親の顔が見てやりたい
春。うららかな昼下がり。街道を通って王都に向かう、一台の馬車があった。
――おっと、こんな風に小説を始めてはイカン。多分読者は退屈するだろう。
でも仕方ない。この小説は退屈そのものなのだ。なぜなら、
「ほら、こぼさないの」
馬車の乗客は三人。まだ若い夫婦と、その子供である女の子。母親の方が子供につきっきりで、菓子のかけらをこぼす娘の口を拭いてあげていた。
そんな様子を父親の方は貧乏ゆすりしながら見ていた。それにしてもよく食う。そりゃそうだ。子供はお菓子が大好きだ。でもだからと言って――。
「ママ、もっと頂戴」
カラになったお菓子の袋。子供の要求に母親が首をふった。
「それくらいにしておいて。着いたらすぐにディナーなんだから」
母親の言葉に、うんうんと肯く父親。だがしかし。
「やだ」
「ジェシカ、お願いだから」
「やーだ! お菓子!」
お菓子お菓子と足をばたつかせる娘ジェシカに、向かいに座っていた父親が、また始まったと口の中で呟きながら、少しくらい我慢しなさいとたしなめた。
「ママの言うことが聞こえなかったのか? お腹一杯になって夕飯が食べられなくなるぞ? それでもいいのか?」
「やだ! お菓子!」
「ジェシカ!」
父親がいさめるものの、娘ジェシカのヤダヤダは止まらなかった。父親の顔が一気に険しくなった。それを見た母親が、そんな怖い顔しないで頂戴と夫を睨みつけた。
「パパ怖い」と母親にしがみつくジェシカ。そーよねー、パパ怖いわよねー、ほら、もう少しあげるからと母親は荷物からお菓子を取りだした。
「おい、ダメじゃないか!」
「そんなこと言われたって、ジェシカが食べたいって言ってるんですから」
「オフクロがご馳走作って待っててくれてるんだぞ!」
夫の言葉に、それはそれで何とかなりますわよと言う妻。ジェシカは嬉しそうにお菓子をほおばり始めた。
「ジェシカ、やめなさい!」
たまりかねた父親が娘からお菓子の袋をとり上げるとジェシカがびっくりして火が付いたように泣き出した。母親が慌ててなだめるも泣き止まず、それどころかジェシカは床にひっくり返って暴れ出した。
「なんてことしてくれるのよアラン!」
なだめるために母親が助け起こそうにも蹴られる。こうなったら手が付けられないじゃないのと叫ぶ妻に夫アランは言った。それもこれも、君のせいじゃないかマリー、と。
母親マリーの教育方針。叱らず育てる。いつからそうなったのかアランにも記憶がないが、いつの間にかその教育方法の虜になり、マリーはジェシカを一切叱らなくなった。
その結果がこれだった。気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起す。周りがご機嫌をとる。そしてもっと癇癪を起すようになる悪循環。
夫の言葉に妻はフンッと鼻息荒く言い返した。
「万年平貴族の学ナシはお黙りになって。この教育方法は王族の教育係の人が書いた本に載ってたんですのよ!」
「万年平貴族とはどーゆー意味だ!」
「ホントのことでしょ! 言われて悔しいんなら少しはご出世遊ばせ!」
「な、な、な」
アランの顔が真っ赤になっていく。
「お前、亭主に向かって!」
大体誰のおかげで飯食えてると思ってんだ! と叫ぶ夫。私の実家の仕送りで成り立ってたくせに何言ってんのよと言い返す妻。
そんな夫婦喧嘩の最中も娘の癇癪はとどまることを知らず、わあわあ泣きわめくのであった……。
とのっけからお騒がせして申し訳ない。
これがこの物語の主役の人たち。ハーヴェイ男爵ご一家。
大国ゲルマン王国の片隅、田舎も田舎の領地を任されていた彼ら。そんな彼らがなぜ王都に来たのかと言うと、それは一家の大黒柱のアランが今度、王宮の役人に就任することになったからだ。
え? そんなことしたら領地は? となるが、そこは伯爵領となるらしく、つまり、
おとり潰しにあったのである。
理由はアランの、どうにもならないくらいの経営下手にあった。
朴訥が服を着て歩いているような性格のアラン。彼にとって領地の経営は困難を極めた。
悪徳商人に騙され、領地を魔物やならず者たちに荒らされ、国に治める税金が払えなくなった。領民に慕われていたアランだったが、背に腹は代えられない。
王都での一家の落ち着き先はアランの母親の実家だった。彼の母親の実家は王都で冒険者ギルドを経営していて、そこそこ繁盛しているとのことだった。
