息子のアランが傍で座り込んでいた。傍らでジェシカが一人人形遊びをしている。


「ちょっとあんた達、これどういうこと?」

 シェーラが決闘のそれを見せると、アランは自分の母親にうつろな目を向け、唸るような声を漏らした。

「唸ってても分からないわよ。説明して。決闘って、何?」

「オフクロ……」

 息子から事情を聞いたシェーラは、長いため息をついた。吐き出す息が長すぎて終わらないのでないかと思うほど、それは長ーいため息だった。

「すまん」

 こんなことになってしまってと嘆く息子。意識不明で寝込む嫁。シェーラはつかつかと窓に歩み寄り、カーテンを開けた。

 途端にまぶしい陽光が部屋に差し込む。

「お義母様、すみません、しめてください」

 いまちょっと体調が……と言いかける嫁に、姑は少しキツイ口調で叱りつけた。

「そうやって寝込んで、何か解決するの?」

「お、お義母様」

「歯を食いしばりなさい! マリーさん!」

 え? という暇も無かった。シェーラの平手がマリーに飛んだ。その勢いは体を起こしかけたマリーが倒れるほどだった。ジェシカがびっくりして泣きだす。

「何すんだよオフクロ!」 

 叫ぶアランにシェーラは言った。貴方方はそうやって傷をなめ合って生きてきたのよねと。

「な」

「だってそうでしょ。この状態でそうじゃないと言えるの? 情けない。本当は貴方がやるべきなのよ。アラン。母親なのに事態に立ち向かおうともせず、娘から話を聞こうともしない妻をどうして貴方はいつもそうやって甘やかすの?」

 ここでシェーラは大きく息を吸い込んだ。アランがギョッとする。そして次の瞬間、シェーラは今度はアランを叱りつけた。

「どうして甘やかすのか、それも分かってるわ。貴方も大人になり切れてないのよ。アラン」

「お、俺が?!」

「大人だって言うの? じゃあ私が声をかけなかったらどうしていたの? ずっと引きこもってるつもりだったの?!」

「だったらどうすりゃいいんだよ!」

 たまりかねてアランは叫んだ。

「負けたら国を追い出されちまうんだぞ! そんなことになったら、俺はともかく、マリーも、ジェシカも人生終わりだ。あんなデカイ家の人間を怒らせちまったんだ。俺たちを受け入れてくれる国なんかどこにも、どこにも」

「あんなデカイ家の人間ですって?」

 シェーラは鼻で笑った。それを見たマリーもアランも顏を見合わせる。

「でもお義母様、フスカ公爵家と言えは……」

「知ってますよ。うちのギルドのお得意様でもありますからね」

 シェーラはベッドサイドに置いてあった水差しでハンカチを湿らせ、マリーの頬にあて、泣いているジェシカを抱き上げた。

「ごめんね、びっくりさせて。おばあちゃん、時々エキサイトしちゃうから」

「おばあちゃんっ」

 ジェシカの涙を拭いてやりながら、シェーラは言った。確かに相手の家はコチラより格上だ。しかし、卑屈になる必要は全くないと。

「そんなこと言ったって」

 どうにもならないと言うアランに、シェーラは、まあ話を聞きなさいと息子をなだめるように言った。

「ハーヴェイ男爵家の由来はね、先々代の王の時に大きな戦争があってね。その時に敵兵に囲まれて一人取り残されてしまった国王陛下をお助けして戦い、その功績が認められて爵位を授かったの」

 フリート一世陛下からすれば、ひいおじいさまねとシェーラ。

「その戦いたるや、物凄いものだったと聞くわ。当時ゲルマン王国は国内でもめていてね。国王を亡き者にしようとする動きもあったの。だから国王なのにそんな目にあったってことは……」

 どうみても故意であったとしか言いようがない。そんな状態で助けに行くこと自体が自殺行為に等しかった。アランの曽祖父はそれこそ決死の覚悟でたった一騎で馬を駆り、おのれの主君を探し回ったのだ。

