この想いはどうしようもなく
すでに騎士用の制服に着替えたアリア・ローレルは、自由室に設置されている二人掛けのソファに座り、話しかけてくる。
アリアが聞いてきたことは、やはり一昨日の夕食後のことだ。つまり、酔い潰れた私と私を介抱したアルバート・シャノンはどうなったのか、という話だった。
わざわざ常時より朝早くに自由室で私を待っていてくれたのだろう。
私は穏やかな朝のことを思い出しながら、何もなかったことを伝えた。
「本当に?」
嘘を吐いていると疑っているのだろうか。アリアは気がかりそうに念を押してきた。
頷いて肯定する私に、アリアは不服そうな顔を向けるが、一応飲み込んでくれたようだった。
「もっと色々、話していいのよ? 言いふらして良いか悪いか、分かってるつもりだし。ルーナのことだからね。ちゃんと秘密にするわよ?」
「うん。心配してくれたんだよね? ありがとう、アリア。嬉しいよ」
私が嫌だと思うことをアリアがするとは思えない。もししたとすれば、それは故意ではないだろう。
そう思うくらいには、私はアリアを信用している。
アリアの表情は興味本位や好奇心ではなく、私のことが心配だとはっきりと物語っている。
私のことを気にさせてしまい申し訳なく思う反面、アリアからの好意に心が温かくなる。
アリアは照れたように少し視線を下げた。長く整ったまつ毛が、女性らしい丸みのある頬に影を落とす。
「な、何もなければそれはそれでいいのよ」
つんとした言い方だが、思い遣ってくれているのは分かっている。
無理矢理に聞き出さないあたり、優しいと思う。
「うん。ありがとう」
「前にも言ったけど、頼っていいのよ? いつも私の話を聞いてるんだから。私だって相談に乗るわよ?」
「頼ってるよ? 私なんかとお喋りしてくれて嬉しいよ。いつも楽しい。ありがとう」
アリアは友達想いな良い子だ。
頼っていいという言葉に素直に嬉しいと感じる。
頼れる相手がいるのと、いないのとでは、安心感も全く違うものだ。アリアがそう寄り添ってくれるだけで心強い。
アリアの優しさに自然と頬が緩んでいた。
「なんかって。私はルーナと喋りたいから喋ってるのよ! 嫌々仲良くしてるわけじゃないんだからね!」
「あっ。わかってる。アリアはそういうタイプじゃないもんね。ありがとう」
言葉に引っかかったアリアは頬を膨らませる。
自信のなさが無意識に外に出てしまう。気をつけようと思っても、心の中に根付いているものは隙あらば芽を出してきて、どうしようもない。
失言にしまったと思いつつも謝りはしない。謝罪の言葉を述べるとアリアは怒り、自分のことのように悲しんでくれるから。
引きずらないのが一番良い。
アリアは笑顔が似合うのだ。
準備を終え、私とアリアは第二騎士団訓練場の方に向かって歩く。
その間も、アルバートのことやブライトさまのこと、休日のことなど、ころころと話題を変えながら雑談をしていた。
時々、アリアがどこか顔色を伺うようにじっと見てくるので、視線が気になってしまうが、なんとなく聞かなかった。
入り口が見えてきたところで、アリアがぷっくりとした桜色の唇に人差し指を当てて、にんまりとした笑みを浮かべた。
悪戯でも企んでいるような表情に、私は意味が分からず小首を傾げる。
「ねえねえ、ルーナ。何かあった?」
「え?」
「いつもより楽しそうよね」
アリアの聞き心地の良い高めの声が耳に入ってくる。
心当たりと言うと、すぐに二つが頭の中に浮かんだ。一つは、先程のアリアの言葉。そして、もう一つは訓練場に既にいるであろう彼のこと。
ここで彼のことを思い出すあたり、彼をよく意識しているのだと自覚してしまう。
まだ素直に伝える気にはなれず、ほんの少しの間をおいてしまう。
「……アリアの気遣いが嬉しかったんだよ」
「う、そ」
私に突きつけてきた細い指を左右に振る。
アリアはなぜだか機嫌が良さそうだった。
「嘘では」「ないんだろうけど、他にもあるんでしょう?」
アリアは私の言葉に続けるように声を被せてきた。
「……ある、けど」
「ほらね! あるんじゃない。んー、ふふふ、もしかして、副団長のこと?」
「な、なんで?」
「そりゃあ、ねえ」
含みを持たせるアリアに、私は言葉が出ない。アリアからそんな風に見えたということだろうか。恥ずかしい。
私の様子にアリアは合点がいったとでもいうように、縦に大きく頷いた。
「私ね、ルーナと恋話したかったのよ」
「え? してたよね?」
「言い方が悪かったわね。ルーナの恋のお話も聞きたかったの。いつも私のを聞いてばかりだったでしょ?」
思い返してみれば、私は自分の恋愛に関することは誰にも話していない。
