強引な副団長
今から一年くらい前に、ルーナ・シアーズは婚約を破棄された。
婚約者とは仲が良いとは言えず、予想もしていたので激しく動揺することはなかった。しかし、聞いてしまったのだ。元婚約者が私の陰口をたたいているのを。
鋼の心を持ち合わせているわけではない私は、耐えきれず、ちょうど死角になる場所でうずくまって泣いていた。その時に背中を撫でて慰めてくれたのは、偶然居合わせた第三騎士団団長のノア・ナイトレイだった。
それ以降、私はナイトレイ団長を意識し始め、誰にでも優しい団長に好意を抱いていた。しかし、私は告白する勇気をもてず、胸に想いを秘めていた。
第三騎士団と関わることが少ないため、ナイトレイ団長が新婚だと、最近知った。
そうして私は気分が晴れないまま任務にあたり、失態をさらして、迷惑をかけてしまったのだ。
*
部屋に副団長を置いていった私は、寮に戻り、服を着替え、支度をして出勤する。
二人一組で何事もなく朝の巡視を終え、第二訓練場にいた第二騎士団団長のアーサー・ノースに報告をする。訓練に参加するように指示を出され、そして、聞きたくもなかった名前が出される。
「シアーズは執務室へ行くように。アルバート副団長が待っている」
「え! わ、わかりました!」
明日まで会うことはないと思っていた私は動揺する。
それを見たノース団長は眉を上げて首を傾げた。
「何かしたのか?」
「い、いえ、してないと思いますけど…………、それでは、失礼します」
可哀想な子を見る目を向けられた気がする。あぁ、こんなに早く会うことになるなんて! 副団長は休みだったはずなのに!
私の心とは裏腹の晴れ晴れとした空を見上げる。鳥が気持ちよさそうに鳴きながら北の方へ飛んでいく。私も鳥になりたいなぁ、と現実から目を背けたところで、上司の命令がなくなるわけではない。
第二訓練場を名残惜しく感じてしまう。鬱屈を抱えながら、執務室のある建物の方へ歩みを進めていく。
フェノーラ王国の騎士団は、第四騎士団まである。各団一つの執務室が与えられ、主に、団長と副団長が使う。
逃げたい。逃げたら怒られるかな。……あぁ、もう扉の前に着てしまった。来た道を一瞥し、深呼吸をする。
ドアを二回ノックすると、どうぞ、と聞き慣れたよく通る低音が響く。部屋の中に入り、両手を後ろに重ね背筋を伸ばす。
「失礼します。第二騎士団のルーナ・シアーズです。お呼びと伺いました」
「おう。ちゃんと来たな。逃げると思っていた」
「もちろん、先程まで逃げることを考えていましたが……」
執務室は結構広い。奥に団長専用の机があり、書類がまとめて積まれている。壁側の高い本棚には、本や資料がつめられている。部屋の真ん中には、幅を取る長方形の机が置かれ、薄緑色のテーブルクロスをかけられている。
その机を挟むように二人掛けのソファが置かれている。
そのソファに座っている騎士服を着たアルバート・シャノン副団長は、むすっとした表情で、こちらを眺めている。
アルバートは隣を差す。なぜ隣なんだ。
おとなしく従う気にはならず、アルバートの向かい側に腰を下ろす。アルバートはニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべ、随分と面白そうにしている。
余裕そうなのが苛立たしい。
「シャノン副団長は今日はお休みだったのでは? 休日にゆっくりと休むことも仕事のうちですよ」
「休みだったけど、急用ができてね」
「はぁ、それは大変ですね。私への用事は迅速に済ませて、そちらに当たってください」
「ルーナへの用事の方が急用なんだよ」
言外に早く帰れと含めたのだが、不発だったようだ。本当に私に何か言うために出勤したというのなら、この男は馬鹿だろう。それに、仕事場でもルーナと呼ぶなんて……。
副団長へ敬意を払う気になれない。ふぅ、と息を吐いて、笑顔を浮かべている男をきっと睨みつける。
「シャノン副団長。仕事場でルーナと呼ばないでください。誤解されます。さっさと本題に入って頂けますか?」
「俺は誤解されても構わないけどな。そうだな。……今朝、なんで逃げた? せめて返事くらいしていけば良かったのでは?」
やはりか。私は眉間にしわを寄せて、一瞬、なんて返すか迷う。
「……逆に、なぜ逃げないとお思いになるのでしょうか。シャノン副団長は、沢山の女性の興味を引いている優しい王子さま。これがどれだけ厄介かわかりますよね」
アルバートの表情が歪む。流石に予想はつくようだ。ついでとばかりに言葉を続ける。
「そもそも私は男爵家の娘なので、身分も合いませんし、お金もありません。他のもっといい女性に求婚なさってください」
アルバートは長いため息をつき、笑みを消した。不機嫌そうとも、冷たそうともとれる表情だ。
「ルーナは第三騎士団長に恋心を抱いているんだよな」
「なっ、ぜ……、あぁ、昨夜言ったのですね」
先ほど話していたよりも低い声で、疑問ではなく確認と取れる声色だ。
「そんなこと本人に知られたくないだろう?」
「……」
昨夜の私を叱りたい。アルバートはソファから立ち上がり、こちらにゆっくりと足を踏み出す。
それを訝しげに見ながら、思考を巡らせる。確かに、団長が知ったら困らせるだけだろう。だけど……。
「言っても信じていただけないのでは」
「昨夜、俺たちが部屋に行くのを見たと言う団員がいる。失恋の憂さ晴らしであなたに襲われたとなれば、どうだろうね。俺は優しいから女性を乱暴に扱うことはない」
自分で言うか、ふつう。私は顔を歪める。信憑性が高いのはどちらか、明白だ。確かに、副団長が騒げば問題にもなるだろう。
真実はどうであれ。男女関係で問題を起こす女なんて、解雇されても不思議はない。
しかも、女性が好みそうなお話だ。家の醜聞として広まってしまうだろう。家を立て直そうと奮闘している両親に迷惑をかけたくない。
私の前に来たアルバートは、私が視線が逸らせないように私のあごに指を添え、上を向かせる。アルバートに射抜くような鋭い視線を向けられ、私の背筋にひやりと冷たいものが走る。
その淡い青い目に、すべてを見透かされているようで、胸がざわつく。動揺を悟られないようにじっと見返す。
「被害者を装うと?」
「俺には大したデメリットは生じないからな」
この男に自尊心はないのだろうか。
「それで、何をお望みなのですか?」
アルバートは目を細めた。
「今朝言った通りだ。結婚してくれ」
私は眉間にしわを寄せる。再婚なんてできる時勢ではない。逃げ道を見いだせず、妥協案を出してみる。
「…………婚約で、お願いします、それなら」
「いいだろう。次の休みに予定はあるか?」
「……いえ」
「一緒に出かけよう。昼前に迎えに行く」
アルバートの手が放れ、ほっと力が抜ける。アルバートは向かいのソファに戻り、退室の許可を出す。
私はこの男から一刻も早く離れたい。しかし、私事で話したこともない私を選ぶ理由、これだけは聞いてみたい。
「最後にお聞きしたいのですが、なぜ私なのですか?」
「…………今は教えない」
納得がいかない。心のモヤモヤからは解放してくれないらしい。