「陛下ーっ! 陛下はいずこにおわすーっ!」

 アランの曽祖父が駆け付けた時には、国王は深手を負っており、助かるかどうか分からない状態だったと言う。

 私のことは置いていけと命ずる王を背負って自らの体に縛り付け、曽祖父は戦場を駆け抜けた。味方の陣に向かって。

 やがて戦に勝ち、国内のもめ事が落ち着くと、瀕死の重傷を負っていた王はハーヴェイに爵位を授けると言ってきた。

 曽祖父は固辞したが聞き入れられなかった。


「ワシのこの世の最後の頼みじゃ。どうか聞き入れてくれい」


 枕元に招かれてそこまで言われては、断れなかったらしい。


 そしてハーヴェイ男爵家が誕生したというわけである。


「だいたい、男爵家風情がお城のパーティに呼ばれたのはどうしてだと思わなかったの? アラン」

「それは……」

「あれは王妃様のお誕生日だったわね。最悪の誕生日になっちゃったけど」

 陛下は、忘れてはいないのよとシェーラは言った。

「貴方のひいおじいさまが、ご自身の先祖を助けてくれたことをね」

 だから、とシェーラは言った。


 決して、卑屈になる必要はないし、そこまで心配することもないと。


「陛下は私たちの味方よ。それだけは間違いないわ。だから堂々としていなさい。二人とも」


 力強く、シェーラは言いきった。










 そんなわけで、ジェシカはギルドに所属しているパーティの人達に連れられ、薬草採取のやり方を教えてもらうことになった。

 ちなみに薬草採取は冒険者の仕事の中でも一番簡単で、主婦が小遣い稼ぎにもしているくらいだからそんなに難しいミッションではない。が。


「多分、相手の子は薬草採取のスキルを持ってるわね」


 と言ったのは、シェーラに頼まれ、ジェシカを教えてくれる冒険者だった。薬草採取この道ン十年のベテランで、エミリ・ハートーションという。


 上流の貴族ともなると、血筋でスキルが生まれつきあることが多いのだそうだ。それだけ、優秀な血を集めた証拠でもあろう。


「それ、確実なのか?」

 と聞くアランに、ハートーションは頷き、だから決闘の内容に指定してきたのだと言った。

 ハートーションの言葉にアランは愕然となった。

「そんな、そんなの、はなっから勝負にならないじゃないか! スキル持ってたら見えるんだろ?」

「まあ、そうね」

 

 頭を抱えるアラン。

 そんなアランに、ハートーションは言った。スキルは万能ではない。予備知識があるかないかの程度であると。


「訓練次第でいくらでも覆せるわ。ようはお嬢ちゃんの頑張り次第よ」

 ハートーションの言葉を聞いてアランは自分の娘を見た。少しも臆していない。むしろ楽しそうだ。

「ジェシカ……」

「パパ、私頑張るから、パパもお仕事頑張ってね」

 ジェシカ、とアランは叫ぶように言って娘を固く抱きしめた。

 

 さて、その日からジェシカのみならず、ハーヴェイ一家は大忙しとなった。マリーは日が昇る前から早起きし、みんなの弁当をせっせとこしらえ、娘を指導してくれる冒険者のパーティに手渡した。訓練は塾が終わってからになるので、夕飯とそして夜食もふくまれた。そして訓練には当然アランも付き添いとして加わるので、夫の分も作らねばならなかった。

 訓練が終わるといつも夜中だった。へとへとになったジェシカをおんぶして帰ってくる夫を出迎えると、いつもふたりは戸口で座り込んで眠っていた。

「ほら、起きて、そんなとこで寝ないで二人とも」

 シェーラがジェシカを風呂に入れてくれる間、マリーは仕事とジェシカの付き合いでフラフラの夫を着替えさせ、ベッドに寝かせた。娘に付き合うために毎日いつもより早く出勤している彼女の夫は、朝、残り湯を浴びて仕事に行くのだった。

 

