1. 生まれた日のこと
まずは自己紹介がてら、私が生まれた日の話をする。
地球の時間でいうと、大体160年くらい前。
地球じゃない世界、通称”楽園”と呼ばれた世界でのこと。
地球とは世界の常識からして違う。
細かな話をすると長くなりすぎるので、要点だけざっくりまとめると↓
・”生命”の定義は自由意志があるかどうか
・体は自分で作るもの、あるいは親から与えられるもの
・時間の流れは地球の10倍くらいの長さ(1日が10倍くらい、時間の区切りは12刻み)
・生命の誕生の仕方はざっくり3通り
1.エネルギーの塊みたいなものに意思が芽生えたもの(親はなし)
2.創造されたものに意思が芽生えたもの(親あり→親:生命または世界)
3.二体の生命が交わって育まれた意思あるもの(両親あり)
こんな感じになる。
それぞれ、第1世代、第2世代、第3世代という呼称で分類されていた。
私は、第3世代に該当する両親がいるタイプだった。
地球では当たり前のことであっても、楽園ではごくごく珍しい生まれ方だった。
だから、事前に得られる情報が少なかったから、また気をつけるべきことがあまり認識されていなかったせいというのもあったかもしれない。
私の両親は、私が生まれると同時に亡くなってしまった。
原因は、私に『与えすぎたから』。
「私のようにはならないでほしい」
「この子の祖父母のように、誰からも必要とされる子になれるように」
母が、私が生まれる前にそう強く願っていたことだけは、よく覚えている。
……そんなことを切実に、悲痛な程に願った結果。
私はその通りに生まれて、母は与えすぎて亡くなり、母と魂を結んでいた父もそれに引きずられて亡くなった。
何がきっかけだったのかは、ついぞ分からない。
そんな風に思い詰めるほどの出来事か、コンプレックスか、はたまた愛情によるごくごく純粋な願いだったのか。
確かめたくてももう、聞くことができない。
親から与えられた場合、子は生まれて時点で既にある程度の知能や形を得る。
私の場合は、ほぼ全てを与えられたに等しかったので、言語能力も発達していたし、多くの知識も継がれた状態だった。
両親から与えられた体はまだ小さかったけれど、赤ん坊というほどではなく、地球で言うと2〜3歳児くらいの大きさは既にあったと思う。
そして、既に言語能力も思考するだけの意思も十分にあった。
私はとても苛々していた。
母も父も失って生まれてきてしまったことに愕然としていて、悲しくて悔しくてどうしようもなかった。
それなのに、周りにいて世話を焼いてくれる者たちは皆、父母の死を悲しむよりも、私の誕生を喜ばしく思っていたから。
どうして。
ずっと、途方もなくそう考え続けるばかりだった。
答えがどこかにあるのではないか。
何かを探すように、私の視線は周囲を見渡していた。
祖父から覚醒遺伝したこの目は、見えすぎるくらいよく見えた。視界に入ったものの心の有り様すら。
私の誕生を喜んでいるところを見るのが苦痛で、家の中から壁の外を透かして、できるだけ遠くを眺めていた。
楽園はとても暗かった。
地球のような陽光はない。灯りがないと歩けぬ暗さで、木々の幹は真っ白くて葉っぱは青いし、空も海も黒い。
ホラー映画のような色調の景観だった。
昔からこうだったわけではないのだが、こうなった経緯はここでは割愛する。
どんなに死に体でも、楽園はまだ生きている。
そう主張するかのように、時々生命を生み落とした。
だが、おおよそ生まれたばかりの生命が、何の保護もなく生きていける環境ではなかったため、生み落とされた時点で、その生命は死の淵を彷徨うことになった。
あの日あの時、外を眺めていて本当によかったと、心の底から思う。
彼は、懸命に走っていた。
地を踏む度に、そこから崩れ去ってしまいそうな恐怖があっただろう。
声を上げても、誰にも届かず吸い込まれるような絶望もあっただろう。
それでも彼は走っていた。
あの生き物はなんだろう?
