シアーズ家 変われない
私とアルバートは、いま、シアーズ家の客室の椅子に座っている。向かい側には、私の母・クロエと父・アイザックがいる。
机にはケーキとアルバートが持ってきた菓子と紅茶。そして、私の前にはケーキではなく、ドーナツがある。
「なんでドーナツ!?」
お客さまの前で一人だけ違うものが出されたのは、これが初めてだ。
いたずらな笑みを浮かべたお母さまは、アルバートに視線を送る。
「シャノンさまもきっとご存知でしょ?」
「はい、今日も来る途中、見る者が微笑んでしまうような満面の笑みで召し上がっていましたよ」
穏やかに答えるアルバート。
なんだか食い意地を張っているようで恥ずかしい。……いや間違ってはないか。
お母さまはぱちんと両手を合わせ、嬉しそうに口を開く。
「そうですよね! だから、いいんじゃないかと思ったの」
「なるほど」
二人して、納得して頷く。
「それに、娘の笑顔を見たいからな」
お父さまが緩やかに微笑みながら、理由を付け足す。
「そうよ、あなたなかなか帰ってこないんだもの」
今回の帰宅は、だいたい二ヶ月ぶりだ。私は眉を寄せてしまう。
「ごめんなさい。でも、遠いんです」
「そお?」
ここは、都から離れた遠い田舎だ。馬車に乗って往復で約三時間半かかる。休みはあるが、休日は疲れを癒すために使いたい。
日帰りでここに来ると、もの凄い疲労感に襲わられるのだ。
どうしようもないと思ったのだろう。お母さまは、はぁとため息を吐いて話題を変えた。
「ルーナの手紙で、シャノンさまは副団長だと読んだのですけど、本当なのですか?」
届くのに時間がかかるから、手紙を送る頻度は少ない。あの泥酔した夜のあと、簡単に婚約について書いて、そのあとは実家に帰ることしか書いていなかった。
「はい、第二騎士団副団長を拝命しております」
「随分と若く見える」
副団長と聞いて、もっとかたい見た目だと思われたのだろうか。まぁ、二十歳に見えなかったのかもしれない。
アルバートは眉を下げ、曖昧に笑う。
「ええ、異例のはやさだそうです。まだまだ未熟なので、団員たちから学ぶことも多いです」
「実力と性格が評価されたらしいです。いつも真面目に手を抜かずに勤めていらっしゃいますよ」
アルバートが謙遜するので、いちおうフォローを入れておいた。えっと小さな声が耳に入ったのでちらりと見ると、アルバートが目を見開いていた。
……驚かないでほしい。
「そうなのか! 若いのに凄いなぁ」
お父さまが感心したような声を出した。
お母さまは頬に手を当てのんびりした声で問う。
「あらぁ、若いと苦労しますでしょう?」
「そうですね、認められようとすることは難しいです」
アルバートは、困っているような軽い微笑みで答えた。
「そうなのねぇ」
他の騎士団長や副団長から認められて、アルバートは副団長になった。実力もずば抜けていて、第二騎士団に勝てる者はほとんどいない。
しかし、お偉方から認められても、古株や同期、新人の中に、「若すぎる、不平等だ、おかしい」と不平不満を言う人は、やはりいる。
妬む人たちはアルバートに挑み、返り討ちにされているが、解消されないようだ。
お父さまは、かちゃっと音を立てて、飲んだカップを置いた。ゆったりとしているが、なんだか真剣さも混じったような笑顔でアルバートに声をかける。
「ところで、話が変わるのだが、シャノンさまは、ルーナと結婚なさるつもりはあるのだろうか?」
「……っ!」
私は危うく吹き出しそうになった。急に飛ぶなぁと驚いてしまった。……だが、確かに気になっていたことだ。
お父さまは、私を気にせずに話を続ける。
「この家の大きさを見てお分かりだろうが、持参金は少ない額でしか持たせられない。私の家との繋がりは利益になりませんよ」
今の時代、持参金の多さは結婚するか否かに関わってくる。低い持参金の家は人気がない。
お母さまは眉を寄せて、悲しそうな声を上げる。
「それに、またルーナがどうしようもない理由で、拒否されて傷つく姿は見たくありませんの」
どうしようもない理由とは、身長のことだ。当たり前だが、身長を縮めることはできない。
心配してくれているのだろう。親心に胸が熱くなる。
「お母さま、お父さま……」
「結婚なさる気がないなら、早急に解消にしてほしい。娘の時間を浪費させないでほしい」
お父さまたちがこんなにも大きな態度に出るところを見るのは、はじめてだ。
最後まで黙って聞いていたアルバートは、真剣な声色で答える。
「利益は問題ではありません。そのあたりは、シャノン家の許可も取れました。私は、今も、今後も、婚約を解消するつもりは一切ありません。ルーナが嫌がっても、破談にしようと思えません」
「……え?」
私は驚愕してかたまってしまう。
いずれ婚約は解消するのだと思っていた。どうせ成り行きだと。
なぜお母さまたちにそんなことを言ってしまうのか。破談になった時に、どうするのか。
お母さまは眉を上げて首を傾げる。
「なぜ?」
アルバートは私を一瞥して、軽く口角を上げる。
「一番の理由としては、ルーナのドーナツを食べるときや友達に見せる喜々とした笑顔が気に入っているからです」
ここまで言ったアルバートは少し顔色を曇らせる。
「…………まぁ、今後、ルーナが本気で嫌がったら、考えるには考えますけど」
「……?」
