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7. 希望の灯

 次の日の朝、遅くまで考え事をしていたせいか、少し寝坊をした。

 ロウは先に起きていたようで、寝台の足元の方で何やらごそごそしていた。

 昨日借りてきた絵本が気になっていたらしい。鼻や手を使ってなんとか本をめくっているようだった。


 ロウが本にそこまで興味を示すのは珍しいなと思い、横から絵本を覗き込む。

 そこには、淡い色で描かれた美しい景色があった。今まで全く見たことがない、彩りが豊かで明るい景色。

 ロウは鼻先をくっつけるくらいの近さで、その絵本をきらきらした目で見つめていた。


 この子はこういった美しいものが好きなのか。

 長いこと一緒にいたのに知らなかった一面を見られて、驚くとともに愛しく感じた。小刻みにフルフル動くしっぽが殊更可愛い。


 こういう景色の中を、嬉しそうに駆けまわるロウの姿が見られたなら。

 そんな想像をすると、何やらとても胸が熱くなった。


 働くならこういう美しい景観の世界を選ぼう。

 ちょうど今後の身の振り方を考えていたところだったので、そのように張り切って選択の条件に追加した。


 一緒に眺めながら絵本をめくっていくと、見覚えのある地形があった。

 眼下に森を一望できる切り立った崖だ。よくよく見ても、ロウがよく遠吠えをしている崖の地形とよく似ていた。


 そういえば、と思い出す。

 この絵本のタイトルは”楽園(エデン)”だった。


 此処は、昔はこんなにも美しい景色が広がる場所だったのか。

 現在の暗さやあまりにも違う色彩を思うと、何やら複雑な気持ちになった。


 この絵本が6才の誕生日に解禁されたということは、どうして今のようになったのかを尋ねたら答えてもらえるのだろう。

 そう考え、ロウが満足するまで一緒に読んだ後、その絵本を抱えて祖父母の家へ行くことにした。




 その日は祖父が不在だった。

 予定では在宅していると聞いていたが、何かあって予定が変わったらしい。


 祖母に直接聞いても触りないことなのかが分からず、他愛のないお喋りをしてお暇しようかと考えていた時。

 胸に抱えていた絵本に祖母が目を留めて、「あら、懐かしいわ」と小さく笑った。


「もしかして、昔の話を聞きにきたの?」


 予想外に祖母の方から話を振られてしまったので、咄嗟に肯定の返事をした。

 後で祖父に無理をさせるなと怒られるかもしれないな、と思いつつも、祖母が話を続けてくれたので、それを遮ることはしなかった。


「これは昔、私が『こんな景色が見られる世界を創りたい』と思って描いていた絵をまとめた本。でも、私は不器用で創世があまり得意ではないし、実現するには多くの属性が必要で、諦めていたのだけれど」


 絵本には、春、夏、秋、冬のすべての季節の景色が描かれていた。

 確かにそれだけでもかなりの難易度になるだろう。

 岩や土に、木々や花々、湖や海。それらを理想どおり創れたとしても、同時に維持するのは並大抵のことではない。


「それらの絵をあのひとが見たら、『ぜひとも創らせてほしい』って。はりきって休まずに作業して、たった数日で原型を創り上げたときはそれはもう驚いたわ」


 くすくすと笑う祖母の表情は柔らかく、とても楽しいことを思い出しているように見えた。

 祖父は生き物を創ることだけはあまり得意でなく、そこだけ祖母が力を振るったらしい。

 なるほどなと思い、足元でぐでんとしていたロウを見つめた。確かに、こんなに素直で愛らしい生き物があの堅物の祖父から生まれるとは考えにくかった。

 楽園(エデン)の動物たちに対しては、今でも祖母の影響が色濃いのだろう。


 最後に相槌を打った後、会話が途切れた。

 続けて絵本の話を聞こうとしたところで、祖母がいつになく真剣な目でこちらを見ていることに気づき、なんとなく言い出すことができなくなって黙ってしまった。


 少しの間、沈黙が降りた。

 その後、何かを逡巡していた祖母が、躊躇いがちに口を開く。


「手を、握らせてもらってもいいかしら?」


 祖母から触れ合いを求められることは珍しい。

 接触すると、病のせいで互いによくない影響が出ると聞かされていた。

 それでも、そばに寄り添う程度ならいつも問題なかったし、祖母から申し出があったのだから、少しであれば大丈夫なのだろう。


 遠慮がちに差し出された祖母の手のひらに、そっと自分の手をのせた、その時。

 眩い光が放たれて、反射的に目を瞑ってしまった。

 何かまずいことが起きてしまったかと、慌てて眩んだ目をこじ開けた。


 祖母が、先ほどと同じように真剣な目で私を見つめていた。

 ただし、その姿は手を握る前とはすっかり変わってしまった。


 ミルクティー色の艶やかなブロンドに、赤みがかった濃いブラウンの瞳。

 いつもの白い髪にくすんだ灰色の目ではなくなっていたし、肌も瑞々しく透きとおっていて、老いたところは全く見当たらなくなっていた。

 それでも、その面差しは間違いなく祖母であった。


「ルリ。貴方はーー”希望”を持っているのね」


 祖母は呟くような声でそう言った後、静かに私の手を離した。

 すると、祖母はいつも通りの老いた姿に戻ってしまったのだった。




 その後、祖母がぽつりぽつりと話してくれるのをゆっくり聞いた。


 祖母も昔、希望を得たこと。

 希望は『魂の境地』であり、それを得たものは高純度の魔力を持ち、他者の魂を染めるような影響を与えないため、魔力をそのまま渡すことが可能であること。

 その場に居るだけで他社の心を明るくする性質を持つこと。

 新しい発想を得やすくなること。


 利点が多い分狙われることも多くなるため、十分に気をつけて身を守らなければならないこと。

 原因は様々だが、魂を損傷した場合”絶望”に転じてしまう可能性があること。

 魂を触れ合わせる行為である性交は避けた方がよいこと。(その被害で絶望に転じた事例が複数ある)

 その他にも、心的外傷をできる限り避けるべきだということ。


 絶望に転じてしまった場合、各々症状は違えど、自分と自分の存在する世界を蝕んでしまうこと。

 元に戻る手段も、元に戻った前例も、これまで存在しないこと。

 祖母は心的外傷により絶望に転じてしまい、長い間苦しみ続けてきたこと。


 話を聞きながら、私は自分が何かとても脆いものになってしまったような気がして、小さく震えた。


「気をつけなければならないことは多いけれど、大事な人たちの心を支えられるというのは、とてもいいのよ」


 祖母ははにかむように笑って、いつも森を探検するときに貸してくれたカンテラを私に手渡した。


「これは元々、私の希望の火を他者に分ける時に使っていたものだったの。貴方にあげる」


 このカンテラに火を灯して、いつも絶やさずにいるように。

 それができる内は大丈夫。

 そう言って、祖母は私を励ますように、小さく笑った。

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