本日の入道雲の販売は終了しました。
炎天下の中、店先に並んだ40人ほどの長蛇の列に向かって、黒シャツの制服に黒いエプロンを重ねた若い男性店員が申し訳なさそうな顔で告げる。
「誠に申し訳ございませんが、本日の入道雲の販売は終了しました。またのご来店をお待ちしております」
雲をインテリアとして室内に浮かべるのが一般的になってから、もう半世紀以上の歳月が流れた。雲には室内の空気を濾過する機能があり、また自動で湿度管理もしてくれるという利点により、販売されるとすぐに全世代から注目を浴びたことは有名な話だ。
水蒸気の塊という性質上、雲は浮かべていると小さくなって最終的には消える消耗品であるため、定期的に購入する必要がある。すると、そこに多くの企業や起業家が商機を嗅ぎつけ市場に参入。その結果、雲の市場規模は瞬く間に全世界へと拡大した。
「雲なんかを家に浮かべるなんて」
雲が社会に認知された当初は、そんなコメントも多数見られた。しかし、参入企業の増加による価格競争の激化、大手スーパーやドラッグストアまでもがプライベートブランドの雲の販売を始めた頃には、雲は世界に浸透した。気づけば駅前のパン屋やケーキ屋の並びに雲屋が並んでいても、誰も違和感を覚えることがなくなっていた。
雲は人間の生活の一部となった。
美味しいパン屋、人気のケーキ屋があるように、人気の雲屋もたくさんある。
店によって少しずつ異なる色味や、雲の表面のきめ細やかさ、それから品揃えによって雲屋の人気は変わる。当然ながらバラエティー番組のロケで紹介されるような店舗が出始める頃には、世界百名店のような雑誌によって世界規模の知名度を有する人気店すら生まれた。
市場が成熟し始めると、一昔前ならインテリア雑貨としてのイメージが強かった雲は、気づけば映えアイテムの一つになった。
「あの店のひつじぐもはもこもこしていてかわいい」
「某有名ホテルのベッドルームに浮かんでいるうろこぐもを作っているのはこの店」
そんな情報が日夜SNS上で飛び交うようになり、たくさんの店が取り上げられては埋もれ、また取り上げられては消えていった。そして市場規模が大きくなった時よりかは緩やかだが、それなりの速さで市場は萎んでいき、そこそこの規模に落ち着くこととなった。
インテリア用の雲の市場規模が落ち着いてから久しい昨今、再び日本の雲市場に熱い視線が送られるようになる。きっかけは高級積乱雲ブームの到来である。
雲市場で人気ランキング2位のひつじぐもに、圧倒的大差で王座に君臨する積乱雲。多くの人が入道雲と呼び愛でるこの雲は、室内に浮かべると真っ白なシルエットが夏らしい雰囲気を演出し、また他のどの雲よりも優れた湿度調整機能を有している。
そんな人気の入道雲の高級品ということで、流行りに敏感なイノベーターたちはすぐに飛びついた。そして例外なくハマった。
高級な入道雲の特長、それは圧倒的もっちと感である。
普通の入道雲よりもきめ細かく柔らかな粒の集合体によってできた雲は、柔らかく指に吸い付くような触り心地と、泣き叫ぶ赤ちゃんも触れば思わず笑顔になるような、子どもから大人まで虜にする弾力感を実現した。
イノベーターの注目を集めた高級な入道雲は、販売開始から僅か数週間で全国に名を轟かせ、一ヶ月後には高級積乱雲ブームが幕を開けることとなる。
『高級積乱雲ブーム、東西抗争勃発』
テレビでは連日、水にとことんこだわりを持ち、東日本で圧倒的な人気を誇る『Tachibana』と、大阪に本店を構え、関西を中心に他の追随を許さない『ここみ』の徹底比較の企画を擦り倒した。
また、『振り向けば高速』、『圧倒的背徳感』、『お好みの麺の硬さをお選びください』といった、謎の店名を冠する店舗も増え、日本の雲市場はちょっとしたお祭り騒ぎとなる。
作れば作った分売れるのは当然。どの店にも長蛇の列ができ、売り切れは日常茶飯となる。連日、長蛇の列に向かって「本日の入道雲の販売は終了しました」と叫ぶ店員の姿は日本各地で見られた。
ブームの背景にはもちろん企業努力もあり、店によって販売する入道雲に個性があった。東日本で大人気のTachibanaはどこよりももちもちした触り心地を売りにしていたし、大阪発のここみの入道雲は、よく見ると雲の中にちらちらと光る小さな稲妻が見えた。他にも食べられることを売りにした店、1000個繋げると乗れる……かもしれない、というあまり現実味のないことを宣伝にする店もあった。
再び熱視線を集めた日本の雲市場では、高級積乱雲ブームに乗り遅れまいと、多くの人が殺到。東西の二大巨頭をはじめ、多くの高級積乱雲専門店がフランチャイズ展開を実施。日本中に高級積乱雲専門店が乱立し、どの店もオープン直後には目新しさに多くの人が列を作った。
流行るのが早ければ、飽きるのも早い。人間なんてそういう生き物である。高級積乱雲ブームも残念ながら例外ではなかった。
高級積乱雲専門店が流行り始めてから一年が経過した頃、突然高級積乱雲専門店の前から行列は消え、売り切れの案内も聞かなくなる。
『全く儲かりません。もう、赤字の垂れ流しですよ』
期待したよりも稼げないと気づき始めた数名のフランチャイズ加盟店オーナーが、週刊誌や情報番組に内情を吐露し始めると、ブームの終焉はさらに加速。閉店ラッシュの幕が開ける。
そもそも食料品のように、それほど消耗速度が早くない入道雲。そんな商品の専門店が乱立すれば市場が飽和状態になるのに時間はそれほど必要なかった。
一度閉店の流れができると、後はドミノ倒しのよう。続々と全国各地の高級積乱雲専門店が潰れていき、投資分をペイできないまま、ブームの終わりを迎えた多くのフランチャイズ加盟店オーナーが悲鳴を上げた。
中には「聞いていた話と違うじゃないか!」と、本部に抗議をする者もいたが、「契約書の内容をちゃんと見てください」というお決まりの言葉で切り伏せられた。そんな状況を見てもちろん同情する者もいたが、さもありなんと思う者も多かった。
終わりがあれば始まりがある。
高級積乱雲ブームの幕引きと時を同じくして、新たなブームが日本で生まれようとしていた。観賞用の星である。
15cmほどの丸い土の塊を、黒いコースターのような卓上無重力発生装置の上に浮かべ、毎日霧吹きで水をやる。すると、徐々に星が育ちはじめ、一週間ほどで海ができ、二週間もすれば大陸が生まれ、一カ月後には大陸に緑が生い茂る。
星の環境は自分好みで設定、操作することができ、育て方次第で星にたくさんの生命も生まれる。また、星は複数個同時に育てることもでき、惑星系を作ることも可能だ。
観賞用の星は、育成ゲームやシュミレーションゲーム好きにはたまらない要素が満載で、販売開始から様々なメディアで話題になる。そして、何の捻りもないが、太陽系に似た惑星系を作ってインテリアとして飾るのがSNSで流行り始めると、観賞用の星の専門店が都心部を中心に急速に増え始める。
今後インテリアとして星がどこまで市場を拡大させるかは未知数だが、一つだけわかっていることがある。
まだあまり知られていないが、高級積乱雲のフランチャイズビジネスで、それなりの利益を獲得した企業が新たな関連会社や子会社を設立し、インテリア用の星の関連ビジネスに参入を始めている。
見覚えのある光景を目にするのは、それほど遠い未来ではないのかもしれない。