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新釈「羅生門」

新釈「羅生門」


 14:25電車は東武動物公園駅に停車した。

 車両は適度に空いている。車内のほとんどの人間は席に座っており、空席がちらほらと2席3席、飛び石にある程度。そして、数人の立ったままの乗客。

 男は、その列車の始発から席に座っていた。列車の後方、三人掛けシートのそれも一番端。隣には太ったおばさんが座っていて、冬場だというのにほのかに汗の臭いが鼻を刺す。    

 男の視線は、両手に持った文庫本に向いている。しかし、それを読んでいる風でもない。ぼんやりと思案していた。彼はその日も、行くはずだった大学をふけるかどうか迷っていた。大学のある駅までは、鈍行のこの列車で20分ほど、それまでに決断せねばならない。その指先は、読みもしない文庫の頁を手繰り続けている。

 そんな男の視界に、4本の足が出現した。えんじ色の長ズボンに包まれた二本と、チェックのミニスカートから覗く白い足が二本。仲良く立っている。ちらと目線を上げると、老婆と若い女性の組だった。わざわざ並んで座っている辺り、孫と祖母といったところだろうか。ついでに列車の中を見ると、二つ並んだ空席はないらしい事が分かった。そして、その時になって男はやっと気づいた。自身の座った座席は、他の席と色が違う。それは優先席であったのだ。されど、と男の思考は続く。優先席を譲るべき相手は、この老婆のみ。だとすればこの三人掛けのシートには空席が一席ある。老婆はそもそも座る事が出来るはず、このババアは、選択して座っていないのだ。その上に、自分が退いたところで、三人掛けの中央には臭いおばさんがいる。二人並んで座る席は生まれない。自分は退く必要はない、と男は計算した。

 

 14:27電車は東部動物公園駅を発車した。

 男は、微笑ましく会話をする老婆と女を相変わらず視線の端で眺めながら苦悩していた。優先されるべき老婆の席は空いているのに、勝手に目の前に立っていられる事に悩む自分にうんざりしていた。その間にも、老婆と娘は和やかに会話を続ける。老婆が最近ウィッグをつけた話なんて、男にとってはどうでも良い。隣では、おばさんがうつらうつらし出した。頭が時折男の肩に触れるのが鬱陶しい。すると、どうやら揺れを申し訳なく思ったらしいおばさんが少しだけ席をずれた。これが何を意味するか、おばさんは二席の丁度真ん中に座っているのだ。老婆が座るスペースは消えてしまった。そして、このタイミングを男は逃した。老婆の座るべき優先席を埋めたまま、立ちあがらずにもたついているうちに一駅を過ぎてしまった。だらだらと走る列車。老婆が膝を撫でだした。膝が悪いなら最初から座れば良いのだ。良心と、苛立ちの狭間で揺れ動く男。


 ──その時、電車は大きくカーブを曲がった。

老婆の足下に一つ、コーヒーの空き缶が転がってきた。そして、老婆はそれを軽く足でこづいた。狙いは甘く、缶は男の両足の間に挟まって止まる。老婆はすぐに視線を隣の娘に戻した。見て見ぬ振りをしたのだ。──

男はやっと本を閉じた。


 14:47電車は北越谷駅に停車した。

 大学のある駅に電車が止まった。がやがやと大量の学生が乗り込んでくる。ババアと娘が学生の波に押されて位置を動くのを見届けてから、目の前の女子大生に慇懃な態度で席を譲ると、男は人の波をかき分けてドアの外へと出て行った。

男の行方については、大学ではない事だけが分かっている。


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