居残り シアーズ男爵家に到着
あれから王太子殿下が婚約することを公に知らされた。訓練や警備をしている騎士までぴりぴりしている。
東の国、ローズ王国との友好のために結ばれる婚約。両国は似たような軍事力のため、戦争が起きれば予想以上の死者数になるだろう。
このフェノーラ王国に来るローズ王国の王女に、なにかあってはいけない。
現在、第三騎士団がローズ王国へ迎えに行っている。
失敗できない任務が、刻々と迫っている。
*
勤務終了後、私は第二訓練場で居残っている騎士と木剣で試合をしていた。
目の前の男に剣をまっすぐ振り下ろすが、やはり受け止められる。すぐに引いて、右斜めから次の一手を繰り出した。
木剣がぶつかり合う音が、訓練場に鳴り響く。
剣が重く徐々に押されているのがわかり、私は歯噛みする。カァンと高い音と共に、手がぴりっと痺れ木剣が後方へ吹っ飛ぶ。
ゆっくりと呼吸を整えつつ、姿勢を正して礼をする。
「参りました」
「相変わらず、シアーズの剣は早いよね! 俺焦っちゃうんだよねぇ」
「ありがとうございます、ブライトさま」
目の前にいる明るい黄緑色の髪と茶色の瞳の男性は、にこにこと笑顔を浮かべながら話しかけてくる。
彼の名前は、ルイス・ブライト。アルバート・シャノン副団長と同期だそうだ。
少し離れたところで見ていたアリア・ローレルは桃色の髪を揺らして、こちらに走ってきた。
「ルーナー! お疲れさま!」
「ありがとう」
「あれ? アリア、俺には?」
アリアが私に声をかけると、ブライトさまは明るい声で、すかさず横槍をいれてきた。
アリアを名前で呼んだことから分かるように、彼はアリアの婚約者だ。
アリアはほんのり頬を赤くして、ブライトさまを見る。いや、むしろ、睨むに近い目つきになっている。口をもごもごさせていることから、話そうとしているのがわかり、私は心の中で頑張れと応援する。
「…………ルイスもお疲れさま!」
「ありがとー!」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべるブライトさまは、アリアに素早く抱きついていく。
まるで犬のようだ。
「ひゃっ、来ないでよ!」
アリアは拒否するのは口だけで、満更でもなさそうだ。
いつも明るく温和なブライトさまだが、アリアに関しては違う。
ブライトさまは勤務時間内であろうとよくアリアに触れる。それは周りの騎士、つまり、男たちを牽制するためだろう。アリアに関わる騎士について、毎日のように私に仔細を聞いてくる。
聞いたあと、どうしているのかは知りたくない。
二人の世界に入ってしまったので、飛んでいった木剣を拾おうと背を向ける。
「あれ??」
二本の木剣を持ったアルバート・シャノン副団長が、こちらに歩いてくる。
「シャノン副団長、拾ってくださったのですか?」
「ああ、こっちに飛んできたから」
「すみません。ありがとうございます」
木剣を受け取り、アルバートの顔を見ると、目の下に薄くくまができているのに気付く。
「体を動かしに?」
「そう。気分転換に誰か相手になってくれないかと思って」
要するに、アルバートは仕事をしていたらしい。……おかしい。
「今日出勤日でしたっけ?」
「いや、午後、忘れていた今日中に提出する書類が見つかったって、団長に呼び出されて」
そして、こんな時間までかかったのか。
「わざわざ出てこられたんですね」
「ノース団長って断ると子犬みたいに見てくるだろう? それに、お世話になってるしな」
アルバートが苦笑いを浮かべて言った。
ノース団長は、お茶目で世話焼きなのだ。土産を「お菓子はやっぱり女の子から」と言って、他の団にまで配りに行ったりする。人生相談や恋愛相談にも親身に乗ってくれるので、騎士たちから慕われている。
「お疲れ様です」
「ありがとう。シアーズもお疲れ。もう帰るのか」
「迷ってます。……あ、ブライトさまが空いてますよ」
「え、あれを呼ぶのか?」