「行ってくる」


 毎朝、眠い目をこすりながら言う夫。マリーがそんなアランにすがるような目を向けると、アランは妻の頭を撫でた。


「大丈夫だよ、マリー」


 夫の、大丈夫との一言。マリーにとって今ほど重みをもったことはなかっただろう。いや、これから先もあるかも知れないが、少なくとも今までのマリーにとっては。


 夫を送り出し、カレンダーをめくる。

 決闘の日はじりじりと迫りつつあった。












 王都の子供たちが遠足に使うダンジョン。モンスターも出ない安全な場所ではあるが、ダンジョンはダンジョンである。


「――!」


 決闘の日まで、現場に立ち入ることを禁ずと言われていたから、ハーヴェイ一家にとってそこは初めての場所であった。

 公爵家の方は何度か来ているような感があったが。


「では、これより、フスカ公爵令嬢、ソフィア様と、ハーヴェイ男爵令嬢、ジェシカ様との決闘を執り行います」


 決闘は王国のしきたりにならい、勝敗を決める立会人が聖書に手を置き宣誓した。神の名のもとに、公正な判断を下すことをここに誓うと。

 そして国王の直筆のサインが入った、決闘許可書を高々と掲げた。


「陛下の御名に恥じぬよう、両者とも、正々堂々と戦うように!」


 はい、と可愛い声が応じる。二人はそこで目を合わせ、フンッと互いに顔を背けた。


「じゃあ気を付けて行ってくるのよジェシカ。何かあったら、分かってるわね?」

 ジェシカの耳につけられたイヤリング。それには救助信号を出す魔法が込められていた。もちろんそれはソフィア嬢の耳にもついている。

 アランは娘を前に、何を話したらいいのか迷っているようだった。いや、多分口について出てくるのは一つしかないのだろう。が。

 そんな父親に、娘はにっこり笑って言った。

「パパ心配しないで。私、負けないから」

 ここまでついて来てくれたハートーションが、うんうんと頷く。アランの目に、少し光るものがにじんだ。

「気を付けて」

 喉になにか詰まったような声で娘に言うアランであった。

「その、気を付けて。何かあったら、何かあったら」

 続きを言おうとしたアランの言葉が、もう時間ですとの立会人の声に遮られる。


 行ってくるねーと手を振るジェシカ。その隣で、ソフィアが何故か泣きそうな顔で自分の親を見ていた。彼女の親はもう自分の娘を見ていなかった。同じく見物に来た他の貴族の人間と熱心に話し込んでいる。


