8. 葛藤、お茶会と勧誘、決断
日常の風景も一緒にいる動物たちも自分自身も、なんら変わりないはずなのに。
6歳になってすぐから、自分を取り巻く世界が一変してしまったような気がした。
不安があった。
祖父の庇護を失って楽園から放り出されたら。
境界線の外を少し出歩いただけでも二度と行きたくないと思ったのだから、この辺りで暮らすのは難しいだろう。
自分だけならなんとかなっても、ロウや他の動物たちを守っていけるとは到底思えない。
今まではほとんど交流を絶っていたが、何かあった時に備えるためにも、人脈を持つようにしなくてはなるまい。
ロウと引き離されたら。
今でこそずっと一緒にいられるけれど、これからきっとその時間は徐々に短くなっていくだろう。
それに、言葉を覚えることを頑なに嫌がる彼はいずれ他の動物たちに遅れを取ることとなり、今のリーダー的な立場ではいられなくなるかもしれない。
彼に強制的に学習させるような手段はあまり効果的ではないし、より頑なになる可能性の方が高い。
それならば、学習せざるを得ない状況を作るべきではないだろうか。
……これはおそらく、祖父も同じことを考えていたのだろう。
祖父から手紙が届いた。
何かあって忙しいのか、私とは顔を合わせる時間が取れないらしい。
手紙には、ロウと少し距離を置く期間を作りなさい、またその口実を作りがてら祖父の仕事を手伝うためにしばらく家を空けなさい、もしも離れたくないのならロウや動物たちを眷属として迎えなさいという旨のことが書かれていた。
眷属は、いわば部下である。
否応なしに上下関係が発生する。今までの友達のような気やすい関係を、外には見せられなくなるのだ。
私にとってロウは、家族で兄弟で親友で相棒で一番大好きな唯一無二のパートナーであり、どこまでも対等な関係だ。
私の心を知っていながら、たやすく眷属にしろと言うなんて。
祖父のその言葉には、ひどい失望と強い反感を覚えた。
私はその手紙に返事を出すことをしないまま、数日悶々と悩み続けた。
少し前に動物たちにパイを焼く約束していたため、せっかくだしとみんなでお茶会を開いた。
ぶーさん提供のお肉(※注:魔法があるので体を痛めずにお肉だけ分離できます)で作ったミートパイと、果物のコンポートで作った2種類のパイを用意した。
大きくて丸い低めのテーブルにまっさらなクロスをかけて、それぞれにあったカップやお皿を並べ、魔法でお茶を注ぎ切り分けたパイをのせていく。
動物たちは各々嬉しそうな声をあげていて、それぞれの楽しげな表情に悩みも忘れてほっこりした。
「やあ、賑やかだね」
宴もたけなわといったところで、どこからともなく後見人が来た。
しかもわざわざこの場に合わせたのか、小洒落たスーツにステッキまで持って、それからやっぱり眼鏡をかけていた。
来るかもしれないなとは思っていた。
みんなで集まって食べ物を広げていると現れる確率が高いのだ。おそらくは賑やかなのが好きなのだろう。
ちゃっかり彼もご相伴に預かるのが常だけれど、お土産でまた違った食べ物を持参してくるので、こちらもやぶさかではない。今回はたっぷりのクリームを塗ったふわふわシフォンケーキをもらった。
「で、“希望“を得たんだって?」
祖母と祖父にしか知らせておらず、しかも数日しか経っていないというのに。
相変わらず耳の早いことだと思いながら、とりあえずは肯定の返事をしておく。
正直なところ、図書館で調べてもろくな情報を得られなくて困っていたのだ。どの資料も詳細なことは書いておらず、祖母に聞いた話の方がよほど詳しかったくらいだ。
後見人は情報収集に長けていて、知見が広い。
何かしら有益な話が聞けるかもしれない。
「そもそも何が変わったのかも自分では分からなくて正直困ってる。他に希望の神っているの?」
「いるよ。知っての通り君のおばあさまと、あと他に二人。けどみんな絶望に陥っていて、懸命に治療中さ」
