1 こうして僕は女騎士と出会った
キーンコーンカーンコーン……
退屈な授業終了のチャイムが鳴る。
6時間目終了のチャイムが鳴った瞬間、僕――佐藤裕貴は荷物をまとめて席を立った。
僕は高校二年生だから、教室は校舎の二階にある。こけないように、慎重に、でも最速で階段を駆け下りる――――
現代には古今東西、さまざまな物語があふれている。日常系、SF、異世界転生……。
でもその中でもラブコメ、恋愛物語が僕は大好きだ。
男女がいろんな形で出会い、様々なイベントを経てお互いに惹かれていく……そんな過程を楽しむのが平凡な高校生活の唯一の楽しみなのだ。
そして今日はなんてったって大好きな恋愛小説「恋の道はどこまでも」、通称「コイミチ」の発売日だ。
僕が大好きなライトノベル「コイミチ」は、高校生の恋愛模様を描いた青春恋愛小説だ。複数の男女の組み合わせで恋愛模様が進行していき、時に日常、時にシリアスに展開していく。
まあ学園を舞台にした、よくあるタイプと言われるラブコメなのだが、偶像劇的要素もあり、登場人物が増えてきた5巻以降から評判が良く、口コミでじわじわ人気が伸びてきた作品だ。
僕もご多分に漏れずすっかり沼に浸かってしまい、こうして新刊である10巻の発売日にダッシュで教室を飛び出している。
「ハアッ……!ハアッ……!死ぬ……!」
学校近くの商店街を無我夢中で駆け抜ける。インドア派にはつらいがここは我慢だ。
ここにも本屋は何件かあるが、ライトノベルは置いていないところが多いし、あっても入荷が少ない。もう夕方なことを考えると、すでに売り切れている可能性すらある。
そのため、普段「コイミチ」を買うときは、家の近所にある行きつけの本屋で事前に取り置きを頼んで、そこで買うようにしている。店主のおばちゃんとも顔見知りで、最初に取り置きをお願いした時も簡単に了承してくれた。
取り置きしているということは、わざわざダッシュする必要はないのだが、僕の気分は最高潮であり、早く「コイミチ」を手に入れたくて仕方がなかった。つまりは浮かれていたのだ。
そうして走ること数分。肩で息をしながら行きつけの本屋に走りこむ。
「ハァ……!ハァ……!おばちゃん!今日……発売の……!」
「も~そんなに急いできても本は逃げないわよ~」
顔見知りのおばちゃんから本を受け取り、震える手でお金を渡す。
取り置きしてもらっていたコイミチを受け取る。
手元にコイミチの最新刊がある。それだけでなんて幸せな気持ちなんだろう。
思わず本を胸に抱きしめた。
「じゃあね!おばちゃん!」
早く家に帰ってコイミチを読みたい。
はやる気持ちを抑えきれないまま、僕は本屋から飛び出した。
「GRRRRRRRRAAAAAAAAAA!!!!!」
「――――――――――――え?」
本屋から出た瞬間。僕が目にしたのはバカでかいオオカミだった。
突然の出来事に体がフリーズする。
目の前にはオオカミの口。
牙をむき出しにした口の中には真っ暗闇が広がっている。
僕は――こいつに食われて死ぬ――?
このわけのわからない状況で……?
僕は気づけば胸元にあるコイミチを握りしめていた。
これを読むまでは、死ねない。何が何だかわからないけどコイミチを読み終わるまでは死にたくない!!
「う、うわあああああああああ!!!!!」
気づけば人生で一番のありったけの声で叫んでいた。
オオカミの口が目と鼻の先まで迫っている。
ザシュッ――
何かが斬れる音がしたと思ったら目の前の黒い口が真っ二つに割れた。
と同時になぜか目の前が暗くなっていく。
目の前のオオカミにいっぱいいっぱいで、後ろは気にしてなかった。
睡魔にも似たような、瞼の重みを感じる。立っていられない。
体が傾いていくのがわかる。背中から地面に倒れ――
「大丈夫か?」
腰の後ろあたりに手が回されているのがわかる。
僕の体が誰かに支えられている。
誰だろう。僕は何とか目をこじ開ける。
「怪我してないか?おい!」
「――――」
僕の目の前に女性の顔がある。
褐色の肌、銀色の髪。そして……甲冑?
