嫌かもしれない
私とアルバート・シャノンはストーカー騒ぎのせいでアリアたちとの待ち合わせ時間に遅れてしまった。
大通りの夜は暗いが居酒屋からこぼれる光は明るく、私は扉の前でぴたりと足を止めた。
「どうした?」
不思議そうに聞かれて私は曖昧に笑みを作る。
「あー、嫌なこと思い出しました」
「いやなこと?」
「まあ、自分の失態ですよ」
アルバートは心が当たりがあるようで、あ、と小さく声を上げて眉を下げた。
この居酒屋は二階が宿になっている。
私が第三騎士団のノア・ナイトレイ団長を慕っていたことを泣きながらアルバートに暴露し、婚約するきっかけ、みたいになってしまった店だ。
忘れたい記憶だ。
「あのときは起きて早々、婚約を飛び越えて結婚してくれなんて言うから、寝ぼけてどこかに頭を打ったんじゃないかって思いましたよ」
あれは二日酔いも醒めるほどに衝撃的だった。
私は軽い気持ちで話して、また上司に向かってきつい物言いをしたことに気づいて後悔するがもう遅い。これだから私はダメなんだよ。
扉を開くと賑やかな宴会騒ぎのような声が外に漏れ出る。今日も繁盛している。
「俺は結構、本気だったんだけど」
「え??」
私は空耳かと耳を疑って、アルバートを見た。
「……聞こえないふりは結構傷ついた」
アルバートは先に店に入ってしまう。
私はぽかんとアルバートの背中をしばらく見つめてしまった。
思った以上にその言葉は心に刺さった。傷つけてしまった、のか。
……戯言だと思って確かに『聞こえなかった』と言った。あれは無視と同じことだった。
状況が状況だったし、どうしようもないとは思うが……。
やはり私は人に気を遣うことができないらしい。
謝るのは自己満足だろうか。いや、求婚されて嬉しかったと言えるわけでも、完全に信じているわけでもないのに謝ってもただ傷つけるだけかもしれない……。
アルバートと店の奥の方に進むと、桃色の髪を揺らしてアリア・ローレルが個室から出てきて私たちに手を振った。
「ルーナ!! 遅いわよ!」
私は「ごめん!」と謝ってアリアに駆け寄る。
奥に座るルイス・ブライトと目が合うと、ブライトさまはにこりと笑みを浮かべた。
「先に料理、頼んじゃったよ」
「ああ、そうしてくれて助かる。待たせすぎたからな」
「すみません、ブライトさま」
私が座ろうとすると、後ろからきゃあっと女の子の高い悲鳴。
驚いて声の方を振り向くと、近くに赤い髪の若い女性がうつ伏せで床に転がっていた。
格好からして店員ではなく客であろう。つまづいたのだろうか。
手を貸そうかと迷うと、私よりも先にアルバートが彼女に歩み寄って手を差し出した。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
アルバートは微笑んで優しく声をかけた。
ひぇっと女性は小さい悲鳴のような声を上げて顔を赤らめた。そして彼女はアルバートの手を借りて立ち上がりぺこっと頭を下げた。
「あっ、あの、ごめんなさい! ありがとうございます!!」
「お怪我は?」
「いえ! 大丈夫です!! 心配してくれてありがとうございます!!」
女の子はぱあっと嬉しそうな笑顔で両手を握り食い気味に答えた。
じっとアルバートたちを見ていると、隣からあーあ、とアリアのやれやれと呆れるような声が聞こえた。
あんな愛想よくやさしい声音で声を掛けるアルバートを私は見たことがない。
アルバートは親切を働いているだけなのに、何かが気に入らなくて……。なぜか胸やけしたようにむかむかして心がモヤモヤして私は口を一文字に引き結んだ。
「それは良かった。じゃあ、足元には気をつけて」
アルバートがこちらに歩こうとすると、女性がアルバートの腕を掴む。