第三騎士団長を慕っていたものの、これといって話題にするほどでもないと思っていた。
それに、聞くのは楽しいが、自分が話すとなるとどうにも羞恥に駆られ言葉にならなかった。
「……そういうの慣れなくて」
「ルーナってば、照れ屋よねぇ。そこが可愛いとこであるんだけど。もう少し素直になった方がいいのかもね。難しいのかもしれないけど」
「うーん。うん、そうだね。アリア、ありがとう」
アリアなりに考えて言葉を紡いでくれている。
痛いところを突かれたが、無闇に触れられたわけではない。
ただこれでも、精一杯感情を伝えているつもりだ。だから、曖昧にしか返事はできなかった。
「また今度聞かせてね? ルーナの恋話」
「べ、別に、まだそうと決まったわけじゃ……」
顔が熱くなるのを自覚しつつも否定する。
まだ難しいのだ。
「ふふっ、わかってるわよ〜。無理には聞かないわ」
「もー。ありがと」
アリアは鼻歌交じりに大変満足そうな笑顔を浮かべている。
普段からはっきりと主張する割に、彼女は土足で踏み込んでくるようなことはしない。
「アリア。私にも色々話してね? これからもよろしくね」
「ん? もちろん! よろしくね!!」
その保たれた距離感が気楽で良いと感じる。
明るく温かいアリアと友達になれて本当に良かったと思っている。
騎士を辞めたとしても、彼女との縁が続くといい。
そのくらい、私は彼女を気に入っている。
私とアリアは訓練所への入り口を抜けた。
アルバートに会えることを楽しみにしている私がいる。
気付いているくせに、分からないふりをしている。
知りたくないんだ。怖いから、分かりたくない。
「おはようございます、シャノン副団長」
「おはよう、シアーズ」
アルバートと交わす義務的な挨拶でさえ、私の心を浮つかせ、気分を良くさせる。
それと共に、上司と部下という距離に、今まで感じたことのない、不快な違和感を感じてしまう。
「昨日は休めたか?」
「ええ、読書をしてゆっくり過ごしていました。副団長は?」
「何もしないで休日を過ごしたよ。だらけすぎたかもしれない」
一昨日よりも、開いた距離でアルバートと会話する。ここが訓練場であり、人前であるからだ。
それを寂しいと感じる自分がいて、私は内心戸惑っていた。
「そういう日も必要かと」
「そうだな、ありがとう」
あと一歩踏み出して、少し手を伸ばせば、触れられる距離。
でも、今ここから先には行けない。
この距離が近いようで遠いようにも感じてしまう。
会話の途切れにより、私は彼のそばを離れた。
婚約者という立場で、以前よりも彼の近くにいるはずなのに。
あと少し……。
あと少し、アルバートと話したい。
アルバートのことを、もっと知りたい。
もっと、もっと、アルバートに近づきたい。
欲が出る。無視できないほどに心の中に想いがある。
始業前とはいえ、こんなことを考える自分が情けない。
「シアーズ」
呼び止められた私は、ファミリーネームで呼ばれたことを寂しく感じつつも、呼び止められたことを嬉しく感じてしまう。
「はい。何でしょうか」
アルバートが手招きをする。
すぐ横まで行くと、アルバートの綺麗な顔が近づいてきて、胸が高鳴り、頬が熱くなる。
「夕方一緒に帰らないか? ルーナ」
ひそめた低く落ち着いた声が耳に入る。
にやけそうになった頬を、私は慌てて手を当てて隠した。アルバートには見られたかもしれない。そう思うと急に気恥ずかしくなった。
「では、準備ができたら執務室に寄りますね」
「ああ。よかった。ありがとう」
礼をしたアルバートからすぐに離れる。
頬にあてた手はそのままで。
名前を呼ばれたことが嬉しくて、私の心は舞い上がっていた。
こんなにも喜んでしまう理由は、一つしか浮かばない。
心の中で、すとんと想いに名前が付いた。
案外、答えは簡単で、気付かないふりはもうできない。
恋なんてしたくない。必要以上に他人と関わりたくない。
私は自分に自信なんてない。この長身も、この可愛らしさの足りない顔も、冷たい性格も、ネガティヴな思考も、すべて嫌い。
自分が傷付くのも嫌で、保身に走ってしまう。
アルバートと喋るのは楽しい。彼のそばは良い意味でも悪い意味でも落ち着かないが、居心地がよい。
アルバートにいつ嫌われるのかが怖い。嫌われたくない。
自分の臆病さに嫌気がさす。
でも、悲観的な所も可愛いと、そこも魅力だろうとアルバートに言ってもらえた。
私自身を認められたようで、本当に嬉しくて、私は自分を少しだけ好きになれる気がした。
彼の隣にいたいと思う。
この想いはもう、どうしようもなく認めるしかない。始まりは、最悪だったのに……。
私はアルバートに惹かれている。