「……」


 張り切ってダンジョンに向かうジェシカに少し遅れてソフィアは続いた。もうその顔は悲しんでいなかった。代わりに、何か寂しげな、そんな表情が浮かんでいた。






 ジェシカが塾に通い始めて、彼女自身気づいたことがある。

 それは負けず嫌いということだ。

 褒めてくれない、叱られてばかりなんてのよりも、とにかく、踏みつけにされることが大嫌いな自分に気付いたのである。

 だから決闘の課題である薬草採取に死ぬ気で取り組んだ。薬草の特徴、形を、実は親が寝てからコッソリ起きて復習していた。


「さあ始めるわよ」


 背中に背負ったカゴ。これに積んだ薬草を入れていく。

 ジェシカは早速、傷に聞く紫リンドウの草を見つけていた。

 薬草は他にもあった。黄レンズマメのつる草や柑橘系の匂いのするレモン草など。

 ここは薬草の宝庫のようであった。ジェシカ夢中になって摘んだ。積む際、教えられたことを守りながら。

 しばらく積んで、制限時間の半分を過ぎたころ、ふとジェシカは顔を上げた。するとそこにソフィアが腕組みして仁王立ちしていた。彼女の背中は既に満杯のかごがあった。


「あたしの勝ちね」


 勝ち誇って言うソフィア。ジェシカは相手のかごの中身を見て、あー、ダメじゃないと注意した。

「何がダメなのよ」

 自分か負けてるからってケチ付ける気? という相手に、ジェシカは言った。根っこまで引っこ抜いたらダメなんだってばと。

「来年生えて来なくなるじゃない。そんなことしたら」

 これは、ハートーションに教えてもらったことだった。薬草採取で一番大事なのは、来年に備えて根っこを残しておくこと。そしてとりすぎないこと。


「うるさいわね!」


 これは勝負よとソフィアは言い、さらに奥へと進んだ。もっと差をつけてやろうと思ったのだろう。


 もしくは根っこの事を注意され、これがカウントされなくなることを恐れたのか。


「ちょっと、そっち行ったらダメって言われたよ!」


 ジェシカが言うも聞こえないのかどんどん先に進むソフィアに、彼女はあきらめたような顔で採取を続けた。

 そうこうしているうちに制限時間まであと少しとなった。もうそろそろ引き上げてくださいとイヤリングを通して声が聞える。はーいと返事をしてジェシカは来た道を戻った。その時だった。


 きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁとソフィアの悲鳴がダンジョンに響き渡った。


 ただ、まずいことにそれはかなり奥からだったので、外にいる保護者の耳まで届かない。

 そしてさらに拙いことに、ソフィアの耳についていたイヤリングはこの時外れてしまっていた。


 一体何が起きたのかというと、たまたま雨露をしのぐために入りこんでいたモンスターと出くわしてしまったのである。


 モンスターは普段人を襲わない。よほど飢えている時か、もしくは驚かされた時。

 この場合は後者だった。


 モンスターの類がいないかどうか、事前にチェックは入っていたが、そのあとに入りこんだと思われた。


「あ、あ、あ」

 恐怖のあまりへたりこむソフィア。モンスターはまだ子供のオオカミ型のモンスターだった。驚かされてグルルと唸っている。かなり興奮している。


 そこに、どうしたのぉ? と呑気な声でジェシカがやって来た。そしてモンスターを見るとヒエエエと悲鳴を上げた。

 逃げるジェシカ。すると逃げる対象に興奮したのか、モンスターはジェシカを追いかけ始めた。

「いや、いや、助けて―っっ!パパ―ッ!」

 娘の叫びが父親に届いているかー?

 否であった。

 悪いことには悪いことが重なるもので、逃げる時に躓いて転んでしまい、その拍子にイヤリングが壊れてしまったのである。


 興奮したモンスターが、転んだジェシカにとびかかった。






「ちょっと、時間過ぎてるわよ。早く呼び戻して!」

 公爵夫人が立会人に食って掛かる。それはアランとマリーも同じだった。どうして戻ってこないのかと。

 心配する親がダンジョンに入ろうとすると、立会人が言った。入ったとたんに失格になりますぞと。


「……!」


 互いに踏みとどまってしまう双方の親。


 時計の針が、一刻一刻と過ぎていく。


「あなた」

 マリーが震える声で言った。私、行きますと。

「し、しかし」

「も、もういいです。私、やっと気づきました。私、貴方とジェシカさえいればもう、何も、何もいらない。地位も名誉も要らない。侍女試験なんかどうでもいい! 乞食したってみんなと一緒に、一緒に!」

 マリーはジェシカと狂ったように叫んで飛び出した。待て、俺も行くとアラン。失格になりますぞと立会人の声が後ろから追いかけてくる。

 子供の名前を呼びながら、泣きながら走るマリー。ダンジョンの入り口でアランが、君はここで待ってろと言い、今まさに入ろうとした時だった。


 小さな影が、ゆらゆらと揺れて、こちら側にやってくるのが見えた。


 アランもマリーも、これ以上ないくらい目を凝らした。確かに、子供の影だ。

 一人がもう一人を背負っている。


 背負われているのはジェシカだった。背負っているのはもちろんソフィアである。


 二人とも、薬草を入れたカゴは持っていなかった。


 マリーとアランが駆け寄る。ソフィア、と公爵夫人が走って来た。

 

 ジェシカは気絶していてた。足を怪我している。アランがソフィアから受け取ると、ジェシカは小さく身じろぎした。

 