私は彼に見入っていた。
必死の形相だが、少し切長な金の目はとてもつぶらで、その体躯は全身がモフモフしていてとても触り心地がよさそうだったし、耳も自分の形とは随分違う上にモフモフしていた。お尻には自分にはない尻尾がついていて、それもまたモフモフしていた。
親からもらった知識と照らし合わせる。
どうやらあの生き物は、”狼”という種の生き物らしい。
犬より気高く、人には懐きにくい。通常は群れで生活するらしいが、彼はひとりぼっちだった。
距離はまだ遠く離れていて、周りの者たちは気づいていない。
もし見つかれば、危険と判断されて排除されてしまうかもしれない。
『こっそりここによべないかな?』
それはとても素敵な考えに思えた。
悲しさも悔しさもどこかへ行ってしまって、初めてワクワクするという感情を経験をした。
ある程度魂が発達しているものは、魔法を使う素質がある。
(魔法、と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、地球の言語で適切なものがないので、ここでは類するものを全て”魔法”、魔法を扱うために必要な力を”魔力”と呼称する)
両親から全てをもらってしまった私も、その素質を有していた。
チチンプイプイ、なんて呪文は必要ないが、なんとなく手をパタパタと動かして、見よう見まねで魔法をかけてみる。
魔法に必要なのは強いイメージである。現実に存在すると強く認識できなければ、いくら念じても顕現しない。
彼の動きを邪魔しないような薄い膜をイメージした。
その膜があれば私以外には認識できなくなり、気配も遮断され、どんな壁もすり抜けられるようになる。
そんな膜を。
どうやらうまくいったようで、私の目には彼の周りがうっすらと光って見えた。
灰色の毛が、まるで銀色のようにきらめいて綺麗だった。
ただ、その魔法はなかなか高度なものだったようで、とても燃費が悪かった。どうやら長くは持ちそうにない。
私は彼にだけ届く声をイメージして、そっちじゃないよ、こっちへおいで、と彼を私のところまで誘導した。
彼は、すごい勢いで走ってきた。
当然だったろう。立ち止まったら消えてしまう、どこへ行っても安息がない、そんな環境に生まれ落ちた恐怖に晒され続けていたのだから。
目論見どおり、彼は私の元に辿り着いた。
同時に、少しまずったな、とも思った。
彼はいわばとても飢えている状態だったから。
この身を食いちぎられれば、さすがに周囲に何もないように取り繕うのはなかなか難しい。
バレないように腕の一本くらい与えることができるだろうか?(どうせすぐに形成し直せる)
そんなことを考えた矢先に。
彼は最初、あんぐり口を開けていた。
それはもう、飢えによる衝動的な行動だったと思う。
私は彼をじっと見て、次のアクションを考えていた。
それでも、驚いたことに。
彼はその口を閉じて、私をじっと見つめたのだ。
そして私の頬をぺろっと舐めて、そのまま傍らに倒れ込んで寝入ってしまった。
おいおい、しんじゃうぞ。
そんなことを思ったが、彼はもうぐったりと眠るばかりで。
どうすればいいか、もらった知識を引っ掻き回す。
簡単に生命力を補給したければ、どうやら口づけがいいらしい。
私は周囲から見て不自然のないように、横向きに寝っ転がった状態で、彼の横っ腹に顔を埋めて口づけた。
とてもモフモフで、それはもう至福の時間だった。うっかり私までそのまま寝入ってしまうくらいに。
(ちなみにこの時点では、私は生まれたばかりのためまだ歩いたことがなく、また既に喋れたけれどその場にいた者たちに不満がありすぎて無言で過ごしており、ずっとベッドでごろごろしていた)
どれくらい眠っていたのか。
そんなに長い時間ではなかったと思う。
新しい来訪者が来たので、目が覚めた直後だった。
ローブを被っていた(それっきり会っていないので外見はよく覚えていない)その人は、それまでその場にいた者たちより大分敏感で優秀だったのだと思う。