抱き合っていちゃいちゃしているアリアとルイスを見て、アルバートは眉をひそめる。
私だって、あれに声をかけることは極力したくない。
「でも、副団長の気分転換に合うお相手は他にいませんよ?」
今残っている中に、ブライトさま程の実力の持ち主はいない。気分転換なら、長い時間相手になる人がいいと思ったのだ。
アルバートは、訓練場を見渡して、首の後ろに手を置く。そして、私を見て、
「……シアーズはどうだ?」
「えっ? 私?」
私なんかでいいのだろうか。もう少しいい相手を待ったほうがいいのではないかと返事に迷ってしまう。
「シアーズだって、前より力はついてきてるだろ? 疲れてるなら、仕方がないが……」
疲れたといえば疲れたが、動けないほどではない。副団長に指南してもらいたい人は多いので、相手になってもらえる機会は少ない。断るのはもったいない。
「……では、お願いします」
「こっちが、お願いする立場だけど」
そんなことを言われても、私の方が部下だし、弱いのだ。
「冗談言わないでくださいよ」
私とアルバートは、間を空けて立つ。アルバートを視界に入れながら木剣を構える。
「行きます!」
初めから全力で、アルバートに突っ込んでいく。
アルバートは横にずれて躱す。私は剣の軌道を変え、右から迫ってくる剣を受け止める。
「……っ!」
ーー重い!
押されるようにして一歩下がる。間髪入れずに、アルバートの剣が素早く追ってくる。なんとか防ぐが……。
「脇が甘い!」
立て直すために軽く飛んで後ろに下がり、追ってきたアルバートを迎撃する。受け止められた剣を引き、次の手に移る。
隙をついてきたアルバートの剣を、体を捻ると共に受け流す。すぐに態勢が整えられず、再び襲ってくる剣を避けられない。
背中にひやりとしたものが伝う。
「……ぐっ!」
重い剣を、真っ向から受け止めてしまった。重い衝撃が剣から腕へと伝わり顔が歪む。
剣を振るうが、アルバートの方が素早く、彼の剣が私の首に突きつけられた。
力の差は歴然だった。悔しさを紛らわすように、私はふぅと息を吐く。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
「……今ので気分転換になりました? むしろ、仕事をさせたって感じがするのですが」
昼間の訓練と同じように指南を受けた気分だ。
しかし、アルバートはよくわからないという顔で首を傾ける。
「ん? なったぞ? 仕事とは思ってないな」
「……鬼」
ぽつりと心の声が漏れてしまう。
「急な悪口だな」
「聞こえましたか、すみません」
悪いとは思ってはいないが……。
剣を握ることは、仕事ではないということか。意識の違いだろう……。
「ルーナ!! なんでシャノン副団長と打ち合ってたの!?」
驚いた顔したアリアが、ブライトさまと手を繋いでやって来る。
「二人がいちゃついてるから、ブライトさまに頼めなかったの」
ブライトさまは眉をよせて、心配そうな顔で見てくる。
「うわぁ、大丈夫だった? アルバートとやるの、きつかったでしょ?」
「はい、鬼でしたから」
ブハッと吹き出して、「お、鬼っ」と声を震わせ、ブライトさまは盛大に笑い出す。アリアも肩を震わせて、口に手を当てて目を細めている。
アルバートは、ぐっと眉間にしわを寄せ睨むように、余計なことを言った私を見る。これまた鬼のよう。
「シアーズ、それを広めるな」
知らんぷりして、アルバートから視線を外す。
「似合うよ、鬼さん」
「だまれルイス」
からかわれるアルバートを見るのは面白い。
男二人がわちゃわちゃと絡んでいると、アリアははっと何かに気付いた顔をして、アルバートに近寄っていく。
「副団長! ちょっと二人でお話いいですか!」
「……ああ」
なぜか、アルバートは硬い表情で答える。
アルバートとアリアは私たちから離れていく。
ブライトさまに配慮しているのか、声は聞こえないが、視界に入るところで立ち止まって二人は話し始めた。
アルバートの顔が険しいように見える。……いや、さっきからだったか。