私はアルバートを見ながら、無意識に首を傾げていた。
「本当に、良いのか? そんなことを言って」
お父さまは念を押すようにそう告げると、アルバートは迷った素振りを見せず、すぐに返事をした。
「はい、二言はありません」
「……そうか。……その言葉を信じるよ」
「よろしくお願いしますね」
雰囲気が変わる。
お父さまたちは、穏やかな笑顔に戻った。
その後は、話していたので食べられなかったお待ちかねのお菓子を食べ、昔話をしていた。
私は、現実から離れるように、ドーナツを食べるのに夢中になっていた。
「よく飽きないな? 行きもじっくり選んで、あんなにたくさん食べて満足そうだったのに」
そんなことを、アルバートに穏やかな優しい微笑みで言われた。私は恥ずかしくなり曖昧に笑みをこぼす。
「ルーナがドーナツを好きなのは、子供の頃からだよなぁ」
「そうね? 八歳くらいだったかしら? 私が初めて作ってあげたら、喜んで食べてくれたのよね」
お父さまとお母さまが懐かしそうに目を細めて話した。
「クロエさまが愛情込めて作ってくれたドーナツが、相当嬉しかったのでしょうね」
嬉しそうな表情で、お母さまが頬に手を当てる。
「ふふっ、照れるわ〜」
ほのぼのとした会話が続き、帰らなくてはならない時間になった。
「ルーナ! ちょっとこちらへ来て」
「はい」
お父さまとアルバートを置いて、別室に移動する。
「どうしたの? お母さま」
お母さまは私の方を向いて微笑む。
「思っていたより、二人とも仲が良さそうで安心したわ。それに……。いえ、でも、本当にこれで良いの?」
「え?」
「何かあった? あんな婚約破棄があった後、お見合いしたいとは言わなかったでしょう」
確かに言わなかった。頼めばどっかしら見繕ってくれたかもしれないが、
……自分がまた傷つくのが嫌だという考えもあった。
「……家のことは考えなくてもいいのよ? 一人娘ですもの。自由に生きてほしいわ」
私は唖然として、しばらく動けなかった。
普段、家のためと思って、騎士になり、仕送りをしている。……しかし、強要されたことはない。騎士になるときも、反対はされなかった。
自由に……。今さらはっきりと、家族の想いを知った。
「家族のため」と、ずっと家を理由にして、逃げていたのかもしれない。……向き合うことから。
考え込んで口をひき結んで俯いていると、お母さまは私をやさしく包むように抱きしめた。
「まだ答えられないのなら考えればいいわ。ルーナが、まだ続ける意思があるのなら応援するわ。でも、嫌になったら言って。いつでも私たちは味方だからね」
「うん……ありがとう」
嬉しくなって、ちょっとだけ泣きそうになった。
*
「穏やかな優しい両親だな」
帰りの馬車に乗り込むとアルバートがそう言った。
「ええ、自慢の家族です。アルバートさまのお母さまもジェシカさまも愛情深いですよね」
「そうかもしれない」
ふとシャノン家に行ったときのことを思い出した。あのとき、アルバートの父と兄に会っていない。
「アルバートさまのお父さまにお会いしていませんが、大丈夫ですか?」
アルバートは顔にクエスチョンマークを浮かべて、あっと思い出したように声を上げる。
忘れていたようだ。
「いずれ紹介する。領主の仕事が忙しいようで都合が合わないんだ。まぁ、母さんとジェシカが認めているから、認められたも同然だ。文句は言われないさ」
「そうですか……」
シャノン家は、女が強いらしい。貴族の家にしては珍しい。
「また朝のように、アルバートさまは寝ますか?」
馬車の中で、アルバートが熟睡していたことを思い出し、提案してみた。
「え……? あ、いや、大丈夫だ。足が痺れるだろう」
遠慮しているのだろうか。
「別にいいですけど。昨日の夜、なにしてたんです?」
全く起きないほど、夜更かしして何をしていたのか。
アルバートは何かを探るように視線を彷徨わせて口を開く。
「……本を読んでいた」
騎士はなかなか本を読まない。次期領主なら別だが、アルバートは次男なので違うだろう。もしかしたら、大衆小説を読むかもしれない。
しかし、この忙しい時期に、騎士と関係ないジャンルをこの仕事人間が読むのか。答えは、否だろう。
「そう、ですか。……少しは寝てください」
「……善処する」
アルバートはそう言ったが、変わらないだろう。
今日の会話で、気になったことがある。聞こうと思うと、なぜか緊張する。
「……婚約を破棄する気は一切ない、と言って、本当によろしかったのですか?」
アルバートの曖昧な態度がよくわからない。
一瞬、かたまったように見えたが、すぐに返事をくれた。
「最初に言った通り、結婚してほしい。そう思ってるのは変わっていない」
本当に、意味がわからない。なんのためにそう言うのか。
弱みを握れて、ちょうどいいから? 女避けのため? お見合いをしたくなかったから?
仮に好きだとして、好きな相手を連れ込んで脅すのか。いや、普通はしない。
理由を思い浮かべても、しっくりこない。
「……いつ理由を聞けますか」
アルバートはぐっと眉間に深いしわを作り、閉口する。
「…………の準備ができたら、伝える。かならず」
なんの準備だろうか。聞き取れなかった。
しかし、もっと追求する勇気はなかった。
しんとした空気のなかで、私はやるせない気持ちでいっぱいだった。