背中にも金属のような固い感触が当たっている。
目がぼやけてよく見えないが、どうやら僕が倒れる前に支えてくれたらしい。
度重なる現実離れした経験に疲弊している僕は、思ったことをそのまま口にしてしまった。
「女……騎士……?」
「あァ?」
途端に女性の顔が怪訝そうな表情になった……と思う。
ぼやけて細かい表情は分からない。
というか、もう限界。瞼が、閉じる……。
「ま、大丈夫そうだな。少し寝てな――」
完全に瞼が閉じる前に、そんな声を聞いた気がした。
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気づいたときには僕はベッドで寝ていた。
「ここは……?」
目を覚まして周りを見る。見覚えのある本棚に学習机。布団もいつも使っているものと同じ。よかった。僕の部屋だ。
枕元にあったスマホを確認する。
17時。もう夕方だ。ベッドにいるということは帰って寝てしまったのだろうか。
てことは、さっきのアレ、夢、だったのか……?
とはいえ目の前まで迫っていた牙、死の恐怖はまだ頭の中には残っていた。
いや、まあ、現実であり得るような状況じゃなかったし、夢だよな……うん。
「オイ、大丈夫か?」
ベットの下からひょいっと女騎士が顔を出した。
「おわあああああああああああああああああ!!!!」
僕は思わず手に持ったスマホをぶん投げた。
さて。
女騎士……さん?が部屋にいることにより、僕がオオカミに襲われた記憶は本当で、夢ではなかったことが分かった。
今も詳しいことはわからないけど、状況を考えると目の前の女騎士さんに助けられたのだろう。
女騎士。ここがファンタジー小説の世界ならそんな役職になってそうな甲冑を身に着けている。部屋の中なのだが甲冑はそのままでよいのだろうか。
背は僕よりも頭2つ高く、肌は褐色、目の色はきれいな水色。
長い髪は銀髪で、いやでも目に入ってしまう大きな胸が女性であると主張している。
あの時はぼやけてよく見えなかったけど、とんでもなく美人だ。
つまり僕は命の恩人に、起きた瞬間スマホをたたきつけたことになる。しかも顔面に……。
……これはもしかしてだいぶ失礼なことをしてしまったのでは?
そう考えた僕は、スマホを投げつけた後すぐに、布団の上で正座することにした。とりあえず10分以上はこうしている。
誠意は大事だ。たとえそれがあまりにも手遅れだったとしても……!