後見人は、他にもいるのかもしれないけど、その存在は秘匿されがちだから所在を把握しているのはその三名だけだと言いながらパイをぱくついていた。
さらっととんでもない情報を渡されて、私は頭を抱えたくなった。
今はこれ以上悩み事を増やしたくないと思い、今度会えたら尋ねようと思っていた話題へと切り替える。
「これも知っていたらでいいのだけど、おじいさま以外に愛の神っている?」
魂を結ぶ婚姻を頼むなら、おじいさま以外がいい。
名付けと同じで私とおじいさまは相性が悪いだろうし、少し距離を置くか眷属にしなさいと言われているロウと結びたいなどと言い出したら、反対される可能性の方が高いだろうと思っていた。
「いるよ! 何、会いたいの? 大歓迎だよ!」
すごい食いつきっぷりで少し引いたが、こちらとしても重要なことなので話を続ける。
ロウと魂を結ぶ婚姻をしたい考えていること、祖父だと相性がよくないし反対されそうだから別の人を探していることを伝えた。
意外な提案だったのか、先ほどまで前のめりだった後見人が、今度はものすごく驚いてたじろいでいた。
「溺愛っぷりは前からだけど、まさかそんな前代未聞な……そもそも魂の格の問題が……いやでも希望なら……?」
後見人はしばらくブツブツと呟きながら考え込んでいたが、落ち着いた後に色々と教えてくれた。
本来、魂の格(魔力量とか)が違いすぎると、相手の魂を侵食したり塗り潰してしまいかねないので魂を結べないこと。
けれど、希望の神は他者に魔力を受け渡すことができるくらい高純度の魂なので、魂を結んだとしてもそのようにはならないこと。
条件は付くけれど、愛の神に取り次ぐことは可能であること。
詳細は後で書面で送るが、条件はざっくり言えば、一定期間地球の仕事を手伝うことになるだろうとのこと。
「もうね、世界中戦争だらけで打開策も今のところなくて、希望の神とか喉から手が出るほど来てほしいんだよ……」
条件は悪くないはずだから! と半ば懇願されるように勧められた後、返事は詳細を聞いてからするということでお開きになった。
家に帰ってから程なくして、後見人から仕事内容のメモと契約書が届いた。
仕事内容はなんと、『滞在してくれるだけで良い影響が見込めるので、特に何もしなくても、好きなようにしていてくれればいいです』とのことだった。
契約書の内容も選択式で、滞在中は転生体にて地球で人間として暮らすことを前提として、滞在期間が連続一万日か通算十万日かでオプションが変わるとのことだった。※日数は楽園でなく地球の日数
連続一万日の場合、一万日に満たない状態で転生体が死亡すると、死亡日の翌日に別の転生体に魂を移し、一日目からやり直さなければならない。2周目以降の転生体は乗り換えにつき選択肢がほぼない。
通算十万日の場合、一度の寿命が50〜100年くらいなので、最低でも3〜4周はしなければならない。ただし2周目以降も乗り換えでなくじっくり時間をかけて転生体を用意できるので、本来の自分に近い状態で生きられる。
契約するのであれば、前もって婚約の証を用意するので、それを使えばすぐにでも魂を結ぶことができるとのこと。(※ただし、婚姻状態より効果は少し弱い)
また、契約満了後、双方の同意を経て婚約から婚姻の状態に移行するとのことだった。
十万日は楽園の時間に換算しても27年以上なので流石に長すぎるが、一万日であれば換算して3年以下なので、一度か二度失敗しても10年にも満たない。選ぶなら一万日一択だった。
それに、ロウに学習を促すにはちょうどよい期間かもしれないとも思った。
祖父の仕事を手伝って距離を置いたとしても、数週間や数ヶ月ならロウはじっと堪えて待ってしまいそうだった。
年単位で離れて、相当努力しなければ会いに来られない距離があり、交流の手段が手紙だけになれば嫌でも文字を覚えるに違いない。(水鏡に写す方法もあるが、そこはあえて使用しなかった)
それで、帰ってきて再会したらもっと親密な間柄になれるのだ。
ここのところの悩みを大方解決できる内容だったので、私は地球行きを承諾することにした。