「あっ、待ってください! 私と一緒に飲みませんか?」
「すみません、連れがいるので」
「じゃあ、あとでご一緒するのは?」
「いえ、そんな気分ではないので」
女性が触れても女性のふくらみを押し付けられてもアルバートは動揺して笑みを崩したりしない。そんなところから女性に誘われ慣れていることに気づく。
傷つけない言い方で当り障りなく誘いを断るんだなあと考えているとアリアが私の前へと出た。
「副団長! まだ? その人怪我してました?」
「え、ああ、無いようだ」
「じゃあ、油売ってないで行きましょ」
「すまない……」
アリアが面倒だと言わんばかりの表情でアルバートを引っ張ってきた。
こちらまで戻ってくるとアリアはさっさとブライトさまの横に座り、私は奥へ座った。
「手間がかかるわね」
「ほんとどこでも女を引っかけてくるよね。飽きないのかい?」
うんざりするほど鉢合わせたのか、ブライトさまは苦笑いだった。
どこでも、ねえと思いつつ、とりあえずメニュー表を取ってお酒を注文しておく。
「それだと俺が口説いたみたいじゃないか」
「顔だけでも口説いてるようなものよね」
「それはもうどうしようもないことだ」
「諦めてるのね」
「容姿が整いすぎると大変だね」
「すげえ他人事」
アルバートはむっとするように嫌そうな声を上げた。
それに対してブライトさまはおかしそうに笑う。
私は運ばれてきたお酒をもらって、グラスを傾けて二、三口飲んだ。
「ま、他人事だし。俺はアリア以外興味ないし」
「ああ、ルイスはそういうやつだったな」
相変わらずだとアルバートがくくっと笑う。アリアの方は嬉しそうに頬をほころばせている。
私を見てにこりと笑うブライトさまに違和感を感じて私は眉を寄せた。
「アルバートはずるいよね。アリアに引っ張られるし。シアーズには妬かれているし。俺だってアリアにされたい。うらやましい」
「は? やかれ?」「あら……」「……んっ!?」
ブライトさまの言葉に私は驚いて飲もうとしていた酒がのどに詰まってむせってしまった。私は急いでバッグからタオルを取り出して口元を拭う。
アルバートは心配そうにして、軽く私の背中をさすってきた。
かあっと顔に熱が集まり、見るとブライトさまはにこにこと爽やかに笑っていて、からかっているんだろう。
「あっ、やっぱ図星? 俺もああいう熱っぽい視線? いや、シアーズのは極寒のような気もしたけど。アリアにジト目で見られるのもきっといいよね!」
「言ってることがひどいわね」
「そうだったのか? だから、ルーナは難しい顔で黙り込んでいたのか?」
「な、なななに言って!! わ、私は妬いてなんかいません!」
驚いたように私を見るアルバートに否定した。
「じゃあ、なんでさっき眉を寄せて副団長が手を貸すところを見ていたのよ?」
「そ、それは……! 愛想よくて丁寧なアルバートさま初めて見たなと驚いただけで、べつに」
「なるほど。自分にはしないくせにとシアーズは思ったんだね」
「なっ……!!」
まんまと言い当てられて反論できずに言葉を失ってしまう。
ブライトさまがにやにやと笑っているのが恨めしい。
私は嫉妬していたらしい。
いつも女性にあんな風に柔和に優しく声を掛けるのかと考えてしまったのも、他の女性と親しくするアルバートを想像してなぜか嫌で悲しくなったのも、嫉妬していたと思うと腑に落ちる。
モヤモヤした感情の正体がわかって私は穴にでも隠れたい気分になった。
もともと婚約しているからといってアルバートを独占したいなんて思うはずなかったのに。
なんでやきもちなんて……。
嬉しそうに頬を緩めるアルバートを見て私は嫌そうに顔を歪めた。
「なんで嬉しそうにしているんです」
