02
今日のダンスレッスンは2番目の兄、ヘンリーお兄様が相手役を務めてくれるので、待たせてはいけないと前の講義が長引いた私は早足で王宮の廊下を歩いていた。
『あー、ちょっと急ぎ足のシャルロットちゃん可愛い。でも転ばないかな?大丈夫かな?もし転びそうになったら絶対俺が受け止める!』
いつからか、カインの心の中で私はちゃん付けで呼ばれるようになっていた。実際に口に出すわけではないので別に良いのだが、他にちゃん付けで呼ぶ人間はいないので、少しこそばゆい。
そんなことを考えていたからか、レッスンが行われる部屋の少し前で、私は足をもつれさせた。
あっ転ぶ…!そう思ったが、予想した衝撃は襲ってこない。その代わり、腹部に圧迫感を感じる。
「シャルロット様!大丈夫ですか!?」
耳元でカインの声が聞こえる。どうやら受け止めてくれたらしい。助け起こされると、ドキドキする心臓を押さえて礼を言った。
「大丈夫よ、ありがとう」
「いえ、間に合って良かったです」
『あ゛あ゛あ゛あ゛!!!さ、触っちゃった!シャルロットちゃん柔らかい!可愛い!てか軽っ!ちゃんと食べてるのかな?ちょっと痩せた?可愛い!』
………この胸のドキドキは、多分転びそうになったからだろう。
私はそう考えて、部屋に入った。
普段のダンスレッスンは、先生の拍子に合わせてステップを踏むだけだが、今日はヘンリーお兄様がいるから楽団が準備していた。といっても5名ほどの少人数だ。
音楽に合わせてお兄様と本番さながらに踊る。ヘンリーお兄様は現在22歳。まだ結婚はしていないが、婚約者がいる。何度も夜会で踊っているので、リードも上手だ。
「シャーリーの誕生日まであと半年だね。エスコートは誰に頼むの?」
「まだ決めておりませんわ。エラールお兄様か、お父様にお願いすることになりそうですが…」
この国の成人年齢は16歳だ。16歳になった貴族は社交界デビューすることになり、最初の夜会は親兄弟か、婚約者が既にいる場合は婚約者にエスコートを頼むことになる。
人前にほとんど出ないとはいえ、私も一応王族なので成人の際にはパーティーが開かれる。有力貴族や年頃の令息、令嬢が招待されるだろう。
私はまだ婚約者がいないので、エスコートは同じく婚約者が決まってないエラールお兄様か、お父様にお願いすることになる。
『あー、シャルロットちゃんのダンス、めっちゃ可愛いな…良いなぁ、俺もシャルロットちゃんと踊りたい。ていうか俺、シャルロットちゃんがその辺の野郎と踊るの許せるかな?いや駄目だ想像しただけでハゲそう』
私はクルリとターンをした際に、横目でカインを見る。表情は職務に忠実な近衛兵のそれで、あんなことを考えているとはとても思えない。
最近、カインはもしかしたら私のことが恋愛的な意味で好きなのだろうか?と思い始めている。だが心の声を聞く限りでは、お気に入りの人形を愛でる感覚なのか、恋愛として好きなのか、それとも兄のような気持ちなのか微妙に判断がつかない。
ヘンリーお兄様が身体を密着させて囁く。
「カインがすごい目で見てる」
先ほど見た時は普通だったと思うけれど…。
「うーん、僕の見立てではあれは嫉妬と見た。実の兄相手にまで嫉妬するなんて、心の狭い男だねぇ」
そうなのかしら?
踊りながら何度かこっそりカインを見たが、私が見る時は無表情だった。
数曲踊ると小休憩となり、部屋の端の椅子に座る。ダンスのレッスンではパーティーで着るような豪華なドレスにヒールの高い靴を履かなければならないので、結構大変なのだ。
「シャーリー、本番に向けて他の男性とも踊った方が良いんじゃないかい?」
ヘンリーお兄様が提案する。確かに今までは先生とお兄様方としか踊ったことがない。パーティーでは初めて会う人と踊る可能性もあるので、出来るだけいろんな人と踊っておいた方が良いだろう。主役の私がみっともないダンスを見せるわけにもいかない。
お兄様の提案に、先生も賛同する。
「そうですね、では今日はとりあえずそこの近衛兵の方と踊ってみましょうか」
『え゛っ!?!?!?俺????うっそ、マジで?えっどうしようシャルロットちゃんと踊れるとか俺今日死ぬの?』
「カイン、君も貴族だし踊れるよね?」
「はい、一通りは習っております」
『うわーうわーどうしよ、手に汗かいてきた』
お兄様に手招きされて、カインがドアの横から歩いてくる。私が部屋の中央に立つと、目の前にカインが立った。
「練習のお相手ができ、光栄に存じます」
『可愛い可愛い可愛い!!シャルロットちゃんが近いっ可愛い!うわぁ睫毛長いお肌すべすべ触りたい可愛い』
うるさい。
楽団が演奏を始めるが、カインの心の声がうるさすぎて集中出来ない。
『手ぇちっさ!可愛い!あっこの位置で見下ろすと胸の谷間が見えるやばい鼻血出そう。駄目だダンスに集中しよう。シャルロットちゃん、ちょっと動きがぎこちないな。初めての相手で緊張してるのかな?あっなんか初めての相手って言うと夜のことみたいでヤラシ』
私は聞いていられなくなって、踊りながらカインの手をぎゅっと握った。
一体どんな顔でこんなことを考えているのだと思い顔をあげると、目が合ってニコリと笑いかけられる。
ドキン、と心臓が暴れ始めるのを感じる。
ああ、そうだった。心の声が残念すぎてつい忘れがちだが、カインは顔が良い。すっと通った鼻梁に少しタレ目がちな目元が優しげで、侍女たちにも人気があるのだった。
私はこのドキドキがカインに聞こえませんようにと、それだけを考えて踊った。