 泣きながら子供の顔を撫でるマリー。そんな様子をソフィアは羨ましそうに見た。

 そんな彼女に公爵夫人が言った。

「で、勝負は? 薬草はどちらが多くとったの?」

「……」

「ソフィア! どうしてこたえないの?! 薬草のかごは何処?!」

「ソフィアちゃん、私を助けるためにかご捨てたの」

 アランの腕の中で目を覚ましたジェシカがそう言うと、公爵夫人は驚いたような顔で自分の娘を見た。

 ソフィアが少し顔を赤くして横を向いた。

「でもそれは、あたしが無茶したからよ。貴方は巻き込まれただけじゃない」

「でも助けてくれたもん」

「それはついでよ! あんたを助けたわけじゃないわ!」

「ちょっと、話が見えないわね」

 そこに来ていたシェーラが割って入った。

「順序だてて説明してくれない? 何があったのか。それはそうとアナタ、同い年のジェシカをよく背負ってここまでこれたわね。ありがとう」

 シェーラがそう言って褒めると、ソフィアはびっくりしたような顔になった。彼女はまだうつらうつらしているジェシカの替わりに、事情を説明した。

 あの後、転んだジェシカに襲い掛かったモンスター。ソフィアはとっさに注意をそらすため、背負っていたかごを投げつけた。

 モンスターが薬草の方に飛びつき、強い匂い夢中になる。その間に二人してそこを脱出したというわけである。

 が、ここからが長かった。たまたま二股に分かれた道に迷い込んでしまい、と言ってもそんなに迷路でもなかったのだが、恐怖を感じてしまっていた二人にとってそれは難解なラビリンスであった。

 散々迷い、その間にジェシカもかごを紛失してしまい、

 やがて足をくじいたジェシカが歩けなくなった。それを背負って、ソフィアがなんとかダンジョンの外まで出てきたというわけだ。


「じゃあ勝負はどうなるの?」

 公爵夫人が尊大な態度で立会人にそう言うと、立会人は難しそうな顔で考え込んだ。

「その場合は……」

「ソフィアが勝ちですわね? どうみてもそうですわよね? ね?」

「それは……」


「勝負はわたくしの負けよ」

 立会人の言葉を遮るように、ソフィアがきっぱりと宣言した。


「ソフィア、なんてことを!」

 一度負けと言ってしまったら、決闘の場では覆せない。

「お母様、ソフィアはフスカ家の名誉にかけていいます。この勝負、わたくしの負けです」

 ソフィアは薬草の根っこまで取ってしまったことも正直に言った。スキルに頼っていた私なんかとちがって、ジェシカはちゃんと勉強していたと。


 するとジェシカがアランの腕の中から言った。


「負けたのジェシカだもん。だってソフィアちゃんの方が薬草たくさんとってたもん。見たもん」


「だーかーら、それはダメなとりかただって貴方言ってたじゃない!」

「でも」

「でもも何もないわ! わたくしの負けと言ったら負けなの!」

「ソフィアちゃん助けてくれたもん」

「もうっ! いい加減にしてよ、私の負けなの!」

「ジェシカが負けたんだもん!」


 世にも珍しい言い合いだった。

 どっちも、自分が負けたと言い張り続けた。アランとマリーが苦笑いして顔を見合わせる。公爵夫人は何か言おうと口を開きかけたようだが、結局何も言わずに自分の娘を見守った。それはおそらく、負けたと言い張るソフィアがなぜか、楽しそうに見えたからだろう。


「もう、引き分けでいいんじゃない?」

 シェーラが苦笑いしながら、助け船をだした。


 

  

 


 

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― 新着の感想 ―
[一言] >貴方も大人になり切れてないのよ う、うわああ……。 耳が痛いわあ……。 でも、憧れますね、このお祖母さまのような生き方。 私も、凜として生きたいものです。 最終的には助けられたような結…
2024/02/27 14:13 退会済み
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