ただ。
「あまりお義母様との同居が長引くなら私、実家に帰りましてよ」と妻のマリーが釘を刺す。
分かってるとアランは言い、外の景色に目をやった。そんな夫に妻が心配そうに言った。
「貴方、本当に大丈夫ですの?」
「大丈夫って、どういう意味だよ」
「だって今まで人に使われたことなんかありませんでしょ? そんなあなたが宮仕えだなんて」
馬車が街中に入っていく。ジェシカは泣き疲れたのか母親の膝の上で寝ていた。そんな娘の顔を見ながらアランは言った。大丈夫も何もやらなきゃしょうがないと。
「なんとか領地を取り戻す方法考えないとな」
そのためには手柄を立てなければならない。しかしアランの就職先はそんな可能性からは程遠いものだった。夫婦は互いに顔を見合わせ、疲れたようにため息をついた。
「さー、ついたぞ」
アランの言葉にジェシカは目をこすりながら起きた。もうあたりも暗くなってる。
わーい、ついた、とジェシカは馬車からぴょん、と飛び降りた。
「ねー、新しいお家どこぉ?」
きょろきょろとジェシカが通りを見回す。その中にひときわ大きな屋敷があった。
「あそこ?」
娘の言葉に、両親はにっこり笑って首をふった。
すると娘はその隣の屋敷を指さした。
「あそこ?」
またまた両親が今度は少し困ったような笑顔で首を振る。
「私たちの家はあそこよ。ジェシカ」
母親が指さす家。それは一階が何やら汗臭い男どもが集まる飲み屋のような場所で、二階から上が住居になっているところだった。
壁にひびが入っていて薄汚れている。
「やだ」
ジェシカあのお家がいい、とでかい屋敷を指さす娘に、無茶言うなと暴れる娘を抱え、家に入る夫妻であった。
それから数日間は何事もなく平和に過ぎた。アランは新しい職場でなんとかやっていけそうなめどがたち、マリーも姑と特にもめることもなく過ごした。ジェシカの我儘ぶりは相変わらずだったが。
そんなある日のことだった。ハーヴェイ一家は王宮に招かれた。その日は王妃様の誕生日だった。パーティは夜からだが、朝からマリーは衣装選びにてんやわんやだった。
「ほら、じっとして」
娘のジェシカを鏡の前に座らせ、あれやこれやとドレスを着せてみせるマリー。
「ほら、これでいいでしょ?」とマリーが言うも、ジェシカが頑として首を縦に振らない。
するとそこにアランの母親のシェーラがやって来た。
「もうそろそろ軽くお食事しておかないと間に合わないわよ」シェーラは時計を見ながら言った。「辻馬車は何時に来てもらうことになってるの?」
夜の七時ですと答えるマリー。現在の時刻は六時。
シェーラはため息をついた。
「もう、その桃色のドレスでいいんじゃなくて? そんなことよりマリーさん、貴方も着替えなきゃ。私が代わりに着替えさせるから」
「すみませんお義母様」
マリーがバタバタと着替え始める。シェーラは鏡の前で仏頂面をしている孫にドレスを見せた。
「さ、ジェシカ、これでいいわよね?」
「このドレスじゃいや」
てか全部いやとジェシカがぶーっとふくれて言う。シェーラが我慢しなさいとたしなめたがジェシカの不満は止まらなかった。
「もっと可愛いのがいい!」
ちなみにジェシカにはお目当てのドレスがあった。街の有名なブティックに飾られてるドレスだ。
その前を通りかかると買って買ってと買ってコールが凄いので、マリーは出来るだけ通らないようにしていた。
「我慢しなさい」
シェーラが再びたしなめるも、ジェシカは言うことを聞かなかった。
それから大人二人でなだめすかして二時間後。
王宮の前でイライラするアランの処に、ごめんと言いつつマリーが娘をかかえてやって来た。
「何やってたんだよパーティもう始まってんぞ!」
「だからゴメンって言ってるじゃない」
「ほらいくぞ、って、ジェシカ、自分で歩きなさい!」
母親に抱きかかえられたままムスッとしてる娘にアランが言うと、マリーは言った。怒らないでと。
「何度も言ってるでしょ? 頭ごなしに言わないでって!」
「じゃあ何度も言うが、その結果がこれじゃないか!」
ジェシカ! とアランは怒鳴った。
「自分の足で歩け! お前は赤ちゃんか?!」
あまりの怒鳴り声の大きさに、周囲がびっくりして彼らを見る。
しばしの静けさがあたりを支配し……次の瞬間!
「パパのばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
うわああああんとそこら中に響き渡る声でジェシカが泣き叫んだ。ちょっと、ジェシカ、落ち着いて、泣かないでとマリーがあやすも止まらない。
マリーはアランを睨みつけた。
「どうしてくれるのよせっかくここまで来させたのにッ! 貴方はどうしていつもそうなのよ!」
「君がこんな風に育てるからだろ!」
「私のせいだと仰るの?」
「そうじゃないか! どう考えたって君のせいだろ!」
とその時だった。一体何ごとだと厳かな声が。この国、ゲルマン王国の国王であるフリード一世がそこにいた。
「これは、陛下」
アランが片膝をつく。マリーも慌てて泣きわめく娘を抱っこしながらドレスの裾をつまんで貴婦人の礼をした。
「広間まで聞こえてきたぞ。一体何ごとだ?」
呆れたように言う王に、夫婦二人がどもりつつ説明する。理由を聞いた王はさらに呆れたお顔をされた。
「なんじゃそんなことでさわいでおったのか。どれ、その子をワシにかしてみろ」
フリード一世は慣れた手つきでマリーからジェシカを受け取った。
「オジサン、誰?」
娘の言葉にアランが慌てるも、陛下はよいよいと仰せになり、ジェシカを抱いて広間にゆっくりと歩を進められた。
恐縮しながらアランたちが後ろから付いて行くと、国王はジェシカに楽し気に語り掛けた。
「オジサンはこの国の国王じゃ。そなたは?」
「ジェシカって言うの」
「そうか、ジェシカ姫か。お母上に似てなかなかの美人さんじゃの」
将来が楽しみじゃと言うオジサンに、癇癪もちの姫君はすっかり機嫌を良くしたのか、いつの間にか泣き止んでいた。
よかった……と夫婦ともどももげっそりとした顔てはあったがホッとしていると、国王は抱いていたジェシカを降ろし、さあ、ご馳走があるぞとビュッフェのテーブルまで連れて行ってくれた。わーい、ケーキが沢山あるーとご機嫌のジェシカである。
やがて国王は二人にウインクして場を離れられた。夫婦は今度こそホーッと安堵のため息をついた。
「もー、こんなことはゴメンこうむりたいよ」
アランが言う。
「そうね……よりによって陛下にご迷惑をかけてしまって」
でもあなたが子供相手にキレたりするからでしょとマリー。
「その原因つくったのはお前だろ?!」
「まったそのセリフ。私のせいだと仰るの?!」
また夫婦げんかが勃発し始めたが、ジェシカがビュッフェのケーキを独り占めしようとしたので未発に終わった。やめなさいジェシカ、お願いヤメテ、夫婦はお皿に取ってしまった大量のケーキを前に右往左往させられ、結果、アランがそれを責任を持って食う羽目になったのであった。
それにしても、なんという夜だと思った方もいただろう。
が、この夜の災難と言うか、夫婦にとってのハプニングはこれからだった。
それはハーヴェイ夫妻にとって、いろんな意味での人生のハプニングの始まりだった。
パーティが始まって宴もたけなわとなったころ、夫妻はバルコニーにいた。ジェシカが疲れて眠ってしまったからだ。
まだ風は少し冷たいが、広間のむんむんした湿気のある場所よりこちらの方がいいだろうとアランが言い、丁度いい長椅子を探してきて娘を寝かせたのである。
給仕が気を利かせて毛布を持ってきてくれた。
「寝ていたら天使なんだけどな……」
アランが娘の髪をなでる。
「起きていても天使ですわ」とマリー。
いやそれは違うぞとアラン。
「違うってどういうことですの?」
「どういうことって、君も大変だろうこのままじゃ」
アランが言う。せっかく王都に来たんだから、この際、ジェシカの教育について考え直したらどうだと。
「でーすーかーら、私、何度も言ってますでしょ。この教育方法は王族の教育係の……」
「それなんだけど」
「なんですの? 人の話の腰を折らないでくださいます?」
「いや、だからさ、ちょっと落ち着けよ」
アランはワシワシと髪をかきむしった。マリーがさり気に飛んできたふけを払う。