「なに話してるんだと思いますか?」
「んー、浮気ではないのはたしかだろうね」
ついじとっと呆れた目を向けてしまう。
この男の頭にはそれしかないのか。
アルバートとアリアが戻ってくると、ブライトさまが声をかける。
「アルバートは、まだ仕事すんの?」
「あー、いや、今日は帰る」
そう答えて、アルバートは私に顔を向けた。
「シアーズ、明後日部屋まで迎えに行くから」
「あ、はい」
そういえば、その話をしていなかった。
*
「んー!! このドーナツも美味しい!」
都から離れた自然が豊かなところを、馬車に乗ってゆっくりと通過している。
私は旅のお供にドーナツをアルバートに買ってもらい、馬車の中で袋を開けていた。
満面の笑顔でぱくりとドーナツにかぶりつき、だらしなく頬を緩めて絶賛する私を見て、アルバートは目を細めて柔らかい笑みを浮かべている。
「ほんと美味しそうに食べるよなぁ」
「実際美味しいんですよ! ふわふわもちもちです! アルバートさまも食べてください、ほらどうぞ」
ドーナツは最高に美味しいのだ。アルバートにチョコがのったドーナツを包んで手渡す。
今回は、前回と違うアルバートのおすすめの専門店で買ったのだ。いろんな種類があり、とっても迷ってしまい、決めるのに時間がかかった。
次々にドーナツを食べ終えると、ふと静かだなと思い、アルバートを見る。腕を組み、瞼が閉じられそうになっている。
「眠いのですか?」
「……ああ」
「失礼」
「……え?」
私はアルバートの隣に座る。馬車は横幅があるので二人座っても余裕だ。
反応の遅いアルバートの肩を掴んで引き寄せ、頭を私の膝の上にのせる。
「さ、寝てください、これなら座ったまま寝るよりは、良いでしょう?」
「……」
アルバートは私をちらりと見上げるが、すぐに目を閉じてしまう。
睡魔が強かったのだろう。すぐに眠りに入った。
アルバートの寝顔をじっと見つめる。
あの朝、この顔が目の前にあったんだよね……。
あのときは、本当に驚いた。
明るい蜂蜜のような色の髪を撫でる。
思っていた通り、柔らかかった。
*
「起きて、アルバートさま、もう着きますよ、起きてー」
「……ぅ、……ぅん?」
やっと起きてくれた。
何度声をかけても起きないので、肩も揺すって起こしたのだ。
「おはようございます! もう着きますよ」
アルバートは私を見上げて目を丸くし、顔を赤くする。
「……おはよう」
ゆっくり起き上がるアルバートを見ながら、声をかける。
「熟睡してましたね」
「ああ……ありがとう」
「いえ、枕になっただけですし」
*
シャノン家よりは小さいが、一般民よりは大きい屋敷。大きくはないが、整った庭。
シアーズ家に到着した。
扉の前には、私と同じ銀髪の女性と赤髪の男性が緩やかな笑みで立っている。
「お帰りなさい、ルーナ」
「お帰り、元気だったか?」
「ただいま戻りました。元気でしたよ。お母さまとお父さまもお変わりありませんか?」
「ああ。元気だったよ」
「今日はテディーが出かけちゃっていないのよ」
テディーとは、一つ下の一七歳の弟だ。お母さまはアルバートを見上げる。
「それより、こちらの方は?」
私が連れてきたのだから、分かっているだろう。
「婚約者のアルバート・シャノンさまです」
アルバートは軽く微笑んで挨拶する。
「アルバート・シャノンと申します。挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
特に気にした風もなくお父さまたちは口を開く。
「私は、アイザックだ。こっちは、妻のクロエ」
「とりあえず、中に入ってお茶にしましょう? 二人とも長い時間をかけて来たのだから疲れたでしょ?」
にこやかに話すお母さまに、アルバートが前もって買ってきた土産を差し出す。
「いま、王都で人気の店のお菓子です。よかったら、どうぞ」
「あら、ありがとうございます。じゃあ、こちらも並べてもらいましょうか」