「しかたないだろ。以前はルーナの眼中にも入れていなかっただろ?」
「そうでしたけど、今は認知しているでしょう?」
「今は嫌いではないということだよな?」
かっと赤くなった顔をアルバートに見せないように両手で隠す。
「そ、そうだけど、でも、アルバートさまがデレデレするから」
言い終わるや否やアルバートは私の肩をつかんだ。
「デレデレはしてないから」
「えっ、笑顔の裏でアルバートさまが何を思っていたのかなんて私は知りません!」
私はぷいと反対へ顔を逸らす。
こんな態度を取る私はおかしい。そろそろこの会話やめてくれないだろうか、私が墓穴を掘っているような気がする。
そんなことを考えていたら、ウエイターが追加料理を持ってきた。
「そういえば、ノース団長の息子さんが婚約相手を見つけたそうよ」
「ああ、少し前に入団したんだよな。同じ騎士団の娘だと。確か、しっかりしているようで少しドジな娘だと聞いた」
「へえ」
私は相槌を打って串焼きを取る。
ノース団長とは私たちが所属する第二騎士団の団長のことだ。
いつまでも見合いを渋るのだと愚痴をこぼしていたが、やっと三男が婚約したらしい。記憶が間違っていなければ、第一騎士団に入団したはずだ。
私はその人に関して覚えていることはそれくらいなので会話に参加しない。
「ああ、この前、俺も見たよ。周りから見ても分かるくらい幸せそうな顔で女の子と話していたな。その子が婚約者だったのかな?」
「そうかもねえ。彼かっこいいって評判らしいわ。ま、舞踏会で見れるかもね」
もうそろそろ開催される王太子殿下の婚約祝いのための舞踏会。
「アリアたちは出席するの?」
「うん。少しだけね」
「あんなとこいつまでもいられないわよ。うわべだけ取り繕って表情筋がつかれるわ」
「同感」
「アルバートたちは出席するの?」
「まあ、一応そのつもりだ」
前もって話合っておいたのだ。
私はいつものように仕事だけして終えようと思ったが、貴族社会は噂が立ちやすく回りやすい。不仲だと思われるのも面倒だということで、少しだけ参加することにした。
「心底嫌そうな顔ねえ。二人して」
「ああいう煌びやかな空気は私には合わないの。それにマナーも教養も勉強し直してるんだよ。元婚約者のせいで良い想い出はないし」
はあ、とため息を吐いてグラスに入った酒を飲み干す。
また思い出したくもない元婚約者を思い出してしまった。彼は私とは相性が悪かった。
顔を合わせれば顔をしかめ、高慢で自信家で疲れる面倒な相手だった。
「頑張んなさいよ、伯爵家に嫁ぐのなら必要なことよ。それにしても、丸一年公の場に顔を見せないなんてどうかしているわ」
「そこは言わないでおいてよ」
「アルバートはどうせ女性関係の悩みなんだろ?」
「そうだよ。どうせとか言うなよ。真剣なんだから」
「それずっと言ってるじゃん」
ずっとねえ。本当に本気なのかな、と考えつつ、だれも口をつけていないグラスを取る。
「女って怖いんだぞ」
「女性二人がいる前でそのお話はどうかと思いますわ」
アリアはわざとらしい口調で言った。
「とげがあるなあ。って! ルーナ、それ俺が頼んだやつ! 度数が高いやつだから……」
アルバートが止めるが遅く、私はグラスをぐいっと大きく煽ってごくりと飲み込んでいた。のどが焼けるような感じがして私は顔をしかめる。
「うわっ、……あついし、ぐらっとする」
「うわ、へいき?」
「やだっ、ルーナ、強くはないのに」
「ああ、もう。水を飲め。水」
アルバートから水を受け取ってこくこくと飲む。
そのあと、私はふわふわしたまま談笑をつづけたが、いつの間にか睡魔に負けてぼんやりとした暖かい暗闇へ沈むように眠りについてしまった。