「私は落ち着いてますわ。一体何が言いたいんですの? 貴方」
いささかキレ気味のマリー。だがそんな妻に夫が返した言葉の内容は意外なものだった。
「おまえ、王子様のご様子を見たか?」
夫の質問にマリーはしばらく答えなかった。内容が唐突だったからだろう。
「殿下のご様子がどうかしましたか?」
ややあってそう答えた妻に、アランは言った。なんか様子が変だったと。
「俺には、素晴らしい教育で育った人間にはとても見えなかった」
アランの言う通りだった。
フリード一世陛下には沢山のお子がいた。男の子が三人と女の子が一人。
その中でも今度結婚を迎える第一王子のロベールは周囲にケバケバした女性を侍らせていた。常識から言って、結婚を間近に控えた人間がすることでない。
「でもそれは……それは、単純にパーティを楽しまれてるだけでは?」
「そうかなあ。俺にはそうは見えないが。だって君との結婚を決めた時、俺は他の女には目もくれなかったぜ?」
そう言うアランにマリーが少し照れたように俯いた。その時だった。
わあああ、と広間から何やら騒ぐ声が聞こえてきた。
ん? と振り返る二人。そこに城の侍従がやって来た。
「何かあったのか?」と聞くアランに、侍従は青ざめながら言った。大変なことになりましたと。
「王太子殿下が、いまご婚約中の公爵令嬢との婚約を破棄されると宣言されたのです」
ありえない出来事に、夫婦は長椅子から飛びあがった。
広間は修羅場となっていた。一国の王子が、公爵の娘のと結婚を止めると宣言したのだ。しかも事情を聞くと、なんともっと愛する人が出来た。これぞ真実の愛だと。あまつさえ、公爵令嬢に、いま好きな子を苛めただろうとまで言いだしたのである。
そんな事実はない、濡れ衣ですときっぱり主張する公爵令嬢に、ちゃんとしたいじめの証拠はあるのかと言う国王。ロベールが言うのだから間違いないですわと言う王妃。
だが嘘はすぐばれることになる。王子がいま首ったけなのは子爵令嬢で、とにかく可愛いことで有名であり、男ったらしでも名をはせていた。そんな彼女が公爵令嬢を陥れるために芝居を打ったこと、そしてそれをロベールが知っていたことも、すぐに明るみに出たのである。
広間はあっという間に断罪の間と化した。愚かな嘘をついた王子に国王は烈火のごとく怒った。だが怒られてもロベールは自分が悪いことをしたと言う自覚がまったくなかった。
「なぜ僕が怒られるんだよ父上!」
幼児のように地団太踏んでいきりまくる大の男に、国王は体中の空気を絞り出すようなため息をついた。
そんな父親にお構いなしにロベールは喚き続けた。僕が結婚したいって思ってる人と結婚して何が悪いんだよと。
「そのためには人を陥れることもやむなしとそちは言うか」
国王の言葉に息子は言った。そもそもこの女が悪いんだと。
「僕の言うことをちっとも聞いてくれなかった! 僕をちっとも褒めてくれなかった! 僕がどれだけ傷ついたか、父上にはお分かりにならないでしょう!」
王子から非難された公爵令嬢は呆れたような、あきらめの様なお顔をされていた。
そこに国王の怒号が飛ぶ。
「お前の言い分はよおわかった! この国にお前のような痴れ者は必要ない! とっとと出て行くがいい!」
大神の雷と言われているフリート一世の怒号。隣の王妃は青ざめて沈黙していてた。そもそも息子にかばう余地が全くないのだから無理もないが。
どうして僕が追い出されるんだよ、どうしてと赤子のように泣きじゃくる王子、そして子爵令嬢。なんで私がと。
「どーしてあたしが追い出されなきゃならないのよぉ! どーしてえ?! あたし何にも悪くないのにぃ!」
二人は衆目が唖然として見守るなか、広間から衛兵の手によってつまみだされた。
アランもマリーも、まるで声を失ったかのように黙り込んだ。
そして自分たちの腕の中ですやすや眠るジェシカを見た。
しばしの沈黙が広間に落ちる。が、ややあって国王が、教育係のジュゼッペを呼べと近習に命じた。
