3. 楽園での暮らし 1才
祖父母の家で暮らした時間は、割と短かった。たしか一ヶ月ほどだっただろう。
祖母の病は非常に深刻のため刺激を与えてはならず、一緒に暮らすとどうしてもひっそりと過ごすことになった。体を動かすことを覚えた遊びたい盛りの子どもたちにとっては少し窮屈だったのである。
それを見兼ねた祖父は、当初の予定通りに私が別の家でも過不足なく暮らせるように、あらゆる調整を行ってくれた。
私はなかなか厄介な子どもだったと思う。
両親を前に述べたような形で亡くした私は、自分が大切に想う者を侮られたり軽んじられたりすることにとても敏感で、受け入れることができなかった。対して、いつも一緒にいるまだ物も言えぬ狼を獣と軽んじず、主と同様に尊重できるような者は、ただでさえ人員不足の楽園では見つけられなかった。
それでも、祖父はそんな私の考えを曲げようとすることはしなかった。
「私たちのような者にとって、心から愛しいと思える存在はとても貴重だ。大切な者を大切にして悪いことなどない」
そう言って、大きくてごつごつした手で私とロウの頭を隔てなくなでてくれたことを、よく覚えている。
結局世話役などは付けないことになり、定期的に様子を見に来てくれる後見人だけ紹介された。
それから祖父母のところにはいつでも来てよいことや、定期的に会う機会を設けることを約束して、私とロウは小さな家でふたり暮らしをすることとなった。
いつでもロウと一緒に、寝て起きて学び遊びまた寝る。
言ってしまえばただそれだけを繰り返す毎日だったけれど、とても充実していたし楽しかった。思い出す限り、私の生涯であの頃が一番幸せで満ち足りていた時間だったと、今でも思う。
気づけばあっという間に一年が経過し、私もロウも一才の誕生日を迎えた。
誕生日は祝うものだと教えられたけど、私は特に何もしないことにした。
既に毎日がとても楽しくて、これ以上特別なものは特に欲しいとも思わなかったから。
生まれた日のことを振り返すと、母と父をいっぺんに失った時の苦い気持ちを思い出してしまう。
あのような感情を抱えたまま生きていたら、どうなっていただろうかと考える。
きっと今よりもっと、自他共に色々なことが許せない偏屈な子になったのではないだろうか。
ロウと出会ってからは、不思議とそんな感情もすっかりなりを潜めて、時々思い出す程度になった。
辛いことがあった後でも、いつも温かくてやさしくて可愛い彼と一緒に過ごせたことで、私は子どもらしい子ども時代を送れたのだと思う。
0〜1歳児がどうやってふたり暮らしをするんだよ!
と突っ込みたくなる人もいると思うので、色々補足がてら我々の生態や生活について話していく。
地球の生物と大きく異なる点は、前にも述べたように体は自分で作るか親から与えられるものであること、性別がない場合が多いということ、単純に時間経過で成長や老化が進むわけではないということあたりだろうか。
ちなみに性別があるのは、そのように創造された第2世代の生命のみである。
※第2世代ってなんだっけ……という人は、2話目を振り返ってみてね
基本的には体は自分で作りカスタマイズしていくものなので、性別は自分で嗜好に合わせて決定する、いわばファッションのようなものだ。ある程度固定する者が多数派だが、日によって選択を変えるような者も少なからずいる。
昨今、性の多様性についての議論が加速しているが、上記のことは地球に生きる人間にも深く絡んでいる。
この辺は地球に舞台が移ってから、改めて話をする。
成長については、くどいようだが体は自分で作るもののため、地球の人間のように時間経過で体が育っていくことはない。
精神が成長していくと、いずれ成長が止まり心身が安定する。その時点で”大人になった”とみなされる。
なお、クピドがよく子どもの姿で描かれるのは、彼がかなりの時間を子どもの状態のまま過ごしたかららしい。
私は生まれた時点で親から与えられた体も知識もあり、動かすことも魔法を使うことも容易だったため、祖父母の家で過ごした一ヶ月で、喋ることも生活魔法も習得できた。
ちなみに食事は基本的に嗜好品で、好んで食べることはあるが排泄は不要だ。
生き物によっては、生存するためのエネルギーが不足すれば摂取することもある程度のもの。いわば回復アイテムといった位置付けとなるだろうか。
服は布から作ることは稀で、体同様に魔法で作るのが通常であった。
(贈答品などは布で作ることもあるが、基本的にそれを直接身につけることはなく、模倣して自分で魔法で作り直すことがほとんど)
体の新陳代謝がなく、物から埃が出るようなこともないので、掃除も基本的にほぼ不要である。
必要となったとしても、大体は魔法でちょちょいのちょいであった。
そんなわけで、家事の心配は無用だった。
また、楽園は祖父ががっちりと護っていたため、他者による加害の危険性もほぼゼロに等しかった。
そのため、当時の私くらいの子どもも十分にふたり暮らしを送れたのである。
「物事には順序があり、知るにはそれに足る心と精神と前知識が揃った時期を選ぶ必要がある」
これは、祖父の教育方針であり、私が最初に家を半壊させたことに対するお説教である。
「力の危険性を知らぬままに力を奮えば、ああいったことになる。それは分かるな?」
何か言いたい気持ちにはなったが、特に反論も思いつかず、私はただ頷いた。たぶん仏頂面になっていたことだろう。
「こういう事はいくつもある。そのため、図書館で得られる情報には年齢ごとに制限をかける」
楽園にある唯一の施設。図書館。
あとは広場と家と暗い森が広がるくらいなもので、唯一の娯楽施設といってもよいかもしれない。
地球のように蔵書が収められている図書館とは似て非なるものである。インターネットの方がまだ近いだろうか。
なんと、利用者登録をした者が入場する時に、その者の知りたいことや趣味嗜好に合わせて蔵書や内装をカスタマイズしてくれるのである。
「自由に利用して構わないが、好きなものだけを読むのも偏りが出るから、時々でよいので私が指定するものにも目を通しなさい」
知を司るだけあって、祖父の教育カリキュラムはかなりしっかりしていた。
しっかり、といっても詰め込みとかスパルタとかそういうのはなく、基本的には私が興味を持ったことを糸口に、色んなお話を聞かせてくれたり、本を紹介してくれたり、課題を出したりする自由度が高くとても面白いものだった。
ロウと広場をかけまわって遊び、疲れたら図書館で本を読み(遊んできてもいいよと言っても、ロウはべったりくっついて寝てることが多かった)、祖父の課題をこなし、時々祖母に会いに行き、夜はロウの毛がつやつやになるまでブラッシングしてから一緒に眠る。
そんな毎日を過ごしていた。