「何かいる!」
私の方を向いて目を凝らし、そう叫んだのだ。
その声に触発され、周りの者たちも皆、臨戦体制をとった。
そして、叫んだ人が焦ったように私に近づき、まだぐっすりと眠っている彼をむんずと掴もうとした。
「はなれろ! さわるな!」
私がそう強く叫んだ瞬間、ドッと大きな音がして。
私と彼の周囲にいた者と、部屋も家も周囲にあったものの大半が吹っ飛んでしまった。
ただ叫んだだけ。
それだけで、部屋が割れて人も跳ね飛ばされた。
明確なイメージなしに力を奮えば、暴発する。
魔力の扱いの初歩の初歩だが、当時の自分はそんなことはまだ理解できておらず、何が起きたのか分からずにただ動揺するばかりであった。
ぐっすり寝こけていた狼くんもさすがに飛び起きて、目をぱちくりさせていた。
こんな時は……どうすれば……。
そんな思いで、親にもらった知識から必死に対処法を探った。
「えっと、ごめんなさい……? でも、さわらないで」
これで合っているのか、伝わるかもよく分からないままに言葉を捻り出す。
吹っ飛ばされた人たちは皆即座に体勢を立て直して、警戒して、というよりはひどく心配そうにこちらを見ていた。
「言葉が分かるのですね? その獣は危険ではないでしょうか。こちらに渡せませんか?」
さっきむんずと掴もうとした人が、私に問いかけた。
どうやら私はまだ言葉が話せないだろうと思われていたらしい。
(まあ生まれたばっかりだったし、他がどうかはこの時点では知らなかったし)
「だいじょうぶ。わたすのはやだ」
どんなに飢えていても噛み付くことすらしなかったこの子は、危険はないに等しい。
あと可愛くてモフモフすぎるので手放したくもない。
相手は困っているようではあったけれど、そこは欲望に忠実にいくことにした。
「承知しました。では、そのままお待ちいただけますか?」
とりあえず、こっくりと頷いておく。
あっさりと観念してくれたらしいその人は、周りに控える人たちに何やら指示を出していた。
何やら上役っぽい人のようだ。
待っている間、何事かとわふわふしている狼くんを、大丈夫だよときゅっと抱っこしてみたら、どうやら嬉しいらしい。よろこんで尻尾をふるふるさせていた。やっぱりとても可愛い。
そんな風にじゃれていたら、あっという間に時間が過ぎたのか。それとも慌てて飛んできたのかは知らないけれど。
いつの間にか、厳しい顔をした年老いた風貌の人が、目の前に立っていた。
深い青色の目をしていた。私と同じ目だ、と直感的に理解する。
その人は私の祖父だった。
彼は屈んで私に目線を合わせ、ごつごつした手で私の頭を撫でた。
どことなく決まり悪そうにしていたが、その時は何故なのかは聞かなかった。
「派手にやったな」
祖父はそう言って立ち上がり部屋を見回した後、ひょいっと指を動かした。
すると、半壊した部屋がみるみるうちに修復されていく。壊れて床に落ちていたものが分解されて小さなレゴブロックのようになり、それらがあっという間に積み重ねられていき、何回か瞬きするくらいの時間で全てが元通りになった。
「其方らに任せるのは荷が重そうだ。しばらくは私たちの家で生活させることとする」
祖父は流れるような動きで狼を抱きしめる私をまとめて抱き上げて、周囲の人たちにそう告げた。
私にも、それでいいだろうか、と一応の確認を取ってくれた。
この人は、私に対して複雑な感情を抱いている。愛しさと、悲しさとーーどこか、自責の念のようなものも。
母と父の死については、とても悲しんで、悔やんでいる。
この手の中にいる狼のことも、獣と侮って疎んでいない。
保護者として満点である。
この目は分かりすぎて少し煩わしいけれど、こういうところは便利だ。
私はとても満足して、答える代わりに祖父の袖をぎゅっと握った。
※人=人間 とは限らないけど、言語的に面倒なので本作ではヒト型の者は人と表現します