「………………」
ちらっと上を見上げると。女騎士さんが僕を見つめている。
背が高い彼女からの見下ろす視線はとても怖い……。
顔に傷がついてなさそうなのはよかったけど……。
「すいません!すいません!すいません!」
無言の空気に耐え切れなくなった僕は、地面にたたきつける勢いで正座したまま頭を下げる。
もちろん申し訳なさもあるけど、女騎士さんの無言が怖い。
当然ではあるが、女騎士さんはあまりにも僕の部屋から浮いている。
だが、まるで自分の家のように、床にあぐらをかいて座っている様を見れば、どちらがこの部屋の主導権を握っているかは明白だろう……。
「ハァ……。ったく。元気そうで何よりだ。」
そう言って女騎士さんはため息をついた。
どうやら一応許されたらしい。
僕はいったん謝るのをやめて女騎士さんに向き合った。
ともかくお礼を言わなければいけない。
「はい、ありがとうございます……。よく覚えてないですけど、助けてもらった……ってことですよね?」
「あー……、まあ、そういうことになるのか?戦うのに邪魔だっただけだ。気にすんな。」
そう言って女騎士さんは頭をかきながらドアの方を向く。
「その様子なら、後遺症とかもなさそうだ。じゃあな。」
「ちょっ……、待ってください!」
歩き出そうとする女騎士さんを僕は慌てて呼び止める。
こっちは聞きたいことがたくさんあるのだ。
「いったいあの黒いオオカミは一体何だったんですか!?それにその恰好……あなたはいったい何者なんです!?それにあの怪物たち!!みんな倒しちゃったんですか!?それにそれにその剣だって――――」
「オイオイ落ち着けって!!元気になったかと思えば……急にどうした?」
女騎士さんが怪訝な顔でこちらを向く。
「お前、さっき魔物に襲われたんだぞ?悪いこと言わねえからこっちの住人がもう関わるのはやめとけって。」
「いや、そうなんですけど……でも……」
僕は女騎士さんの言葉にうつむく。
確かに襲われた瞬間を思い出すと今でも怖い。
それでもこの女騎士さんは一人で戦っているようだし、戦わないにしても何かしら助けてあげたい。
それにドアに向かって歩き出そうとした女騎士さんの背中を見たとき、なぜか知らないけど呼び止めなきゃいけない気がしたんだ。
――――まあ、それよりも、『こんな小説みたいな出来事、もう絶対起こらない!これを逃したらバトル漫画や異世界モノを読むたびに後悔する!』そんな確信のほうが大きかった。「魔物」「こっちの住人」「女騎士」この単語を見た高校生がワクワクを抑えられるわけない!
「ふぅん……まあ事情が知りたいんだってんなら話してやらなくもないけど……」
そんな僕の思いを知ってか知らずか、女騎士さんは腕を組むと、値踏みをするように僕を見つめる。というか近い!
長いまつげと、日本ではまず見ない水色の瞳に思わず息をのむ。
というか人生でこんな近くに女性の顔が存在したことなんてない!
否応なく心臓が跳ね上がる。
「こっちにも利点はある、か。」
「え?」
女騎士さんは何やら思案顔だ。
「ちょうどこっちの世界で事情が分かる人間が欲しかったんだよ。命の恩人の願いだ。聞いてくれるだろ?」
女騎士さんの言葉に僕はコクコクとうなずく。
こっちから関わらせてもらいたいくらいだ。でもまさか一緒に戦え、なんて言わない……よな……?
「えーっと……お前、名前は?」
「あ、佐藤裕貴、です……。」
「よし、ユーキ。アタシはザーディ=ドラニカ=ルードヴィッヒ。ドラニカでいい。」
そう言って女騎士、ドラニカは手を差し出してきた。
握手……かな?体格に反してすらっとした手に緊張しつつ、僕は手を伸ばす。
「はい。よろしくお願いします。」
ドラニカの手を握る。
自分の手に伝わるドラニカの手の感触に、現実感が増す。本当に僕は非日常に足を踏み入れたんだ……!
「ほい、よろしく。さてユーキ。お前に頼みたいことがある。」
そう言ってドラニカは振り向いた後、正座したままの僕に袋を掲げた。
――ん?というかこれって……
「僕が買った新刊!!!」
「お、やっぱお前のモンだよな。お前、倒れてるときもずっとこれ、抱きしめてたんだぜ。どんだけ大事なものかと思ったら、ただの本ときたもんだ。」
「う、うん……ありがとう。」
ただの本、か。僕にとっては冗談抜きで命の次に大事なものなんだけど……。
いや、むしろただの本を守ってくれたんだ。お礼はしっかりしよう。
「それで、本を守ってくれたお礼に何をすればいいんです?」
「ん?だから、これだよこれ」
ドラニカは右手に持った袋を掲げた。
「アタシにコレの面白さを教えてほしい!」
そう宣言すると、ドラニカは白い歯を見せてニカっと笑った。
僕の頭は完全にフリーズした。