するとアタフタと白髪頭の中年のオヤジがやって来た。たいそう立派な絹の服を着ている。
「何か御用でございますか? 陛下」
衆目が彼に集まる。フリード一世はそこになおれ! と仰せになった。
ひ、と短く悲鳴を上げる教育係。陛下はさらに、王妃にも命じられた。そこになおれと。
「あ、あなた」
「へ、陛下」
陛下は近習に、剣を持てと命じられた。それを聞いた王妃と教育係はすくみ上った。
命乞いすら出来そうにない雰囲気を放つ国王を前に、彼らは動くことすら出来ずにいた。
やがて持ってこられた剣。フリート一世はそれを抜き放った。
ぎゃっ、と滑稽な悲鳴を上げて倒れる二人。だが国王の剣は二人を斬らなかった。国王は言った。お前のような奴を息子の傍に置き、王妃に慮って止めなかったワシにも責任があると。
「命まではとらぬ。今すぐワシの前から消え失せろ。そして二度と顏を見せるな!」
陛下お許しを、あなた、話を聞いてと喚く二人の前で、国王は剣の切っ先を思い切り地面に打ち付けた。それで大理石の床にひびが入ると、二人は広間からこけつまろびつ逃げて行った。上等な召し物を自分たちの体液でぬらしつつ……。
帰りの辻馬車の中で、アランとマリーは黙りこくっていた。ジェシカはあれがずっと寝ていた。朝からドレス選びやらなんやらで疲れたのだろう。
辻馬車が表通りの道から裏通りに入りしばらくたったころ、マリーが「あ」と声を上げた。アランがどうしたと言うと、マリーが震える手で外を指さした。そこにはみすぼらしい格好をした王子がフラフラと歩いているのが見えた。その後ろを子爵令嬢が追いかけている。ねえ、これからどうするのよと喚いている声が聞えてくる。
「見るんじゃない」
アランがマリーを抱き寄せ、その光景を彼女の視界から遮る。
因みにあれからどうなったかと言うと、もうそんな状態でパーティなんかしていられないから当然お開きになった。それはいいのだが、国王陛下のご様子が二人にとって見るに堪えなかった。あんなにお力落としの国王を、二人は今まで見たことが無かったのだ。
いつも力に満ち溢れていた国王。雷帝とまで言われたフリート一世。今この時ばかりは見る影も無かった。
どうか元気をお出しくださいとアランが言うと、気遣いすまぬと陛下は力なく微笑まれた。それがまた痛々しかった。
「貴殿のお子は、あんなふうに育ててはならぬぞ」
別れ際、フリート一世はそう言い、パーティの残り物を詰めて持たせてくれた。
「……ねえ、あなた」
マリーがためらいがちに口を開く。ん? どうしたとアランが言うと、マリーは言った。私、貴方に謝らなきゃいけないと。
みるみる目に涙が溜まってくる妻にアランは狼狽えた。何故だと。
「だって、私、貴方にさんざん言われていたのに気づかなくて」
ジェシカのことだ。
「よくよく考えたらおかしいのに、どうして、私、意固地になって」
ゴメンナサイと泣きじゃくる妻。良いんだとアランは言い、妻を優しく抱き寄せ、頬に口づけた。
「今からならまだ間に合うよ。ジェシカをちゃんと育てなおそう」
ね? と言うアランに妻は言った。ええ、あなた、と。
そして次の日のこと。
アランが一日の勤めを終えて家に帰ると、泣きはらした顔のジェシカとマリーが待ちかまえていた。
シェーラがうろたえている。
「何があったんだ?」と聞く息子にシェーラは言った。マリーさんが……もう、と。
「?」と思って妻に事情を聞こうとした夫の前にマリーはドサア、と書類の束をおいた。
「こ、これは?」
「王都にある、スパルタ塾のパンフレットですわ」
ふん、と鼻息荒くマリーが言う。
「す、スパルタ?」
「ええそうですわ。そして私決めましたわ。この子を王宮にお仕えする侍女にすると!」
かぱ、とアランの口が開いた。
「もう前期の侍女試験は終わりましたから後期のそれにかけますわ。今から準備すれば間に合いましてよ貴方!」
「……」
何でそう……
なんでそう極端なんだ君は。
アランの顔がそう物語っていた……。